第16話:彼女の認識

◆ 

 徒野と暫く会話を続けたとき、彼女は無理難題を突き付けてきた。


「お前、少し他の奴らの様子を探ってこい。そして一言一句間違えず、私に報告しろ」


 探偵の助手のような役割だ、と思ったが助手ではなく事務員のなので、これまた仕事の範疇に含まれないことを頼まれた気がすると不服な顔をすると、徒野に枕で殴られた。


「痛いじゃないですか」

「お前が、すぐに頷かないからだ」

「暴君もびっくり理論展開しすぎです。徒野じゃないのですから、そんなことできると思っているのですか?」

「できないと思ったら、行かせないさ。それにお前はあくまで事務員だ、いや家政婦と思われているか? どちらにしろ探偵ではない。ならばこそ、話が弾む可能性がある。別に、犯罪者であるかどうかなど、どうでもいいのだ。そんな深いところまで根掘り葉掘り探ろうしなくていい、日常会話をしてこい。日常会話にこそ隙は生まれやすいからな、わかったか?」

「えぇ、わかりましたよ」


 仕方ない、暴君徒野様に従って日常会話をしに行くか。

 例え、襲われたって多少のことなら返り討ちにできる自信はあるわけだし。

 別に格闘技の心得があるからってそれを披露したいわけではないが――警察官である相馬が、殺害されているから犯人はかなりの手練れであることは間違いないがその部分は気付かなかったことにしよう。

 部屋を出ようと、ドアノブに手をかけたときだ、背後から徒野が声をかけてきた。


「そうだ。早乙女柚月には他の奴らより、なお気をつけろ。あいつは聡い」

「――わかりました」


 部屋を出た。

 徒野の前の部屋である、日ノ塚沙奈が選んだ部屋の扉が目に入る。

 その隣であった相馬宗太郎も殺害された。隣同士で並んでいたが、まさか部屋の順番で殺害していったということはないだろう。

 ふと、首の赤いリボンに手を触れる。

 ――姉さん。今、幸せだよ。あの頃と違って。

 幸せとは何ですか? と質問されたら答えられないような環境にいたあの頃とは違う。


「徒野さんと一緒にいたのではないですか?」


 思考の海にいると、現実に呼び戻す声が聞こえた。

 柔らかな声の裏に腹黒さを隠しているこれは不知火だ。

 閉じていた瞼を開くと、軽く着崩したスーツ姿が優美さを増長させるかのように似合っている不知火が立っていた。


「追い出されました」


 嘘ではない。探ってこいとはすなわち部屋から追い出されたと同義だ。

 廊下で瞳を閉じて立ちすくんでいたのを不審に思って、不知火は声をかけたのだろう。


「おやおや。それは残念でしたね」

「いえ、いつものことですよ。徒野は自由奔放なので」

「確か、徒野さんは探偵で、貴方はそこの事務員でしたよね?」

「えぇ。徒野は、拾ってくれたのですよ」

「拾って……くれた?」


 不思議そうな顔をしながらも、これ以上質問してもいいものかという困惑が読み取れた。


「高校を中退して、施設を飛び出して、日雇いのバイトを懸命に探して日々を食つないでいたのですけど、それも限界が来て路上で倒れていたところ徒野が見つけてくれてのです。あのまま雪の中放置されていたら、凍死していたことでしょうね。拾ってくれただけじゃなく、事務員として仕事と住処を徒野は与えてくれたのです」


 幸せそうに語る姿に、不知火はなんと言葉をかければいいか迷っているようだ。


「もう過去のことです。だから変な慰めとかは不要ですよ。第一、両親が火事で死んで預けられた施設に馴染めずに後先考えずに飛び出したのが悪いのですから。ま、そうしなかったら徒野と出会うことがなかったと考えると、人生何が起こるかなんてほんとわからないですよね。一寸先は闇だけれども、その先に待っているのが闇だけとは限らない」

「そうですね」

「えぇ、だから過去の話なんて、気にしなくていいですよ」


 全てを水に流すことはできない。

 今だって過去を思い出すし、自分の身体を見ることは嫌いだけれど、それでも過去を笑って語れるくらいにはできる。

 全ては、徒野が雪の日に、傘を差しだしてくれたから。


「一つ、聞いていいですか?」

「どうぞ」

「施設を馴染めなかったって、虐めでもあったのですか?」

「違います」


 それは断言できる。


「施設の人は皆優しかった。けれど、その無償の優しさが、当時は理解できなかったのです。理解できなくて、怖かったから、飛び出したのですよ」

「それは……その」

「えぇ。両親は、娘と息子に暴力を振るうような人でした」


 にっこりと微笑む。微笑みに不知火は、果たして哀れみを感じただろうか、けれど別に興味はない。


「まぁ、両親が死んだのは、タバコの不始末による火災なので、施設に預けられる経緯は、引き取ってくれる親戚がいなかったからというもので、虐待が原因ではありませんが」

「そうですか」


 淡々とした声は、感情を抑えている。

 同情も、両親に対する怒りも、何も感じないようにするために抑えてくれている。それが有り難かった。


「えぇ。それに――今は幸せですから」


 柔らかで至福な笑顔を浮かべる。

 理不尽で、自由奔放で、我儘で、自信満々で、頭脳明晰で、生活能力が皆無な探偵でなんだかよくわからないけど一緒にいると徒野はとても楽しいのだ。

 徒野が言えばまだ四年とうんたらと言い出すけど、幸せだから約五年間事務員をやってこられているのだ。

 徒野ほど、美しい人はいない。


「長話をしてしまいましたね、そろそろ私は部屋に入りますよ」

「あっ」

「どうしました?」


 おもわず引き留めてしまった。不知火は小首をかしげる。

 女性であったのならば一目で仕留められそうな優美さだ。

 世間話もした、ならばあえて直球勝負といこうではないか、流石に過去を語った世間話をしましたじゃ徒野もがっかりするに決まっている。


「漆原あやめはどうして、こんな実験をするのですかね、肖像画を眺めていると深層の令嬢とかが似合いそうな人物なのに」

「どうしてでしょうね。私もその辺は理解できません。本当にこうして見ると綺麗な方ですけどね」


 歩いて肖像画の前で立ち止まる。

 陶磁のような白い肌、肩で切り揃えられた艶やかな黒髪。


「まぁ綺麗な花には棘があるといいますし、その棘が猛毒だったということですかね。彼岸花の和服を着ているのは、彼岸の向こう側へ私たちを追いやりたいのかもしれませんね」

「それは遠慮願いたい、彼岸の女性ですね」

「ですよね。十代にしか見えないような外見なのに、その実、歪んだ熟成の女性ですよね」

「えぇ。そうですよね本当に」

「では、私は失礼しますね」

「有難うございます」


 今度こそ不知火と別れた。

 次は真緒の部屋を訪ねよう。


「真緒、生きていますか?」

「声かけが失礼な奴だな!」


 扉が勢いよく開かれて真緒が飛び出してきた。

 普通に扉をたたいても鋏の殺人鬼である真緒は出てきてくれない気がしたのだ。

 相馬を鋏の殺人鬼に見立てて殺害したコピーキャットの事実への激怒は時間経過とともに多少収まったようだが、此方がコピーキャットではないかと疑っているのだろう、眼差しが猜疑に満ちている。


「少々世間話をしようと思いまして、今、大丈夫ですよね」

「随分と押しが強いな。いいけどよ、一つ利かせろ。アンタは、コピーキャットか?」

「違いますよ。コピーキャットなんかじゃありません」

「まっ、コピーキャットかって聞いて、『はい、そうです』なんて言うやつはいねーか」

「いませんね」

「まっいいか別に。アンタが疑わしくなったらオレは殺してやるから、そのつもりで、オレと話すなら立ち話しろよ」

「では、コピーキャットじゃないので、安心して立ち話しますね」


 物言いが面白かったのか、毒気を抜かれたようで笑っていた。

 真緒の馬鹿さ加減には呆れるが、見知らぬコピーキャットに激怒している姿よりは、無邪気に笑っている方が似合っている。


「で、何さ?」


 真緒に世間話も何もないだろう。直球で聞くことにした。


「漆原あやめについて、真緒はどのような見解を持っているか気になりまして」

「探偵の徒野に聞いてこいって言われたのか?」

「それは秘密です」

「まっ、どっちでもいいか。オレの見解は、よくわからないイカレタやつだ」

「イカレタやつですか」

「だってそうだろう? こんなところをにオレたちを集めて実験するような奴だ、まっとうなわけがない。ま、詳しくは知らねぇけどよ。何せ、オレは手紙で漆原あやめに呼ばれただけであって、実際に会ってないからな」

「そうでしたね」

「あぁ。だから、肖像画を見ていけすかねー少女。美人なのに残念だって思った程度だよ」

「真緒は、手紙で呼ばれたって言っていましたが、なんて呼ばれたのですか?」

「だから、オススメのアルバイトがあるって呼ばれたんだよ」

「徒野のように、探偵ではないですけど、それが嘘だってことは素人にもわかりますよ」


 眼光を鋭くして問うと、真緒は一瞬引いたようだ。


「嘘だったとしても、真実を語ってやる必要はねぇよ」

「それもそうですね」


 微笑みへ表情をすぐさまチェンジする。真緒は扉に手をかけながら言った。


「アンタ、変わった奴だよな」

「よく言われます」

「だろうな。ほら、世間話はそろそろいいだろう? オレはない頭ふり絞ってコピーキャットを見つけ出さなきゃいけねーんだ、帰れよ。アンタがコピーキャットじゃないなら」

「ない頭を振り絞っても、何も出てきませんよ」

「失礼な奴だな!」

「失敬。では帰りますね」

「おう」


 千日を訪ねるか早乙女を訪ねるかで迷ったが、女性でかつ毒牙の魔女である千日は後回しにて、早乙女を訪ねることにした。

 理由は、徒野が早乙女には気をつけろと言っていたからだ。

 真緒との会話でリラックスしたあたりで早乙女に当たるのがいいだろう。千日の妖艶な毒に当てられて摩耗した後じゃ、こっちが何を言い出すか不安だ。

 扉の前で深呼吸して、精神を整える。

 さぁ、早乙女とご対面だ。


「早乙女いますか?」

「いるよ。どうしたのさ」


 早乙女は、扉を開けて出てきてくれた。引きこもっているようなら、「女の子のような柚月ちゃんいますかー」って呼び出そうと思ったので、そうならなくて済んで良かった。

 部屋の中ではぶかっとしたセーターを羽織っていないようで、身体が華奢なことがより一層わかる。

 じろじろとみたら回避したはずの地雷を踏み抜きそうなので、早々に視線を顔へ戻す。


「漆原のことを聞きたいと思いまして」


 うん。直球だとか言い訳していたけれど実際のところ世間話をして来いと言われても、する世間話のネタがなかったから、一番ネタが豊富そうな漆原を聞いて回っていたといい加減認めるか。


「いいよ。立ち話もあれだし、部屋にはいっておいで。ボクも聞きたいことがあるし」


 早乙女の聞きたいこと、という表現に気を引き締める。早乙女はコピーキャットの可能性が高いのだろう、だから徒野は忠告してきた。

 そう判断する。

 早乙女の部屋は、綺麗に整頓がされていて、部屋を最初にあてがわれたままのような生活感のなさを感じたが、とても落ち着く空間だった。

 物がなく、散らかっていないのは心が乱されない。

 これで散らかっている部屋だったら、落ち着かず早乙女と冷静に話が出来なかったことだろう。


「ベッドにでも適当に座ってて。今お茶でも入れて上げる……それともいらない?」


 徒野と似たような笑みを浮かべながら訪ねてきた。

 毒が入っている可能性があるけど、どうすると問うているのだ、此方を試すような視線で。

 徒野が早乙女を聡いと称した。ならば、徒野と同様、コピーキャットはこの場に集まった殺人鬼の殺害方法を模倣していると気づいているのかもしれない。

 ならば、お茶で気を付けることといえば、真っ先に毒牙の魔女千日紅の殺害方法――毒殺が浮かぶ。


「いえ、いります」

「そう? 勇気あるね。それともボクがコピーキャットだと疑っていないとか?」


 やはり、早乙女は気付いている。


「違います。けれど、毒殺はあり得ない。毒牙の魔女が殺害するのは、事務員ではない」

「正解。毒牙の魔女が事務員のキミを殺害したところで得られる金銭的利益があるとは思えない。けど、別に――お金持ちじゃないから殺されないなんて、それコピーキャットに通じる理論だと思っているのカナ?」


 試す口調で早乙女は言ってきた。

 徒野のように怜悧な頭脳は持ち合わせていないが、意味はわかる。

 そして、答えもわかっている。


「思っていますよ。何故ならば、赤いリボンの殺人鬼は女性を首に赤いリボンを巻いて殺害する殺人鬼で、日ノ塚沙奈はそれを満たしていた」


 実際には、日ノ塚沙奈は赤いリボンの殺人鬼の標的にはなりえない条件があるのだが、しかしここは省略して構わない。

 ましてや、早乙女に余計な情報を与える必要もない。


「そして、鋏の殺人鬼は、猟奇的殺人鬼で殺害対象は無差別です。だから、相馬宗太郎を殺す条件を満たしている」


 無差別殺人犯は、誰を殺しても構わない。この屋敷に集められたすべてが殺害対象だ。


「ならば、毒牙の魔女が殺害するのは、毒殺で、お金持ちの男性に条件が限られる。それを満たしていない人物は、少なくとも毒牙の魔女で殺害されることはない」

「正解。大正解。探偵の事務員だったとしても、やっぱ探偵と一緒にいるからかな? 利口だよ」

「有難うございます褒められると嬉しいですね。いつも徒野には見当違いのことをいうやつは黙っていろとばかり言われるので」

「彼女が頭良すぎるから、そう感じるだけデショ。キミは馬鹿だと思えない」

「素直に喜んでおきますね」

「……そう。毒牙の魔女に殺害される条件をキミは満たしていない。満たしているのは相馬宗太郎、道楽息子って紹介されていた彼だけだね。仕立てもいい服だし、はめている腕時計とか百万単位のものだよ、知ってた?」

「知りませんでした」


 強盗に会いそうな時計を身に着けているとは怖いもの知らずだ。


「千日なら目ざとく気付いただろうね」

「不知火はどうです? 上品で、裕福な印象がありますけど」

「どうだろう、不知火に関しては、確かに金銭的に困っているとは思えないけれど、毒牙の魔女が狙うほどお金をもっているとは思えないかな。着ている品がいいとはいえ、百万とかするようなものじゃないからね。上品さが、さらに服の価値を釣り上げているって感じ。不知火は服そのものの価値ではなく、彼の顔が、服の価値を生み出しているっていえば、いいかな」

「なるほど」


 確かに不知火ならばどんなボロ布を纏っていても、彼が着こなしているというだけでその価値は跳ね上がりそうだ。


「現時点の情報では、不知火が毒牙の魔女に殺害される条件を満たしているかは、わからないネ。だからこそ、コピーキャットは馬鹿だなって思うよ。相馬を鋏の殺人鬼の真似で殺害してしまうのは勿体ない」

「勿体ない……ですか?」

「そう。だって、毒牙の魔女がボクらの中で殺害条件を満たすのは、唯一相馬宗太郎だけだ。つまり、彼が鋏の殺人鬼に殺害された今、コピーキャットは毒殺という手段を使えなくなったというわけダヨ。勿体ないデショ? ボクだったら、鋏の殺人鬼で殺害するのは、千日か徒野あたりを選んで、相馬を毒殺したね、そのほうが、綺麗に収まる」


 綺麗に収まるという言葉に背筋が凍りそうになる。

 この高校生は、徒野の言う通り気を付けなければならない相手だと、より一層深く、奈落の底まで実感する。

 だからこそ、早乙女に負けないように言い返した。


「あえて、無駄を作ったのかもしれませんよ」

「どういうことかな?」

「早乙女や徒野が、コピーキャットだった場合、そんな無駄のある行為をするはずがないと思う。その先入観を利用して無駄のある行為をした、ということですよ」


 徒野が犯人の可能性は微塵もないが、此処は含んでおくべきだろう。


「ははっ! 確かにそれもそうだね。裏をかいた行動というわけか、それは面白い盲点だったよ。有難う、思考の幅をキミは広げてくれたみたいだ」

「それはドウイタシマシテ」


 拍手をされてしまったので、早乙女の雰囲気に負けないように言い返したはずなのに負けた気分に陥った。


「早乙女は漆原あやめについてどう思います? 会っているんですよね?」


 話題転換。


「うん。会っているよ。いきなりボクのところを訪ねてきて、漆原は問題を出してきたんだ。その問題に答えたら、暗黒の館に是非来てくれって言われたね。まぁだからこうしてきているわけだけど……気に入らないよね。ボクたちを集めて利用しようとしていることが」

「問題……?」

「そ。簡単なクイズ問題みたいなものだったよ。んーとね、例えば定番だけど」


 早乙女がキャリーバックの中から手帳を取り出してきて、簡単な問題を用意してくれた。


 刑事「佐藤さんが亡くなりました」

 鈴木「どうして佐藤さんが!?」

 メアリー「誰に殺されたんです!?」

 太郎「佐藤さんに一体何があったんですか!」


「これが、問題ですか?」

「そう。犯人はこの中にいます。さて誰でしょうか。本当は問題文をもっと複雑にしたいとこだけど、まぁ凄く簡単に作るならこんなものかな」

「……えっと」


 この短文だけで犯人を当てろとか、無理じゃないのか?

 しかし、簡単に作ったというのだから、解けない問題ではないはず。少なくとも漆原が徒野に出した問題よりは簡単なはずだ。

 脳内で問題文を繰り替えし、場面を想像しながら暫く睨めっこしているとわかった。


「そうか! 犯人はメアリーですね」

「そう、正解。簡単デショ?」


 悩みはしたので簡単デショっていうのには頷けなかった。

「刑事は亡くなりましたとしかいっていない。刑事が来ているから病死は外したとしても、事故死や自殺の可能性もあるのに、メアリーは亡くなったときいて他殺だと判断した。それってつまり、何故亡くなったか知っているということに他ならないってことですよね」

「そういうこと。こんな感じの問題を漆原がボクに提示してきたんだよ」


 徒野と早乙女は同じ方法で漆原あやめに招待されたのか、これには何か理由がありそうだなと思った。

 いや、それ以前によくよく考えればおかしい。

 どうして、相馬や徒野、早乙女、おまけで事務員は直接漆原に会って、他の面々は手紙で招待されたのだ?

 一体、直接と手紙になんの差が――基準がある。

 ――ダメだ、考えても思い浮かばない。


「早乙女は、漆原にどんな印象を抱いています?」

「世の中がつまらないんだよ、漆原は」

「つまらない?」


 首をかしげる。漆原は、人生を満喫して、楽しんでいるように思えた。つまらないとは無縁の世界を生きていそうな彼女が、果たして世の中がつまらないとはどんなものか。


「そっ、漆原はつまらないんだ。この世界が色鮮やかなものではなく、黒白の世界に見えるんだよ、二色しかなくて、つまらない面白くない。だから、彼女は世界を鮮明にしようとした。そして、鮮明にしてくれるものが――犯罪だった。だから、漆原あやめは高みの見物をしながら楽しむことで、世界に色を付けて生きているんだよ」

「はた迷惑ですね」

「そ、はた迷惑な人種。それが漆原あやめだよ」

「けど、どうしてわかったのですか?」


 彼女の振る舞いはとてもつまらないと連想させるものではなかった。


「わかるよ――だってボクもつまらないからね」


 にっこりと微笑んだそれは、表現しがたい表情だった。笑っているくせに泣いているような、邪悪な化身が目覚めたような、複雑怪奇な表情。


「漆原あやめは、彼女の世界を彩るために財産を使ってボクたちを呼び集めて実験する。楽しい日常を防犯カメラの外から、眺めているよ」


 早乙女は、室内に取り付けられた防犯カメラを指さした。防犯カメラは、黒の布が覆いかぶさっていた。


「楽しめなくなっていますね」


 正直に述べた。


「人の私生活を覗き見られるなんて冗談じゃないからね」


 そういえば、徒野は防犯カメラなど気にした素振りをしていなかったな。確認してはいないけれど、布で隠すなんてしていないだろう。むしろ防犯カメラの前でも平然と着替えをしていそうで頭が痛くなる。


「どうして、警察が捕まえることのできない犯罪者を、漆原は見つけ出すことができたのですかね」

「同じ穴の狢。類は友を呼ぶ。そんな感じデショ」


 徒野と同じことを言われた。やはり、早乙女と徒野は似ている。


「そうそ、ボクの見解とかじゃないけど、漆原の年齢って実は二十六みたいだよ。和ゴスを着ていて、顔が童顔だから若く見えるけど、ビックリだよね」

「二十六……それは驚きです」

「ダヨね。流石にボクも驚いたよ」


 十代後半から二十代前半の雰囲気を醸していた漆原だが、二十代後半の年齢だったとは思わなかった。

 それほどまでに、和服を纏った彼女の姿は、年齢をあやふやにさせる。


「では、漆原のことも聞けたのでそろそろ失礼しますね」


 にっこりと微笑んで、ベッドから立ち上がった、親密に話しすぎて気が抜けたら困る。徒野の忠告を忘れないためにもそろそろ潮時だ。


「うん。じゃあね。そうそ、キミさ」

「何ですか?」

「ううん。何でもないよ。せいぜい、コピーキャットに殺されないように気を付けるんだね。ボクらの誰かが、コピーキャットであることは、間違いないのだから」

「そうですね。なら、その言葉そっくりそのまま返しますよ」


 物騒な言葉を不知火あたりに言っていたが、早乙女は見た目が華奢で、千日と腕相撲をしても負けそうな弱さがありそうに見える。


「失礼デショ。ボクはそう簡単に殺されるほど、弱くはないよ」

「知っていますか? それ、死亡フラグっていうのですよ」

「煩いね、キミ」


 くすっと、早乙女は笑った。少女のような笑いだった。

 早乙女の部屋を後にして、千日の部屋へと向かった。

 女性の、それもとびっきりの妖艶な美女の元を訪ねるのは、徒野の部屋に入るのとは勝手が違うので、少し緊張しながら扉をノックする。

 程なくして、千日が無防備な姿で姿を見せた。


「あら、どうしたの? 葛桜。あたしに何か用?」

「漆原あやめのことについて聞きたいなって思いまして。ダメでしょうか?」

「いいえ、構わないわ。上がってく?」

「遠慮します」


 流石に生きている女性の部屋に足を踏み入れる勇気はない。


「そう残念ね。漆原あやめのことねぇ、あたしは直接会っていないからよくわからないわ。でも、声を聴く限り、人をとって食いそうないけすかない人よね。でも、肖像画見てびっくりしたわ。あたしは手紙で此処へきたからね、最初は四十代の太った肥満体系のおばさんを想像していたの、まっ声は若々しかったけれど」


 漆原は凄い想像をされていたようだ。肖像画を置いていたのはもしかして千日の心を読んだからだろうか、なんてあり得ないことを思ってしまう。


「あの肖像画のままの年齢なら、まだ十代ってところよね? 早乙女と同じくらいかしら」

「いえ、早乙女がいうには二十六歳だそうですよ」

「はっ!? うそ、あたしと同い年!? 見えないわ」


 同感である。千日の成熟した女性らしい美しさと比較すると、どうしても漆原は幼く見える。というか、千日の年齢が暴露された。まぁそれくらいの年齢だろうことは想像しやすい、若い方がお金持ちの男も落としやすいのだろう多分。


「不思議なものねぇ、成長って」

「ですね……」

「それにしても相馬は惜しいことしたわ」

「狙っていたんですか」

「道楽息子は、身に着けているものが高価なものばかりだったわよ」


 流石だ、見ているところは見ていた。


「じゃあ、あたしは夕飯前にシャワーでも浴びるからそろそろいいかしら? それとも一緒に浴びる?」

「遠慮します」

「そうね、徒野ちゃんって彼女がいるものね」

「徒野は彼女じゃありません、雇い主ですし、そもそも恩人ですから」

「恩人?」


 不思議そうに千日は首を傾げた。サラリとワンレンの髪が胸元を撫でながら移動する。


「えぇ。言葉通りの恩人です。まぁ、もう主夫活動面倒なので結婚してくれてもいいですけどね」


 徒野には断られたばかりだけれど。


「それじゃ失礼します」

「えぇ」


 一通りの世間話が終わったので、徒野の部屋を訪ねることにした。


「おい、ノックくらいしたらどうだ」


 無断で入ると、幽霊のように寝転がっていた徒野が文句を言ってきたが無視して、散らかった部屋の片づけを始める。


「おーい、私を無視するな」

「部屋を一回一回ご丁寧に汚す徒野がいけないのです。実は、片づけがされるから散らかしているのですか? 小学生男子が好きな女の子に嫌がらせするように」

「私はそんな器用な真似はできない。片づけは得意じゃないんだ」

「全くもう」


 ため息が自然と零れる。


「で、結果はどうだったんだ?」

「えぇ、その報告をしにきましたよ」

「成程な。一言一句間違えずに言えよ」

「善処しますよ」

「言葉一つで、意味はだいぶ変わってくるからな。言葉のミスは大切だぞ」

「わかってますって」


 一言一句間違えずには無理だが、まぁ会話内容は大体覚えているので大丈夫だろう。

 世間話の内容を告げていると、徒野は顔を顰めて憐れむような視線を此方へ向けてきた。ペットボトルのお茶で殴ってもいいだろうか。


「お前さ……世間話で、何故漆原あやめの話なんだよ、それ全然世間話じゃないだろ」

「仕方ないじゃないですか、年齢も千日に至っては性別まで違うのに、共通の話題で盛り上がろうとする方が難しいですよ」

「お前の会話能力のなさに私は嘆くぞ」

「少なくとも徒野よりはスムーズにコミュニケーションが取れる自信がありますよ!」

「まぁ仕方ない、話を続けろ」


 徒野の言葉に従って、見聞きしたことを委細漏れがないよう慎重に思い出しながら告げていく。


「なるほどな、大体わかったよ」

「コピーキャットわかりましたか?」

「推測を立てることは可能だが、断定はできない。流石にその会話内容程度じゃわからないよ」

「それもそうですね」

「あぁ。一つ言えることは、早乙女はやはり気を付けたほうがいいぞ、私に負けず劣らず頭がいい」

「えぇ、時々徒野と会話しているかのような錯覚に陥りそうになりましたよ」


 問題を出された点も共通しているし、早乙女には何か徒野と接点があるのかもしれない。


「それにしても驚きですよね、漆原が二十六歳だったなんて。流石に、そこまで年齢が言っているとは思いませんでした」

「確かに驚きだな。しかも千日と同い年というのがまた凄い」

「二人を比べたら全然違いますものね。胸とか」

「スケベだぞ」

「失礼。でも男ですものやっぱり千日の豊満さはついつい目がいってしまいますよ」

「全くもう、仕方ない奴だな」

「仕方ない奴って、酷いですね。あ、そうだ」

「なんだ?」

「早乙女って童顔を利用して高校生に見せかけている刑事って可能性はないですか?」


 早乙女と徒野の共通点を考えていたら、ともに賢そうということ、ならばもしかして相馬のように刑事ではないのかと思った。

 そして、相馬と同様の理由で刑事であることを隠して高校生のふりをしている。


「早乙女は刑事じゃない」


 しかし、その推理はあっさりと切り捨てられてしまった。


「何故ですか? 早乙女が刑事じゃないと断言できる材料はないですよ」

「いいやある。あいつの身長を考えろ。仮に年齢は偽装だったとしてもだ、身長はごまかせないだろ」

「身長……? あぁ……そうでしたね。刑事はあり得ませんね」


 徒野の言葉を聞くまで刑事候補に入れていたことが恥ずかしく思えるほど明白な理由だった。

 漆原あやめよりは多少高いだろうが、百五十センチ程度しかない身長では、警察官にはなれない。

 年齢を詐称して実は二十歳の可能性はあったても、身長は偽装できない。

 そりゃシークレットブーツとかで高く見せることはできるが、仮にはいていたとしてそれで百五十センチ程度にしか見えないのだから、ますますもって不可能である。


「身長のこと忘れていましたよ」

「馬鹿だな。万が一、早乙女の顔が愛らしいのは性別が女で、男のふりをしているからだったとしても警察官になるのは厳しいぞ」

「……早乙女は男でも女でも警察官にはなれないのですね、身長のせいで」

「あぁ」


 小学校の卒業文集に将来の夢:警察官と書いていないことを願っておこう。


「それに、早乙女は恐らく」

「恐らく?」

「いや、別にこれはいいな」

「途中まで話してやめるとか、内容が気になる手法を使わないで教えてくださいよ! もったいぶっていないで」

「もったいぶっているわけではなく、確証がまだないだけだ。かもしれないじゃ、もし違ったとき私が赤っ恥を書いてしまう。もう少し早乙女と交流をしてから判断したい」

「そうなのですか?」

「あぁ――これが、偶然だったら面白いよ」


 意味深なことを徒野は笑顔で言い放った。意味が理解できなかった。


「まぁ、わかりました。では、部屋に戻って休憩でもしますよ」

「私は小説でも読む」

「読んだらちゃんと片づけてくださいね。片づけていなかったら、小説全部没収しますから」

「うぐっ……わかった善処しよう」

「宜しい」


 釘を刺してから、徒野の部屋を出た。

 部屋に戻ってから、ベッドにダイブする。

 眠たい気分ではなかったが、無意味に惰眠を貪るのもいいだろう。

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