第六話:徒野

「あだしの……みつき……」


 呆然と、僕はミツキを見上げる。

 人懐っこい金色の瞳。鮮やかな黒髪。他人の感情がコロコロ動くのが好きそうな顔立ち。

 それは――徒野。僕の、命の恩人にして、殺人事件にしか興味がない性格の悪い探偵に、似ていた。

 混乱で紅茶を楽しむように、見透かした瞳でミツキは頷いた。


「そう。オレは徒野満月あだしのみつき。朔の兄、さ」


 秘密の密会のように、ミツキは人差し指を口元に充てて内緒、とはにかんだ。

 僕の一挙一動を面白がっているそれは、血の濃さを証明している。


「……徒野に……兄が」

「え、徒野さんのお兄さんだったんですか、ミツキさん!」


 百合子もなぜか驚いていた。僕の感情が、追いつかない。え、百合子は知っていたんじゃないのか?


「そうだよ。なんだ、徒野って苗字が一緒なのに気づかなかったのか?」


 ミツキが不思議そうに尋ねると、百合子が指先を合わせながら頷いた。


「徒野は珍しいですけど、血のつながりがあるとは思わなかったんです。だって……徒野さんのお兄さんなら、私に探偵を紹介してくれる時に、妹さんを紹介するでしょう?」

「え、えと、どういうことですか百合子さん」


 状況を説明してくれ、と切に求めると、驚いている百合子に変わって、いたずらっ子のような顔で、結果として仕掛け人のようになったミツキが答えた。


「百合子の友人が殺された時、百合子はオレに助言を求めてきたんだ。だからオレはオレの知り合いの探偵の電話番号を教えた。で、百合子が連絡すると都合がつかなかったので、その探偵は知り合いの探偵の連絡先を――つまり、朔の連絡先を教えた、というわけだ」


 たらいまわしされた結果だった。


「そうなんです。だから、ミツキさんと徒野さんの苗字が一緒でも、最初に教えてもらった探偵さんではなかったので、知り合いではないのだと思ったの」


 納得がいった。確かに、妹が探偵ならば妹を真っ先に紹介するだろう。

 どの程度の交流があるのかは知らないが、徒野が無能ではないことは承知のはずである。徒野が探偵であることをミツキは知っているのだから。

 そして、百合子からことの顛末を聞いたミツキは、自分が紹介した探偵が徒野を紹介したということを把握した。

 だから、僕が葛桜だと知って、あんなにも面白そうにサングラスを外して素顔をさらしたのだ。目が一番、徒野と似ている。

 この兄妹ぜったい性格悪い。


「ふふ。そういうことだ。今日のことは朔には内緒にしよう。どうだい? きっと楽しいよ」

「いや、多分無理ですよ……徒野と冷静さを保って会話できる気がしません!」

「正直者だな。確かに君は、顔に現れそうだ。どうだ? お茶でも」


 気軽に誘わないでほしい。こっちは状況を整理するので手一杯だ。


「はは。冗談だ。じゃあな鏡」


 一瞬、返答に遅れた。名前を呼ばれたのだと気づかなかった。百合子もそれでは、とミツキにひかれるようにいなくなった。


 探偵事務所に戻ると、やはり目ざとい探偵の徒野は、何があったのか尋ねてきた。何かしかなかった。


「ミツキさんに会いました」


 それを告げると、徒野の目が見開かれ、明らかに驚愕していた。それは、隕石を拾ったような驚きだ。


「生きていたのか」

「は?」


 僕も驚いた。驚いた理由そっちかよ! 何、徒野のお兄さんは生死不明の人だったの!?


「ミツキはすでに死んでいるものばかりだと私は思っていた。まさか生きていたとは本物か?」

「徒野満月って名乗っていましたよ。人をからかってとってくうのが好きそうな」

「じゃあ兄だな」


 本物判定早かった。もう少し外見的特徴とか聞かないの?


「行方不明とかだったのですか?」

「いや普通にあいつは死んでいると思っていた」


 どんな状況だよ。


「探したりは?」

「特にしていないな。樹海の中で死んでたら、ミツキを探すの面倒だろう」

「えぇ……。あ、徒野ってお兄さんとか呼ばないんですね」

「にいにいは死んでいると」

「わざと可愛くなく呼ぶな。それが許されるのはロリまででしょう!」

「葛はたまに怒る沸点がわからなくなるな……どんなこだわりだ……。私はミツキと呼んでいる。向こうも私を朔と呼ぶのだからお相子だろう」

「いやちょっと違う気もするんですが」


 徒野は生きているミツキに驚きはしたものの、感情は平坦だ、というかどこか気に食わなさそうにしている。


「お兄さんと仲が悪いのですか?」

「ん? いや別に。ただ愛情のひとかけらもないだけだ」


 それは仲が悪いというと思う。いや好きの反対が無関心なら、仲が悪いという状況すら発生しないのか?

 徒野が顎に手を当てて思案しているようだ。指が唇をひと撫でする。


「どうしたんですか?」

「いや。ミツキが紹介した探偵が誰か、ちょっと気になっただけだ」

「徒野のお兄さんですから探偵の二人や三人既知なのでは?」


 偏見百パーセントだが仕方ない。


「……それもそうだな」

「そうですよ。しかし徒野に実のお兄さんですか、意外ですがいいですね」


 僕には姉がいた。兄弟の響きにはちょっとばかし弱いのだ。


「ミツキは悪いものでは?」

「お兄さんに辛辣すぎますよ。そうだ。徒野。聞きたいことがあるんです」

「真剣な顔をして一体どうしたんだ?」

「僕は、百合子さんに本を貸してもらう約束をしていたらしいのですが、そんな約束――僕はしていない。どうしてそんな話になったのか、わかりますか」


 結局、ミツキの登場によりその謎を直接百合子に問いただすタイミングがなくなってしまった。文庫本も借りていない。

 徒野が詳しく話せ、とソファーに胡坐をかいた。全然話を聞いてくれる体制じゃない気がする。僕ははやる鼓動を抑えながら、一つ一つ徒野に説明をする。


「百合子さんとは、殺人事件でしかあっていない。その前後に知り合いだったこともないのに、何故か僕は百合子さんからおすすめの本を借りることになっていたのです。僕が酔っぱらって記憶をなくしたんですか? それとも、僕は何か、それ以外に……忘れているのですかね……」


 口にすると怖い。記憶の欠落。確かに。僕は――


「簡単な答えだ葛」

「え?」

「お前に本を借りる約束した記憶がないのだろう? ならば答えは一つ。百合子の勘違いだ」


 徒野の答えは簡潔だったが、納得はいかなかった。


「そんなことあります!?」

「普通はないだろうな。だが、百合子は大切な友人を殺されて、殺した人間も大切な友人だったんだ。精神が不安定で勘違いすることだってあるだろう」

「そ、それは……いえ、でもですよ! だからといって」

「ちゃんと理由だってある。最初の判断から百合子は間違えているからな」


 徒野は冷淡にいった。


「最初の判断から?」

「あぁ。殺人事件が起きたら警察に通報するべきだ。探偵を雇って、事件の真相を暴かせてから、友人に自首を促すなんて方法とらないよ」


 徒野が手を伸ばしてきて、僕の頬を撫でた。安心させるかのような、落ち着いた声色で。


「百合子は冷静じゃなかった。正常な判断ができなかった。だから、何かと勘違いしたんだ。あの場でミツキが現れなかったら、お前はちゃんと答え合わせを百合子とできていたよ。全てはあのクソ兄貴が悪い。証明完了」


 お兄さんのせいにされてしまった。確かにミツキが現れたから百合子に尋ねられなかったけれども、八つ当たりだろう。

 けど、徒野に言われて不安が安心に変わった。大丈夫。僕の記憶はおかしくなんてない。



***

「あだ!」


 バインダーで俺は頭を叩かれた。


「突然なんですか!」

「桜が余計なことをしたからだ。すぐにでも叩きたかったのにお前三日も引きこもりやがって」

「出入り自由で行き来自由みたいなそんな気軽な存在じゃないですし、いったいなんなんですか! お兄さんがいて、ご立腹なんですか!?」

「兄のことは知っていた」

「名前までは憶えていませんが」

「徒野満月。満月と書いてミツキと読む。私が朔だからな」


 なるほど満月と朔月というわけか。

 というのは置いておいてだ。


「で、なんで俺は頭を殴られないといけないんですか」

「お前、百合子に本を借りる約束をしていただろう」

「あぁ……確かノリで……あー」

「そうだ。葛の時に百合子と再びあったんだ。葛のやつ、情緒不安定だった」


 軽率な行動だった。反省する必要はある。


「というかそんな感情の揺れ幅が大きい出来事記憶がないのか?」

「万能じゃないですし。どうやって誤魔化したんです? 酒ですか?」

「いや百合子を情緒不安定にした」

「わーお。無理くり推理だー」

「お前のせいだろう!」


 ごもっとも。反論の余地もない。

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