第10話「避難誘導」

「たいちょー!」

 間の抜けた声がウォルターの耳に届いた。ラウロに肩を貸しながらそちらを見れば、坊主頭のバリーが緊張感のない顔で走り寄ってきていた。


「バリー! ゴブリンを見なかったか!?」

「え、見てませんけど。とりあえず脚の早い俺が先行して走ってきましたーって、どうしたんすかーラウロさん。え、え? 腕、腕が。大丈夫ですかー!?」


 言いながらラウロの腕に気づいたバリーが騒ぎ出す。一応走りながら止血はしていたが、状態はあまりよくなく、ラウロの顔色は悪かった。


「援軍は? 誰が指揮を執ってる? 本国への連絡は?」

「え、はい。ええっと、隊の一部がこちらへ急行中。我々は東門を放棄し、遅延行動をとりながら敵を北東区へ引き込みます。本隊は避難誘導と主要路封鎖を実行後、広間に集結し、敵を叩きます。本国へはコルが連絡済みでーす。そんで指揮は臨時隊長スージーさんっすー」


 東門入ってすぐ南は倉庫区となっており、盗み防止のため住居区へは壁があって進むことができない。

 北は守備隊訓練所および兵舎となっており、現在すべての人間が出払っている場所だった。


 主要路を閉じることで住民の避難に人員を割きながらも、慣れた場所を利用して敵を足止めしようという考えだろう。ウォルターは納得し、考えを進める。


「スージーか。良い判断だ。現場指揮はマーティが?」

「いえ、経験のあるマーティさんは封鎖の方です。俺ら戦に耐える封鎖方法なんてわかんないっすからー。とりあえず臨時隊長は、隊長が生きていたら指揮は返上するって言ってまーす。あ、皆来ましたよ」


 ウォルターは街へ逃げ込んだゴブリンが気がかりだった。敵の本隊がなだれ込んで来るとすれば構ってもいられないが、放っておくわけにもいかない。

 探索に人数を出す余裕もないが、少数であいつを抑えられる隊員はそういない。と眉根を寄せて思考を巡らせていたウォルターは、急に頭に軽い衝撃を受けて我へと返る。


 見上げると、そこには同じように眉根を寄せたオーランドが手刀を繰り出したポーズのままウォルターを見下ろしていた。その後ろでは守備隊の隊員たちが道に並んでこちらを待っている。


「なんて顔してんだいウォル坊。そんなに厄介なのかい?」

「オーランド? なんで……いや、丁度良かった。ラウロを診てやってくれ」

「ああん? ああ、こりゃまた」


 オーランドはすぐに事情を見て取り、ラウロを道の端へと座らせた。ウォルターは集まった23名の隊員たちを見渡し、声を張る。今は悩むより部隊を動かすのが先だ。


「全員整列! これより俺が現場指揮を執る! 敵は隣国エクリプセ。ゴブリンどもの国だ。ゴブリン、と言っても俺たちがこの付近で戦っていたような黄色頭じゃない。敵は赤く、鉄の武器を持ち、人間よりも腕力がある事を理解している。おまけに鎧付きだ。俺たちが門をあとにする時、地平線に土煙が見えた。その規模から察するに、敵はおそらく数百を超えるだろう」


 その発言に集まった隊員がざわついた。この場に居る30にも満たない人数がお互いの顔色を窺っている。誰もが不安、あるいは緊張の色を浮かべ、固い。


 ウォルターはそれだけで済めば良い方だと思っていたが、そんなことはおくびにも出さない。あれが先遣隊でしかなく、その後ろに本隊が居るのなら、この街は簡単に蹂躙されるだろう。


「これより我々は東門へ向かう。東門で可能な限り抵抗後、当初の予定通り演習場へと敵を引き込み時間を稼ぐ。これはいつもの夜盗や、野良ゴブリン退治とはわけが違う。侵略者との戦いだ。奴らは人を食い、遊びでばらす。我々が敗れれば街全体でそれが行われるだろう。我々こそが盾だ。普段の訓練や野良ゴブリン退治の経験を、今こそ発揮しろ。行くぞ野郎共!」


 ウォルターの演説により、未だ戸惑いながらも隊員たちは声をあげ拳を握りしめた。手が震えるものも歯の根が合わないものもいたが、その目はやる気に満ちていた。


 士気だけは確保ができた。いつまで続くかわからないが、これで凌がなければこの街は終わるだろう。

 配属から五年、ようやくまともに部隊として動ける程度に育った彼らだが、守備隊としてはともかく兵士としての訓練は未熟だった。


 ウォルターはそこまで考えて頭を振った。嘆いても仕方がない、ここまで育っただけ良かったのだと。


~~~


 臭いがした。修練所や詰め所で嗅いだような、汗くさいような濃く鼻を突く流れ。コルは走りながら鼻をひくひくと動かし、首を傾げた。


 コルは南居住区の避難誘導を任されていた。本国への連絡を終えて広場へ戻れば、戦闘も重い荷物もどちらも向かないと判断され、誘導班へと送られたのだ。

 そのことに男としての不満はあったものの、あの恐ろしげなゴブリンと対峙しなくて良いと少しほっとしている自分もいた。


 街は北から議会や地位の高い人間や神官たちの住まう高層区。商業区画や広場、一般住居が並ぶ中層区。そして職人たちの住まう低層区。低層から西に労働区。という区分けになっており、それぞれの区画は差こそあれ段差と壁で仕切られている。この構造は、大昔ここにあった城のものをそのまま使っていたため頑強だった。


 避難は、万が一主要路封鎖が間に合わなかった場合や突破された場合に、最も危ない広場周辺の住民やギルド、宿場の人々が優先されていた。

 次いでその場合、広場での戦闘となることから広場から南すぐの居住区と、詰まったゴブリンたちが南下し広がると予想されたため、更に奥、南壁近くの低層区と避難誘導は続く予定だった。


 南居住区の一帯の人々に指示を出し終えたコルは、集合場所である低層区手前の階段へと向かっていた。中層から低層へ行くには階段を下る必要があり、その中腹ほどの折り返し地点がちょっとした広場となっていた。


 階段へと足を踏み出した時、コルは思わず鼻を覆っていた。先程少し感じた臭いと、それに加えて生臭い錆臭さが、妙な温かさと共に下から上がってきていた。


「嘘、でしょう」


 コルの眼下、階段の踊り場には宿場やギルドを担当していた隊員たちが集まっていた。これから手分けして職人区の避難誘導を行う手筈のはずだったが、そこに集まった隊員四人は全員揃って地面へ倒れ込み、周辺を赤黒くしている。


 飛び出しているいろいろなものや、立ち上って来る臭いにやられたコルは、膝をついて胃の内容物をその場へぶちまけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る