第17話「呪詛の印」
「オーランドさん! こっちを、ヘンリーを見てやってよ!」
どこから手をつけるかと悩んでいたオーランドの手を引いたのはオルフだった。見れば、仰向けに寝かされたヘンリーと、そのそばに座り込んだレティアの姿があった。
気が進まない。見たくない。どこもそんなものばかりだったが、それでもやれることをやるのが医者だ。泣きじゃくるレティアを見て、そう思い直すオーランド。
「……診せてごらん」
気を引き締めたオーランドは、ヘンリーへ向き合った。寝かされているヘンリーは左腕がぼろぼろで、肩も壊されていて何より出血が酷かった。
「とにかく止血だね。オルフ、手伝いな。レティアあんたもだ」
「お兄ぃ、助かる、よね?」
「私は気休めなんて言わないよ。やれることをやるだけさ。レティア、腕持って上へあげる。びびってんじゃないよ。助けたいんだろ? しっかり持ちな。オルフはこっちだ。ここ、脇の下の中央。ここを思いっきり親指で押さえる。あと二人ともヘンリーに声をかけ続けな。なんでもいいから」
オーランドは指示を出し、持ってきた箱から止血用の幅広な紐を取り出した。オルフは力の限り親指を押し込み、動脈を押さえる。
レティアは泣きながらヘンリーの血まみれの腕を抱きかかえて支えていた。腕はところどころ肉が剥がれ、骨まで見えている。
「お兄ぃ、お兄ぃ。レティここなのよ。どこにも行かないで。もう嫌なのよ」
「ヘンリー、しっかり。らしくないよ。僕より先にへばるなんて。レティアを助けるんだろ?」
オーランドはヘンリーの顔色を確かめた。唇が紫色になり、汗が浮かんだ顔は青白い。何より触れる肌が冷たかった。
「誰か。毛布を持ってきとくれ!」
住民たちの状態を確認していた隊員の一人が毛布を手に駆け寄って来る。掃討部隊が検め終わった民家から拝借し、震える住民たちへと配っていたもののひとつだった。
「オーランドさん、向こうの人たちも見てくれませんか。脚を落とされてる者とか、皆が助けを求めています。せめて指示をください」
「あんた、そのままヘンリーの脚を持ち上げて支えな。さっき見た感じ、あっちは全員傷口を焼かれてるよ。だからすぐにどうこうって心配ないね。そういう意味でも、こっちの方が緊急さ。状態の悪化が早い」
毛布でヘンリーの身体を包み、オーランドは右手をヘンリーの胸に、左手を肩へとあてがった。
半眼になり何かをぶつぶつと口の中で呟くオーランドにオルフは一瞬首を傾げたが、すぐに止血しているそば、オーランドの手が重なった肩まわりが熱くなってきたのに気が付いた。
「オルフ、手を緩めるんじゃないよ。先に集中して肩を治すからね。腕は複雑すぎるからあとだ。血の流れに乗せるよ」
オーランドの治癒術は活性化が基本だった。術式も格闘技もその本質は同じ。生命力を体力として使うか、意志として使うか、術に使うのか、その違いでしかない。
ただ少し、己の生命力を術用のマナとして練るのはコツが要り、それが一部に秘匿されているために特別視されているというだけだった。
治癒術は練ったマナを相手に渡し、生命力へ変換しなおしながら、それを肉の構築へと誘導する技術だ。ヘンリーの衰弱が早かったため、オーランドはマナを心臓へ送り、全身の維持をしながら肩の治療を試みることにした。
「これは……。呪詛の印かい! ちっ、マナを食い始めた。まずいね」
「何? どういうこと!?」
「いいから押さえてな! あのゴブリン、厄介な武器を持ってるじゃないか」
オルフの感じていた温かさは消え去り、わきを押さえていた手に異様な冷たさが伝わってきた。冷え切った石畳を触っているような、そんな感覚。
「何が起きてるの。冷たい、冷たいよ」
「どうりで悪くなるはずだよ。こいつが身体の回復力を無効化してたんだ。まずこの印を外さなきゃ、術どころか血だって固まらないよ」
「どうすればいいのオーランドさん!」
「解呪は私の専門外だよ。いや、私が出来たってこの状態からじゃ……」
「お兄ぃ、死んじゃうの?」
レティアのぽつりとした問いかけに、オーランドもオルフも言葉を失った。オーランドはその言葉通りになるという予想と、それをこの子に伝えねばならないという重責から。オルフは認めたくない現実を突きつけられたような気がして、動きが止まる。
「呪い?」
落ち着いた声が、三人の静寂を破った。オルフとオーランドが振り返ると、マイがヘンリーをのぞき込むようにして立っていた。オーランドは立ちあがり、オルフたちに聞こえないよう、マイへ簡単に説明する。
「呪詛の印だね。武器に仕込んで、ごく簡単な呪いをかける技さ。直接的に命をどうこうするほどじゃないが、血が止まらなくなって、一時的に治癒が無効化される。呪いは時間が経てば消える程度の、ちっぽけなものなんだが……」
オーランドはその先を濁し、ヘンリーを見やった。マイも釣られてそちらを見る。ヘンリーの周囲には腕を中心に血の池ができつつあり、その肌はもはや青白い。
「……レティア。もう、腕を放しな。脚もいいよ。オルフ、お前もだ。楽にさせてやろう」
「い、嫌。嫌なのよ。レティ、放さない。放さないから」
「何とか、ならないんですか」
にらみ合う両陣を前に脚を支えていた隊員はどうするか迷ったものの、レティアたちを見て結局下さなかった。オーランドは大きくため息をつき、背後のマイへと向き直る。
「マイさん、だっけ。あんた、解呪はできたりしないのかい?」
「出来ない。鹿波舞は殺すもの」
オーランドはオルフへ顔を向け、静かに首を振った。この場で最も可能性がありそうな彼女でもダメなら、おそらくもう。そんなオーランドの顔色を悟って、オルフはなおもマイへと食い下がった。
「お願いします。ヘンリーを助けてください! お願いします!」
「助ける? 楽にしろということ?」
小首を傾げながら、事もなく言うその台詞にオルフはたじろいだ。
「ち、違います。そうじゃなくて、命を救って、くれませんか。どうにか」
「呪いで死ぬより、殺してあげた方が魂は救われる」
「そんな。何とかならないんですか。引き延ばしたりは」
「引き延ばす、のなら出来なくはない」
「本当ですか!?」
「本当!?」
これには成り行きを不安そうに見守っていたレティアまでもが声をあげた。オーランドも驚き、マイの顔を見てその真偽を探ろうとする。
「ただ、それは助かったとは言い難い。それに、絶対に彼は救われない」
「どういうこと、ですか」
「黒沼の力なら、今彼を死なずに済ませる事は出来る。ただそれは、本人にとって助かったと言えない。あなたたちの、まだ彼に居て欲しいという願いを、助ける事なら、おそらく出来る」
「待ちなよマイさん。それは禁忌に触ることかい?」
腕を組んだオーランドは、この場で唯一魔術や魔導をかじった身として、言わずにはいられなかった。
その目はきつくマイを睨み付けている。睨み付けられたマイのほうはその目を正面から見返し、まったく動じた様子なく起伏のない声で続けた。
「アヌラグロワール第43号の説明には、発令者であるリットン・トゥッラ司令の立ち合いが必要。よって詳細の開示は出来ない。が、彼らの希望を叶える事は可能」
「殺すことが目的の人間兵器じゃなかったのかい?」
「今回の条件付けは住民を守れ。アヌラグロワールは条件付けを第一とする。その結果、鹿波舞が戦力にならなくなったとしても関与しない」
「それはどういう意味だい。ちょっとお待ちよ」
オーランドがマイへと手を伸ばすが、その手を横から入り込んだオルフが遮った。オルフはヘンリーの止血を放り出し、マイへと縋りつく。続いて、レティアも腕を放ってマイの脚へ、スカートの上からしがみついた。
「なんでも。なんでもいいです。ヘンリーが助かるのなら、僕は」
「れ、レティも! レティも、お兄ぃが助かるのなら」
「二人の願いを助けるだけ。鹿波舞は道具として応えるのみ」
自分より背の高い青年が膝をつき、懇願してくるのを見ても、年下の女の子が脚へと縋りついていても、マイは表情を変えなかった。どこか淡々として事務的なまま彼女は言い、ヘンリーへと手を向ける。
マイの目は黒く沈み、中心が金の輝きを放ち出す。見る間に点だった輝きが虹彩として黒に広がっていき、それからあげられた右腕が脈打つのを間近にいたオルフは気が付いた。
オルフは、こんな時でさえ、近くで見る金色を、ただただ綺麗だなと見つめているのだった。
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