第16話「人間兵器」
オルフの視界の端、ほとんどのゴブリンは人数の多いジロ班を追っていた。幸か不幸か、そのおかげでジロ班はゴブリン集団と戦える人数比となっているようで、逃げるのではなく陣形を組んで戦い始めている。
「班長、残ってくれてる」
「へ、オルフのおかげだろ」
「そうなると良いね。僕らがやられなければ、皆を救える、かも」
「かもじゃねぇ、そうするんだよ。俺たちでな!」
気合を入れ、ヘンリーが剣を握り直す。人間からみればちょっとしたショートソードという感じの尺だったが、まだ青年のヘンリーにはこちらの方が使い勝手が良かった。
ヘンリーとしてはゴブリンの剣が手に馴染むというのは気に食わないのだが、贅沢は言っていられない。
壁を背にして右にヘンリー左にオルフが位置し、その前にはそれぞれ二匹ずつのゴブリンが二人の出方を見ながらヘンリーと同じ剣を握っていた。腰には更に短い、ナイフのような短剣も見て取れる。
右にいたゴブリンのうち一匹が攻撃に出た。ヘンリーは軌道の低いその剣を受け、力を込めて弾き返そうとする。が、そのタイミングで右もう一匹のゴブリンが地面を蹴った。
ヘンリーはそれを見て弾くのをやめ、下がって避けようとする。その挙動に、更に別の一匹が飛びかかろうと動く。
目の前のゴブリンの動きを見て、オルフは盾ごと体当たりをしようと前へ飛び出した。そして、それを待っていた最後のゴブリンが、オルフの横腹へと剣を振りかぶる。横からの気配に息をのむオルフ。身を下げながら、その攻撃に気づいたヘンリー。
オルフの脇腹に痛みが走り、息が詰まる。盾で何とかゴブリンを弾いたオルフは、おそるおそる自分の腹部を確認した。
そこには、ゴブリンの剣を受け止めた、ヘンリーの剣があった。流石に勢いは殺しきれなかったのか、殴られたような痛みはあったものの、刃による傷ではなかった。剣の腹が押し付けられただけの形となっている。
「あっぶねぇ!」
ヘンリーはどうにか、返す刃でその剣を防いでいたようだ。しかし、無理な態勢となったヘンリーはそのまま後ろへと倒れ込むしかなかった。
安堵したのも束の間、倒れ込んだヘンリーの姿に最初に動いたゴブリンともう一匹が喜々として飛びかかる。
「ヘンリー!」
オルフは再び盾を構え、ヘンリーに飛びついたうちの一体を身体で押し出した。しかし、そのオルフの背中は無防備だ。先程剣が防がれたゴブリンがそこへと飛びかかる。
一匹に組み付かれたヘンリーは剣を引き戻したものの、どうすればいいのかと動きが止まった。普段から振る練習はしていても、組み付いた相手との格闘戦などしたことがない。苦し紛れに空いている左手で殴りつけてみるが、ゴブリンは全く動じなかった。
「くっそ。離れろ気持ち悪い!」
「戦士。戦士。捕まえる」
短剣を引き抜いたゴブリンは、楽し気にそう言いながらヘンリーの脚へとそれを振り下ろし始めた。引き抜かれる度に、赤い水滴が宙に舞う。
「やめろ! やめろよ!」
ヘンリーは抵抗するが短剣の動きは止まらなかった。痛みと、じわじわとのぼって来る恐怖に、ヘンリーの目に涙が浮かぶ。
「ヘンリー! 放せゴブリンめ!」
オルフは背中に乗っかったゴブリンを振り落とそうと動くも、うまくいかない。それどころか残った二匹が立ちあがり、短剣を引き抜き始めているのが見えてしまって、朝から酷使してきた脚が一気に震えだしていた。
「足。腱狙う。それで動けない」
「ケンってどこ。脚全部?」
「それダメ。死ぬ困る」
二匹ずつに押さえつけられたヘンリーとオルフは手も脚も押さえつけられ、その会話を聞く頃には身じろぎくらいしか出来ることがなくなっていた。
「班長! 二人がやばそうです!」
「ここは何とか出来そうなんですが、間に合いませんかねぇ……!」
ジロ班長たち守備隊、封鎖班は頭数の減ったゴブリンを少しずつ押し込み、優勢を保っていた。
34いたゴブリンのうち、奇襲の乱戦で8匹が倒れ、4匹がオルフたちを追ったため、22匹がジロたちを追っていた。
それも、槍戦法で少しずつ削って残りは17匹となっている。とはいえ陣形を組んだ隊員は12名。強引に押し通るにしても、もう少し時間が欲しかった。
「班長、まずいです。あれ」
言われたジロの視線の先、捕まっている人々の先から何十匹ものゴブリンがやってくるのが見えた。その集団を率いているのは、一際大きな体格をしたゴブリンだった。
「全軍止まれ。てめぇら何遊んでやがる!」
項垂れる住民たちの前で、ゴブリンの将グランは叫んだ。その声は、その場にいる全員に届き、オルフたちを抑えていたゴブリンも動きを止める。
「ボス! こいつら手強い!」
「こっち! 戦士。捕まえた」
口々にグランへ報告を飛ばすゴブリンたち。
「手強いだぁ? こうすればいいだろうバカどもが」
グランは言うなり手にしていた鉄塊を振り上げ、最も近くにいた住民へと振り下ろした。突然のことに声すらあげられず、首に鎖をつけていた女性は叩き潰される。
上半身を半壊させ、鎖から解放された身体は後ろへと倒れ込む。女性だったものはその隣にいた子供、レティアへと赤い肉片と飛び出た背骨をぶつけながらしな垂れかかっていた。
ずり落ちていくその姿を前に、レティアは声が出ない。飛び散った血に顔を濡らし、瞳孔を開いたまま、肺が痙攣したかのような音を繰り返す。
「そこの部隊。それ以上抵抗するなら、てめぇらの家族をまた殺す。抵抗しなければ、全員生かしたまま捕まえてやろう」
言いながら、グランは隣にいたレティアへ向かってその鈍器を振り上げてみせた。言葉も出ず唖然としていたヘンリーだったが、グランの行動で弾かれたように飛び上がる。押さえつけていたゴブリンも、グランの声に気を取られていて反応が遅れた。
「ふっざけんなぁ!」
ゴブリンの剣を手に、ヘンリーは走り出した。さっきから刺されていた右脚に力が入らなかったが、構っていられない。踏み込むたびに痛みが突き抜け、脚からは血が噴き出したがヘンリーは止まらなかった。
「ヘンリー!」
オルフも続けて立とうとしたが、朝から酷使し、恐怖に震えていた脚に力が入らない。
立ち上がろうとよろめいたオルフに、今度は流石に逃すまいとゴブリン達がのしかかってくる。押さえつけられたオルフはどうにか顔だけあげるも、それが精いっぱいだった。
「動くなって言ったぞ小僧」
「俺は言われてねぇよ、この不細工野郎!」
グランはかぶりを振って、あげていた鉄塊をヘンリーへと振るった。ヘンリーは、ゴブリンの剣を掲げ、その塊を受けようと構えた。が、勢いをつけられたその鈍器はヘンリーの予想をはるかに超えた威力をもっていた。
受けた剣は簡単に砕け、そのまま振り下ろされてくる鉄塊。ヘンリーは避けようとしたが脚に力が入らない。
無理に動かした刺し傷だらけの右脚からは力が抜け、そのおかげか、上体がわずかに右へと逸れた。
鉄塊は構わず地面まで振り切られ、あげられていたヘンリーの左腕を巻き込みながら地面へと突き刺さった。掠めた接触だけで潰れた刃は肩の肉をそぎ落とし、まともに受けた左腕は骨が砕け、腕の肉がボロボロに剥ぎ落とされている。
「あああああ」
剣の残骸を放り出し、ヘンリーは右手で肩をおさえながら蹲る。右手の隙間から血が溢れ、白い骨が露出しているのが見えた。
肩の先、腕の悲惨さはより酷く、流れる血の熱さと全身の寒気でヘンリーの身体は見てわかるくらい震え始める。
恐怖なのか出血のせいなのか痙攣なのか、どうしようもない身体と。それを構っていられないくらいの吐き気がこみ上げ、ヘンリーは呼吸すらままならなかった。
「口ほどにもない。その程度で、オレの前に立つんじゃねぇ」
グランは啖呵を切って蹲ったヘンリーを蹴りつける。鈍い音がして、ヘンリーは呻きながら丸まった。
立ち上がる気力もなく、ただくぐもった声をあげるだけのヘンリーにグランは興味を失ったのか、のんびりと鉄塊を引き上げる。グランが止めを刺そうと再び鉄塊を掲げたところで、鎖を鳴らす音がした。
「……お、お兄ぃ? お兄ぃ。お兄ぃ!」
それまで放心状態だったレティアは、ヘンリーの声で我へと返っていた。
急に騒ぎ出したレティアに、グランの注意が移る。隣の奴を潰しただけで黙り込んでいたガキがどうしたのかとグランは首を傾げた。
とりあえずうるさかったので、そちらを先に片付けよう、そうグランがレティアの方へ足を進めたところで。何かが、グランが立っていたところを通った。
グランにはそれが、黒い靄のように見えた。そこだけを黒く塗りつぶしたかのような、よくわからないが黒いもの。昼過ぎの太陽は高く、晴天の下では現実味がないそれは、一直線に前方から伸びてきて、グランの横を通り過ぎていく。
それを目で追うグラン。黒いものは後方にいたゴブリンの集団へとぶつかった。なんの余韻も、何の衝撃も、音すらない。ぶつけられたゴブリンたちも、不思議そうな顔をしていた。
「なん、だ?」
グランが驚いたのは黒い直線が消えたあとだった。ぶつけられたゴブリンたちが真っ黒に染まり倒れていく。前触れもなく、ぱたりと倒れる部下たち。
そうして黒くなる部下たちは、さきほどの黒いものがぶつかったところを中心に、周囲へと急速に広がった。
「散開! おめぇら、その黒いのに触るんじゃねぇ!」
「ボス。なにこれ!」
「真っ黒。不思議。あれ?」
反応が鈍い部下たちはバタバタとその場に倒れていく。苦しんだり、もがいたりといった様子はまったく見られない。いきなり意識を失ったかのような、そんな動きだ。
流石に反応の鈍いグランの部下たちも危険ということに気づいたのか、蜘蛛の子を散らすかのように通りを逃げ惑い始めた。
グランが手塩にかけた布かぶりや、その周囲にいたゴブリンたちはしっかりと命令に従い、建物の中に逃げ込み終えている。
グランは、黒いものが来た方向を見た。
そこで初めて、前方で戦っていた部下たちも同じように次々と黒く染められ、倒れているのに気づく。そして、その奥。人間たちの部隊を割って、前へと進み出てくる女の姿を見た。
黒髪に、勾玉のあしらわれた肩掛け。腰で留められたスカートと呼ばれる布きれをつけた、細い少女だった。
少女は右手を上げ、こちらに向けている。その眼球は黒く、虹彩だけが黄金に輝いていた。あれは、やばい。グランはそう直観し、すぐさま手近な建物へと走り出す。
グランが走ったため、マイは目標を変更。通りでばらけていたゴブリンたちへ、その手は向けられた。
まるで湯水が湧き出るかのごとく、黒いものが手の平から溢れ、尾を引きながら飛ぶ。音も反動もない。あるのは、それと同時に亀裂が走り、黒い血を滴らせる、マイの腕だけだった。
「きれいな目……」
事態を悟ったゴブリンたちが逃げ惑う中、取り残されたオルフは、立ち上がることすら忘れてその金に輝く瞳に見惚れていた。
「って、こうしてる場合じゃない。ヘンリー!」
「不用意に立つなオルフ!」
マイの少し後方、ウォルターが叫ぶ。剣と盾を手に、悠々と歩くマイに続いているウォルターは黒沼の力に目を瞠っていた。
ウォルターは帝国が所有するアヌラグロワールはいくつか知っていたが、ここまで殺傷力が高い能力は初めて見るものだった。
正直、ここまでの道中もこの爆発力がなければ難しかっただろう。本人が言っていたように、その威力は高位に位置しているようだった。
「これは、呪いか」
「指揮官代理。鹿波舞は殺すもの。調整はできない。です。穢れは祟る。乱戦は不可能。ここから先はウォルター・カイル、あなたの仕事」
手を下げ、黒い粘液を躍らせながら、マイは振り返ってウォルターに言った。その黒き眼球と金色の瞳孔がしだいに薄れ、人間の目へ戻っていく。
それと共に、垂れていた黒い液体は赤くなり、粘度を失ったかのように下へと落ちた。どろり、と戻った目からも赤い血が流れる。
「ああ、わかった。これより残党を処理する! 布を被ったやつと、大きい奴に気を付けろ。見つけたら無理に倒そうとするな。それ以外は殺して良し。オーランド、怪我人や捕虜を見てくれ」
ウォルターは部隊へと向き直り指示を出す。いくら黒沼の力が強くとも、あとの詰めは自分たちの仕事だ。ちらりと、ヘンリーたちを見たが、そちらに構うのはあとだった。
「こりゃ、酷いね」
捕虜となっていた住民たちに近づいたオーランドは、思わず口に出していた。というのも住民たちのそばに置かれていた二つの荷車が、どちらの中身も解体された住民たちだったからだ。治療を手伝おうと残っていた何人かの隊員が、思わず胃をおさえている。
「吐くなら隅っこに行きな。まだゴブリンがいるんだ。しっかりしなよ」
オーランドはその場に吐き出そうとした隊員を叱責し、歩みを進めた。ここは見たくないものだらけだ。
荷車の中はもちろんそうだったが、捕虜となっている住民でさえ、生きながらにして腕を抜かれた者や、手首や足を斬りおとされた者、顔を半分潰された者。
誰もが大なり小なり治療が必要で、指示を出すべきオーランドの口は重くなっていった。
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