第二章「選択」
第18話「状況報告」
「んあ、えっと。どこだここ」
目覚めたヘンリーが最初に見たのは、うす暗くなり始めた雲ひとつない空だった。右手をかざし、光に目を細める。
「なんだ。なんだっけ。っていうかいてぇ」
ぼんやりと思考がまとまらない頭をあげ、そこでようやく左腕が包帯だらけだということに気が付いた。次いで確認しようと動かしたことで肩に痛みが走る。
突然のことに驚き、肩に手を当てながら上体を起こしたヘンリーを腹部と右脚の鈍い痛みが襲った。
「いてててて、なんだこれ。どうなってんだ」
「ヘンリー! 良かった!」
「あん? あれ、オルフ。ってちょっとまて!」
自分を呼ぶ声に周囲を見れば、何か荷物を運んでいたオルフがこちらに走って来るのが見えた。そのまま荷物を脇に置いて飛びついてくるオルフ。
衝撃と共に腹部が押し込まれたヘンリーは、大きな悲鳴を上げてオルフを引き剥がした。
「なにすんだくそ、すげーいてぇぞ」
「ご、ごめん。でも、もう起きないかと思って、心配してたんだよ。すっごく」
「一体、何がどうなってん……」
半泣きのオルフの様子にヘンリーは首を傾げた。そして周囲を見回しながら、次第に声が小さくなっていく。
まわりには何人もの人が床やベッドに寝かされ、並べられていた。皆身体のどこかに包帯が巻かれ、憔悴した様子に見える。そして、その人たちの間を忙しそうに駆け回る守備隊の隊員たち。
一面に広がるその光景に最初ここがどこなのかわからなかったヘンリーだったが、周囲に並ぶ建物で、ここが広場だと理解した。見栄えを気にした煉瓦や石造りの建造物に囲まれた場所は、この街で広場しかない。
「広場? あれ祭りだったんじゃ……」
言いかけてヘンリーの目が泳ぐ。脳裏に昼から起こった一連の出来事が次々と浮かび、左右を見て、そこに求めるものがないことに気が付いた。
「……レティアは。レティアは無事か!?」
「無事だよ。安心して。さっきまでヘンリーを見てたんだけど、色々あったからね。寝ちゃったから運んできたところなんだ。ここじゃ、なんだしね」
「無事、なんだな。良かった。……確かに、ここじゃ、な」
まわりを見てヘンリーも頷いた。こんな血なまぐさいところで、レティアを寝かせるわけにはいかない。
「それで。あのあと、何があったんだ?」
「そのことなんだけど。ちょっと」
「気が付いた?」
何か言いにくそうに顔を曇らせたオルフの後ろから、首を傾げ、艶のある黒髪を揺らしながらマイが顔をのぞかせた。とはいえヘンリーは気絶していたため、マイのことは記憶にない。マイのように首を傾げ、ヘンリーは眉を寄せた。
「誰だ?」
「あ、そっか。この人は鹿波舞さん。ヘンリーを助けてくれた人だよ」
「助けてない。助かってない」
「どういうことだよ」
「あーうん、僕もよくわからないんだけど。とりあえず、死ぬところだったヘンリーを留めてくれた人、なのかな」
「違う。あなたは死んでいる」
「???」
ヘンリーは二人の言葉に首を傾げるばかりだった。
「いやほんと、全然よくわかんねぇけど。とりあえず、俺はあのゴブリンに殺されるところだったんだよな。それが助かったのは間違いねぇな。うん。んで、よくわからねぇ恩人らしきあんたは信じられねぇが、俺はオルフなら信じられる。つまり、ありがとう。助かったぜ」
「助けてない。助かってない」
「ま、まぁまぁ。ヘンリー、動ける? 気が付いたら先生が連れてくるように言ってたんだけど。死にかけた人に来いっていうのも酷いよね」
頭を下げるヘンリーと、首を振るマイの間に入ってオルフは話題を変えた。詳細についてマイは一向に語ろうとしなかったし、今更だ。ヘンリーが生きている、それだけでオルフにとってマイは恩人だった。
「わからん。今気づいて、身体中が痛い」
「本当? 無理しないで」
オルフが心配そうにしている後ろから手が伸びてきて、ヘンリーの右腕が掴まれた。掴んだのは後ろに居たマイだ。
「行こう。報告が必要。そこでなら説明もできる」
「ちょ、いてぇって」
「そのうち慣れる」
「えぇ? 待ってよ」
痛がるヘンリーを無視し、マイはぐいぐいと腕を引っ張って進む。ベッドから慌てて立ち上がったヘンリーはよろめきながらそのあとに続いた。
踏み込むたびに、脚と腹部に振動が響く。起き抜けでふらつく身体はだるく、どうにも調子が悪かった。
~~~
「指揮官。連れてきた」
「あの、一時戦闘解除ということで、その呼び方やめません?」
広場を北に進み、少し階段を上ったところにある議員休憩所が現在の臨時司令部となっていた。
低層区の大部分は一時的に取り戻したものの、東と南、両面を支えるには人員も足らず。複雑な低層区を防衛しきるのは困難と考え、最終防衛ラインを広場に据えて、そこから先、東と南は前線として扱われていた。
隊員たちは出来る限り住民を助け出したものの、神殿まで運んでの治療では遅くスペースもなかったため、広場を臨時野戦病院としている。
開け放たれていた重厚な扉をくぐってからマイはヘンリーの手を放し、スージーの前へと進み出ている。続けて入ってきたヘンリーとオルフを見て、スージーは頬をかいた。
「あの、どうして彼らを? 一応ここは司令部ですよ。無関係、ですよね。めいびー」
「はい、いいえ指揮官。鹿波舞は彼らへ説明が必要。です。指揮官代理は?」
「うー? よくわかりませんが、とりあえず。隊長はウォルター・カイルで、私が代理のスージー・へヴラント・ノヴァです。認識のし直しを要求しますよ?」
「ノヴァ家? ヘヴラントは当主の名。指揮官が?」
「いいじゃないですか細かいことは。ミドルネームです。めいびー」
「はい指揮官」
「あーもうもうもう!」
「うるさいぞスージー。縁ノ宝球がそろそろ使えるところだ。静かにしろ」
「あ、先生」
マイとスージーが騒いでいると、奥の廊下からウォルターが現れた。剣は腰に吊っていたものの革鎧は脱ぎ去り、くたびれたシャツを腕までまくっている。
建物は入ってすぐに開けたホールとなっており、壁際にいくつかの長椅子が並べられていた。
休憩所として利用しながら、公的ではない意見交換を行うサロンとしての間であり、奥には仮眠室とは名ばかりの個室がいくつか造られている。
そのうちのひとつに、神殿から縁ノ宝球が運び込まれ、帝都へ連絡が取れるように調整されていた。
「ヘンリー、大丈夫か?」
「一応大丈夫っぽいっす。まだ全身痛みますけど」
「そうか。ま、何よりだ。お前らが何であんなところに居たのか、そこのスージーとジロから聞いたぞ。本来なら叱るべき、なんだろうが。この状況じゃ、なぁ」
「俺らだって、もう子供じゃないっすから。きちんと訓練受けて、まぁ。この様っすけど」
ヘンリーは苦笑しながら、包帯だらけの左腕を掲げて見せた。それを見てウォルターの表情は一瞬真剣な眼差しとなったが、すぐに打ち消される。
「今はどれだけ手があっても足りない状況だからな。とりあえず、お前は自分の状態を知らなきゃならん。リットン司令と連絡を取る。こっちへ来てくれ」
ウォルターに連れられ、スージー、マイ、オルフ、ヘンリーが続いたのはホールの奥、廊下の先にある三つの扉のうち最奥の部屋だった。
部屋は広く、応接用の机と、深々とした革張りの長椅子が置かれている。そのうち机は正面の壁際まで運ばれ、台座と共に一抱えほどの丸い石が置かれていた。長椅子も端へと寄せられ、そこには隊員であるジロと議長であるロマノフ座っている。
ロマノフはちらりと入ってきたメンバーを見たが、興味なさそうにすぐ視線を外した。ジロはヘンリーの姿を見て一瞬顔を綻ばせる。
「スージー、こいつで起動してくれ」
「あ、はい」
ウォルターはマイから受け取っていた青く透明な小石をスージーへと渡した。スージーはそれを丸石の前へ置き、手をかざして意識を集中する。
『43号か。下がれ、こちらの術士に維持させよう』
丸石の方から凛とした女性の声がした。
スージーが声に一歩下がると丸石表面が淡く光り、うっすらと人の顔が現れた。顔は整った女性の顔で、切れ長の目と少し高い鼻が特徴的だった。美人、ではあるのだが険のある表情がそれを台無しにしている。
やがて顔を中心に胸囲下あたりまでが丸石には映り、その人物が椅子に座って机に手を組んで置いている様子が見て取れた。像は白黒で色味がなかったが、そこまで見たジロが感嘆の声を上げる。
「はー、縁ノ宝球って、文章送るだけじゃなかったんですねぇ」
『そこのデブ。私の前で許可なく発言するな。文字の転写と違って維持するのが大変なのだ。無論、大変なのは私ではないがな。ご苦労諸君。私がイスハルト帝国第三司令であり、今回の東方防衛を指揮するリットン・トゥッラだ。さて、報告をしろ守備隊長』
「はっ、リットン司令。今回私ウォルター・カイルは緊急につき現場指揮を執ったため、全体の指揮を執ったのはスージー隊士です」
「は、はい! ええっとお久しぶりですリットン司令!」
『久しいなノヴァ家の問題児。結局ウォルターについて行ったのか。とりあえず、そのでかい乳を仕舞え。不愉快だ』
「ええええ」
『フン。いっぱしに緊張なぞするな。今更だ問題児』
「あ、はい。ど、どうも、ですよ。ところで私たちの街の呼称はどうしましょうか。帝国からまだ名を頂いてない、ですよね。現地では城街とかの俗称で呼ばれていますけども」
『どうでもいい』
つまらなそうに言ったリットンはさっさと報告をしろと手を振って示した。緊張気味だったスージーはその流れでどうにか自分を取り戻し、これまでの経緯を説明し始める。
「あ、はい。ですよね。知ってます。知ってました。では以後我が街は城ノ街と仮定しますよ。まず我が街は朝方より東の港町からの往来がないことに疑問を持ち、偵察に二騎送りました。昼頃、このうち一騎が戻ってくるも、手前で敵ゴブリンの偽装と判明。戦闘により三匹中二匹を撃破、残った一匹が街中へと入ります。
この時点で東より軍勢の煙を視認。この情報が来るのはあとになりますが、敵襲の報を受けた私は、臨時司令部となった広場から東区画を防波堤としてラインを引き、周辺住民の避難を優先しました。加えて東門は先の大戦から修復されておらず、長時間は守り切れないと判断し、敵を東演習場へ引き込んでの持久戦を想定した指示を出しました。
が、敵はこれ見よがしに東に300の兵を並べ注意を引き、その間に南の森を抜けて南門を急襲。南の守備隊は初期段階で侵入していたゴブリン一匹に壊滅しており対応が遅れ、労働、低層区にゴブリン推定600の侵入を許します。
これには現場の判断。そこにいるジロ班長の指揮の下、低層区の貯水槽を破壊することで労働区と低層区の接続を水没させて対応。
増援を鈍らせている隙に低層区の掃討を進め、アヌラグロワール43号の力により大部分を奪還。多数の捕虜とされていた住民を救出しました。
現在戦闘は小休止状態となっており、司令部を北議員館に移設。避難民は西の神殿、低層区の被害者たちは広場の野戦病院にて治療を行っております。人員が圧倒的に足りないため、広場を中心に東、南ともに維持は諦め、その手前を緩衝地帯として防衛陣地を構築しています。
一応双方に兵を出し、小競り合いや警戒は続けておりますが、陣地の構築はしない方針で動いています。以上が、ここまでの推移と現状です。はい」
説明を終えたスージーは一歩下がり、リットンの反応を待った。リットンは目を閉じ、右手の指を一定のリズムで机を叩いている。しばしの沈黙のあと、リットンは隅に座っていたジロへとその目を向けた。
『なるほど。理解した。そこのデブ、たいした判断だった』
「あ、いえ。私は部下の、そこの青年君の進言に従ったまでで」
ジロは手を振りながら立ち上がると、入り口付近にいた青年二人。オルフとヘンリーを手で示した。
『ほう。君らは志願兵か何かか? 名乗れ』
「は、はい。靴屋オーフェンの息子、オルフです」
「えっと。パン焼職人ハウエンの息子、ヘンリーっす」
『靴屋にパン焼き? ああ、姓がないのか。何であれ、その歳でそれだけの判断が下せれば上出来だな。もし今回生き残れたなら、私が面倒を見てやらんこともない』
「リットン・トゥッラ司令」
二人がどう返せばいいのかわからず戸惑っていると、マイが前へ出た。
『どうした43号』
「彼、ヘンリーに鹿波舞は43号の力を使っている。詳細の説明のため、性能開示を希望」
『何? 詳しく話せ。発令者の権限により性能開示を許可する』
リットンは切れ長の目を細め、顎に軽く握った拳を当ててマイを見下すような姿勢をする。
「低層区の小競り合いによってヘンリーは損傷。瀕死のところ、オルフとレティアの願いを以って、鹿波舞は能力を使用した。呪いの上書きによってヘンリーの死を確定。これにより、黒沼を越える力でなければヘンリーの死は覆らない。同時に、一度にひとつしか使えない鹿波舞の呪いは発動不可能となる。戦力比の再評価を進言」
『これはまた……。お前の力は殺すためのものだろう』
「アヌラグロワールは条件付けを第一とする。今回住民を守れという条件を出したのはリットン・トゥッラ司令。鹿波舞はアヌラグロワールとして従っただけ」
『やれやれ、条件付けは仕組みから考え直した方がいいかもしれないな。ところでヘンリーと言ったか。青年、すまないがここで死んでくれないかな?』
「へ?」
「待って下さいリットン司令。彼はまだ、自分の置かれた状況を理解していません」
突然の物言いにヘンリーは間抜けた声を上げ、ウォルターが一歩踏み出した。他の面々も、何事かと戸惑いながら事態を見守っている。
『ウォルター。ウォルター・カイル、なんならお前が殺してくれるのか?』
「それは、ご命令ですか?」
『フン。お前が私のために子供を殺してくれるなら、地方になぞ飛ばされていないだろう。痴れ者めが』
「あ、あの。どういうことでしょうか」
急展開についていけず、オルフは思わず口を開いていた。リットン司令はその発言に、少しだけ楽しそうに口の端を上げる。
『オルフ、だったか。君の要請で43号は力を使ったそうだな。君と、もう一人か。連れて来い。君らは発端者として説明を聞く義務がある』
「オルフ、レティアは?」
「疲れ果てて寝てます。先生、何がどうなってるんですか」
戸惑うオルフをウォルターは手で制した。
「リットン司令、レティアはまだ14の子供です」
『だからどうした。地域によっては7つから奉公するところもある』
「ここは違います」
『そう。私の方も違う。7つだろうが14だろうが関係ない。連れて来い』
「……わかりました。ジロ、連れてきてくれ」
ウォルターは歯噛みしつつ、ジロへ指示を出した。口を引き結び、眉を寄せ、苦虫をかみつぶしたかのような顔をしている。
オルフは何がなんだかわからなかったが、そのウォルターの様子に、何か良くないことが起こるのだと感じていた。ヘンリーはもっとわけがわからず首を傾げている。
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