第36話「乱戦」

 マーティが指示を出し、息子たちとの別れを済ませようとしていたところに、再び風を切る音がした。

 咄嗟に息子たちを突き飛ばしたのは本能がさせたのか。暗がりで見えない矢が自分を狙っていることにどう気づいたのか、マーティ自身にもよくわからなかった。


 左肩への衝撃と矢が骨へと食い込む芯に響く痛み。肩から胸方向へ、浅く斜めに食い込んだ矢は振動で揺れ、それが直に鎖骨へと響いた。思わず左の剣を取りこぼし、身を屈めたマーティは、いつの間にか獣のようなうめき声を発していた。


「剣を落としたなぁ人間。終わりだ。全軍、前進」


 グランの合図で、暗がりの中控えていた20匹ほどのゴブリンが前へと動き出す。重なった足音が響き、いくら暗がりでもその規模が想像できたのか、壁に身を寄せていた集団からいくつもの悲鳴があがった。男たちが見えない相手と戦おうと、とにかく前へ出る。


「ここだ、このゴブリンをひとじ……」


 三度の風切り音がした。ひとつ、ふたつ、みっつ。一回一回、しっかりと弓を引いているのか、間延びした間隔で矢の飛来音がしていた。そして、そのたびにマーティのものと思われる息を呑むような、あるいは呻くような声が短くあがる。


 そのすぐそばでマーティの息子たちからも嗚咽が漏れ始めていた。見る事ができない目の前で、自分の父が殺されているかもしれない。

 矢の痛みにあがる父の呻きが、身を震わすほど恐ろしい。そしてゴブリンの手が、暗がりから今まさに自分たちにも伸びてきているかもしれない。


 間近にある死に、二人の息子は歯を鳴らす。大丈夫と言ったのに。あとから来るだけだと言ったのに。いつもすぐ約束を破る。そんな八つ当たりのようなことを思い浮かべ、必死に目を閉じて、あがってくる悲鳴を飲み込んでいた。


「間に合わなかったか」


 息子二人はそんな幻聴を聞いた気がした。その気配はすぐに消え失せ、何故かゴブリンの足音もそれと一緒に消える。先ほどの言葉が幻聴だったのか、ゴブリンの足音すら幻聴だったのか。そう思えるくらい、急にあたりが静まっていた。


 暗がりの中に闇があった。それは深く、中に踏み込んだ者の五感を奪い、前にいたはずの仲間の位置すらわからなくなったゴブリンたちは、脚を止めて首を傾げている。


 隣の仲間が斬り裂かれ、悲鳴と共に血が飛んできても、ゴブリンたちはそれに気づくことすらできなかった。中で剣を振るうのは、眼を蒼く灯し、闇を展開したウォルターである。


 その事態に反応できたのは、グランと弓手である布を被ったゴブリンだけだった。二匹は己の感覚を研ぎ澄ませる過程で得た、ヒトでいうところの感知術を持って、急に見えにくくなった前方と暴れまわる人影を辛うじて感知していた。


「なんだぁてめぇは! 弓手!」


 そう叫ぶグランの声はウォルターに届かない。しかし、視線の先で矢を番えてこちらに向けるゴブリンを見て、ウォルターは彼らには見えているということを知る。


 術によって強化しているのではないかという意見が出た時点で危惧はしていた。広場で布かぶりに術を使った時も、触覚もないはずなのに死体や盾を集めて互いに組めるというのは、勘が良すぎるというレベルではないとは思っていたのだ。


 確証がなかったため保留にしていたが、今の弓手の狙い、その正確さを見て、それは確信へと至る。


 矢が放たれる前にゴブリンの死体を拾い上げて構えるウォルター。弓手はこれに構わず矢を射っていた。

 術で感知能力があるとはいえ、明確に視るための術として作られたウォルターのものと、感覚や身体能力の末に習得しているゴブリンたちのものとでは大きな差があった。


 もちろんお互いに相手の眼がどの程度見えているのかなどはわかっていないが、ウォルターは今の動きから、はっきりとは見えていないのだと推測をたてる。


 放たれた矢はゴブリンの着込んでいた鉄板に食い込んで止まり、ウォルターは弓手とグランをあざ笑うかのように、半数以下まで減らしたゴブリンを更に殺してみせた。その動きに、グランがざらついた唸り声をあげる。


「上等だぁ」


 グランの手元には未だ鈍器は届いていなかった。手下のゴブリンどもの背丈では、鉄の塊であるあの武器は二匹か三匹がかりでなければ運ぶことができない。

 運ぶよう指示を出してからよもやサボっているということはあるまいが、ともかく今グランが手にしているのは、一般的なゴブリン用の粗悪な剣一本のみだった。


 それを見たウォルターは好機と判断。場のゴブリン部隊を全滅させてから、闇を展開させたままグランへと走り込んでいた。


~~~


 ヘンリーたちが居るあたりは大鍋によって空白地帯となっており、多くのゴブリンが火傷や雷撃で戦闘不能となって転がっている。しかし捕虜たちの元では、未だ後ろで布かぶりが倒されたとは知らないゴブリンたちが暴れまわっていた。


 ヘンリーはサーベルを、オルフは拾ったゴブリンの剣を、それぞれ手にして走る。ヘンリーは胸の傷が痛んだものの、肺か心臓を貫いたにしては予想より動けることに驚いていた。

 自分の身体は生きているのか死んでいるのか。そんな事を思いながら、死んだ身だとしても役に立てることをしよう、とサーベルを握りしめた。


 満身創痍の捕虜を面白半分に組み倒して短剣を振るっていたゴブリンは、その身に剣を受けてはじめて後ろのオルフたちに気づく。

 ゴブリンの体重が軽いのもあってか切れ味そこそこの剣では両断とはいかず、剣を食い込ませたゴブリンは、打ち倒されるように乗っていた捕虜の身体から弾き飛ばされた。


 悲鳴を上げて転げまわるゴブリンたち。その仲間の悲鳴に何匹かのゴブリンが振り返り、後ろで起こっている事態を把握した。


「うしろ。やばい。布かぶりどこ」

「あそこ、死んでる?」

「どうなってる? にげる?」


 迷うゴブリンは攻撃の手が止み、お互いの顔を見合っている。判断がつけられずに動きが完全に止まったゴブリンたちへ、そんなことはお構いなしに容赦なく捕虜たちの農具やマイの雷撃、オルフとヘンリーの剣が叩き込まれた。


 絶叫と乱戦。どちらの悲鳴なのかもわからないそれが幾度となくあがるが、やがて混乱しているゴブリンたちより、少しだけ人間側がマシだったのか。ゴブリンたちが戦いよりも逃げることを優先し始めた。


 捕虜たちもオルフたちもこれを追う余力はなく、何事かを叫びながら逃げていくゴブリンたちをただ見送り、どうにか撃退できたことに胸を撫で下ろしていた。


 しかし、誰もそのことを喜ぶことができなかった。ゴブリンたちの去った現場は、死屍累々と言っていいほど、何十人もの捕虜たちが地に倒れ伏している。

 元いたうちの三分の二ほどの捕虜たちが、今では変わり果てた姿で横たわっていた。立っている者も、その半数が新たな傷で血に染まり、俯いて乱れた息を整えている。


 早くから乱戦に飛び込むことになっていたマイも、何か所か攻撃を受け、脚と腹部から血を流していた。

 ヘンリーも胸を赤く染め、唯一この場で傷がなさそうなのは何度かヘンリーに庇われていたオルフだけである。


 そしてそのオルフたち三人の表情も、他の捕虜たち同様曇っていた。

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