第27話「襲撃者」

 悲鳴があがった。


 日が落ち、かがり火頼りとなっていた広場は静まり返っていた。治療や作業で走り回っていた隊員も少なくなり、それぞれが明日や夜のため眠り、眠らない者たちは東や南や避難民のいる西などへ役目を果たしに行っている。


 何人かの負傷者が傷や熱にうなされている呻きと、西倉庫前の作業場で繰り返されえる金槌などの作業音だけが静かな環境音となっていた。その悲鳴が上がるまでは。

 志願者たちへ仕上がった革鎧を配って回っていた住民の女性。それが、通りからやってきた小さき者を目撃し、その正体に気づいたのだ。


 ゴブリンは赤黒い顔を無感情に向け、そのうち二匹が走り寄り、悲鳴を上げ始めていた女に襲い掛かる。


 悲鳴に顔を上げたジロが距離をあけてその事態に気が付いた。ゴブリンは長剣を手にし、一刀のもと女性を切り分ける。

 血が飛び散り、あがっていた悲鳴は苦しそうな濁音交じりに変わってすぐに聞こえなくなった。逡巡する間もない早業と技術に、ジロは確信する。布きれは被っていないが、確かにあの時マーティをくだした腕の立つゴブリンだと。


 その後に続くゴブリンたち六匹はそのどれもが独特な武器を持っているようだった。一緒に前へと出ていた一匹、歪な双剣を手にしたゴブリンが周囲へ走り込む。

未だ遠目でそれを見ていたジロは、何とかしようとして弓を置いてきていることに気が付いた。


 続けてあがり始める悲鳴と、寝込みを襲われて逃げ惑う人々。その事態が周囲へとまるで感染するかのように、大勢の人間が混乱に落ちていく。


「起きろ起きろ! 隊員は武器をとれ!」

 ジロは叫びながら隊員たちが仮眠をとっていた一画へ走り込んでいた。自らも弓を手に、矢筒を背負う。


 その間にも広場で志願者たちを襲っているのか悲鳴は止まらない。背中にあてられるそれらに、ジロは何度も悪態をついていた。


「あなた、南に走って防御が抜かれてないか確認してください。広場のことは伝えても良いですが、警備に出てる人員を戻して出島の防御を固めるようにと。そっちの君、あなたは東の演習場へ。こちらも同じく防御を固めるように伝えてください。この混乱に乗じて敵が攻めてくるかもしれませんからねぇ。いいですか? 広場のゴブリンだけとは限りませんが、あなたがたが死んだらまずいというのを忘れないように。では走れ!」


 ジロは指示を飛ばし、武器を取って戻って来る隊員を待つ。まとまった数になってからでなければ、あの腕前のゴブリンたちは止めようがない。焦る気持ちを押し込め、行動の遅い寝ぼけた隊員を叱咤しては弓を握りしめていた。


「状況は!?」

 声を上げて入ってきたのはウォルターとラウロだった。二人とも夜の作戦と総指揮のため束の間の仮眠をとっていたが、この騒ぎに駆けつけていた。


「敵は確認できたもので六匹。現在布は被っていませんが、マーティをやった奴が居ました。全員が雑魚とは違う武器持ちです。おそらく布かぶり級。広場中心の志願者たちの寝込みを襲っていて混乱拡大中。東と南の防御が抜かれていないか確認と、連動を恐れて防御を固めるよう伝令を走らせました」


 報告を聞きながらウォルターたちは武器や装備を確認し、これからの戦闘に気持ちを整えていく。対応が遅れれば全滅だ。作戦に備えて寝ているわけにはいかない。


「よし、すぐ動くぞ。俺が術で攪乱する。弓隊ついてこい」

「隊長」

「ラウロ、お前はここに残って指揮を執れ。その腕じゃ戦闘は無理だ。それと、念のためもう一人ずつ伝令を走らせろ。道中やられたら事だ。そこそこ戦える奴が良い。どこにゴブリンが居るかわからん。行くぞジロ」

「了解!」


 走らせる伝令があれに追いつかれれば指示も届かない。かと言って布かぶりと称するレベルのゴブリン相手に単体で戦える者も居なかった。相手の目的は何か。考えながらウォルターは飛び出した。


~~~


「しっかし暗くてよく見え」


 二、三歩進んだところだった。ヘンリーは右、営業終了で重ねられていた椅子と立てかけられた丸机の間から、何かの気配を感じ取る。それは何かを振り上げたのか空気を切る音と共に、こちらへと飛び出してきた。


 ヘンリーは咄嗟に木箱を振るいながら左へと飛ぶ。木箱に何かがぶつかったのか、鈍い音がして木箱はどこかへ弾き飛ばされた。暗くて前後の確認ができない。ヘンリーは襲撃者をよく見ようと目を凝らした。


「左手に気をつけろ!」

 前方からの声。声をあげたということは他にも居る。そうヘンリーが意識したときには、後ろから衝撃が襲ってきていた。


 圧し掛かられたのか背中を思い切り踏みつけられたのか、よくわからなかったがヘンリーは堪え切れず、床へとうつ伏せに倒れ込んだ。ごりごりと押される背中と、左右の二の腕を上から掴まれたことで、やっと事態を理解する。


 後ろから膝蹴りを受け、そのまま上に乗っかられたのだ。倒れ込んだ自分の両腕を封じ、上に乗っている人物が誰なのかはわからない。だが前の人物が発した声には聞き覚えがあった。前から近づいてくるその人物を、段々と暗闇に慣れてきた目がしっかりと捉える。


「よーし、しっかり抑えておけよ」

「どういうことだよ、ロマノフさん」


 暗がりに居たのは棍棒を手にした議長、ロマノフだった。


「ヘンリー、ダメじゃないか。預かりものの箱を粗末にしちゃぁ。いけない子にはお仕置きが必要だな。えぇ、おい」

「ロナンの、おっちゃん……?」


 奥から戻ってきたロナンは、その手に燭台と薪割り用の斧を持っていた。ロマノフの持っていた棍棒よりも小ぶりで人間の腕ほどしかないものだったが、燭台の火に照らされた刃だけは、鈍くその脅威を主張している。


「何を、する気だよ」

「聞いたぞヘンリー。お前が力を独占してるそうじゃないか。その力があれば、街は救われるんだろう?」


 こつり、こつりと。いやに高い靴音をたててロナンは近づいてきた。ヘンリーはどうにか背中の奴から逃れようと身じろぎするが、背中の痛みが増すだけで身動きすらできない。

 もがくヘンリーの前で、斧を持ったロナンと議長ロマノフは、今晩のおかずでも相談するかのように話し合っていた。


「とりあえず、左手だな。万が一があっては困る。そのあと首を落として、下水にでも流せばあの小娘から十分離れるだろう」

「そうですな。こんな子供を手にかけねばならぬとは、心が痛みますが」


「なに、もう死んでる身ですから。子供と思う必要はない。我らは街を救うのですから。それに、ハウエンもリーネも見つかっていないんだ。もしかしたら向こうで待っているかもしれないわけだし、我らの手で両親の元へ送ってやりましょう」


「それはそうですな。いやぁ、少し気が楽になりましたよ」


 斧を手に朗らかに笑うロナン。ヘンリーはその姿に、ぞっとするものを感じた。自分勝手なことを言われている。その矛先がこちらに向いているはずなのに、まるで物でも見るかのような、食材でも見るかのような態度に気持ちが悪かった。


「あ、あんたら正気かよ。守備隊がゴブリンの将をやれば済む話だろ!?」

「それは本当に成功するのかね。ばかばかしい。街全体を想えば、そんなリスキーなことなどできるはずがない。所詮守備隊もあの司令もよそ者なのだ。街のことを真に想うは我ら議会なのだよ。これは議会で決まったこと。つまり街の総意なのだ。さぁどうぞロナン殿。私が今、左腕をしっかりと押さえましょう」


 ロマノフはヘンリーの左へと回り込むと、毛布をかぶせ、更に木のトレイを乗せて座り込み、体重をしっかりかけてヘンリーの腕を押さえつける。

 ヘンリーの手首には毛布越しに、木のトレイとロマノフの体重がかかっていた。木の硬さが容赦なく手を痛めつけてくる。


「これはすまないね議長さん」

「……狂ってやがる。なぁ、後ろのあんたも、そう思うだろ? こんな奴らの片棒を担ぐなんて、やめちまえよ。絶対後味悪いって!」


 ヘンリーが顔をよじり、後ろをどうにか見ると、そこにも見覚えのある顔があった。朝、訓練のあと丘の上であった男だ。作業着を着た、ロナンのところの下働き。

 ヘンリーの訴えかけに心動かされた様子はない。ただただ黙って、ヘンリーの背中を抑えつけていた。そんなヘンリーの抵抗をあざ笑うかのように、ロナンは顔をヘンリーへと近づけて言う。


「なんとでも言うがいいヘンリー。だが私には時間がないのだ。港から来るのを待っていたのは、何も魚貝だけではなかったんだよ。なぁ、二年ぶりだ。二年ぶりに、やっと娘が来てくれるはずだったんだ。わかるかヘンリー。わからないよなぁ。商談を理解せず出て行ったバカな妻だったが、娘は違う」


 語りながらロナンは目頭を押さえ、歯を食いしばっていた。これが普通の状況で語られていれば、ヘンリーとしても気持ちを理解することが出来たかもしれない。その手に斧さえなければ。


「……娘のジェーンだけが、私の家族なのだよ。聞けばゴブリンどもは、子供を殺さないそうじゃないか。だが、お前らが将を倒して撤退するのを見送っていたのでは、港に居るジェーンはどうなる? 殲滅するしかないのだよ! あの意地汚い小鬼どもはな!」


「さぁさ、ロナン殿。その思いの丈をぶつけるのです。そのゴブリン殲滅を妨げているのは他ならないこの子なのですから」


 ロナンは頷いて、燭台を足下に置くと斧を振り上げた。狙いはヘンリーの左腕、二の腕のあたり。呪いの進行がどこまで行っているかわからない以上、なるべく肩側が良かったのだ。


「よいしょっと」

 気の抜ける掛け声で斧は振り下ろされた。どこか間の抜けた、軽い音がする。斧の刃はヘンリーの骨へと食い込み、滑った。

その衝撃は腕を伝わって脳へと響く。刃が骨を叩いただけの乾いた音だったが、その音はヘンリーの叫びで掻き消えた。


「あああああああ」

「おいうるさいぞ。口に布でもつっこめ」


「へい」

 ヘンリーの背中に乗っていた男が布きれを丸めて、ヘンリーの口へと詰めた。詰められたヘンリーは荒い鼻息を短く繰り返し、血走らせた目でそれぞれを見る。


「もう一度いきます。よっと」

「んーんー!」


 木を割ったような音がした。簡単に骨を割り、行き過ぎた斧はそのまま床へと食い込み穴をあける。ヘンリーは脂汗を浮かべて暴れたが、動くことはできなかった。


「ああ、床に穴があいちまった。くそう」

「まだ肉が残ってるので、もう一度で」


「よいしょっと」

 三度の衝撃で、ヘンリーの左腕は二の腕から切り離された。溢れる血が床に小さく広がる。


「思ったより血は出ないものなんだなぁ」

「いやぁ、もう半分骨の化物みたいな腕でしたから。血が通ってないのかもしれませんな」


 ヘンリーは布を食いしばり、痛みに耐えていた。そんなのんきな会話を聞いている余裕もなく、閉じられない口からはよだれがたれている。


 ヘンリーは泣いてはいたが、その目は力を失わず、自分の左手を持って不思議そうにしている二人を睨みつけていた。殺してやる。ヘンリーは生まれて初めて、心の底からそう思っていた。


「次は首ですな」

「ああでも議長さん。聞きかじった話なんですが。なんでも首を落とすと、糞尿をその場に出してしまうらしいので、ここではちょっと。裏口を出たところでやりますかね」

「ふむ。なら運びましょう。おい」


「へい」

 ヘンリーの背中に乗っていた作業着の男は短く頷くと慎重に背中から降り、ぐったりと脱力しているヘンリーを引っ張り上げた。あげさせた上体、右わきに頭を入れ、肩を貸す形で歩かせようとするがヘンリーは動こうとしない。


「何してる。背中に担げ、背中に」

「……議長さん、俺ぁあんたの手下じゃないんだ。ロナンの旦那の娘さんのためにやってるんであって、あんたに利用されるのに納得してるわけじゃない」


「な、なんだとぉ」

 ヘンリーの左腕を振り回し、議長ロマノフは声を荒げた。肘から先が反動で左右に動き、切断面から血が飛び散る。作業着の男は顔をあからさまにしかめ、ロマノフを睨みつけた。


「おいおいやめてくれ。お前も労働区の仲間のため納得したことだろう。議長さんも、うちの下働きと言っても、今回の件では持ちつ持たれつ。あまり顎で使うような物言いは控えてくれませんか。お願いしますよ」


 ロナンが言い終えたところで、酒場の入り口が勢い良く開け放たれた。

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