第28話「呪いの力」

「はいはいはーい。御宅拝見っとー」

「やめましょうよいきなり……」


 言い合いになっていたロマノフと、ヘンリーを抱えた男、そして間に入ろうとしていた斧を持ったロナン。陽気に入ってきたバリーと、付き添ってきたコル。全員の時が止まった。


 固まったそれぞれはそれぞれの顔を見ており、ぷらんと、力なくロマノフの持っていた切り離された左手が肘の先から垂れ下がった。その動きを目で追ったバリーが、抱えられたヘンリーへと視線を向ける。その目の動きに気づいたロマノフが先手を打った。


「な、なんだお前らは。こっちは今取り込み中だ。火事場泥棒だよ泥棒」

「あー、そーなんすかー」

「え? ヘンリー君が?」

「あ、ところで蝋燭とかないっすかね。そこにあるようなの。手元の作業に必要なんでいくつか拝借したいんすけどー」


 バリーが床に置かれていた燭台を指さして言った。後ろに居たコルは、燭台を見たところでようやく床の血と、ロマノフが持っている腕、そしてヘンリーの状態に気づき息を呑んだ。


「ああ、蝋燭なら備蓄がいくつかあるから、あとでまとめて届けさせよう。見ての通り今ちょっと取り込んでいてね」

 斧を手にしたロナンが片手を振って、出ていけと示す。


「ふーん。んじゃま、とりあえずヘンリー君の身柄はもらっていいっすねー。泥棒なら守備隊の管轄っす。泥棒は腕を切る。ちょっとレトロっすけど、昔ながらの処罰方法ですもんねー。あ、処罰が終わったなら、あとは解放かー。まぁ調書取らないとなんで、お預かりしまーす」


 言いながら遠慮なく進むバリー。コルは血とヘンリーの腕を見て動揺しており、一歩も進めなかった。脳裏に浮かぶのは階段で見た仲間たちの姿。胃が縮こまり、猛烈な不快感がコルを襲っていた。


「あれ? なんっすかーそんな怖い顔しちゃってー。やめてくださいよー。なぁコルー、俺たちの仕事だよなー? あれ、コルー?」


 バリーが声をかけるが、入り口付近に居たコルは腹部と口元を押さえ、身を折って吐き気と戦っているところだった。

 返事がないことを不思議に思い、振り返るバリー。コルの様子とバリーが視線を外したことで、ロマノフはロナンを見て言葉なく頷いた。


「に、げろぉ!」

「んあ? げぇ」


 ヘンリーが口に詰められた布を吐きだし、どうにか振り絞った忠告。それに振り向いたバリーは、目前に迫る、斧を振り上げたロナンの姿に蛙のような声をあげた。

 バリーは慌てて護身用のナイフを手首の鞘から引っ張り出し、斧を避けつつの投擲を行う。


「ひゃー、危なかったー」

「うぐああ、貴様よくもぉ……!」

 横に避け、ステップを踏みつつ下がるバリーと痛みに呻くロナン。投げられた小ぶりのナイフはロナンの左前腕部に突き立っていた。


「なんすかー。俺に斧を振るったんすから文句言わないでくださいよー。まさか、守備隊に入ってから人を殺す機会が来るなんて、俺も思ってなかったっす」

「なんだ、お前は」


 言いながら新たなナイフを手にして左右に振るバリーに、ロマノフは語気が強くなっていた。相対したロナンは、刃を掴んで持ち手をぶらぶらと振るバリーを前に、無意識のまま二歩ほど下がってから斧を構え直していた。


「なんすかー。議長さんなら知ってるんじゃないっすかねー」

「お前、まさか。守備達が預かった夜盗の生き残りか?」

「そんなところっす」


「ロナンさん、裏口から! ヘンリーは私が運びます」

「く。すまんが、ここは任せるぞ」

「へい」


「あらら、逃げるんすかー。どうしよっかコルー。ってダメかコルは。あんなの追えなんて言われてないしなー。まぁ、俺に斧振ったのは、許せないっすかねー」


 ヘンリーを引き摺るロマノフと、斧とヘンリーの腕を手にしたロナンが裏へ消え、のんびりと言うバリーと作業着の男は相対していた。

 男の方はロマノフから棍棒を受け取っており、それを構えて裏口への通路を守るかのように立っている。


 そこにきてようやく、広場から一本東に入った酒場へ悲鳴のようなものが届いてきた。入り口付近でふさぎ込んでいたコルも、バリーたちも、その声に気づく。

 入り口の方へ顔を向けたバリーに男は気を緩め、自分も何事か起きただろう音に耳を澄ませた。


「なんかあったんすかねー」

 言いながら、棍棒を持った男を見もせずにバリーは腕を振る。


 悲鳴に気を取られていた男は何も反応することなく、そのナイフを不思議そうに見ていた。思慮外の、一直線にこちらへと向かうものは、正面から回転する様を見ているので、何かよくわからない。

 虚を突かれたせいで警戒すらできず、男はナイフが顔面に突き立つまでその動きをただ見ていた。


「あ?」

 眉間と鼻の付け根あたりから斜めに突き入って来るナイフに、男がようやく声をあげ、それが最期の台詞となった。


ナイフの軽い衝撃に、ちょっとだけ頭が後ろへ下がった男は、両の黒目を顔中心のナイフへ向けたまま、後ろへと倒れ込む。


「はい一丁あがりーっと。おいコル。どうするー? 広場もやばそうだけど、あっちも放っておけないっすよねー」

「こ、殺した、んですか……?」

「そっすよ。立派な正当防衛っしょー今のは。あ、隊長には証言してくださいねー。ともあれ裏口に」


 バリーが何事もなかったかのように、言いながら男に突き立ったナイフを引き抜いていると、裏から怒鳴り声が聞こえた。


 目の前で繰り広げられたことに衝撃を受けたせいなのか、麻痺してきたのか、時間が経ったせいか。ようやく立てるようになったコルも、その音を聞いてバリーと顔を見合わせる。


「なん、なんだというんだ。くそう、くそう。守備隊は何をやっているんだ!」

「なんてことだなんてことだ」

 裏口を出たところでバリーたちが見たのは、ヘンリーを囲むようにして立っているロマノフとロナン。そして、それを遠巻きに見ている二匹のゴブリンだった。


「呪いの力、ここ」

「呪い師いない。なぜ」

 二匹のゴブリンは首を傾げながらヘンリーたちを囲み、まるで守るかのようにこちらを向いている男二人を見つめている。一応斧を持っているのだから戦士なのか、と判断がつかずにいるようだ。


「ええい。もう構っていられん! ロナンさん、はやくヘンリーを」


 裏口から出てきたバリーたちを見て、ロマノフが自棄気味に指示を出す。ぐったりと倒れ伏すヘンリーに、言われたロナンは斧を持って向き直った。


「悪く思わないでくれよヘンリー」


 振り上げるロナンに、ヘンリーは虚ろな目を向ける。その目は力ないように見えたが、口の動きに気づいたロナンは寒気を覚えた。その口は、小さく小さくずっと呟いていたのだ。


「殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる。皆、殺してやる」


「うわああああああ」

 悲鳴が上がった。上げたのはロマノフだった。今まさに、ヘンリーの呟きに、呪詛に、悲鳴をあげそうになっていたロナンは、斧を止め何事かと振り返る。


「え?」

 素っ頓狂な声を漏らすロナンは、目の前の光景をよく理解できなかった。ロマノフが真っ黒になっていたからだ。


 いくら夜に入って裏には表路地のかがり火が届きにくいと言っても、ロマノフだけが、切り取ったかのように黒く染まっている。そんな光景は見たこともない、異様なものだった。少なくともロナンとコルには。


「呪い。離れろ」

「やっべぇぞコル、下がれ下がれ!」

「え? え?」


 ロマノフだったものが抱える左腕、その切断面が真っ黒に染まっていた。そしてそれを持っていたロマノフも当然のように魂が穢され、勾玉の恩恵がない身は一気に崩れ落ちた。

 崩れる際ヘンリーの左腕が放り出され、切り口から黒い液体のようなものが飛び散る。それはぼんやりと眺めていたロナンの足へとかかった。


「な、なんだこれは! くそ、離れろ。なんなんだ。ひぃ」


 足から登って来る黒きもの。それに恐怖を感じたロナンは脚を振って、その何かを落とそうとするが止まらない。

 地面へと転げながら情けない声をあげるロナンは、知らずヘンリーへと縋りついていた。


「ヘンリー、お前なのか? これが、呪いの力なのか。頼む、やめてくれ。私が悪かった。パエリアだってなんだって食わしてやるから! 頼む、頼むから」


「おっちゃん……?」

 襟元を掴まれ、強引に揺らされていたヘンリーは正気に戻ったのか、焦点のあわない目を目の前のロナンへと向ける。


「助けてくれ。殺さないでくれ」

「なにが、どうなって、るんだよ。おっちゃん。……おっちゃん?」

 ヘンリーは、目の前で泣きながら真っ黒に染まったロナンを茫然と見つめていた。


「やっぱり。呪い。殺す」

「女じゃなかった?」

「ヒトの男女わからない。こいつだ」

「広場の陽動。長くは持たない」


 事態についていけず、呆けながらロナンだったものを抱えるヘンリーに二匹のゴブリンは得物を抜き放った。


 片方は三本の刃を持つ短刀。もう一匹は小ぶりの戦鎚を構えている。落ちた左腕を避けるように左右へ回ったゴブリンは、同時に地面を蹴った。振り上げられる短剣と鎚、ヘンリーはロナンだったものを抱えたまま動かない。


「ヘンリー!」

 裏路地、ゴブリンたちが来た先から、走り寄るオルフの姿があった。後ろにはレティアと、蹲ったマイ。

 マイが指を地面に這わせ、最後に二回ほど叩いた途端円状に地面が光る。次の瞬間、必死に駆けていたオルフの脇を強烈な何かが通った。


 ゴブリン達は新たな参入者たちには構わず、武器を振り下ろしていた。三つに分かれた刃が肉に食い込み、振り下ろされた戦鎚が、骨を砕く。


「なに? なんで?」

「お前。だれ」


 そこには、ヘンリーの元へ立っている、マイの姿があった。三本の刃はマイの肩下、左胸を穿ち、戦鎚は右腕の骨を砕いている。


 急な事態についていけず、ゴブリンを含めた全員の反応が遅れた。マイはそのまま左胸に突き立っている短剣、それを持つゴブリンの手を掴む。右手は折れてしまったので、左手で。


「な、お前」

 ゴブリンはそのまま一瞬にして黒く染め上げられた。それを見て右のゴブリンは一気に距離を取る。マイはそれを追わず、口から血を流しながら左手のゴブリンをそちらへ放り投げた。


「呪い。どうなってる。お前も?」

 鎚を構えたゴブリンは困惑気味に投げられた味方を避ける。


「へ、ヘンリー! どうなってるのマイ。一度に呪えるのは一つじゃなかったの?」

「お兄ぃ、お兄ぃ」


「近寄ってはダメ。鹿波舞が呪えるのはひとつ。それは変わらない。でも黒沼はすべてを呪う姫。自らの死体を辱めるものを、末裔とは言え呪わぬはずがない。呪いは穢す。眼によるピンポイントの呪いと、触れることでの穢れが、鹿波舞の手段。つまり、この身はずっと、呪われている。死に続ける殺戮兵器、それが43号の姿。それが、鹿波舞の役目」


「そ、そんな」

 マイが流す血が黒くなっていることに、オルフは気づいた。そして、近づけば危険だということを悟って、走り寄ろうとしていたレティアを抱きとめる。


「ヘンリー、立って。痛みも傷も、そのうち慣れる。そういうものに、なったのだから。勾玉のそばへ。呪詛に呑まれないよう、感情を殺して。あれが敵。あれを殺すのが我らの誉れ。そういうものに、なる」


 マイの目が次第に黒く沈み、虹彩が金になり始めているのを、横から見ていたオルフは気が付いた。

 そしてよろよろと立ち上がったヘンリーが並ぶのを見て、何故だか悔しさを覚えていた。何故、自分は隣に立つことができないのだろうと。


 思わずその手に力が入り、肩を抱かれていたレティアは、そんなオルフの様子を痛む肩を我慢しながら見つめていた。


「ロマノフさんも、ロナンのおっちゃんも、俺が、殺しちまった、のか……?」

「今は忘れる。今だけ、あなたは人間兵器。目の前の敵を殺す。あなたはバカなのが取り柄。左腕を取って」


「……ひっでぇぜ全く。ところでさっきのは?」

「地面に魔導砲の術式を一部描いただけ。脚は折れたけど、ここまで転移した」

「あ、折れてるんだ」

「そう。だから前衛はよろしく」


 片や自らの切り離された左腕を持ち、肘から曲がったそれを構える前衛と。片や左胸と口から血を流し、片脚と右腕を腫れあがらせた後衛。二人の姿は、酒場裏口から覗いていたバリーとコルからすると常軌を逸した姿だった。


 ゴブリンの方もその姿にたじろいだのか、それとも呪いの力を恐れたのか。戦鎚を構えたまま、すぐには動こうとしなかった。飛び跳ねる血すら触れることができないというのは近接戦闘において大きな障害だった。


 そんなゴブリンに、酒場裏口、ゴブリンから見て左。ヘンリーたちから見て右側から、何かが飛んでくる。

 緊張を最大に高め、目の前からの飛沫すら避ける気でいたゴブリンは横からの不意打ちに過剰反応してしまった。


 左へ振った鎚で飛んできたもの、バリーのナイフを打ち払ったゴブリン。だがその隙を見逃すほど、ヘンリーも甘くはなかった。


 自分の左腕を投げつけるヘンリー。武器を振っていたゴブリンは、間に合わないと見て横へ飛ぶ。

 そのゴブリンの目には、投げた直後に走ってきているヘンリーと、こちらへ左腕を向け、何かの術を使おうとしているマイの姿が映った。


 失敗というほどの失敗はしていない。ただ、敵の数が多かった。危機を感じた五感は、それらの動きを捉え、ゆっくりと見えるほど集中していたが、ゴブリンは自分の死期を悟るだけだった。


 鞭を振るったような、空気を叩く音。衝撃。青い軌跡を伴った雷撃は、ほんの刹那の間だけ光り、ゴブリンを打ち据えていた。

 全身を強くたたかれたかのような痛みに、思うように動けない。雷撃により倒れたゴブリンにヘンリーが走り寄り、落とした武器を蹴り飛ばす。ゴブリンはどうにか武器を取り戻そうとするが、痺れた身体は動かなかった。


 立ち上がることすらできないその様子を見て、ヘンリーは自分の左腕を拾ってゴブリンの元へ戻ってきた。左腕を右手で掲げ、その黒き血を絞る。


「ごめんな」

 そう、自然と口をついていた。ヘンリーの腕から落ちた雫に、ゴブリンは穢され黒く染まっていく。あれほど敵だと思っていたゴブリンなのに、どうしてここまで虚しくなるのか、ヘンリーにはわからなかった。


「お兄ぃ、泣いてるのよ」

「え? 泣いては、ないと思うけど」

「レティが、お兄ぃを、あんなにしちゃったのかな」


「レティア……。ううん、レティアだけじゃないよ。僕らだ。僕らがしたんだよ」

 オルフはレティアを抱きしめながら、そう言ってレティアの頭を撫でる。レティアを慰めているのか、自分を慰めているのか。オルフにはわからなかった。


「いやーすごいっすねー。あ、どうもマイさん。バリーっす」

「バリー、ナイフ助かった」

「あの野郎、俺を無視してましたからねー。ってあれ」


 裏口から出てきたバリーは、マイの血が赤く戻り、かつ倒れているロマノフやロナンの身体が黒くなくなっている事に気が付いた。


「穢されたのは魂。魂がなくなったものは黒くならない」

「え? じゃぁマイさんは?」

「鹿波舞は輪廻の勾玉がある。魂の転生を一回消耗しただけ」

「はぁ、よくわからねーっす」


「なぁ、この腕どうしよう」

「ヘンリーの自業自得。何故勾玉から離れる。離れた分進行が早まった。その黒が全身を覆ったら死ぬ。鹿波舞はリセットできる。ヘンリーは違う」


 マイは語気を強めて言った。折れていた腕や脚は治り、左胸の穴もふさがっている。指摘されているはずのヘンリーは、話を聞いていないのか無反応だ。

 ヘンリーはマイの傷の治りを不思議がっているのか、胸の傷跡を穴のあいた服越しにまじまじと見ていたが、隣にやってきたオルフに殴られた。


「どこ見てんのさ。ヒトに心配させておいて」

「そうなのよ。お兄ぃはもう。心配ばかりさせて、いけないお兄ぃなのよ」


 やり合う三人を見てマイは自分の胸元、穴から見えるあれこれに気づき、何事もなかったかのように左手で穴をおさえた。


「変態二人はおいておいて。広場が危険」

「マイさん、これ使ってくださいっす」


 バリーは革鎧を脱いでマイへと渡した。マイは少し迷っていたが、革鎧を受け取ると、背を向けて着込む。


「ん? っていうかオルフ、よくここがわかったな」

「マイが、ヘンリーの魂が揺らいだのを感知したって。その腕といい、ロナンさんたちといい、何が、あったの?」


「ロナンのおっちゃんは……。あー、いいや。話はあとにしようぜ。俺も、今すぐはうまく話せるかわかんねぇし。動いてた方が気が紛れる」


 広場へ向かおうとする面子に、コルが一人取り残されていた。今回も何もできなかった。という思いが重くのしかかっている。

 このまま誰にも気づかれないのではないか、と落ち込んだ心で思う。


「何してんだコル。置いて行くぞー」

「あ、はい。今行きます」


 バリーが声をかけ、他の者はそこではじめてコルが居たことに気が付いていた。

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