第20話「議論」
「よっと。ん、なんだ誰かいるのか」
ラウロが木の椀を手に持って広場に併設された上級商人用倉庫の裏へと入ると、そこでは先客が横になっていた。
通路脇の休憩所といった木製の長椅子に、毛布をかぶったコルが横になっている。コルはやってきたラウロを見ると起き上がった。
「あ、ラウロさん。すみません、今退きますね」
「隣、邪魔するぞ」
コルは疲れが溜まっているのか、億劫そうな動きで端へと詰めた。ラウロはあけられた長椅子には座らず地面へと座り込み、持っていた椀を長椅子に置く。
コルはその行動に疑問を持ち、改めて置いた椀へと匙を入れ始めたラウロを見た。
「ラウロさん、その腕……」
「ああ、コルにはまだ見せてなかったか。なに、東門のあいつにな」
「あの二本もった……。大丈夫、なわけないですよね。すみません」
「いや良いって。まぁ、もう弓が引けないってのは、ちょっとな」
「僕が、もっと早く動けていれば」
コルは自分の足下を見て呟いた。ラウロは匙を止め、その様子に首を振る。
「気にする事はない。と言いたいところだが、俺もなぁ。あそこで、あの二刀流を逃がした結果、南門の奴らはやられちまった。隊員たちのところも、患者たちのところも。気にし過ぎかもしんが、視線が気になってな。まったく、自分がここまで弱いとは。っと、すまん。思い出させちまったか?」
コルは身体を抱き、青い顔になっていた。負傷兵の間で、コルが仲間たちの無残な姿を見てショックを受けたという噂が流れていたのをラウロは思い出す。
「大丈夫、です。ラウロさんのは、きっとその腕を、見てしまっているんだと思いますよ。だから、ラウロさんこそ、気にすることなんてないです。立派に戦えたんですから。僕は、僕はダメでした。低層の奪還作戦に、どうしても足が竦んでしまって。付いていくことすら」
力なくそう言うコルに、ラウロは太い唇を引き結び、匙を置いた。
「コル、ちゃんと食べたのか?」
「え、いえ。食べると、どうしても戻しちゃって」
「食え」
ラウロは自分の椀をコルのほうへと押した。コルはちらりとそちらを見るが、手を出そうとはしない。
椀には神殿前のスペースで煮炊きされたスープが入っている。流石に熱々というわけにはいかなかったが、くたくたに煮込んだ野菜と柔らかくなったパンの欠片が浮かんでおり、玉ねぎのものかコクのある香りがコルの鼻へ届いていた。
「なぁコル。これはマーティに聞いたんだが、戦には向き不向きがあるらしい。俺から見ればお前も子供みたいなもんだが、まぁ年齢じゃなく。どれだけ訓練していても。目の前での殺し合いとなると、途端に動けなくなる奴が一定数、必ず新兵の中にはいるらしい。何も悪いことじゃない。そういう奴らは他に回され、戦い以外で戦う奴を支える。そういうシステムになっているらしい」
椀に手を伸ばすことが出来ずにいるコルへ、ラウロは諭すように続ける。それは先ほどまで自分が感じていた疎外感もあってか、優しい口調だった。
「お前が今それを気にしているのは、役に立ちたいと思っているからだろう? だったら、自分の出来ることで挽回するしかない。それは俺にはわからん。自分で見つけるしかないが、とりあえず。その何かを見つけた時に、腹が減って動けないってなったら、今度こそ自分が許せなくなっちまう。だから、食え。死んだ奴に報いたいなら、食え」
「で、でも。胃がひっくり返ったみたいになってしまって」
「それでもだ。吐き出すな。意地でも食え。それが、お前の第一歩だ」
なおも長椅子の上をこちらへ押されてくる椀に、コルは震える手を伸ばす。その顔は不安だらけで泣きそうだったが、椀をしっかりと持ち上げた。
微かに椀から伝わってくる熱が温かく、匙をラウロから受け取ったコルは生唾を飲み込んだ。喉がこんなにもヒリヒリと乾いていたとは。そんなことにすら気付かずにいたとは。そう思った途端、コルの腹が鳴った。
匙でパンの欠片を掬い、口へと運ぶ。じわり、とパンから染み出てくるスープは舌を刺激し、コルの閉じていた世界にいくつもの感覚を取り戻させた。同時に、胃がひくつくような不快感。
「ううっ」
「ゆっくり食え。いいから」
口を押さえ、吐かないよう耐えるコルは、最初の一口をたいして味わう余裕もなく汗をかきながら無理矢理飲み込んだ。ラウロは太い唇を吊り上げ、コルの肩を叩く。
「良し。あとは戻さないように慎重にな。それと、俺の分も半分残しておいてくれ」
「あ、あははは。はい……。はい!」
コルは仲間の死体を見てしまってから数時間。その顔がはじめて笑顔になったと同時に、やっと泣くことが出来ていた。
泣きながら笑い、戻しそうになりながらも必死に食べるコルを、ラウロは苦笑しながら見守った。
~~~
「東の倉庫が押さえられている以上、長くは持ちませんぞ!」
北にある議員会館では議長ロマノフを除いたメンバーが集い、口々にこれからについて話し合っていた。皆この局面に思うところがあるのか、その弁は熱い。
「要塞からの援軍が来るまで持つかどうか」
「それより死傷者の対処だ! 死体が臭ってきてかなわん。このままでは皆の不安もそうだが、病気だって」
「いや、それならまず
「下水に直接捨ててしまえ! どうせ下層はもうゴブリンだらけなんだ」
議論は避難民の待遇について向いている。彼らの家族もそこにあり、真っ先に避難した人々にとって今回の脅威は対岸の火事という感覚もあったが、多くの人が集まった以上そうした対処も必要なことだった。
「それでは奪還後に大変だ」
「そもそも守備隊は何をやっているんだ」
「そう守備隊だ。労働区はともかく、東の倉庫を奪還せねばならんぞ」
「今は守りに徹するべきでは? 援軍が来るまで耐えるのです」
「お前はあの惨状を見ていないから、そんなことが言えるんだ!」
「体験したから言うのです! あんな獣みたいな奴らと張り合うのは軍に任せておけばいい!」
何人か、脅威を目の当たりにしたメンバーが声を上げる。それでも、いや見たからこそあんなものの相手は自分たちの仕事ではないという立場での発言だった。
「そうだ! 奪還するにも人手が足りんだろう。そんな人数が居るなら、厠用の穴を掘るのに回してくれ! まずは民家をいくつか解体しよう。今回ので全滅した家がいくつかあっただろう。出来れば神殿そばのものがいい」
「それはあんまりだ。捕虜になっている者もいるかもしれん。戻ってきて家までないなんて」
「生きていれば戻ってから皆で建てなおせばいいではないか」
「残った家から物資や食料品を集めてみては?」
「おいおい、そりゃないぞ。わしらがどれだけの思いで備蓄してきたと」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう。そんなことより振る舞って名声を上げる方がよろしいのでは?」
備蓄倉庫は港から運ばれてくる都合上、東に集中しており多くの物資が足りていなかった。
一応広間周辺の商家が管理しているものはあったが、それでも足りず。かつそれらを仕分けして運び、行き渡らせる人手も足りているとは言えなかった。
「集めると言っても、そのための人員をどうするんだ。各家を回って集めるのだって人手が要るんだぞ。集まったものを管理して表にするのだって教育された人間が必要だ」
「そうだ。盗まれたらかなわん。こんな状況だ。何をされるかわかったもんじゃない。家にあげるなんてもっての外だ」
「そうだそうだ。ちゃんと何々家からの援助品か、管理してもらわねば名声も上がらぬ」
「みなさん、白熱しておるようですな」
続いていた言い合いが入ってきた議長、ロマノフの言葉にぴたりとやんだ。
広々とした会議室は円卓を中心に豪華な椅子が並べられており、壁にはいくつもの絵画や肖像が並んでいる。
この場だけ見れば今が非常事態ということすら忘れてしまいそうな、煌びやかなものだった。
元は質素な城の跡地に残された兵舎作戦会議室だったものを、議長たちが己の見栄と自慢で、私財を投じて内装を整えてきたものである。
「それで、ロマノフさん。援軍はどのくらいで来ることに?」
その問いにロマノフは答えず、円卓の議長席へと座り込んで、たっぷり間を作ってから口を開いた。その顔は思いつめたように、円卓の中心あたりを見つめている。
「援軍は、来ないそうだ」
「なっ何を」
「どういうことですかロマノフさん! あなたがそれを聞いてくるはずでは!」
ロマノフの報告にその場は一気に
「帝国第三司令直々に、この街は守る価値がないと言われたよ」
「ふ、ふざけてる! 多額の献金をしてきたではないか。そんな我々を」
「まぁ、待ちなさい。興奮しすぎですぞ。それで、どうするつもりなのですロマノフさん」
「そ、そうです。ロマノフさんに詰め寄ったって、仕方がありませんよ。確かに、我々は献金を欠かさずにしていましたが、帝国全土で見ればここからの献金など、たかが知れているのでしょう。とは言え、何か代案があるのでは?」
皆の視線がロマノフへと集まる。代案があるからこその援軍中止なのではと。
「北の要塞も襲われているらしい。そちらが落ち着くまで援軍はこない。街を捨てる選択が出来るだけ幸せに思え、だそうだ」
「ば、ばかな。なんなのだそいつは。こちらは今被害を受けているというのに」
「打って出ましょう! あいつらの攻撃は止んでるんだ。今こそ攻撃に出るべきだ!」
「落ち着いてください。今ゴブリンが攻めてこないのは、労働区の隅々まで漁っているからでしょう。この時間を有意義に使うのです」
「ハッ、労働者などいくら食われても構わん! その隙をついて攻撃だ」
「攻撃攻撃って勝算はあるのか!」
援軍は来ない。だとしても、今襲われている自分たちはこの脅威を何とかしなければならない。
援軍に任せておけば良い、自分たちは後方の避難民とその後を考えておけば良い、という話し合いは前提が崩れたことでその色合いを変えていく。
「勝算など知らんよ。ここで働いてもらわんで、いつ守備隊に働いてもらうんだ」
「そうだ。この事態を招いたのも奴らが怠慢だったからだ。何とかしてもらわなきゃ道理に合わん!」
「最もだ。攻撃するかはともかく、逃げるにしても要塞が落ち着くのを待つにしても、守備隊にはきっちり戦ってもらわねば」
「その守備隊なんだが……」
ロマノフは髭をいじりつつ喋る。その表情はこんな状況だというのに、にやついた、いやらしい笑みを浮かべていた。
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