人間兵器のグロワール

草詩

第一章「襲撃」

第01話「祭りの日の朝に」

 草を踏みしめる音がした。

「先に着いたのはヘンリーか。いつも通りだな」

 その音に反応したのか、男の声があがる。


 声の主、ウォルター・カイルはごつごつとした岩に腰掛けていた。無精ひげを生やし、赤い髪はぼさぼさで顎から頬にかけて目立たない程度の傷がある、ぼんやりとした男だった。


 場所は街の東門から見て右手に位置する小高い丘の上。風化した岩場に土が積もったような、ちょっとした丘だ。そこからウォルターは、土がむき出しとなった申し訳程度の街道を眺めていた。

 朝もやがようやく晴れつつあり、遠く左手には山々がうっすらと見え隠れしている。丘には草が一面に生え、それらは朝露に濡れ、少し土の匂いを漂わせていた。


 草を踏みしめつつウォルターへと近寄った青年、ヘンリーは濡れるのに構いもせずその場へと腰を下ろした。息を整えつつ、ヘンリーは青い瞳をウォルターへと向ける。

 ヘンリーは短い金髪に、口元をゆるませた自信満々と言った表情を浮かべている青年だったが、ウォルターはこの青年が口は悪くも面倒見の良いことを知っていた。


「うぃっす。おはようございます先生。でも祭りの日くらい訓練やめません?」

「鍛えてくれって言ったのはお前らだろ。こっちだって暇じゃないんだ」

 ウォルターは腰かけていた岩から立ち上がると、ようやくヘンリーへと振り返り首に手を当てひとつ伸びをする。


「で、オルフはまだか」

「まだっす」

 二人が丘から街へと降りるなだらかな斜面を見やると、中腹あたりに息を切らしながらふらふらと走ってくる青年、オルフの姿があった。


 オルフは上品に切り揃えられた綺麗な茶髪を乱し、幼さの残る丸顔を上気させ、おぼつかない足取りでゆっくりと坂をあがってきている。名前の元となった狼とは似ても似つかない、弱々しい印象しか持ち合わせていない青年だった。


「もうちょいだぞオルフ! 気張れ気張れ」

 立ち上がり、尻についた水滴や草を叩きつつヘンリーが声をあげた。オルフはその声に励まされたのか、半開きの口を見せながら顔をあげ何とか坂を登りきった。


「やれやれ。辛かろうが苦しかろうが、姿勢は崩すなって言ったろう。崩した分余計きつくなるだけだ。ここは気合の問題だぞオルフ」

「いやでも先生、オルフの奴最近やっとここまで来られるようになったんすから、いきなりは無理ってもんっすよ」

「しかし、それでもうるさく言うのが指導役ってもんだ」

「そういうもんなんすか」

「そういうもんだ」


 うんうんと頷きながら、ウォルターは今一度街とそこから続く二本の街道、そしてその先へと視線を巡らせた。


 街道を行った先には港町があり、その先は大海原。もう一本消えかけている街道を北へと向かえば森と山脈があり、その先には要塞がひとつあった。

 街の東門から伸びる街道はその二つしかなく、この丘はそれらを一望できる天然の監視所となっていた。


「今日は晴れそうだな」

 ウォルターは言ってから振り返り、膝に手をついて息を整えているオルフの様子を見ながら続けた。


「さて、街を一周したら組稽古か型稽古のどちらかだ。祭りだからと言って、鍛錬は常に欠かさずべし。有事はこちらの都合を待っちゃくれないんだからな。常に動けるよう油断しない事」

 途端にヘンリーとオルフが眉を寄せ、露骨に嫌そうにし始める。


「と、言いたいところなんだが、残念ながら俺の自由が利かない。流石にこの街の守備隊長として、行事のある日は忙しい。そんなわけで解散だ」

「おお、先生も話しがわかるぜ」


「わかるわからないじゃない。お前らと違って俺は忙しいんだって、ん?」

 言いながらウォルターは街の方向を見たまま言葉を止めた。ヘンリーもつられてそちらを見れば、何やら二人の男がこちらへやって来るのが見えた。


 二人の男のうち片方は麻で出来た簡素な作業着を身に着け、足早に丘上へと走ってきた。もう一人は裏生地のある上質な身なりで、後ろからゆっくりと上がってきている。


「何かあったのか?」

「すんません隊長さん。ここから荷馬車が見えたりせんですかね」

「いや、明け方からここに居るが街道を通ってきたものはないな」


「まいりやしたね。ああ、旦那様。やっぱり荷馬車は見当たらないようで」

 先に上がって来た男は、あとから来る男に報告を飛ばす。

「くそっ、話しが違うぞ」


「あー、ロナンさん。よろしければ事情をお聞かせ願いたい」

 ウォルターは上がってくるなり悪態をついた中年男、ロナンへと声をかけた。


「朝には港から新鮮な魚貝類が来る手筈だったんだが一向に来やしない。馬車が脱輪でもしたのなら一大事なんだが」

「知らせの早馬も来ていない、と」


「そうなのだ。こちらとしても今日の祭りに間に合うかどうか、そろそろ怪しい時間帯なのだが。諦めて別の仕込みを用意しなければいかんのか、それすらわからねばどうしようもない。未だに見えないとなれば、今年のパエリアはなしかもしれんな」


「ええ? それほんとかよロナンのおっちゃん!」

 それまで蚊帳の外だったヘンリーは急に大声をあげた。港のないこの街で新鮮な魚貝を味わえるのは今日だけで、中でもパエリアという異国風の料理は一昨年から入ったばかりの贅沢な代物だった。


「おっちゃんって、ああハウエンのところのせがれか。なんだヘンリー、お前んとこの親父は自分んとこのパンが売れなくなるって嫌っていたくせに、お前は食ってたのか。よく親父さんが許したもんだ」


「あー、いや親父には内緒で頼むよおっちゃん。どうするオルフ、楽しみがひとつ減りそうだ」

「そっちのは靴屋のせがれか。なんだぁ息なんて切らして。お前らこんな朝っぱらからこんなところで一体何をしてる?」

 ロナンは一旦落ちついたのか、ひげをいじりつつオルフとヘンリーを交互に見て首を傾げた。


「ああいや、こいつらがどうしてもってせがむんで、ちょっと鍛えてやってるんですよ」

「そいつはほどほどにしてくださいよ隊長さん。こいつらだって家の事があるんだ。その気になって、兵隊になりたいだなんて言い出した日には、一家の一大事だ。いいかヘンリー、お前は妹だっているんだ。いつまでも遊んでないで、仕事のひとつでも覚えて、親父さんを楽させてやれ。オルフも、ヘンリーに引っ張りまわされて手を壊しでもしたら、親父さん悲しむぞ」


 ロナンが腰に手をあて二人に言い聞かせるも、ヘンリーはどこ吹く風である。面倒くさそうに横を向き、オルフはひたすら縮こまっている。


「おっちゃん説教はいいからさ。何とかパエリア作ってくれよ。俺もオルフも、すっげー楽しみにしてんだぜ? 顧客は大事にしなきゃだろ!」

「俺だってようやく祭りにパエリアが定着してきた今この時を逃したくはないさヘンリー。だが物がなければどうしようもない。お前らそんなに言うなら街道を見てきてくれ」


「え、俺らでいいの?」

「いやいや、待ってくださいロナンさん。可能性は低いが盗賊やゴブリンという線もある。すぐに守備隊から人をやりますから。今は理由がどうであれ、荷馬車が来なかった場合にどうするかの段取りを決めておいたほうが良いでしょう」


 嬉しそうに顔をあげたヘンリーを遮るようにウォルターが前に出た。いくら何でも子供二人を連れて行くわけにはいかない。ウォルターの言葉にロナンも迂闊なことを言ったと思ったのか、一瞬目を泳がせて話を戻した。


「そりゃ確かに。隊長さん、なるべく早く頼みますよ。脱輪とかで荷馬車が止まってるってだけでも、魚貝の足がきちまう。誰も腐ったパエリアなんて食いたかないんだ」


「ええ、ええ。俺としてもパエリアなんて異国の味はありつきたいところなんで、すぐにでも馬を飛ばしますから。あー、鍛錬のことはほんの趣味なので出来れば内密に」


「そうですなぁ。隊長さんとこの皆さんが、うちの店をご贔屓にしてくださるなら、嬉しくて今日の出来事も忘れちまいそうだ」

「わかりましたから。今度皆で飲みに行きますよ」

「毎度どうも」

 ロナンはいい笑顔を浮かべてもう一人の男を先に走らせ、自分はゆっくりと坂をおりていった。


「やれやれ、とんだ災難だ」

「いいじゃん先生。ロナンのおっちゃんの店は美味いし上等だぜ?」

「その分高いの。地方の守備隊長ごときが隊員全員持て成すには高過ぎるの」

「そういうもんなんすか」

「軽口を叩けないくらいにな」


「先生、すみません。僕らのせいで。ほら、ヘンリーも」

 ようやく息が整ったオルフは髪と襟を整えると、ヘンリーの袖を引きつつ頭を下げた。

「お、おう」

 ヘンリーは最初こそ不思議そうな顔をしていたが、すぐにオルフと同じように頭を下げる。下げられた側のウォルターは、ため息をついてオルフの頭に手をやった。


「ま、気にするな。今日は運が悪かった。そういう日はこちらの懐事情を無視してやってくるってな。言った通りだろ?」

「先生の都合は財布次第なんすか」


「こらヘンリー、反省しなきゃ。僕らの無理で教えてもらってるんだから」

「悪い悪い。ついさ」

「ったく、ヘンリーはオルフの真面目さをもうちょい見習え。とまぁ、俺はさっきの件も調べなきゃならんし、今日は解散だ。さっさと戻って祭りを楽しめ」

「了解!」


「ヘンリーは気にしなさすぎだよ全くもう。だから妹にいつも言われるんだ」

「うっせ。レティアは細かすぎなんだよ。いくぞオルフ」

「あ、うん。待ってるもんね。またね先生!」

「はめ外して俺らの世話にならんようにな!」


 ヘンリーとオルフは走って坂を下っていき、ウォルターはそれを見届けてからのんびりと丘から降りていった。

 街はゆっくりと、祭りの準備でいつもより少し早く、賑やかな目覚めへと進んでいた。土壁の家々からは朝餉の支度かいくつもの煙が立ち上っており、いつの間にか山にかかっていた朝もやもなくなっていた。

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