第11話「浸透」


「はぁはぁ。伝令っすー。東門、ウォルター以下20名で交戦中。敵ゴブリン目視300。他、初期段階で一匹街へ紛れたが追えず、対処願う。あと臨時隊長に隊長から伝言っす。できるだけ抵抗し、出血を強いるつもりだが数多し。志願者を募れ。時間は稼ぐ。あとえーっと、現場は俺が見るから指揮は頼んだ。えっと、紛れ込んだ奴は俺とタイマンを張るから気を付けろ。だそうでーす」


 息を切らしながら広場テントへと走ってきたバリーが一気に言う。スージーは地図を睨みながら各方面の避難状況などの情報を整理していたが、その手が止まった。避難済み区をマーキングしていた青いピンが指先から落ち、地図の上を転がる。


「……頼んだって。ええぇ」

「っす。ちょっと、水一杯もらっていいっすかねー」

 バリーは狼狽する臨時隊長をよそに、医療その他で使う予定だった樽から水を出し、流れる水に口をつけた。


「バリー、籠城になったら水は貴重なのできちんとコップを使ってください。っていうか、嘘。ほんとですか? 隊長が私に指揮執れって?」

「隊長直のご指名とは、スージーさんやりましたねー。大出世じゃないっすか」

「やです」


 間髪入れずに出世拒否したスージーだったが、そうはいかないだろうことを知っているのか項垂れてしまう。


「いやそんな、我儘言ってもしょーがないじゃないっすか」

「はぁ、もう。はぁ、もうもう。志願者はわかりました。しかし300。すぐに増援を送らないと。中央付近と東付近の避難は終わって、封鎖もそろそろ終わるはず。東門は確保できたんですか? 20名で300相手にしてるんだから、そうだとは思いますが」


「東門確保してまーす。でもゴブリンはゴブリンっすね。見えてたのに、門が閉まるまで並んで待ってましたよ?」


「そっちの方が私はやですよ。いえ、確保できたから今持ちこたえてるんですけど。けれども。あのゴブリンが、空いてる門を前に隊列を維持し続けるという事は、相当指揮が行き届いてる厄介な集団ってことですよ。しかも入り込んだ奴は隊長とやり合えるほどの腕っていうし。意味わかんない! そんなの相当な人数出さなきゃ確保できない! 隊長のバカ!」


 地図へ書き込みをしながら悪態をつくスージーに、バリーはコップを手にして呑気な態度をしていた。


「隊長ってそんな強いんすかー」

「あれでも“月夜の死神”とオークに恐れられていましたからって、そんなこと話してる場合じゃないですよ。封鎖班から増援を送ります。志願は順次避難所から募って広場に兵力を招集してと。マーティに編成をやらせたかったけど、ゴブリン捜索を頼まないと。バリー、増援の旨すぐに隊長へ」


 バリーが木のコップで注いだ水を一気にあおり走り出そうとすると、テントへ入って来る新たな隊員が現れた。隊員は慌てた様子で報告に入る。


「伝令! 南区にて死傷者!」

「南!? バリーストップ!」

「うーっす」

 バリーは言いながら戻ると、樽から新たな水をコップへ注ぎ始めた。


「中層から低層へ向かう階段にて誘導班四名の死亡を確認」

「入り込んだ奴、か。避難はどこまで?」

「中層広場周辺は完了。北方面住居区進行中。低層、労働区まだです」


「どうして南へ。……まさかまさか」

 考え始めたスージー。頭を抱える臨時隊長に構わず、バリーはのんびりとコップを隊員へと差し出していた。伝令の隊員は軽く頭を下げ、コップを受け取っている。


 南外壁に面する低層区は直接中層へと行くための階段と、広場に繋がる搬入用の坂でつながっている。

 東門へ向かった部隊や封鎖班が遭遇せず階段にいた隊員がやられたということは、相手は主要路を通らず、裏路地を通ってわざわざ南区へ入ったこととなる。


 攪乱なら広場に乗り込んで暴れた方がいいはずだ。ゴブリンの知恵がどの程度回るのかわからなかったが、相手を舐めてかからないほうがいいだろう。


「南門を狙っている?」

 街の南、壁の先には森が広がっており、その西側に南門はあった。


 西門は交易路で、南門は主に労働区の人たちが農業などの仕事をするために外へ出る小さな門である。位置的にも東からは確認がしづらく、西門の街道からは気づきにくいものではあったが。


「ジロ班長へ伝令! 何人か見繕って南門へ向かうよう要請をお願いします。バリーは待機! 本当に南門が狙われていたら、敵本隊が南からくる可能性が高いです。その場合すぐに防衛線を敷き直さなきゃですよ」

 渡された水を飲んでいた隊員はコップをバリーに預け、テントから走っていった。


~~~


「お父さん、こっちは小屋できたのよ」

「次はこっち頼む」


 ヘンリーの実家、その中でもパン焼き窯の前には動き回る三人が居た。パン窯前には作業台が置かれ、周囲にはパン生地を寝かせている瓶や水桶があり、壁にも据え付けられた棚に布や籠が並べられているため、動き回るには少々狭くなっている。


 レティアは乾いた枝を窯の中に組み、小屋と呼ばれる下準備を済ませ父親へと向き直った。

 流石に三つ編みは邪魔になるので頭巾を頭にかぶり、その中へ押し込んでいる。父親であるパン焼職人ハウエンは、寝かせていた生地を計量しながら娘を呼んだ。


「籠出してくれ」

「はいはいはい」

 ハウエンは粘着質でとろりとした生地を引っ張っては金属板で切り、秤に乗せている。レティアは、窯に火を入れる母親リーネの脇を通って反対側へと回った。


 棚に重ねられている小ぶりな籠と、朝の粉を落とし重ねてあった布地を持ってハウエンの待つ作業台へと戻る。


「それが終わったら灰を落とせ。交代だろ」

「はいはいはーい。でもお兄ぃ、どうせ遅刻なのよ」


 返事をしながらレティアは籠に布地を敷き、軽く手で押して形を整えてから粉をまぶしてハウエンの方へと押しやった。

 ハウエンは計量した生地をこね、生地がなじむと布の敷かれた籠へとそれを放り込む。


「遅れた分は放蕩息子が罰を受けるんだ。お前が巻き添えで残らんでもいい」


 ぶっきらぼうな言い方だったが、そこに父親の優しさを感じたレティアは作業の間中ずっと頬を緩ませていた。

 ハウエンはハウエンで娘のその笑みが祭りを楽しみにしてのものと考え、心の中でちょっとだけ和んでおり、リーネはその二人を見てくすくすと笑う。


 こねてから放り込むハウエンと違い、布を敷いて粉を振るだけのレティアは一足先に作業を終わらせた。腰に結んでいた手拭きを取り出し、裏へと向かう。


「楽しんでらっしゃいね」

 リーネは灰落としに使う水を桶へと移しつつ、娘へ声をかけた。レティアは振り返り、満面の笑みで親指を立て、作業を続ける二人をしばし見つめてから裏口を出た。


「もー、お兄ぃはいつもギリギリだなぁ。お父さんもお母さんも、お祭り行けないくらい働いてるっていうのに。いけないお兄ぃなのよ」


 手拭で身体中の灰や粉といった汚れを叩き、レティアは未だに姿を見せない兄へと頬を膨らませていた。

 身体の前面や腕や足を叩き終え、頭の頭巾を取ろうとしたところで、レティアは何かの音を聞いた。


 断続的に響く、甲高い音。建物の向こうから反響して届いているようだったが、聞きなれない音にレティアは首をかしげて表通りへと足を向けた。


「何してるんだろ」


 通りを覗いたレティアが見たのは、子供五人にじゃれつかれている母親の姿だった。少なくとも、最初はそう見えた。


 違うとわかったのは、母親だと思った女性が後ろから押し倒され、子供の一人に頭を何度も地面へと打ち付けられてからだった。

 何が起きてるのか、最初に親子と認識してしまったレティアはすぐには理解できなかった。頭には疑問符だけが浮かび、思考が追い付かない。


 その女性が脚の腱を切り裂かれ、ひと際大きな悲鳴を上げた時。やっとレティアは目の前の光景の意味に思い当たった。

 急速に浸透する理解に、手足が震え、開いた口がふさがらない。


 先程の断続的な音は悲鳴だったのだ。それが非日常過ぎて思い当たらなかっただけで、聞こえてはいたのにわからなかっただけだった。


 そして固まっているレティアは、じゃれついていた子供の一人、大きな眼をしたゴブリンと目が合った。

 にたりと、口の端を釣り上げて嬉しそうにこちらを指さすゴブリン。その楽しそうな仕種にレティアの背筋は凍り、知らずのうちに口から悲鳴が漏れていた。


「レティ!」

 娘の愛称を呼びながら、ハウエンは火かき棒を手に裏口から飛び出してくる。


 何事かもわかっていないハウエンだったが、悲鳴を上げる娘を視界に捉え、瞬時に尋常ではないと判断した。さっきまで笑みが溢れていた愛娘が、顔を引きつらせ、目を見開いていたからだ。


「大丈夫かレティ! レティア!」

 通りに身を出したまま固まっていた娘を抱き寄せようと、左手を伸ばすハウエン。娘の肩を掴んだところで、他の声を聞く。


「子供。うまい。楽しい」

 ざらついたような声。ハウエンの位置から姿は見えなかったが、その言葉だけで、ハウエンは事態を悟った。一気にレティアを引き寄せ、震える娘を抱え込む。


「大丈夫だ。大丈夫だレティア。お父さんが守って……」

 ハウエンが言い切らないうちに、通りから短剣を振りかぶったゴブリンが飛び出してきた。

 左腕にレティアを抱えたハウエンは、右手の火かき棒を振るう。ゴブリンは振られた棒を短剣で受け、棒の勢いに押されて後退を余儀なくされた。


「くっそう」

 ゴブリン一匹分の衝撃を片手で受けたハウエンはたじろぐ。流石に飛びかかってきたゴブリン一匹分の体重と勢いを片手で抑えるのは難しかった。


 どうにか押しとどめたものの、両手持ちでなければ衝撃を殺しきれそうにない。そう思っていたハウエンだったが、通りからゴブリンが続けて現れ、五匹並んだところで戦うことを諦めた。ゴブリンがこちらの様子を見ている隙に、娘を逃がすしかない。


「レティ、レティ、しっかりするんだ。お前は兄の代わりに働くしっかり者だ。そうだろう?」

 目線はゴブリンから逸らさず、ハウエンは小声で呼びかけた。なるべく優しく、ゆっくりと。


「なに、大丈夫さ。お父さんがゴブリンなんかにやられるわけがないだろう? ちょっとお父さんはゴブリンどもをお仕置きしてくるから、レティは母さんを守ってやってくれ。広場の守備隊の元へ向かうんだ」


「あれ、戦士? 戦士?」

「武器? 鎧ない。弱い戦士?」

「戦士。捕まえる。ボス喜ぶ?」


 ゴブリンは火かき棒を構えるハウエンにたいした注意は払わず、相手を生かしたまま捕らえるか殺すかを相談していた。


 レティは未だ身体がすくんでいて、安心できる父の腕の中に居たかった。居たかったが、腕の中から見上げる父の表情が、パンに向かっている時よりも真剣で、怖い顔をしているのを見て、行かなければならないんだと、さみしさと共に理解した。


「わかった。お父さん、絶対死なないで。約束なのよ」

「俺はお前を嫁にやるまでは死なん。つまり一生死なん」

「なにそれ。レティだって良いお嫁さ……」


「喜ぶ。捕まえる。戦士」

「戦士戦士!」


「いけレティ! 母さんを頼むぞ!」

 レティが最後まで言い切る前に、ゴブリンたちは結論を出したようだった。それぞれが短剣や剣を掲げ、騒ぎ立てる。


「来い畜生共がぁ!」

ハウエンは娘を後ろへやると、火かき棒を両手でしっかりと握った。

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