第30話「対抗手段」
「北に陣を作られたか」
臨時司令部となっていた南広場テントで、ウォルターは腕を組んで地図を睨んでいた。あのあとオルフたちとも合流し、それぞれの伝令から報告を合わせたところ、広場から北にある地下水路管理所からゴブリンたちが出てきたことが判明していた。
「俺たちが使おうとしていた地下水路を使われたか。鉢合わせなかっただけ良かったと言っていいのか悪いのか。ともかく、これで敵将を討ちに出るのは難しくなったな」
「ゴブリン達はおそらく、43号を暗殺する目的だったと考えます。めいびー。何らかの呪い探知方法で、現在呪いがかかっているヘンリーを目指し二匹が暗殺へ。残りは北からわざわざ迂回して南付近へ来てから陽動っと」
「その間に北を敵に奪われたか。今度もまんまとやられちまったわけか。くそ、ゴブリンとは思えない奴らだ。戦士としての戦いに拘るオークの方が与しやすいぞこれは」
「どうします隊長。これで、前も後ろも敵だらけっす。広場の敵は朝まで粘るつもりでは? きっと夜明けとともに南か東が動くんでしょう」
ただでさえ少ない人数で三方守るのは難しい。東と南は固めていても、北はだいぶ穴がある。あの腕で浸透されれば致命的だし、西に入られたら避難民が全滅しかねない。現状ほとんどが後手にまわっていた。
「まずいっすねぇ。そのままでも押しつぶされそうなのに、北にまで楔を打ち込まれて、起死回生の敵将討伐にすら出られないとなっては。うーん」
「北広場と地下水路を奪還し、それから闇討ち。なんて言ってる間に東か南が動く、か」
「隊長の術でまた混乱させて突破するのは?」
「布かぶりの投入具合から見て、北広場に居るのは手練れ揃いが指揮を執っているんだろう。となると、あの逃がした三匹が対処方法を教えているかもしれん。亀みたいに引き篭もられてもこちらとしてはまずい。決定的な打撃力が欲しいところだ」
「密集するなら、ヘンリーの腕を放り投げるってのはどうですかねぇ。あ、いえ冗談です」
その場に集まっていた何人か、特にレティアからの非難の眼差しに、ジロはすぐに言葉をひっこめた。
テントで地図を前にしているのは、ウォルター、スージー、ラウロ、ジロ、オルフ、ヘンリー、マイ、レティア、バリー、コルだった。オルフ以下は話し合っているところに入ってきて、そのまま居座っているというのが実情だったが、今更ウォルターも追い出そうという気にはならなかった。
「北広場に布かぶりどもが居るっていうのが厄介だ。烏合の衆ならまだ突破できるが。あいつらは一匹いるだけで新兵たちが太刀打ちできない。あのマーティがやられたくらいだからな」
「あの」
話しを聞いていたオルフは遠慮がちに手をあげていた。自分の左腕に何とか手甲を右手だけで装着しようとしていたヘンリーと、手伝いたいけど手伝えず、手伝うマイを応援していたレティアが何事かとオルフを見る。マイは止まらず、ヘンリーの死なない左手に手甲をかぶせていた。
「なんだオルフ」
「これはチャンス、じゃないでしょうか」
「どういう意味だ?」
「あの。当初の僕らの予定で一番のネックだったのが、布かぶりたちでした。術を使うにしても、何匹いるかもわからない奴らにどこで遭遇するかわからない。それが、今はおそらくその多くが北に陣取っているので、敵将討伐がかなり現実的になったと思います」
「そうだとしても、どうやって労働区まで行く?」
「マイがヘンリーを庇った時の術と、先生の術を組み合わせれば、気づかれずに通れるかもしれません。僕の隣を通ったはずのマイに、僕は気づけませんでした。何か強い風が吹いた、程度の認識でしたし」
その提案に少しウォルターは考えてみるも、すぐに首を振った。
「闇は俺を中心に展開すればやれないことはないが。確かその術は脚が折れたとか言ってなかったか?」
「貯水槽に突っ込む。あるいは水没させた労働区入り口。というのは?」
「難しいな。水は、速度がついていると硬い。下手な地面よりな」
「ダメ、かぁ。すみません」
「いや気にするなオルフ。確かに、そう。布かぶりが出払っているというのなら、これはかなりのチャンスではある。どうせ朝まで待っていたら終わるのだから、そっちの線で考えたほうがいいかもしれないな」
夜襲が不可能になって守ることを考えていたが、確かに向こうも手薄になっているはずだった。夜が明ければ三方向から攻められるのなら、夜が明ける前に敵将暗殺を済ませてしまえば良い。もちろん、どうやって辿り着くかが問題だが。
「本気ですか隊長。いっそのこと広場を放棄して西に引っ込むというのは?」
「ダメだ。そうなると敵は北区からも回り込めてしまう。避難民と負傷者を抱えて、広場倉庫も捨ててそんなことをしても援軍はないんだ。それをするくらいなら西門から逃げるか、西から北の城跡地に移動した方がマシだろう。待てよ。スージー、城跡地の水路は確かまだ残ってたよな?」
「トイレです」
「は? ここでか。我慢しろ」
ウォルターの呆れ顔に、答えたスージーは慌てて大袈裟に手を振った。どうにか説明を続けつつ、その水路の位置を地図へと示す。
「ち、違いますよ。ええっと、街になったあとに作った地下水路と違って、元からあった下水管は整備とかできなかったので、飲料水に適さず。ということで、管はトイレとして利用されています。はい。つまり、あることはありますが。地下水路より長く、息継ぎできるようなところもないですし、身動きできないくらい狭いはずです。めいびー」
「先生、その中を、マイの術で加速しながら通るとかってできませんか?」
すかさずオルフが考えを話す。オルフは手を顎に当て、地図を真剣な表情で見つめていた。
「ふむ。どうだ黒沼」
「出発地点に術式を描いてしまえば、あとはマナの供給がある限り、水を加速させ続ける。息継ぎの問題と、途中遮るものがなければ」
「ジロ、地下水路の地図を出す時に下水管の地図はあったか?」
「確かあったはずですねぇ。ちょっととってきます」
ジロが地図を取りに走る。スージーはそれらの動きを唖然とした顔で見ていたが、すぐにウォルターから話を振られ、現実へと引き戻された。
「スージー、最後はどうなってる?」
「って本気ですか隊長ぉ。トイレの中ですよ!?」
「何があるんだ」
「肥溜めです。はい。農業で使うために糞尿を溜めている池に出ます。めいびー。詰まったら困るので、途中に網とかそういうのはないはずです」
「潜入のはずが強烈な臭いを持ってちゃすぐ見つかるか。いや、もう割り切って、常に闇を展開するか」
「ほ、本気の本気です? トイレですよ? 汚いですよ?」
「糞尿に縋るくらいしか、もう手段がないんだ。腹をくくれ。当然、息継ぎの問題はお前の術で何とかする。つまりお前も参加だからな」
「知ってます。知ってます知ってました。知りたくなかった」
スージーは項垂れ、しゃがみこんで頭を抱えていた。
「待って。臭いがつかないでいけるかもしれない」
「本当ですかマイさん!」
マイの言葉に、救われたかのように立ちあがるスージー。マイの方も、糞尿まみれになるのが嫌なのか、かなり真剣な様子で続けた。
「スージー、あなたは魔導砲小型版を横に並べて使ったと聞いた。あれをまず蝋を塗った布地か、大きななめし革に描いて。鹿波舞の術で、出発点から水を加速させていくと、おそらく術が切れるまでは、その勢いで汚物や溜池の糞尿を綺麗な水が追いやるはず。
最初にそれを流し、溜池で発動。その間に全員が管を抜ければ、誰も汚物にまみれず池から上がれるはず。それがないと、綺麗な水に押し流されて、全員が押し込まれてる汚物に突っ込むだけ。水を通さない大きな布状のものが、これには必須。オルフ、用意できる?」
「行けます。父さんに掛け合ってみる」
オルフが走り出そうとしたところで、オーフェンがテント入り口に現れた。その手には、仕上げたばかりの革鎧が抱えられている。届けには来たが、真剣な会議の様子に入るタイミングを逸していたようだ。
「ああ、用意できると思うよ。鎧には適さない革や端材があったから。オルフ、手伝ってくれるね?」
「うん。任せてよ父さん。多分、革の組み方と蝋を塗る箇所が大事だよ。一方から水圧を受け続けるとすれば、それを考慮してやれば小さい奴の組み合わせでもいけるはず」
楽しそうにオーフェンに続いたオルフに、ヘンリーとレティアは苦笑したような、少し寂しそうな、そんな顔を見合わせていた。マイはほっと胸を撫で下ろしたのか、さっきよりも緊張が抜けた顔で再びヘンリーの左腕へと向き合う。
転がった左腕はくっつけようとしたのだが、時間がかかるとして、とりあえず武器代わりに使われることとなっていた。
手甲やオルフが繕った革手袋で切断面をしっかりと抑え、呪いが漏れないように工夫し、肘を伸ばした形で維持できるよう木の棒と一緒にヴァンブレイスで包み込んでいる。
更に手先の手袋部分がボタンで留められており、そこを外せば相手を即死させる武器になるというわけだ。結び目や留め具をチェックし、漏れがないかを念入りにマイは見ていた。
両手で持ち上げて検分する必要があるため、ヘンリーにも、万が一漏れていたら危険なためレティアにもできない作業だった。
「これで良し。ヘンリー、ほら」
「しっかし、お前急に饒舌になったよなぁさっき。そんなに嫌だったのか?」
「そりゃそうなのよお兄ぃ。マイちゃんだって年頃の女の子なんだから」
「年頃、ねぇ」
ヘンリーは急にぼんやりと中空を見つめだした。
「……お兄ぃ、さっきの、マイちゃんの胸を思い出してるのよ? いけないお兄ぃなのよ」
「変態ヘンリー。どうしてオルフといい、ヘンリーといい変態なのか」
「え、いや俺は変態じゃねぇよ。っていうか何? オルフの奴もなんかしたの?」
「も? どういうことなのお兄ぃ」
盛り上がる三人をよそにウォルターは複雑な表情を浮かべていた。もはやこうなっては、こっそり置いていくなんてことはできそうにない。ちらりとスージーを見て思案する。ともあれ、地図を見てやれそうかどうかを考えねばならない。
「ラウロ、こっちの指揮は頼むぞ」
「はぁ、わかりましたよ隊長。俺らは、北の奴らに良いようにされて攻めるに攻められない風を装って、奴らを釘づけにしときます。向こうの思惑に気づかぬピエロってところっすね」
「そう、だな。まぁリットン司令もここまでゴブリンがやるとは思っていなかったろうが、まったく食えない人だよ」
「第三司令が? 問答無用でヘンリーを殺さなかっただけ、良かったんじゃないっすかね」
「違うなラウロ。あの人は、ここがどうなってもいいのさ。それに、俺らの作戦がうまく行けば万々歳として、うまく行かなかったらどうなると思う?」
「それは、まぁ全滅」
「しない。どうあれ43号は生き残り、ヘンリーの枷が外れる」
「あー。言われてみれば、確かに」
ラウロは目を丸くして頷いた。確かに、失敗するということはヘンリーが前に出ていようが出ていまいが、ゴブリンにやられてしまうということだ。そうなればいくら死なないとはいえ、傷を治せないヘンリーが家族やオルフが殺されたあと生き続けたいとは思わないだろう。
「そう。そうなればどっちに転んだところで街のゴブリンは撃退できる。あとから来る軍に被害なく、街を取り戻せるというわけだ。住民なんて本気でどうでもいいのさ」
「隊長が居たから云々というのは?」
「ジロから聞いたのか? で、本当に司令がそんな殊勝な人だと思うか? 生き残れば使える。死んだらそれまで、くらいにしか考えてないさ。俺のことも、ヘンリーたちのこともな」
「はぁ~、ちょっと俺には規模がデカすぎて良くわからないっすね」
「ま、所詮俺たちはそのお零れの駒に縋って必死にやるしかないのさ」
しきりにウォルターの言に頷いたラウロは、腕組みができない右腕を持て余しながら、ウォルターに向けて苦笑した。
「しかし隊長が愚痴とは、珍しいっすね」
「隊長は子供たちを巻き込んでナイーブなのです。めいびー」
不機嫌顔のスージーがウォルターとラウロの間に割り込んでくる。
「スージー、聞いてたのか」
「はい隊長。それはもう。それはもうもう。ばっちりと」
盛り上がる子供たちと、盛り上がる隊長たち。そして、それらを見守るバリーとコルは二人で隅っこに座り、こちらは全く盛り上がっていなかった。
「なんか、俺ら場違いっすよねーこれ。なぁコルー?」
「……僕、ちょっと行ってきます」
「え? どこに?」
「オーフェンさんたちのところに。僕は全然戦えないかもしれないけど、出来ることを手伝いたい、そう思うんです」
「あ、そーなん? コルは真面目だなー。まぁ俺はのんびりしとくから、いってきなー」
「はい!」
コルは元気の良い返事をして走っていった。見送るバリーはつまらなそうに脇に置かれていたかがり火を見ながら、次第にうたた寝を始めていた。
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