第05話「祭りの広場」

「ゴブリン!? くそ!」


 ウォルターの後方、東門の前へ馬は走り続けていた。その背にはもはや偽装する必要はなくなったとばかりに、ぐったりと落ちそうになっているヒエンの身体と、その後ろに一匹のゴブリンが陣取っている。

 外套の下ではボロ布を着た二匹のゴブリンが密着し、その上に一匹が座り込む形で一人の人間が座っているかのように見せていたのだ。


 混乱する頭でゴブリンを狙おうとする射手だったが、ヒエンの身体に隠れるゴブリンは狙えない。


「やっぱり馬だ! 馬を潰せ!」

 ラウロが叫びながら矢を放つ。距離的に第二射を放つ猶予はない。目の良いラウロでも狙った箇所に当てられるのは15mだった。いくら全速でないとはいえ、馬なら三秒とかからず走り切られてしまう。


 監視所から放たれた矢は三つ。そのうち二つは馬の手前へと刺さり、一本が馬の頭を射抜いた。頭に矢が刺さった馬は目があらぬ方向を向き、踏み外したかのような動作で地面へと崩れ落ちていく。


「下だ! 白兵戦用意」

 ラウロは馬のその後は見届けず、言いながら階段へと走った。乱暴に踏み板を駆け下りながら、ゴブリンが馬の転倒に巻き込まれてくれれば良いのにと願った。


 三人が監視所を飛び出した時、丁度外套を脱ぎ捨てたゴブリンが門を抜けたところだった。

 赤黒い肌に、ぎらついた大きな眼。その眼の上、眉のような大きなコブに金属のピアスをつけたそいつは一直線に戸惑っていたコルへと向かっていた。


「コル、馬を出せ! ゴブリンだ。広場に伝えろ!」

 馬の上に居たコルは迫りくるゴブリンに一瞬気後れしたものの、馬の頭を引いて両前脚を高く上げさせた。

 振り上げられた脚に怯んだゴブリンは急停止し、勢いを殺しきれずに身体が揺らぐ。コルはその隙を逃さず、よろめくゴブリンの脇へ馬を走らせた。


「馬逃げた。ボス怒る。……お前戦士か? 強い?」

 ゴブリンは二振りの剣を手に残ったラウロたちへと問いかけた。


 ゴブリンの剣は鉄板をがむしゃらに切り出したかのような歪に枝分かれした曲刀で、鍔がなく柄頭の円形の飾りと腰帯が紐で繋げられ、手放してもなくさぬようになっている。


「なんだ、こいつは。ゴブリン、なんだよな」

 これまで街の周辺で相手をしてきたゴブリンとの違いにラウロは動揺を隠せずに居たが、ゴブリンが構えるのを見て戦う覚悟を決めた。


~~~~~


「はーい。これで良し良し。もう大丈夫になりますよ~」

 広場の詰め所は大きめなテントを張った臨時のもので、迷子や怪我人から簡単な案内まで手広く引き受けていた。

 そんな中守備隊唯一の衛生兵であるスージーは、転んだ子供の膝へ消毒液を塗り塗り、にこにこ笑顔で泣き止まぬ相手をあやしていた。


 茶色のくせ毛がウェーブし、ふんわりとした肩より少し長いくらいの髪と。丸く大きい色気のない眼鏡をしていたスージーだったが、胸に宿したものは大きい。

 そのうえ身を乗り出すようにして子供の膝を診ていたので、ただでさえ大きな胸がより強調されてしまっていた。


 本人は天然なのか、そのまま子供のために左右に揺れたりするものだから、休憩中の隊員たちは目だけでそれを盗み見るという技術が上達していた。


 膝を擦りむいていた子供は未だ涙を浮かべてはいたが、鼻をすすりながら待っていた母と帰っていった。

 それを見送り、スージーは一仕事終えたと背を伸ばす。そしてそのまま後ろへ少し倒れ込むように伸びをし、さらには左右へ傾き背骨を鳴らした。


「スージー、その動きやめなさいな。みんな見てるわよ」

「はい?」

 街医者であるオーランドは咳払いをひとつ、スージーに注意を促した。横目で見ていた隊員のほとんどが、内心で余計なことをと思いはしたが口には出さない。


 野営用のテント下では椅子がいくつも並べられ、治療の待合所のようになっていた。とは言え、まだ祭りは序盤である。

 酒で酔っての喧嘩や不注意、荷崩れやらなにやら。ここが賑わうのはまだ先の予定で、今は昼交代となる隊員たちの待機場所となっていた。


 オーランドは苦笑して白髪交じりの髪をかき上げ、しわの刻まれた頬をゆるめた。


「私も昔はあんたくらいあったんだけどねぇ。なに? 胸だよ胸」

「はぁ……。ええ? やっぱり目立ちますかね」

「自分で思うより、その胸は珍しいねぇ。自分にとっちゃ普通だし、苦労の方が多いから疎ましいもんだけどさ。ま、意中の相手でも出来れば感謝したくなるよ」


「オーランドさんやめましょうよ。職務中ですし、皆いますし」

「持たざる者はともかく。持てる者はその使い方を意識しないとダメだって話さ。胸だけの話じゃないけどね。胸も、無駄にアピールしちまうってことを忘れずに気をつけな」


 忠告のようなものを受け、スージーは眉を寄せてオーランドへ向き合った。自分でも多少は気になるけれど、アピールとは心外である。


「む? 意識して動くほうがなんか自意識過剰ぽくないですか?」

「違うね。無意識に振り回してる方が、よっぽど問題さね。ま、夜道で襲われたり付きまとわれたりするのが好きってんなら、その方がいいけどね」


「いやいや、好きで大きくなったんじゃないですから! そんな言い方されると、胸が大きい人は普通にしててはダメみたいじゃないですか! オーランドさんめ! そこまで言うと、やっかみぽく聞こえますよ!」


「あっはっは。やっかみもあるけど、からかってんのさ。バカだねぇ」

「むむむ。なんて無神経な」

「ま、意地悪く言ったけどさ。自衛はしといた方がいいね。勝手に周囲の馬鹿共が発情しちまうんだから。迷惑だけど襲われるよかマシさ。私の若い頃は本当に、その辺出歩くときも気を付けないと危なかったんだからね」


「うー、なんかそうまとめられると、言い返せないんですが」

「いや、あんたの場合は自衛の武術は出来んのかね。なら、囮作戦とか? 悪漢どもをわざと釣って、ばったばったと返り討ち? いいね」


「もう、降参するのでこの話題はやめー!」

「なんだい早いね。ん?」

 そこで、守備隊員が一人テントへ走り込んでくる。隊員、坊主頭のバリーは声を張り上げ、その場に居た全員の注目を集めた。


「ゴブリンが出たってよ! 東門で応戦中!」

「ゴブリン? 懲りないなぁ。先月棍棒持ち殲滅して、しばらく安泰って話じゃなかったっけ」

「まだ他にも巣があったんじゃね。ってことは報復とか?」


「ゴブリンが報復? 似合わない似合わない。ほーふくって単語知らないから、復讐するって言いながら匍匐前進とかしそうだもん。あいつら」

「すげーありそう。うける」

 待機中の隊員たちは面白がっていた。報告に来たバリーも又聞きではよくわからず、頭を掻いている。


「で、隊長はなんて言ってるの?」

「あ、スージーさん。実はよくわからなくって。コルの奴が血相変えて走り込んできたんですけど、要領を得なくて。隊長は東門で応戦中みたいなんですけど、具体的な指示が伝えられてないんですよ」

「ウォルター隊長が?」

「そうなんです」


「それは、変。あのウォルター・カイルが指示を飛ばす余裕がないってこと? コルはどこ?」

「今こっちに向かってまーす。一応議長も呼んでますけど、どします?」

「とりあえず全員戦闘準備、かな」

 腰に手を当てた眼鏡娘スージーの発言に、周囲の隊員は一斉に声をあげた。


「えー、まじかよぉ。祭りだぜ?」

「ゴブリンに全員でかかる必要なんてねーよー」

 口々に不満を漏らす隊員たちは、椅子にしがみ付く動作で動きたくないとアピール。


「万が一に狙われるのは女子供なんだから、皆がしっかりするの!」

「スージーさんが臨時隊長やるんすかー?」

「気が進まないので、この中に私以外に士官学校を出ている人がいるなら譲りたい!」


 スージーは言ってはみたが誰も返事をせず、その場は静かになってしまった。坊主頭のバリーが仕方ないとばかりに言葉を繋ぐ。


「……誰もいないでーす」

「ですよね。知ってます知ってました。というわけで。臨時に私が指揮を執りますので、全員起立。装備を整え次第一旦集合で、お願いします」


 口が悪く厳しい隊長より、このゆるくて可愛い隊長が良いとこの場の多くの隊員たちは思ったが、口には出さなかった。

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