第04話「接触」
祭りの喧騒を遠くに、快晴のもと地平線をのんびりと眺める監視所があった。東門の右側に備えられた木造の建造物で、先の大戦で崩れた石垣に間に合わせで建てられたまま、造り直されることなく使われているものだった。
最上階では守備隊の革鎧を身に着け、肘をついて眠そうに街道の先を見ている男が二人。
どちらも守備隊の一員で、角刈りで太い唇をしたのがラウロ。金のロン毛を真ん中分けにした垂れ目がちな男がユン。二人とも今朝の騒動がなければ非番となっているはずの隊員だった。
「聞いたか? ロナンのとこ。米しかないからって米を潰して焼いたらしいぞ」
「聞いた聞いた。犬猿のパン屋に土下座したらしいじゃん? でー、それってうまいの?」
「そこそこいけるらしい」
「ほー、んじゃ午前の監視が終わったら行ってみっか」
「おめーらだらけ過ぎだ。まだニコとヒエンの馬が戻ってないんだぞ」
見張りの二人へ、むき出しの木造階段を登ってきたウォルターが話しかけてきた。
簡素な造りをした監視所は、この見張り台と一階の矢や石弾を貯蔵している倉庫、そしてそれを繋ぐ階段だけというシンプルな構造だった。
「あ、隊長。だってお祭りですよ? ちょっと通りを進めば、飲めや歌えの宴会騒ぎだっていうのに、こっちはずっと変化のない街道を見てるだけ。やる気出るわきゃねぇっす」
「そうそう。風向き次第じゃここまで良い匂いがするんだこれが」
「お前らなぁ。祭りだってのに港から客が一切来ないんだ。港で何かあったのは確かだろう。それにだ。本当に何かあったのなら、交代してのんびり露店めぐり、なんてこともできないが、それでも良いのか?」
「そりゃ勘弁っすよ。お、戻ってきたかな」
目が良く何かと隊長から物見に使われてきたラウロが地平線、正確には街の前から緩く続いている丘の上に現れた黒い点に気が付いた。
「ついに厳戒令も終わりか。ってあれ? 一騎?」
「ラウロ、見えるか?」
「いやまだ遠いっすよ隊長。でも、一人じゃないっすね。鎧は着てるからニコかヒエンのどっちかっす。ただ、後ろに誰か乗せてるみたいっすね」
少しずつ大きくなる点をラウロは目を細めて読み取った。ウォルターも一緒にいたユンも、点が一つということしか見て取れない。
「何もなかったってわけじゃなさそうだな。とりあえず警戒態勢。ユン、出迎えろ。ラウロ、気づいたことを逐次報告してくれ」
ウォルターは指示を出し、ユンと共に下へと降りた。一階となる貯蔵庫フロアでは他に三人の隊員が横になり仮眠をとっていたが、ウォルターは一人ずつ肩を叩いて起こし、軽い状況説明を行った。
「隊長! 後ろに外套を羽織った人物を乗せているみたいです。顔は見えず。あの革鎧は、ヒエンっぽいっす。負傷しているのかも。顔をあげません」
「後ろが盗賊の類かもしれん。脅されている可能性もある。周囲警戒。コル、伝令にすぐ出られるようにしといてくれ。保護しただけってのもあり得るが。衛生兵は、スージーか」
上からの声に答えつつ、ウォルターは女性隊員である眼鏡のスージーを思い浮かべるも、この場には見当たらない。その代わり、女性のように小柄で金のおかっぱ頭なコルが隊長に答えた。
「スージーさんは確か、広場の方に詰めているはずですよ。ほら、転ぶ子供とか多いから」
「医療系は人手が足りんな。ああ、コルは伝令で転ばないでくれよ?」
「流石に転びませんよ、もう」
「となると、他に医療の心得があるのは俺だけか」
「おお、隊長すげー」
「伊達に上級士官やってねぇっての。ユン、それよりもうちょい緊張しとけ」
会話を交えつつウォルターは装備をそれぞれに渡し、ユンとコルを連れて外に出た。あとの二人は監視役のラウロの分も弓を持って上へと向かわせる。
東門の扉は開け放たれており、長いこと閉じたことがなかった。丸太とまではいかないが、いくつかの木材を合わせて鉄で打ち留めてある重厚な扉だ。
有事の際には頼りになるはずだったが、今では下が土に埋もれかかっていて、何か起きたとしてもその重さからすぐに閉じることはできそうになかった。
ウォルターは舌打ちひとつユンを迎えに出させ、コルが馬に乗るのを手伝った。コルは戦闘に出られるほどの体格でないため伝令にと考えての指示だったが、馬にも一人で乗れなかったとは。
まだまだ隊員の把握が足りていなかった、とウォルターが考え込んでいるとラウロが声を荒げた。
「ヒエンの様子がおかしいっす!」
「具体的には!」
「ぐったりしてて、手綱も持ってるだけって感じです!」
「……良い予感はしないな。ラウロ、射手を任せる! 全員戦闘準備! 手前で止めるぞユン」
ウォルターはユンと共に馬を待ち構えるべく、東門から出て10mのところまで前に出た。ユンを更に前方へ行かせ、自身は周囲に目を配るべく少し下がる。
部下たちの練度だと弓でしっかりと狙えるのは10mがやっと。それを考えての配置だった。
「おーい。そこで止まれヒエン! うしろのは誰だ! っておいおいおい」
手を振りながら呼びかけたユンを無視し、馬は速度を緩めず進んできていた。
「射手! 馬を狙え!」
ウォルターが監視所に叫ぶ。ようやくウォルターにも詳細が見えてきた。
相手は確かに荷馬車を見てくるよう送り出したヒエンだったが、その眼は虚ろで馬の上下で首を揺らしていた。
手も手綱を握っているというより縫い付けてあるかのような、垂れ下がって揺れる腕に手綱がつられて動いているように見える。
「ユン、抜刀しろ!」
言いながら抜刀したウォルターが手にするのは細身の片手剣である。両刃の鋼鉄製で装飾が少なく、実利のために無駄を排した造りとなっていた。
これはウォルターの私物であり、守備隊ではユンが言われて引き抜いた、片刃でアームガードのあるサーベルが一般的なものだった。
「くそ、なんだってんだよ」
速度を緩めない馬に悪態をつきながら道を開けたユン。しかし、横に避けた動きに合わせるかのように、馬の背、外套から何か小さな塊が飛び出してきた。
向かって来る馬とヒエンに気を取られていたウォルターも、避けて不平を言っていたユンも、最初それが何なのか真剣に考えてすらいなかった。
後ろの誰かの荷物か何かが落ちた程度の認識だったし、地面で跳ねたのも落ちた衝撃からだと意識に留めず馬を目で追っていた。
ちょっとした木箱ほどのそれが自分にぶつかってきて、はじめてユンはそれを見た。
「え?」
ぶつかった衝撃、だと思っていたものが。じわりじわりと痛みと熱さとなって、ユンは胸に突き立てられた短剣に気が付いた。そしてその上に位置する、大きく感情の読めない眼と目が合った。
「なんっ……だ、これ!」
ユンは叫びながら、それ――ボロ布をかぶったゴブリンを払いのけ、よろめきながらサーベルを前へ。目の前の脅威を遠ざけるつっかえ棒かのように突き出した。
ユンの突然の叫びにウォルターは馬を避けつつ事態に気づく。そしてウォルターの目の前でユンのサーベルは弾かれ、懐に入り込んだゴブリンはユンの腹へと飛びついて何度も何度も短剣を突き刺した。
ユンが力なく膝を折り口から真っ赤な泡を吹いて、ウォルターに助けを求めた視線を送る間も。短剣は絶え間なく刺されては抜かれ、抜かれては刺された。先程のヒエンのように、その首が、短剣の動作に合わせてゆらゆらと揺れる。
涙の流れるユンの顔を、のんびりと眺めている時間はウォルターにはなかった。すれ違いざまに馬からもう一つの荷物が落とされていたからだ。
落とされた荷物が地面を蹴る音に、咄嗟に剣を振るったウォルター。
運よく、それは飛びかかろうとしていたゴブリンの軌道と重なった。軽い金属音を立て、ゴブリンは短剣でそれを防ぎ、後ろへと飛び退った。
振り返ったウォルターは命を拾ったと感じていた。
目の前のゴブリンはボロ布を被り、短剣を手にこちらを睨んでいる。ユンのほうに意識を奪われていたが、見ていたからこそ音だけで警戒できたのだ。
もう少しユンと近ければ不意打ちを食らっていただろうし、振るった剣が良い位置でなければ自分もユンのようになっていただろう。
「ゴブリン、か」
その動揺から何とか戦闘へと気持ちを切り替えつつ、震えた声をあげる。
ボロ布を被った小さなそいつは、フード代わりの布からヒトからすると不釣り合いなほど大きな目をこちらへ向けている。
赤黒い肌に、大きな目、とがった鼻。眉はなく、眉代わりと言わんばかりに、目の上の肉が盛り上がっていた。
「鉄板の鎧。東大陸のゴブリンか?」
ウォルターは、そのゴブリンが胸当て替わりに鉄板を首から吊り下げているのを見て取った。
普段自分たちがこのあたりで相手をするゴブリンに製鉄技術も、鉄を利用するという発想もない。よくて棍棒に拾った石をくくりつけるくらいの相手だ。
「良い反応。良い戦士。種馬。種馬」
「生け捕り。生け捕り」
ユンから離れたゴブリンも横へと並び、口々に好き勝手な事を言い始めた。
「ゴブリンごときが、調子に乗るなよ」
ウォルターは片手剣を握り直し、二匹のゴブリンと対峙した。
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