第23話「父親」

「そうか。それは、辛い目にあったね」

 優しく包むような、穏やかな声が響いた。


 オルフの父、靴屋のオーフェンは作業に使っていた拡大鏡の片眼鏡を外し、やわらかで垂れ気味な目を余計細め、そっとオルフとヘンリー、レティアを抱き寄せた。


 場所は広場脇の露店のひとつ。祭りで革製品の調整やなおしを行う予定だったところだが、そこには多くの革製品や素材が運び込まれており、志願者への急造の革鎧を仕立てる作業場となっていた。


 オルフだけはヘンリーが起きる前に一度顔を出していたが、三人はウォルターに連れられオーフェンの元へとやってきていた。事情を聴いたオーフェンは、それだけ言うと、ゆっくりと力強く子供たちを抱きしめている。


「悲しいことが、たくさんあるね。悲しい時は、素直に泣きなさい。それが許される時だよ、今は。よく頑張ったね」


 その手は長時間硬い革へ針を通していたのもあって、あまり力が入っていなかった。それでも、その抱擁はオルフ、ヘンリー、レティアの心に響いた。オルフは身をゆだね、レティアはしがみついている。


 ヘンリーは最初こそ軽い抵抗をしたものの、今では左手に気を付けながら、されるがままになっていた。

 その光景を一歩下がってみているウォルターは心中複雑だ。預かっていた子供をそんな目にあわせてしまったというのも負い目ではあるし、この光景を喜ぶ自分も確かに居た。居心地悪く、思わず隣で同じように見ているマイへと声をかける。


「お前は、父親とかいないのか?」

「鹿波舞の血縁上の父はいる。そもそも鹿波シリーズは東方の戦利品のひとつ。連れ去られた姫の末裔。籠の鳥。よって一般的な親子の縁はない」

「それは、なんだ。悪いことを聞いたな」

「吸血鬼よりまし」


 その一言にウォルターは目を丸くしてマイへと振り向いてしまった。マイ自身は何事もなかったかのように無表情を貫いているが、ウォルターにとってその言葉は辛辣な物言いだった。


「……お前、澄ました顔で意外と言うな。っていうか、その口調はわざとか? 何気にあれこれ考えてるだろ」

「公務中は兵器。それが鹿波舞」

「ってことは普段は違うと。なんだ、人間兵器アヌラグロワールも思ったよりは人間なんだな。ああ、いや。今のは忘れてくれ。俺は必要なら、お前に死ねと言う立場だ」


「ウォルター・カイル。あなたも、月夜の死神というとてもかっこいいニックネームの割には間抜けた感じ。というわけで今のは忘れて。鹿波舞は必要なら誰でも殺す人間兵器」


 何か言い返そうとしたウォルターだったが、口を開いたものの、何も言わずに苦笑で済ませた。言われたことだけを何も考えずにこなすだけかと思ったが、マイへの認識を少し改め、今の言われようは授業代と考えることにする。


「オーフェンのおっちゃんも、無事で良かったよ。な、オルフ」

「……うん」

 ヘンリーの両親を考え、遠慮がちにオルフは頷いた。


「おっちゃん、オルフの奴凄かったんだぜ? 俺が取り乱してダメダメになってたのを殴って止めて、そのうえ部隊を動かすくらいの作戦をぱっと思いついてさ!」

「オルフが? それは凄いね」

「や、やめてよ。僕は必死だっただけで」


「でもその作戦のおかげで、どうにか低層区からゴブリンは追い出せたし、いっぱい助けられたし、レティアだって。オルフのおかげだよ本当」

「結果オーライなだけだよ。それに、そのせいで」


 オルフは言いかけて、ヘンリーの腕に目がいってしまった。進言によって下を切り捨てたことも、ヘンリーの怪我も。一度考えると気になってしまう。


「だー、何度も言わせんなよ。俺はお前に感謝してんだから。この腕とか怪我のことは自業自得だし、むしろそれでレティアを助けられなかった方が俺は嫌だったって。だからお前が気にしてたら、あれだよ。なんだ。俺の感謝の気持ちっつーのを、軽く扱ってるっていうか」

「蔑ろにしてる?」


「そう、それだ。それしてるってことになるから、もうやめろって」

「ふぅ。ヘンリーは頑固なんだから」

「お前が言うのそれ?」


 二人はオーフェンの腕から離れ笑い合った。それから、二人は一人離れずオーフェンの腕の中で震えているレティアに気が付いた。レティアは息をするのも大変そうに泣き始めている。


「レティア?」

「どうした?」

 心配そうに駆け寄る二人にレティアはしばしの間泣き続け、ぽつりとぽつりと声を出した。


「……お兄ぃが無事で、良かった。レティも、助けてもらえて、良かったのよ。でも、でも。お父さんも、お母さんも、レティ、何もできなかった。……何もできなかったのよ。レティ、約束したのよ。お兄ぃと、助けに戻るって。なのに、なのに。怖くて、言えなくて。うぅ」


 レティアの語りに、オルフとヘンリーは顔を見合わせる。あのあとゴタゴタしていたのもあったが、レティアに辛いことを思い出させたくなかった二人は、ヘンリーの両親について聞かないようにしていたのだ。


「二人は、どう、なったんだ……?」

「うぅ。わか、わからないのよ。お父さんは、レティを逃がして、あいつらと。あいつらいっぱいいて。レティを守ってくれたのよ。お母さんは、一緒に逃げたのに。うぅ。レティを、穴から逃がして、音が。すごい音がしたのよ」

「すごい、音?」


「もう、いいんだよレティア。よく言ってくれたね。頑張った。頑張ったよ。えらいぞ。あとは、皆で頑張るから。だから、もういいんだよレティア。頑張らなくていいんだよ」


 オーフェンはなおも聞き出そうとしていたヘンリーを制し、レティアをしっかりと抱きしめる。その背中を一定の間隔で優しく叩きながら、落ち着くようゆっくりと言い聞かせた。


 しばらくするとレティアは泣きやみ、そのまま安心したのか寝息をたてはじめていた。もともと寝ていたところを起こしていたのもあって、身も心も疲れが溜まっていたのだろう。


「俺、もし二人が生きているなら、絶対助けなきゃ」

「僕も、行くから」

「いや、お前は別に」

「行くから」

「やっぱりオルフこそ頑固だろ。ま、お前が居ると助かるけどな」


「何の話だい?」

「そこからは俺から話しますオーフェンさん」

 二人のやり取りに首をかしげていたオーフェンに、ウォルターが近づいてきて言った。


「あ、先生。じゃぁ俺はレティアを寝かせてきます」

「僕も行くよ。あ、父さん。木箱置いておくけど、これヘンリーのだから」


 ヘンリーはオーフェンからレティアを受け取り、左手だけは触れないように抱きかかえ、寝具のある元診察所へと向かった。オルフと、あまり離れる気のないマイがこれに続く。


 ウォルターはこれから敵将を討ち取りにいかねばならないということを、機密に触れない程度でオーフェンに説明し始めた。

 建前上ヘンリーとマイの参加は不可欠となっていたが、そうなれば責任を感じているオルフもついてくるだろうこと、そして自分は彼らを置いていくつもりだということを。

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