第22話「最悪の目覚め」
粉っぽい汗臭さ。むせ返るほどに濃いそれに、意識が浮上したばかりのマーティは思わず声を漏らした。
過去覚えている中でも最悪な目覚めだ、と鼻を押さえようとしたところで手が動かないことに気づく。
代わりに響いた擦れたような金属音と、視線の先に見えた鎖で、目覚め方なんかどうでもよくなるくらい最悪な状況だというのを思い出した。
「フーッ、フーッ、フーッ」
急激に早くなっていく鼓動を抑えようと、意識してリズムを整えた呼気を繰り返す。周囲は、どうやら労働区の民家のひとつだろうか。
土壁と、そこへ立てかけられた藁のベッド。梁に縄で下げられた野菜などが見て取れる。囲炉裏の火は消えており、少し肌寒い。
落ち着いてきてから身体を見れば、上半身は裸で両手を鎖で引き上げられているようだ。鎖の先は梁をまわされ、杭で壁に打ち込まれていた。
次に身体の確認をする。右手は痛みが強く、動かせるのは親指と人差し指のみ。あとの指がどうなっているかわからなかったが、何本かは切り落とされていたはずだ。
次に頭、後頭部がずきりと痛む。こちらはおそらく気絶した直接の要因だ。心配していた膝は問題なく動かせそうで、両手は鎖を巻かれ引っ張り上げられていたが、脚には何の拘束もなく動かすことができた。
「なんだって脚を放置して……っとやべ」
思わず独り言が漏れ、すぐに口を
今がたまたま手薄なだけなのかどうか、気絶していたマーティにはわからない。しかし、例え罠だとしても、この機会を逃すわけにもいかなかった。頭にあるのは、自分の身より、子供たちの安否確認だ。
マーティは腕を振り、鎖の強度を確かめる。流石に手の力だけで杭を抜くのは無理そうだったが、脚が自由になるなら身体ごと揺らし、体重と遠心力で抜いてしまえばいい。
脚で地面を蹴り、鎖にぶら下がって身体を揺らす。鎖が巻きつけられた手首に負担はかかったが、その程度で済むなら安いものだ。
ほどなく土壁が崩れ、杭が抜け落ちた。身体を鎖に預けていたマーティは、土がむき出しとなった地面へと放り出される。
素早く立ち上がり右手を確認したマーティは、小指と薬指がなくなり、中指も腫れて動かないのを知った。
利き腕がこれでは布かぶりほどの相手どころか、数匹のゴブリンに囲まれただけで厳しいかもしれない。マーティは手首の鎖を左だけ解き、右の鎖を巻き取ってまとめて肩にかけた。
民家の出入り口は引き戸となっており、年季が入った戸板は端が欠け、隙間風が吹いている。
音に注意しながら、マーティはそこから外を窺った。外は夕闇が濃くなり、立ち並んだ向かいの民家がシルエットとなって見える。
入口は道に面しているようで、目に付く道は土がむき出しで、ところどころに水たまりが出来てしまっていた。道に面していなければ思い切って出るのも考えたが、左右の見通しが良いとなるとそれは難しい。
「何遊んでる?」
微かに声が聞こえた。マーティは顔の角度をかえ、道の左右を見る。
そして左の水たまりの一つ。こちらから見て民家三軒分くらい先に、ゴブリンが二匹水浴びなのか泥遊びなのか、ともかく固まっているのを見つけた。
ぎりぎりその左に微かな影が見え、どうやら一匹が水遊びをしている二匹に文句を言っているようだった。
「泥気持ち良い」
「ひんやり。楽しい」
「見張りは、どうした」
「してる。ここからでも見える。あそこ」
「見える。安心」
「ボスに言う」
「どうして。ダメ?」
「イワン。告げ口。多い」
「告げ口違う。報告。布かぶり戦利品。重要」
遊んでいた二匹は注意をされたからか、動き回るのをやめていた。どうやら注意しているのは上位者らしい。
あの布かぶりだったら最悪だと状況を見守っていたマーティは、そのゴブリンがこちらに向かってくるのを見て戸口の脇へと身をひそめた。
「ここ。ここ」
「戦士。殺すのダメ。つまらない」
戸が横へとずれ、完全に開かれた。そのあと、イワンと呼ばれたゴブリンが入り、泥だらけの二匹が続く。
「いない。間違えた?」
「あれ。おかしい」
「いや、鎖ある。ここだ」
マーティは逃げてしまうか迷っていたが、泥をかぶった二匹の動きが安定しない。
キョロキョロと周囲や後ろを見たり、背中を掻いたりしているせいで、見つからずに逃げられるか微妙なところだった。
「あ」
その、身体を掻いていたゴブリンと目があった。丸く大きな瞳孔が猫の目のように細まる。考えている余裕はなかった。
マーティは右手に巻きつけた鎖とその先を身体の横で一回転させ、遠心力を付けた鎖を上から振り下ろした。
こちらを向いていた泥まみれのゴブリンは反応できず直撃。空気を切る軽い音と一緒に頭をへこませ、その場へ突っ伏した。
「なに?」
次に反応した隣の泥かぶりへ、一匹目で弱まっていた鎖を逆回りに回転させてからぶつける。
斜め下からすくい上げるような軌道で、のびた鎖が顎を砕く。しかし衝撃で身体は浮かせたものの、顎の破壊によってエネルギーが尽きた。体重が軽いのもあってか、木の葉のようにとまではいかないものの攻撃力は削がれてしまったようだ。
浮き上がったゴブリンが腰の剣へ手を伸ばしかけているのを見て、マーティは即座に止めを刺すことに決めた。鎖を戻し後ろへ振るう。
今度は先程のようにならないよう、上から振り下ろすため少し時間を食った。後ろへ倒れ込んだゴブリンは立ち上がり、剣を構えている。
マーティは走り込まれると鎖では対処できないため、相手が様子を見ているうちに攻撃に出る。回転させていた鎖を上から振り下ろす動作。
ゴブリンはそれに対し、剣を上へ出して防御しようとしたが、それが逆効果となった。
鎖は剣にぶつかり、そのまま剣を支点にして屈折。ゴブリンの頭頂部へと、より強い勢いとなって襲い掛かる。
鈍い音がしてゴブリンの目が上を向いた。そのまま、固まったかのように前方へと倒れるゴブリン。マーティはそれを見届けず、もう一匹のゴブリンへと向き直り、鎖を回転させた。
「待て。やめろ。戦士。殺さない。抵抗するな」
「ゴブリンが、命乞い? 変わった奴だなぁてめぇ」
「副将。えらい」
「お前が副将?」
鎖を振り回しながら、マーティはそう言い張るイワンと呼ばれていたゴブリンの顔をまじまじと見ていた。
しかし、いくら見てもゴブリンの顔色なんてわかるはずもなく、すぐに読むのを諦めた。赤黒く、ぼこぼことしたゴブリンの顔など見ていて面白くもない。
「本当か? お前みたいな腰抜けが副将? 信じられねぇな」
「本当。頭良い。計算得意。ボスの右腕」
「計算、か。そいつはまぁ、よっぽどお利口なんだろうな。俺は苦手だ」
「そう。他とは違う。優秀」
「んで、お前を殺さないでおくメリットは一体なんなんだ?」
マーティはわざとイワンの鼻先へと鎖を振り、相手を威圧する。
マーティは鎖を手首で回していたため、スナップでの衝撃緩和ができず、既に右腕は悲鳴をあげていた。しかし今はそんな素振りすら見せるわけにはいかない。
「俺殺す。すぐ仲間来る。殺される。俺生かす。戦士は大事。生け捕り。殺されない」
「戦士が大事? どういうことだ」
「戦士。種馬。優秀なゴブリン、生む種」
「……はぁ?」
マーティは言われた意味をすぐには呑み込めず言葉が詰まった。数秒かけてアレのことか、いやまさかと何度か頭を回す。
「まじで、言ってんのか? そんなことしてんのか、お前ら」
「そう。優秀」
「お前も、まさかそうなのか?」
「違う。ボスがそう。強い。頭良い」
「本気かよ。いかれてやがる。ってことは何か? 俺がこのまま大人しくしてると、ゴブリンのメスと、させられるってことか?」
「そう。名誉なこと」
言い切るイワンにマーティは何かを言いかけてやめ、ため息一つで話を変えることにした。
「名誉であってたまるかよ。で、他の子供は? 確かお前ら、俺を捕まえる時、子供も殺さないとかなんとか、言ってたよなぁ」
「子供、高く売れる。補給、数字。そっちが得。狼、物好き」
「狼? ワーウルフだっけか。北東の大陸に住んでる奴らだよな。んで、ここの子供たちも捕まってんのか?」
「多分。部下、好き勝手。多い」
「たぶんだとぉ? くそ、いう事くらいしっかり聞かせやがれ。よし、イワンとか言ったな。お前、子供たちのところに案内しな。そうしたら殺さないでおいてやる」
マーティは言いながら、左手で落ちていたゴブリンの剣を拾った。よく見れば、イワンとかいう副将様は、武器すら持っていなかった。
そんなことすら見落とすとは焦りすぎだなと、自分に言い聞かせる。子供たちが無事でいて欲しい。
はやる気持ちは大きかったが、それに振り回されると殺されてしまう。ここは慎重にならなければ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます