第8話 凄まじき威光 ~禍退治にて~
乱雑な一閃が、生物の形をしたものを強引に真っ二つに断ち切った。
銅を放たれ慟哭する怪物を、間髪入れずに横に一閃。四つの破片に分断した化け物は、黒い霧になって空中で霧散した。
獲物を葬り去った双剣を振るい、陵弥は激しい動悸にえづきそうになる喉を鳴らす。
取り囲む山林の木々は太く、枝葉は覆い被さるようにして陽光を隠す。生い茂る自然の陰に隠れるようにして、充血しきったような真っ赤な瞳が、幾つも瞬いて陵弥を睨んでいた。
陵弥が相対するのは、巨大なイタチの姿をした禍の群れだ。人間大の大きさにまで肥大したイタチの貪欲な気配は、未だ終わる気配を見せない。
『陵弥、ソイツは分身だ! 構うだけ無駄だぞ!』
叱咤する貴之の声が、いやに遠くに聞こえる。自分の鼓動が、鐘のように聴覚を苛み続けている。
それでも、獲物の音だけは逃さない。
「『呪縛』!」
後ろになびく三叉の呪符を伸ばし、後ろから首筋を狙って飛びかかる禍を捕縛する。
『ギィ――ッ!?』
魔封じの能力を内包する呪符に捕らわれ、イタチの体が苦しげに軋む。飢えと暴力の象徴のような鋭い牙が開かれ、獰猛な涎が糸を引いている。
その中心。陵弥は口腔に狙いを定め、一突き。喉を突き抜けるようにして、イタチの腹を突き破った。
また一つ絶命の感触を感じ取った陵弥は――間髪入れずに、双剣の一方を、後ろに投擲した。
ほんの僅かな、茂みの擦れる音を関知した攻撃。木々の陰に隠れたそこに剣が飛び、ちぎれるような動物の悲鳴が上がる。
陵弥は剣を結ぶ呪符を引く。釣り上げるように、腹に剣を突き刺したイタチが宙を舞う。
陵弥は残る一方の剣で、飛来したイタチの首を断った。瞬く間に葬った二体の獣が、陵弥の足下で黒い靄となり、消えた。
どろりと重たい靄が消えていくのを、陵弥は興奮して小さくなった瞳孔で見る。
「っ……はぁっ」
荒い息を吐いて、頬を伝う汗をぐっと拭う。
息が浅く、胸は激しく上下している。必死の形相は、明らかに消耗していた。
耳に入れた通信機から、危機迫る貴之の声がする。
『いくらでも居やがるな……! 陵弥、大丈夫か?』
「おう……大丈夫だよ。俺が負けるもんか」
『おーおー、頼もしいことで……子分と幾ら戦ってもジリ貧だ。あんまり長引かせるなよ!』
「だったら、さっさと親玉見つけろっての!」
威勢良く応じると、陵弥は獲物を探し、森を駆け抜ける。
その、次の刹那だった。
「っ――!」
突然。凄まじい気配を感じて、陵弥は足を止める。
『陵弥、ちょうど発見だ! スゲエ勢いでそっちに――』
貴之の通信が耳に入ったのと同時。先ほどのより大きく獰猛な地を蹴る音がして、巨大な顎が陵弥に飛びかかった。
「ぐっ!」
獰猛な牙を、交差した剣で受け止める。火花が散り、野生の刃はせき止められ――しかし威力は、止まらない。
突進をまともに受けた陵弥は弾き飛ばされ、弾丸のように跳ぶ。
「クソッ!」
呪符を伸ばして、左右の木々に巻き付ける。ぐんっと体が引っ張られる感覚。呪符を強引に伸張させ、バンジージャンプの要領で勢いを殺す。
しかし、即座に襲来した影が、中空に留まった陵弥の銅に目がけて再び突撃した。
陵弥も二度双剣で応じるも、巨大な獣の威力は衰えない。体を支えていた呪符がちぎれ、陵弥は身を仰け反らせて宙を飛ぶ。
吹き飛んだ先に木々はない。陵弥はまた空中を跳ねて体制を整え、円形状に開けた大地の、若草が茂る芝生に着地する。
直径百メートルほどの広場。その広さと、顔を上げれば見える山の位置から思い出す。五日前。巨人との戦闘がここで行われたのだ。
”あの女”のド派手な一撃の、爆心地。記憶では焦土だったそこには、もう若草が萌えている。春の暖かな気候とは言え、あり得ない成長速度だ。世界の素である霊素の充満は、こういう所にも影響を与えている。
その開けた場所に、陵弥を吹き飛ばしたソイツが、のっそりと姿を現した。
二回りは大きい姿は、目線だけでも陵弥を越す。全長は五メートルはあるだろう。飢えにぎらつく瞳にも、どこか気品と風格のようなものを感じさせる。野生にしてはというだけだが、毛並みは長く、艶やかな光沢を放っている。
群を統率する頭領だと、即座に理解できる。欲望を露わに唸る子分とは違う、知性と理性を根底に宿した、冷ややかで刃のように鋭い眼差し。
眼前に据える陵弥を、獲物ではなく、敵として捉えている。
付き従うように、子分も続々と姿を見せた。その数、合計八体。
獰猛な飢えの合唱が、陵弥の鼓膜を煩わしく震わせる。
…妖体ではなく、憑き物かもな、と、少しだけ思案する。霊素の集合体ではなく、山を駆け回る普通のイタチが、霊素に当てられて凶暴化したのかもしれない。
だが――それがどうした。
なるほど化物だ、確かに恐ろしい。体躯は巨大。性質は凶暴。禍々しい異形は、人の魂など容易にかっ喰らって見せるだろう。
だが……そんなもの、もう見飽きた。
三年間、傷を負い力を付け、数多の禍を葬ってきたのだ。
この程度、最早臆するにも値しない。
「さっさと、消えろ――」
双剣を打ち鳴らし、切っ先を真紅の両目に突きつける。
三年間。自分は戦い続けているのだ。
こんなもの――所詮、露払いにしかならない。
葬って、それで終わり。
溢れるほど蹴散らそうが――何の足しにもなりはしない!
「俺の目標は――テメエの後ろにはねえんだよ!」
叫び、鈍色を煌めかせて躍り掛かる――その瞬間。
今にも飛びかかろうとしたイタチの群をかっさうように、金色の波動が横凪に突撃した。
イタチ達は、突然の襲来に蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。方々に跳ねる、その内の二匹が、凄まじい金色の奔流に飲まれて一瞬で消滅した。
圧倒的なエネルギーの余波に顔を押さえながら、陵弥は捉える。その奔流の先頭に乗ったミリアは、陵弥の視線に気がつくと、不敵な微笑みを浮かべてみせた。
バチッと激しいスパークを弾かせて、急上昇。金色の光が、天高く登っていく。
僅か数十メートル上空に、恒星が生まれたようだ。凄まじい勢いで増していく輝きが、エネルギーを充填しているのが伝わる。
「っ――美味しいとこばっか、持って行かせるか!」
陵弥もまた、火がついた。両手の鋼を打ち鳴らし、邁進する。
イタチの群は突然の出来事に狼狽し、隊列が乱れきっている。ただ親玉は既に立ち直り、陵弥に向けて荒々しい乱杭歯を見せている。
狙うなら、今だ。走る速度を緩めず、陵弥は巨躯に向けて、双剣の一方を投擲する。
親玉は当然、横飛びで回避。陵弥は呪符の綱を引いて剣をたぐり寄せながら、残りの一本で着地の瞬間を狙う。
しかし陵弥の一撃は、野生の伸脚性に劣った。剣劇はイタチの尻尾を掠めただけで、チリ、という毛皮を削った感触が陵弥の手に残る。
振り向いたそこに、乱杭歯で覆われた巨大な口腔が覗いていた。
「っ――!」
息を飲み、跳ねるようにそこから跳ぶ。バチンッと裁断機のような音を立てて、顎が虚空を噛み潰した。
「こっの……大人しく、しやがれっ!」
咄嗟に呪縛を飛ばし、捕縛を狙う。
だが親玉は、その狙いも想像も跳ね除ける反射でもって、未だ崩れたままの陵弥に飛びかかった。
消えたと錯覚してしまうほどの、超常の二連撃。
しまったと、その気づきが、一瞬で後悔に変わる。
身の毛もよだつ牙の連なりが、今度こそ、吸い込まれるように首筋に近づいていく。
(嘘……マズっ、た……?)
スローモーションになる視界一面に、禍々しき死が広がっていく。混沌とした闇に縁取られた獣が、魂を捕食せんと迫る。
陵弥は、動けなかった。
ただ広がっていく口腔に目を剥き、貪欲な生暖かい息に背筋を震わせ。
次の刹那に、それら全てを閃光が掻き消した。
滞留する時間を切り裂くように、金色の雷が天より飛来し、化物の口を串刺しにした。
急激に開けた視界、その眼前に、針のように硬質化した光が真一文字に伸びている。
ミリアの攻撃……それも自分を助けるために、先んじて投じられた物であることは、すぐに知れた。
顔を上げた、上空。巨大なクレバスが天を裂く、青と透明のキャンパスの上で。
金色の巨大な剣山が、蕭然と直下を見下ろしていた。
「ドラゴニア、『
ミリアの号令で、針の形を成した光が、一斉に射出された。
空一面を輝きで覆うほどの硬質な金色のベールが、大地に次々と突き刺さる。
陵弥の呻きも、異形の断末魔もかき消す、金の豪雨。地面を穿つ衝撃が、陵弥に膝を着かせた。
衝撃に塞がりかける視界に、金の針柱が次々と突き刺さる。
ものの数秒で、広場一帯は、金色で埋め尽くされた。
禍の影はもうどこにもなく、綺麗に陵弥の周囲だけが、地面の若草を見せている。
上空に浮遊していたミリアは、周囲を一通り確認すると、ゆっくりと陵弥の眼前まで接近した。
パチンと指を鳴らすと、黄金の針が光の粒子になって霧散していく。
光の星屑に囲まれながら、ミリアは頭上から、舐め着けるような目で睥睨した。
「まぁ~ったく、何を油断してるのかしら? 今のは本気で危なかったみたいだけれど?」
「……すまん。助かった」
「え? 何? 聞こえないわよ。おかしいわね。ここはとっても優秀な霊装士”第一項補”様に命を救われた凡夫による、アタシへの感謝賞賛アーーンド賛美の言葉がカーテンコールのように響くシーンのはずなんだけどな~。おかしーな~」
「ああもううっさいな! はいはい助かったよありがとう!」
「うんうん、いい鳴き声をいただきました。これで貸し一ね。ま、勝利は既に、アタシが何十も勝ち越しているわけですが! あーーっはっはっは!!」
「ぐ、ぬ、ぬ……っ!」
自信満々な声が森に響きわたる。高笑いが耳に痛いが、事実なので何も言い返せず、陵弥は唸る。
「あー、でも大丈夫? あの程度の雑魚に手間取っているようじゃ、霊装士なんて夢のまた夢なんじゃないかしら? というかアンタが先に討伐対象のゴーストさんになってしまわないか、アタシは不安と期待とワクワクで夜も眠れないわ!」
「期待すんなよ流石に不謹慎だぞ!? き、今日は本当に偶々、油断していただけで……っ!」
「え~、戦闘時に油断なんてのたまっちゃう人の言葉なんて信用できない~。そんな人に霊装士になる素質があるなんて到底思えな~い。死体捜索隊の人件費とかお香典とか諸々もったいないから、さっさと隠居したらどうかしら!?」
「チックショウ、言いたいだけいいやがってぇ……!」
「ふっふん、傷口には塩を塗りたくってオリーブオイルに浸した後、高温でオーブンしてフォークでザクザク突きまくって手遅れなほどにグズグズにするのが、アタシの特性メンタルクラッシュフルコースなもので! あ、もちろん到底食べられる代物でもないので、容赦なく排水溝行きよ」
「はた迷惑なビストロもあったもんだよ!!」
矢継ぎ早に飛んでくる罵倒の言葉に、陵弥のへその緒もギリギリと捻られる。唇を吊り上げた得意げな美少女の顔は、もう条件反射的に苛々が押し寄せる。
「今に見てろよな! 今度は絶っっっっ対に俺が鮮やか~に敵を葬り去って、お前のその摩天楼みたいなプライドをバッキバキにへし折ってやるからな!」
「はぁぁぁぁん根拠も確証もないダメダメな見栄張ってアタシを挑発するなんて、ああなんと愚かしいのかしら! ペラッペラな虚栄でのたまう口八丁は見苦しいったらありゃしないわねぇ! アタシの手にかかれば、今ここでアンタを草葉の養分に変えられることをお忘れかしら!?」
「ハッ、そりゃこっちのセリフだ! 仮にもしお前が敵になった暁には、瞬きの間に一センチ角のサイコロステーキにしてやるよ!」
「あによ、そんなに消し炭にされたい!?」
「あんまり見くびってるとマジで削ぐぞコラァ!」
額を突き合わせ、ガルルと唸りを上げる。ミリアの背後にはバチバチと閃光が弾け、陵弥の背後には、三叉の呪符が持ち上がり、蛇のように鎌首を擡げさせる。
ほぼ本気の殺気を放ちながら、互いの刺し殺しそうな目を睨み続け……
「「フンッ!」」
ほとんど同時に、鼻を鳴らして視線を明後日に逸らした。
舌打ちも歯ぎしりも次々にやってくる。苛々の感情表現が止まらない。
もう視界に入れるのも鬱陶しいとばかりに、相手に背を向け、歩き去る。
「先に霊装士になるのは俺だ。ぜってえお前なんかには負けねえぞ……!」
「ふん、虚言妄言アーーンド戯言がお上手ね。そういうのは、アタシに何かしらリードでもしてから……わひゃあ!?」
踏みしめる地面は、先のミリアの攻撃でまだらになっていて、所々に穴が空き、非常に危なっかしい。
にも関わらず、元来の性格からか、ミリアはつんと拗ねた顔を上に向け、全くと言っていいほどに下を見ていなかった。
案の定、地面に落ちていた石ころに蹴躓き、思いっきりすっ転んだ。足が思いっきり上にひっくり返り、素っ頓狂な声が上がる。
背中でその声を聞いた陵弥は、吹き出し、ほくそ笑みながらため息一つ。
「そーれ見たことかよ。そういう高慢な態度してるから、石ころなんかに足下掬われ……て……」
無様な姿でも拝んでやろうと振り向いた陵弥が見たものは、想像していた光景とは百八十度異なっていた。
まず、ミリアの天地が逆転していた。相当激しくずっこけたらしい。頭を下に、お尻を上に向けた『つ』の字の状態で、陵弥に向けて無防備な顔と足を投げ出していた。
それだけなら、指さして笑っていただろう。
しかし陵弥の伸びた指は、全く微動だにせず固まってしまった。
ミリアは尻を上に向けた状態で、足をこちらに向けて投げ出している。転んだ後なので、当然無防備だ。足は頭を挟むように広げられている。
何より、彼女の短いスカートは、突然の激しい動きについていけず、背中の方に向けてまくられて、『局部を隠す』という本来の目的を完全に失っていた。
端的に言えば……ケツが丸見えだった。
……紐、だった。
「……」
「ひっ……ちょ、ぁ………」
陵弥は言葉もなく、ただ呆然と、無意識にその部分を指さして固まる。ミリアは起きあがることも忘れて、顔をトマトのように紅潮させてわなわなと震えている。
真っ赤な顔は、まるで起爆直前の爆弾のよう。ブルブルと震え、眉間に渓谷のような深い皺が刻まれていく。
陵弥は悟った。
諦めた……これはもう、何を言っても無駄だ。
だから、言ってやることにした。思いついた言葉を、何気なくも万感の思いを以て。
一言。短く息を吸い、吐く。
「……お前、下着も攻め系なのな」
「ッ――」
突如放たれた矢のような閃光は、寸分違わず、冷酷無比に、陵弥の両目に向けて迷いなく飛来した。
バチィッ! と激しい音が、とっさに傾けた頭のすぐ横で弾ける。回避を許されなかったもみあげが、ヂッと音を立てて燃え尽きた。
「あっぶねええええええええええ!! おまっ、眼球! 何でそう躊躇なく急所を狙えるんだよ!?」
「うっさーーーい!! しゃべんな! 一言も発するな物言わない屍になれ! もう遺言すら聞いてあげないんだからーーーーー!!」
「やべえこいつマジで殺す気だ!?
陵弥は慌てて霊装を展開しなおして、空中に跳んだ。
がむしゃらに逃亡する、その背中が、まるで宇宙ロケットの発射のような、途方もない量のエネルギーを感じる。
「待て待て待て! 単なる事故だ! そうだろ!?」
「うっさいバカカスクズアホド変態! アンタの一言でもーー完っ璧に切れた! さっきの得意げな顔を払拭するために、恐怖が張り付いた顔を剥製にして校門に飾って毎日生卵投げつけてやるーー!!」
「中世暗黒時代のフランス国民かよお前は!?」
時代錯誤の倫理観をした化物が、恐ろしい勢いで近づいてくる。後ろを見る余裕などないが、声音だけでも分かるマジギレ具合だ。さっきの台詞がどうしても冗談だと思えない。
「待てコラ天童陵弥! 戦えば勝てるんでしょう!? ホラ正々堂々かかってきなさいよ! 完膚無く容赦なくギッタンギタンにぶっ殺す!」
「嫌に決まってんだろ!? ちょ、誰か助けてーーーー!!」
瞬間的に訪れる死の予感よりも、音を立てて迫り来る死の方がよっぽど怖いことを、陵弥は身を以て知った。
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