第11話 決意と覚悟の鍔迫り


「毎度毎度、顔を合わせる度に火花散らして……アレか? 地上世界にはそういう化学式があるのか?」

 呻くようにそう言って、いーすんは静かに眉間を押さえた。

 秀麗な顔を崩さないアテナが、いーすんの背中をよしよしとさする。

「教室丸々一つですか……いくら空きがあるとはいえ、これは……」

 中々感情が表に出ないアテナの目にも、些か非難するような色が見て取れた。

 エメラルド色をしたアテナの目は、校長室の中央……カーペットの上に正座した、天童陵弥とミリア=ラ=グレンデルの二人に注がれていた。

 刺さるようなその目に晒されて、先に抗議の声を上げたのはミリアだ。如実な不満を見せながら、隣にいる陵弥をビッと指さした。

「ハイ! 違います、アタシのせいじゃありません! アタシは、この淫猥魔の卑劣下劣アーーンド低俗な策を打ち砕いただけです! だからなんの非もありません!」

「はぁ!? テメ、なんで俺が主犯みたいな言い方してるんだよ! 全部貴之の独断に決まってるだろ! むしろ止めたわ!」

「アンタと息の合ったあのド変態の仕業なら、当然アンタの差し金でしょうよ!」

「何その暴論!? っていうか、いーすんさんも!」

 怒りの矛先を、そのまま校長室の椅子に座るいーすんに目を向ける。

「俺が呼ばれるのはおかしいでしょ? 何度考えても、今回の件に俺は一切関係ないですよ! 怒られるなら貴之と、無茶苦茶な癇癪起こしやがったコイツでしょう!?」

「はぁぁぁぁぁぁ? アタシのは正当防衛よ! アンタの下衆愚図アーンド破廉恥な欲望から身を守っただけ! あ、アタシの裸をこそこそと狙って! 力じゃアタシに勝てないからって、恥ずかしい弱みを握って辱めたいわけ? ほんっと低俗! アンタほんとに最低ね!」

 体を抱いて隠しながら、本気の侮蔑の目で陵弥を見てくる。その顔には、ほんの僅かながら、恥辱に耐えるように朱色が落ちていた。

 その様子にイラッときて、陵弥もまた、真っ向から反論する。

「だぁから、誰がお前の体なんかに興味なんぞ持つか!」

「なっ……それはそれで、何か腹立つ! 見る目なさ過ぎ!」

「ちゃんと知ってんだよ。お前の我が儘で意地張りで人を煽りまくる、そのドギツい最低の性格をな! どんなにボディが良かろうが前置詞に『ミリアの』ってついただけでトリプルE玄関先回れ右チェンジの願い下げだわ!」

 流石にこれは看過できなかったか、ミリアは腕組みをやめて、体を陵弥の目の前に突き出した。

 一歩踏み込み、上体をそらすようにして、その胸に手を添える。モデルもかくやという大胆な姿勢だ。勢いのよい踏み込みに金髪がふわりと揺れて、ほどよく押し上げる胸がちょっとだけ揺れた。

「そ、そんなこと言って! どうせ顔隠して体だけ見たらメロメロの骨抜きの癖して! ちゃんと見なさいよ、アタシの完成されたプロポーションを!」

「そこまで言うなら……むぅ……確かに欧州人なだけはあって、スラリと引き締まっている癖に出るとこはしっかりと出て……」

「ぁ……ぁ、あんまりじろじろみんにゃーーーー!!」

「どーしろっつーんだよ!?」

 フカー! と、ミリアは猫みたいな癇癪を上げて腕を振り回す。感情の振れに併せて金色の光がバチバチと弾けるので、まるで人間花火だ。本当に手のつけようがない。

 頬杖を着きながらぼんやりと眺めていたいーすんが、ぽつりと呟く。

「痴話喧嘩もまあ息ピッタリで……お似合いだと思うのだがなぁ」

「「ないです」」

 キッパリとした反論もピッタリだったので、二人とも、嫌悪感をむき出しにした顔を付き合わせ、どちらからとなくそっぽを向いた。

 妙な沈黙を好機と見たのか、んんっという小さな咳払いで、視線がいーすんに集まった。

 赤茶けた髪の神様は、小さな手を組み合わせて、真剣な表情を作った。

 子供の外見には余りにも似つかない気迫の籠もった眼差しは、ミリアにさえ姿勢を直させる。

「まあ、そこまで堅くなる話題でもないのだがな。二人に集まってもらったのは、それとは別件だ……朗報、と呼んでもいいかもしれん」

「朗報……ですか?」

「うむ。まあ、教室の件は別途処分を下すとして……喜べ。卒業だ」

 何でもないことのように、いーすんはその言葉を口にした。

 言葉の意味が分からず、二人は首だけ動かして、丸い目を交差させる。

「えっと……卒業とは、つまり?」

 思いを代表するような陵弥の質問に、一つ歩み出たアテナが毅然と答えた。

「正確には、昇格です。私たちバベルの神々は、貴方がたに力があることを認め、霊装士として承認。本土へと渡ってもらいます」

「っ本当ですか!?」

 驚愕と喜色の入り交じった声が、ほとんど反射的に飛び出していた。同時に、隣のミリアの甲高い声も重なった。

「霊装士……?」

「本土入り……?」

 思わず、また二人で顔を見合わせる。目も口もあんぐりと開けた、だらしのない顔がお互いの正面に見える。

「「おおおおおおおお!!」」

 次の瞬間、声にならない歓声を上げて、二人手を重ねて飛び上がった。

 互いにいがみ合いながらも、霊装士になるという志を胸に競い合った二人は、言わば同好の士だ。

 霊装士として承認。島を抜けて、バベル本拠地へと向かう。

 それが本当なら、朗報なんてレベルではない。三年間の長い年月が、ようやく報われるのだ。

 涙が溢れてきそうだ。目の前の英国少女の生意気な顔でさえ、今は愛しく思えてくる。

「おぉ……ミリア、今まで邪険にして悪かった!」

「え? や……あ、アタシの方こそ」

「正直クッソ生意気だし同じ人間として最悪だと思ったし、時には同じ部屋にいることさえ苦痛だったときもあるけど、今はそれも良かったと思う! マジで!」

「えっ、ちょ、何それ、アタシそこまで悪く思われてた!? 全然良くないけど!?」

「ぶっちゃけブン殴りたかったし、何度か夜道で後ろから刺そうかと思ってたけど……今は素直に嬉しいよ! な!」

「何で同意を求めるのよ! アンタ、まさかそれ聞いて素直に喜べると思ってる!?」

 驚くミリアも全く気にならない。

 何せ念願が叶ったのだ。タスク3での六年間の思い出も、今なら全てを許せる気がした。

「いーすんさん、ありがとうございます! 本当に、本当に感謝します!」

「あー……うん。そうだな」

「アテナさんも、色々ご迷惑をかけてすいません。ありがとうございます!」

「……」

 瀟洒に立つアテナの手を握っていた陵弥は、そこでようやく、アテナが押し黙っていることに気づいた。

 ふと見れば、いーすんも頭を押さえ、渋い顔を作っている。

 いつになく固まったような表情のアテナに、怪訝な顔をのぞき込ませる。目を逸らしたいのを必死に耐えているように、エメラルドの瞳が微かに震えていた。

「……」

「……えっと、アテナさん?」

「…………ぐすっ」

「泣いた!?」

 急にしゃくり上げたと思うと、アテナは陵弥に手を握られたまま、肩を震わせてポロポロと泣き出してしまった。

 唐突な美人の涙に、陵弥は喜びも忘れて動揺してしまう。

「ちょ、急にどうしたんですか? 大丈夫ですか!?」

「ぐすっ……すいません、天童くん。私がっ、いたらないばかりに……ひっく」

「むぅ……やはり段階を踏むべきだったな」

 呆れ顔のいーすんに視線が向く。アテナが号泣しているならば、こちらもかなり気まずい顔をしていた。

「んーと……な? よく言うだろ? いい知らせと悪い知らせ、みたいな……今のが良い知らせでな? つまり……悪い方が残っているわけで」

「えぅ……ごめんなさい。ごめんなさいぃ」

「あーもうアテナも泣きやまんか! お主は女神だからって純情すぎなのだ! 誠実なクセに、メンタルが紙でどうするのだ!」

 陵弥達の戸惑いをよそにいーすんが立ち上がって、アテナの腰をぺしぺしと叩く。並ぶとなおさら身長差が明確で、大人をあやす子供という奇妙な構図ができあがる。

「ちょっと、置いていかないでよ。説明してもらえないと困るんだけど」

「そうですよ。何ですか、悪い知らせって」

「う……む、そうだな」

 もう手遅れと観念したのか、いーすんはとても気まずそうに、視線を逸らしながら、呟くように言った。

「……一人なのだ」

「「――はぁ?」」

「まっ待て待て! 順を追って説明しよう!」

 一気に凄みを増した二人の目に、慌てていーすんは背を向けて、校長室の椅子に座り直した。

 途端に殺伐としだした場の空気に「だから段階を踏もうと……」とブツブツ言いながら、いーすんは話し出す。

「しばらく前に、北欧の方でクレバスが発生したのだ。バベルの管轄のかなり外れの方で、駆けつけたときには霊障がかなり侵攻していてな。そのクレバスは何とか『門』化することができたのだが……少なくない被害が出てしまった」

 咄嗟に、脳裏に白い靄が浮かぶ。

 同じ霊障の被害者として、陵弥も人事ではいられない。黙祷するように、その被害者を思い目を伏せた。

 しかし、といーすんは前置きして、再び注目を集めさせた。

「その代わりといっては顰蹙ひんしゅくものだが、その霊障から生き残った人間の中に、新たに霊装士として素質のある者を発見した。まだ荒削りだが、お前たちと同じ、戦闘型の霊装顕現者だ」

「ぐすっ……そしてバベルの協議の結果、その方を霊装士として鍛錬を積ませるため、ここタスク3にて保護することが決まったんです。天童くんには、漆羽さんの例と同じといえば分かりやすいですよね」

「ああ、なるほど」

 涙を拭ったアテナがそう続けて、陵弥にもようやく合点がいった。

 きょとんとしたミリアが、頷く陵弥の裾をつつく。

「ねえ、漆羽って?」

漆羽梓うるしばあずさ。タスク3にいた学徒で、俺の先輩だよ。二年前、お前がこの島に来るってことで、繰り上がりで霊装士として本土入りしたんだ」

 二歳上の先輩であり、当時まだヒヨッ子だった陵弥に、戦闘の技術や心構えを教えてくれた恩師でもある。陵弥にとって、非常に思い入れの深い人だ。

「聡明で、思慮深くて、とにかく強い人だった。今でも俺の目標だよ」

「ふぅん……アンタにそこまで言わせるなら、凄い人なんでしょうね」

 珍しく皮肉もなく、ミリアはふんふんと頷く。霊装士として活躍しているのだから、ミリアにとっても一歩先をいく先輩だ。流石の彼女も、邪険にするような真似はしない。

「まあともかく、その漆羽って人と同じで、新しい人が来るから、アタシ達も繰り上がりで卒業っていう訳ね?」

「そういうことだ。本土も基本的に人手不足だからな……だが知っての通り、このタスク3はいよいよ余談を許さない状況に来ている。新人だけに任せるには、余りに荷が重すぎるのだ。それでなくとも、戦闘の技術などを教える教育係が、どうしても必要になる」

 いーすんの言わんとする事が理解でき――二人の学徒は、どちらからとなく距離を取り、互いを見る目をスッと細めた。

「うむ……そういうことだ」

 いーすんが深く頷き、言い放つ。

「霊装士として本土入りするのは、一人だけ。お前たちのうち、どちらかだけだ」

 その言葉は、不思議な重みを以て校長室に響きわたった。

 どちらか一人。その意味を飲み込んだ二人の目は、途端に殺気だった。

 反応は素早かった。ほとんど同時に、つんのめって自分を指さした。

「それならアタシの方が適しているわ! 実力は圧倒的に勝っているでしょ!」

「待てよ! 俺の方が経験が長い! 順番で言えば俺だろ!」

「はぁ~ん、順番なんて意味分からない理論ね! アンタは実力でアタシに周回遅れしているのをお忘れかしら!? この島でアタシの尻を拝みながら未来永劫下積みしてるのがお似合いよ!」

「お前こそ、そんな生意気で油断しきったグズグズの性格で霊装士が務まるとは到底思えないけどなぁ! 大体、サシで戦おうが、お前には絶対負けねえよ!」

「あによぉ!?」

「やるってか!?」

 額を突き合わせて唸りを上げる。ミリアに至っては威嚇のように、後ろで金色の花火がバチバチと弾けている。

 いーすんは最早呆れ顔だ。金色の光に顔を照らしながら、二人を諭すように声を張る。

「まあ、当然そういうだろうと分かっていたのでな……わたし達も考えたのだ。お互いに、一番納得できる方針を取ろうとな」

「アタシは、アタシが霊装士になる以外の答えには納得しないわよ」

「勝てるんだろう? 一対一でも」

 含みのある言い方に、ミリアは閉口し、三度視線が集まる。赤毛の幼女は、言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「筆舌に尽くし難い多様性こそあれ、霊装士として求められる何よりの条件は――純然たる、戦闘力に他ならん」

「それって……」

「うむ。ここらで一つ、比べて決めようではないか。どちらが霊装士に適しているかを、正々堂々、決闘でな」

 不適に笑ういーすん。

互いに顔を伺った二人の学徒は――全く違う表情を見せていた。

 ミリア・ラ・グレンデルは、得意げに鼻を鳴らし。

 天童陵弥は、緊張に唇の端を引き結んでいた。

「期日は三日後の土曜日。場所は町の方にある競技体育館にて行おうと思う」

 二人の思惑を余所にいーすんがそう説明をしていた時だった。

 ふと、アテナが歩み寄り、懐から一枚の紙を取り出した。

「ところでですね。お二人とも学徒として、タスク3でも有名人なので……この決闘を一大イベントにしようと思いまして。実は私、こんなポスターも作ってみたんです」

 いつもの冷静な顔に、ちょっとだけ得意げな感じを表して、アテナは自信満々にポスターを見せびらかした。

「初めてぱわーぽいんとという物を使いました。でも自信作です。このポスターで、満員御礼間違いなしですよ」

「ちょっと、祭りじゃないんだから……ぁ……?」

 ミリアが悪態をつきながら、陵弥がしぶしぶと、そのポスターに目を向けて――二人同時に、凍結した。

「「……何、これ」」

 その感情を一言で表せば――何も言えねえ、だ。

 そこにはやけにふわふわっとした、全く緊張感のない陵弥とミリアのイラストが描いてある。

 そして何故か、それと同じくらい大きな、ファンシーなアテナといーすんのイラストが、紙の下部を占領していた。

 極めつけに、恐らくアテナの直筆だろう――『今宵、二人の学徒の雌雄が決する!』――と、素晴らしい達筆の力強い墨文字が、異様なアンバランスで以て君臨していた。

 ゆるふわと男気がカオスに混ざり合った、遺憾とも表現し難い絶妙な微妙さに、二人とも敵愾心も忘れて固まってしまう。

 早めに立ち直った陵弥が、ぴんと鼻を上向きにしたアテナに、聞く。

「えーっと……アテナさん、この絵は?」

「以前、詠くんに描いてもらったものです。かわいいでしょう? 私、彼の絵がとても好きなんです」

「いや……うん、絵は。絵はとてもかわいいんだけど……このポスター、決闘……」

「ちなみに文字は私です。日本語は素晴らしいですよね。私、このまま書道も極めてしまいそうです。えへんっ」

 自信満々に胸を張るアテナに、陵弥はひきつった笑みしか返せない。

 有史以前から存在していた女神なのだが……長く生きていると、感性は何周も回ってねじ切れてしまうのだろうか?

 何かと必死に抵抗していたのだろうか。ミリアが耐えかねたように、口元を押さえ視線を逸らした。

(……ゴメン、見てると不安になってくるわ。ふわふわのホットケーキにコテッコテの鉄鍋餃子乗せてるみたい)

(おいやめろ、聞こえたらどうするんだ)

 視界の隅っこの方で、いーすんが俯いている。眉間に寄った皺が「わたしは止めたぞ」と雄弁に語っていた。

 異常な気まずさに冷や汗を垂らしながら、陵弥は精一杯の作り笑いを見せる。

「っ……そ、そうですね! でも仮にお客さんを集めるなら、もっと他の人の意見も参考に――」

「すでに島民の皆さんにも連絡を取り付け、貼ってもらっているんです。配布用も含めて、五百部も刷ってしまいました」

「……仕事、はやいっすね」

「それほどでもありません。きっと、今日の夕方には大賑わいですよ」

 凄く得意気に、アテナは胸を大きく貼ってみせる。

 陵弥ももう何も言うことが出来ず、ただただ乾いた笑みを浮かべて、アテナの晴れ晴れとした笑顔を見る。

 全く想定外に飛び込んできた衝撃に、前途多難という言葉がちらつく。

 しかし……陵弥の冷静な思考は、ある一点から目を逸らすことを許さない。

 ふわふわとしたイラストを潰すようにしたためられた――『決闘』の二文字。

 不敵な笑みを浮かべたミリアが、蛇のような目で陵弥を睨む。

 金色の光がバチッと弾ける、その小さな音が、陵弥の鼓膜を突き抜けるように響きわたった。


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