第18話 学徒、馳せ参ず2


 三つの視点に広がる光景は、上下さえも分からないほど白一色だ。

 数十センチ先までしか分からない視界の中で、それでも注意深く辺りを探る。

 すると、突然霧の中から蜘蛛の脚が現れ、視界を一杯に覆い尽くした。

「うぉぉぉああああびっくりしたぁぁぁぁ!?」

 腹の底から絶叫をあげて、貴之はカメラを取りこぼす。

 再びカメラをのぞき込むも、『ディスタービア』で展開していた視点は、三つとも全て砕け散っていた。

 嘆息一つ、貴之はカメラを下ろし、頬を伝う汗を拭った。

「てんでダメだな。島の景観がそのまま残っているっていうのと、相手がクソデッカイ蜘蛛だってことぐらいしか分かんねえ」

 貴之の報告を受けて、いーすんは苦々しげに表情を険しくした。

「むぅ……敵の数も強さも未知数、おまけに視界もほとんど塞がれている、か……」

「思った以上に厳しい状況ですね……一刻も早くクレバスを『門』に転化させたいのですが」

 いーすんの横に立つアテナも、顎に手を当てて考えを巡らせる。

 臨時の作戦会議室となった船長室には、学徒全員が集まっていた。

 窓から見える島の状態を確認しながら、ミリアが言う。

「でも信じられないわ。あの白い霧が禍の産物だとしても、ただの禍が、島を覆うほどの力を持っていたの?」

「ただの禍ではない、ということだ。恐らく、元々土着神の類だったのだろう。災禍を司る悪神として、だろうがな」

「いわゆる妖怪の基型アーキタイプのような存在です。私たちのような天上の存在ほどではありませんが、少なからず信仰心を得ており、『大崩落』時に一番に現出するに至った、厄介な敵ですね」

「元より神に近い存在であった事に加え、奴はクレバスを開いて、吹き出る霊素を自らの力として取り込んだ……単純な力だけで言えば、そんじょそこらの妖怪の比ではないだろう」

 険しい面もちのいーすんの言葉に、ミリアは憮然と鼻を鳴らした。

「そこが一番信じられないのよ。クレバスって、霊素っていうエネルギーの特異点……比喩でもなくブラックホールみたいなものなんでしょ? それを自分で切り開くなんて、できるわけ?」

「『できない訳ではない』というのが正しい答えだろうな。理論上は可能だが、現実性皆無な机上の空論だ……いや、空論だった、か」

 それこそ仕組みだけを言えば、圧倒的な霊素を局所に集中させれば、クレバスは完成だ。

 だがそのためには、圧倒的という言葉では表せない、筆舌に尽くしがたい量の霊素が必要となるのだ。

 仮にタスク3の環境がクレバス発生に適したものだったとはいえ、およそただの禍が引き起こせるものではない。

「奴は、ずっと機を伺っていたのだ。誰にも姿を現さず、悟られず……六年前の霊障の時から、土峰伊吹の魂に巣くい、彼女の生気を奪い続けて力を蓄えていた」

 そう言うと、いーすんは眉を伏せて、傍らに立つ陵弥を見た。

「すまない、天童。私が浅薄だったようだ」

「いえ……謝らないでください。きっと、分かったところでどうにかできるものじゃありませんから」

 六年前、陵弥達から全てを奪い、伊吹の魂に巣くい続けた奴は、神さえ欺くほどに強力なのだ。

 その手に関して、恐らくいーすん以上に力を持っていたのだろう詠光が、尻尾さえ掴むことができなかった。

 だから陵弥とて、目の前の神様を咎める気は起きない。

 今、陵弥はしゃがみ込んで、ぐったりとうなだれる詠洸の背をさすっている。

 壁に背を預けて座り込む洸は、苦しそうに肩で息をし続けている。

「洸、大丈夫か?」

「ん、ぅ……なん、とか」

 陵弥を見上げる顔は、末期の病人のように衰弱し、青ざめている。

 光が着ていたナース服を着用したままだが、その苦しそうな表情に、固唾を飲んで見守るしかできない。

 洸の魂の中では、姉の光が重傷を負い、生死の境をさまよっているのだ。

「ボク……今、魂、削って、光、治す……」

「無理だけはするなよ。魂の枯渇が何をもたらすか、お前が一番よく知ってるだろ」

「うん……でも、ボクが、なんとか……っ」

 ぎゅ、と胸元を握りしめて、洸は震える唇を動かす。

「光、の、感情……っ入ってくる……こわいって、いたいって……っ!」

「……」

「でも、でもね……光、ずっと、陵弥に言う……ごめんって。止める、できないって……ずっと、ずっと」

 今にも泣き出しそうに、表情がくしゃくしゃに歪む。

 申し訳なさで潰れてしまいそうな洸の頭を、陵弥は優しく撫でた。

「大丈夫だよ。頑張ってくれて、身を挺して守ろうとしてくれてありがとう……光に、そう伝えておいてくれるか?」

「っ……ぅ、ん」

 陵弥の笑顔に、いくらか表情が和らいだ洸が頷く。

「それにな……伊吹は、俺が絶対に救い出す。だから、安心して休んでてくれ」

 そう言って、陵弥は体を持ち上げ、いーすん達の近くに寄る。

 蓄積した疲労と痛みでぎこちない歩きになりながらも、その目には、未だかつてなく強い光が宿っていた。

「……伊吹は、まだ生きてるんですよね」

 いーすんが力強く頷く。

「恐らく。クレバスを開き神に近い力を有したとはいえ、元の依り代をそう簡単に放棄するとは考えにくい」

「そうか。なら早く――っ」

 踵を返そうとした陵弥が、足をもつれさせて倒れそうになる。

 その体をミリアが受け止めて、厳しい目を向けた。

「ちょっもう! 無理しないのはアンタも同じよ、バカ!」

「っ……でも、俺がいかないと……!」

「は~~あ? 何を世迷い言をのたまってんのよ、このドアホは」

 盛大にため息をついて、ミリアは陵弥の背中をポンポンと強く叩いた。

「ただでさえ弱っちくてみみっちいくせに、不釣り合いなプライド掲げてるんじゃないわよ。アンタ一人じゃ、べそかいて禍の餌になっちゃうのが関の山でしょうが」

「ミリア……」

「あとね、訂正しなさい。”俺たち”よ。据え物の癖に最強最高の霊装士第一候補様を忘れるなんて、万死に値するんだからね」

 ミリアの余りにも力強い言葉に、陵弥は呆然としてしまう。

 数秒たって、陵弥はようやく、ためていた息を笑みと共に吐き出した。

「……そう、だな。悪い」

「ふふんっ、負け犬でも、犬らしく素直でいいじゃない。ちょっと頭を冷やしなさいな」

 素直に謝る陵弥の額をつんと小突いて、ミリアは不適に唇をつり上げる。

 再びカメラに目をやりながら、貴之も陵弥を横目で見る。

「ま、元々学徒っつーのは、タスク3でクレバスが開く、この時の為に組織されたモンだ。当然俺も手伝うぜ……いやまあ、今まさにやってる、このぐらいしかできないんだけども」

「……サンキュ、貴之」

「おうともよ……ってうおぉぉぉぉ!? くっそやられた! もう一回! 伊吹ちゃん見つけるまで続けっぞオラ!」

 親指を立てていた貴之が、再び叫び声を上げて飛び上がり、すぐにまた視点を展開する。

 いーすんもうんうんと頷いて、貴之の意見に同意する。

「似像の言うとおり。これはもうこの島全体の危機だ。ここにいる全員の力を集めて、取り戻すぞ。島も、土峰も、全てだ」

「神様の本領発揮です。全力で助けますよ、天童君」

 アテナも胸の前で握り拳を作り、むんっと意気込む。

 立ち並ぶ面々に、焦燥していた陵弥の心が落ち着くのを感じる。

 心配するなと、その笑顔が語る。

 不安はある。今にも、恐怖で潰れてしまいそうだ。

 だけど、それを払拭するほどに、嬉しさと安心感を、与えてくれる。

「頼みます、皆……それに、一応お前もな」

 不敵な笑みを浮かべるだけの余裕が生まれて、陵弥はさっきのお返しに、密着するミリアの背中をポンポンと叩いた。

「はぁ~その強がりはもうお家芸な訳ね? しかも、負け犬に小山の猿に飽きたらず、さっきの事をもう忘れる鳥頭まで身につけたのかしら? あの決闘は間違いなくアタシの勝ちなんだから、そこんとこ覚えておきなさいよね!」

「なに言ってんだ、あれは無効試合だろ。勝手に決めつけて浮かれるなんて、お前こそみみっちいプライドじゃねえか。人間性の程度が知れるぞ?」

「なっ……アンタ不意のアクシデントをいいことに、よくそんな戯言が吐けるわねぇ!?」

 いつも通りの罵倒合戦が行われる様を、いーすんとアテナ、二人の神様は、どこか温かい目で見つめながら、しみじみと。

「いーすんさん、あれが世に聞く『喧嘩するほど仲がいい』ですね」

「うむ。ともするとこれは、アレではないか? 世に言う伝説の不倫では!? 不倫!」

「「は?」」

 目を丸くした二人が、そこでようやく、自らの状況に気づく。

 厳しいのは口調だけ。二人は互いに抱き合ったまま、鼻を付き合わせるほどの至近距離でにらみ合っていたのだ。

 視界一杯にあるミリアの端正な顔が、わなわなと震えだし、みるみる紅潮する。

「なっ……ぁ、ち、近いわよバカ! 離れろスケベ! 色欲魔!」

「ちょ、言うに事欠いてなんだその言い草!? って、わ――」

 顔を真っ赤にしたミリアが陵弥を突き飛ばし、そのまま足をもつれさせて倒れてしまう。

 電撃のように走った筋肉痛に、陵弥が悲鳴を上げる。

「いってぇ!?」

「むぅ……それにしても、天童のその怪我と疲労は、なんとかせねばならんな」

「神様パワーに、そういうのはないの? 高速治癒とか、怪我っていう事実をなかったことにするとか」

「ないことはないのですが、私たちでは扱えない天上界の叡智です。他の神様や霊装士を待つ時間は……」

 思案顔をするミリアやアテナを眺めていると、陵弥の体が、ぐいっと後ろに引っ張られる。

「うわっ」

 そのまま誰かに抱え上げられると――むにょん、と。

 その人物の規格外に大きな胸が背中に押しつけられ、陵弥が凍り付く。

「いっ!?」

「は~い、私がいますよ~」

 陵弥を抱き寄せたまま、詠睦美が、手を挙げて元気よく声を張った。

「むっ、睦美さん!? っていうか体、大丈夫なんですか!?」

「洸くんは、今つきっきりで光ちゃんの看病をしてるわ。霊体相手だから、洸も体から離れて処置した方が都合がいいのよ。その間、体は私が預かるというわけ」

「そ、そうですか……あ、あの、分かったから少し離れて貰えませんか……っ!?」

 背中に当たる柔らかい感触に、上擦りそうになる声を必死に抑える。

「えぇ~、肌寂しいなぁ」

「そんなお茶請けを求めるようなテンションで引っ付かないでくれません!?」

「も~、そんなこと言っちゃって、素直じゃないのね」

 睦美は全てを察するように穏やかな笑みを向けてくる。

 というか……洸の服がそのままなので、睦美は当然のごとくナース姿になっていた。光以上の大きな胸は清潔感のあるシャツをキツそうに押し上げ、頭身も伸びているために、太股も大胆に露出している。

 ナースはナースでも、確実にお色気方面。色々と目に毒だ。

 狼狽する陵弥を余所に、いーすんは至って真面目に、ナース姿の睦美に聞く。

「詠。天童の治療ができるのか?」

「できるわよ。陵くんの魂を活性化させて治癒力を強化すれば……そうね。一時間あれば、十分に回復できるはずよ」

「魂を活性化……それは、天童君の魂を削ることではありませんか?」

 不安げに訪ねるアテナにも、睦美は余裕の笑顔を崩さない。

「大丈夫よ。確かにその通り、魂を少し使っちゃうけど――」

 言葉を区切った睦美は、陵弥の頭に手を置き、顔を寄せる。

「さっきの戦いで、確信したわ……陵くんなら何の問題もない。そこは、巫女である私が保証するわ」

 全てを見透かすような笑みが、陵弥の瞳をのぞき込む。

 その真意は分からずも、睦美の自信のある笑みに、全員がひとまず納得し、動き出す。

「よし、それなら一時間後、甲板の上に集合だ! 似像は引き続き偵察を。可能なら土峰伊吹の居場所と、そこまでのルートを探ってくれ」

「了解っす」

「ミリアは、私達と一緒に警備に当たってくれ。お前は上空からだ。相手が蜘蛛である以上ないとは思うが、船に接近する遊泳物体を警戒してくれ」

「ラジャ」

 いーすんが各々に指示を出し、せわしなく動き始める。

 一方、陵弥はというと……

「ん~ん……くんくんっ、すりすり~」

「あっ、あの睦美さん!? さっきの聞いてましたよね!? 一刻を争う事態なのに、何で俺の首筋を嗅ぐんですか!?」

「ん? やっぱり、陵くんは凄くいい匂いだな~って。それに、香りが益々濃くなってる気がする。ん~、芳醇ねぇ」

「いやそんな感想を聞きたいんじゃなくてですね!」

 一向に離す気のない睦美に、柔らかい体を更に密着させられていた。

「ね、陵くん。ベッドのある部屋に行きましょう」

「はいぃ!? きゅ、急にどうしたんですか!? 血迷いました!?」

 声を荒げた陵弥に、睦美は真剣な瞳で見つめ返す。

「違うの、陵くんよく聞いて。治癒力を上げる為に陵くんの魂を少しいじる必要があるから、陵くんが安心できて、なおかつ私が陵くんに触れていなくちゃいけないの」

「そ、そうなんですね……それなら」

「具体的な方法が、一緒に寝るのと一緒にお風呂入るのと、それかちゅっちゅするという三つがあるんだけど……」

「嘘だ! 触れてりゃいいんですもんね? 絶対他にも方法ありますよね! 絶対なんか私情が絡んでますよね!」

「もー照れちゃって。私が『効果ある』と明言しない限り、陵くんに選択することはできないのよ?」

「えっ? 何、今俺はどんな心理戦をしているんですか!?」

「あ、そうだ。せっかくナース服なんだから、お医者さんごっことかしちゃおうかな~」

 そのまま睦美は、陵弥と共に部屋を出ていく。

 その様子を、カメラをのぞき込みながら、貴之が横目で見送り――

「……これもう義務だよなぁ」

 三つある視点の一つを、こっそり陵弥の背中に忍ばせた。


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