第19話 学徒、馳せ参ず3
「膝枕……膝枕かぁ……」
「……何よ、似像貴之。げっそりやつれて、大丈夫?」
「いや、何でもない……限りなくアウトに近い健全空間で、羨まし次空間すぎてちょっと死にたくなっただけだ」
「大丈夫に聞こえないのは、アタシの耳がおかしいせいかしら……」
何やらもの凄い後悔を抱いたらしい貴之は、自分の眉間を抑えてうずくまる。
船の舳先に立ったいーすんとアテナは、赤毛を潮風に靡かせながら、立ち並ぶ学徒を見渡す。
「天童君、体は動かせますか?」
「大丈夫です、アテナさん。しっかり回復できました」
「ね? 詠の巫女の力は伊達じゃないんだから」
睦美が嬉しそうに表情を綻ばせる。
「ついでに、陵くんの魂に、ちょっとした鎮静効果も付与しておいたわ。戦闘時によほど興奮したり……我を忘れたりとか。そういうのは、ある程度防げると思う。もしもの為にね」
「……なるほど。ご苦労だったな」
「いいのよ。あぁ、でもかわいかったな~、照れてる陵くんはっ」
きゃっきゃと楽しげな様子に、陵弥はついつい赤面してしまう。油断すると、膝の感触とか色気ある声とか、色々思い出してしまいそうだ。
「よし……皆のもの、準備はいいな!?」
いーすんの張りのある声に、一同が力強く頷く。
「目的は、突如として現れた蜘蛛型禍の殲滅、奴が開いたクレバスの『門』化、及び敵に捕らわれた一人、土峰伊吹の救出だ」
「敵を倒し、クレバスを安定化させることによって、今島を覆っている白い霧も晴れることでしょう」
アテナが情報を付け加え、いーすんが力強く霧に覆われた島を指さす。
「敵をすべてなぎ払い、私たちの島と、奪われた土峰を取り戻す! ここにこれを『タスク3奪還作戦』と名付ける!」
「燃えてきますね。それはもう、メラメラと」
いーすんのかけ声に、アテナが興奮気味に頷く。
「……わー、安易ぃ」
「やめろって、神様は傷つきやすいんだから」
ミリアがひきつった笑みを浮かべて、陵弥が小声で諭す。
楽しい空気は数秒で引き締まり、真面目な顔に戻ったいーすんが、貴之を見る。
「似像、状況はどんな感じだ?」
「そうっすね……クレバスの場所は、競技体育館で間違いないでしょう。ただ、霧が深すぎて、室内の状況と、伊吹の姿までは見えてない。視界は著しく悪く、その上に子分か分身か、道中にも蜘蛛の姿をした敵の姿を多数確認してます」
「うむ。全方位が死角。一瞬の油断が命取りになりかねん」
陵弥は、改めて島を覆う白い霧を睨みつける。
六年前、自分から全てを奪った白。
今……確固たる力と意志を以て、それに立ち向かう。
「これより、船を港に一瞬だけ着岸させ、わたしたちのみを下ろす。戦闘員は隊列を組み、周囲に警戒しながら進むぞ」
「俺が船から、『ディスタービア』で可能な限り死角をカバーする……ま、二束三文だろうがな」
「悪い言い方をすれば……あの霧の中を手探り、ですか」
陵弥は渋い顔を崩せない。
あの白い霧の、平衡感覚さえ狂うほどのおぞましさは、六年経過した今でも覚えている。
陵弥の神妙な面もちを見て、ミリアが手を挙げる。
「ねえ、アテナさんの『アイギス』は? 使っちゃダメなわけ?」
「悪いが、神器――天上の叡智はそうそう使用していいものではない。神の領域が地上に影響を与えないよう、普段は出力を抑えているのだ」
「申し訳ありませんが、ここぞという時までは、力をセーブさせてください……私の『アイギス』の通常干渉認可範囲は十パーセント。それでもかなりの効果はありますが、あの蜘蛛相手には……」
「なるほどね……いいわよ、アタシ達で何とかできるでしょ」
鼻を鳴らして、ミリアは自らの背中に金色の光を弾かせる。
「……」
「天童」
いーすんが、未だ不安げな表情の陵弥を呼ぶ。
側まで歩み寄ると、張りつめた目陵弥の瞳をのぞき込み、声を抑えて言う。
「気になるか? 伊吹の行方だけではあるまい。例えば……決闘の時、お前に何があったのか、とかな」
「っ……あれは、完全に暴走でした」
図星を突かれて、陵弥が訥々と、あの時感じたことを語る。
「双剣を手に取った途端、俺の意識は飛ばされて……何かが、内側から沸き上がってくるような……とても黒くて、凶暴な欲望が……」
あの時、一瞬ながらミリアに向けた感情。
『美味そう』というおぞましい欲望が、今も胸の中に蟠りとして残っている。
不安げな陵弥の表情を見て、いーすんは顎に手を当てて考え込む。
「ふむ……お前の霊装『地極・奮迅』は、霊障の最中に手に入れた、後天的な才能……外部からもたらされた力、謂わば呪いに他ならん。お前さえも知り得ない秘密があっても、不思議ではない」
呪い。その言葉に、陵弥は背筋を凍らせる。
僅かに残った記憶を辿る。見たことのない、場所も知れない祠に祀られた双剣。
まるで、内に潜むものを封じ込めるように頑強に巻き付けられた、『魔封じ』の呪符。
今、それは自分の力として、魂に刻まれている。
双剣、呪符……ともすれば、”その内側のもの”も。
「……だがな、こうは考えられんか?」
いーすんは口調を一転すると、背伸びして陵弥の胸をつつき、その魂を指さす。
「お前の内に秘めたその『何か』こそが、六年前、あの蜘蛛を退け、お前と土峰を救うに至ったのだ……とな」
いーすんの言葉に、眉を潜めた陵弥が聞く。
「そう、なんでしょうか?」
「考えてもみろ。町の住人を手当たり次第に補食するような凶暴な禍が、本来、こんな大それたことを画策するようなしたたかな存在だと思うか? 六年もの歳月、息を潜めて、誰にも気づかれないように隠れてまで? しかも、それをさせるに至ったのは、齢十歳の少年だぞ」
「それは……」
町の住人全員を補食する、見境のない、獣のような存在。
欲望の塊のような禍が、陵弥を喰う事を諦め、機を伺う事を選択した。
「傷を負ったのやもしれん。命惜しさに身を引いたのかもしれん。ともかく……奴は恐れたのだ。土峰を守ろうと立ち向かった、まだ幼子のお前と、お前の内の『何か』にな」
小さな手でトントンと胸をつつき、いーすんは続ける。
「決闘時のお前の暴走は、ひとまず不問とする。詠の言葉を信じれば、あのような暴走もそう起こらないだろうからな……だが忘れるな。お前には奴を退けるだけの力が備わっている。自信を持て、天童」
陵弥は、自分の胸に手を当てる。
手に入れた、自分の力。自分のものではない力。
胸の前で拳を握り、陵弥は首を振った。
「誰の力かなんて、今はどうでもいい……伊吹を救えるのなら、なんだって」
「うむ……その目の輝きを、忘れるでないぞ」
頷いて、赤毛の幼女はよく似合う屈託のない笑みを浮かべた。
「それにな、見方を変えれば、これはまたとないチャンスだぞ。土峰を蝕んでいた元凶は表に姿を現し、お前をこの島に縛っていたクレバスも現れた……全てが成功した暁には、お前の未来は一気に晴れる。土峰は救われ、お前も霊装士として本土に入れるだろう」
そう言うと、いーすんは胸より更に上、陵弥の顔に手を伸ばそうとしてぐっと背伸びをする。
「んっ、くっ……ほら天童。ちこう寄れ」
「はい――いってぇ!?」
言われるまま上体を屈めると、両頬を力強く挟み込まれた。
ばちーん! と軽快な音が鳴り、陵弥の視界に火花が散る。
火花が収まった視界には、屈託なく笑う幼女の顔。
「笑うがいい、天童! 過去との決別の時だ。今日ここで、土峰と共にお前も救う! お前達を過去の束縛から解放する!」
「……」
「お前と土峰の、記念すべき晴れの日だ! 全員無事で、笑顔で迎えるぞ! いいな!」
「……はい」
ひりひりする頬の温かさに、陵弥は力強く頷く。
「よし……ではいくぞ! タスク3奪還作戦、決行だ!!」
赤毛の幼女が舳先に立ち、力強く指を指す。
真白の霧に覆われた地獄は、目の前に鬱蒼と広がっていた。
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