第20話 学徒、馳せ参ず4


「よっ」

 一同は、岬から三メートルほど離れて停泊した船から跳躍し、島へと降り立った。

 『地極・奮迅』を展開した陵弥は、増強された身体能力を活かして、そのまま。ミリアは『ドラゴニア』の光をロケットの逆噴射のようにして、軽やかに着地。

 最後にいーすんを抱えたアテナが軽やかに降り立ち、全員が居住まいを正す。

 コンクリートの細い岬の根本、三十メートルほど向こうは、既に真白の霧に覆われて見えなくなっている。

 これから向かう場所を睨んで、ミリアは至って冷静に金髪をかき上げる。

「ふぅ……これからすぐに霧の中か。やっぱ緊張するわね」

「感知能力を持つ方がいないのが悔やまれますね……無い物ねだりですが」

 敵がどこか分からない状況に、アテナも嘆息するしかない。

 ごくり、と陵弥が喉を鳴らす。気を抜くと、六年前のトラウマじみた記憶に臆されそうだ。

 張りつめた緊張の中、一同が恐る恐る一歩を踏み出す――ちょうどその時だった。

「み、みんな待って~!」

 そんな暢気な声が、船から聞こえてきた。

 既に十メートル近く離れていた避難船。その甲板に、紅白の瀟洒な巫女服に着替えた睦美が、朗らかな笑顔で手を振っていた。

「睦美さん? 一体どうし――」

「受け止めてね、陵くん!」

 端的にそう言うと、睦美はひょいっと手すりを跨ぎ、空中に身を投げ出した。

「ちょ!?」

 大慌てで飛び出した陵弥が、空中を跳ねながら海上に飛び出し、落下する睦美を受け止めた。

「きゃっ。ふふっ、ごめんね陵くん。着替えるのに時間かかっちゃった」

「び、びっくりした……急にどうしたんですか、睦美さん?」

 お姫様だっこにきゃっきゃと喜んでいた睦美は、変わらない飄々とした笑顔のまま、

「そんなの決まってるでしょ? 私も一緒に行くの」

「え……き、危険ですよ?」

「それは皆も同じこと。でしょ?」

 陵弥はひとまず岬に降り立ち、睦美を下ろす。

 巫女服の着崩れを直しながら、睦美は一同に目を向ける。

「私たちの事、非戦闘員だって思ってるんでしょう? 除霊は巫女の専売特許なんだから。詠家の力、必ず役に立つはずよ」

 それに……と言葉を足して、美しい笑みに凄みを聞かせる。

「私のかわいい子供たちを傷つけた落とし前……キッチリつけてもらわなくちゃね」

 表情は崩れない。しかし内包するのは、血さえ凍り付くほどの、研ぎ澄まされた怒りの感情。

 いーすんが一度頷き、再び白い霧に向き直る。

「うむ、そういうことなら心強い。では行くぞ!」

 号令にあわせて、一同が前進を始める。

「睦美さん、これを耳に付けてください」

「ん? なぁに、これ?」

「インカムです。これで貴之と通信できるので」

「……ああ、携帯電話ねっ?」

「うーん……まあ、そんな感じです」

「すごーい、今はこんなにちっちゃいのね」

「……調子狂うわねぇ」

 睦美のテンションに辟易としながら、ミリアも自分のインカムをコンコンと叩く。

 すぐに、若干のノイズが混じった貴之の声がする。

『よし、全員聞こえるな? 俺の『ディスタービア』が先導して道案内をする。見たところ、ここから暫くは敵影なし。町並にも異様な変化とかは見られない。視界が悪いから、こけないようにな。パンツが見えん。サービスシーンに発展しない転倒とかいらないから』

「……アンタ、スケベな事考えてないと死ぬわけ?」

『ただ、霊素によって作られた超常の霧だ。無線がいつまで通じるかも分からない。周囲の警戒は怠らず、感覚でも早く慣れてくれ』

「慣れると言ってもなぁ……」

 無理だと思うぞ、と陵弥が言う前に、一同はその事実を感覚で理解した。

 一歩足を踏み込んだ瞬間、霧が体を包み、異様な感覚が体中を撫でる。

「うぇ、気持ち悪……まさに、おぞましいって感じね」

「生温かく、もたついて……まるで怪物の胃の中にいるような……」

「およそ知る限り最悪の気分だ。つくづくよく生き残ったな、天童」

「どうも……っ」

 こみ上げる吐き気を押さえて、陵弥も遅れないように足を動かす。

「でも……俺が体験したときよりも、更に濃くなっているような……っ」

「それだけ力を蓄えていた、ということか……本当に何も見えんな。慎重に進むぞ。似像」

『ああ、そのまま直進してくれ。十五メートル先を右折だ』

 貴之の指示通り、緩やかな足取りで進む。

 虚勢でもなく、ミリアが得意げに金色の光を弾かせる。

「ふふん、出るなら早く出てきなさい……害虫は、アタシが一匹残らず駆除してあげるわ」

「……知らないなら教えてやるけど、蜘蛛は虫じゃなくて節足動物だぞ。強いて言えば、動物の仲間だ」

「え? でも、ホラ、殺虫剤とか効くじゃない」

「お前、殺虫剤がどんだけ毒性強いと思ってるんだ……今度飲んでみるか? 結果が楽しみだな」

「ちょ、なに……は、はぁ~? 蜘蛛が虫じゃないとか知ってたし? アレだし、言葉のあやだしっ! 全然っ知ってましたし!?」

「そうか……お前も、割とかわいいとこあるんだな」

「はぁぁぁぁ!? な、なにを急に言い出すのよ、アンタはっ!」

 軽口でごまかそうとしても、足の震えは収まろうとしてくれない。

 霧は濃く、かろうじて面々の姿が見える程度。それを見失ったら、平衡感覚さえ狂い出し、二度とは出られないだろう。

 漂流するような揺らめく感覚のまま、一同は歩みを進めていく。

 慎重故に遅々として進まない足取りで――およそ二十分。

「道が広くなった……大通りに出ましたね」

「ああ。後はここを直進するだけだ……似像、目的地までは?」

『そうっすね……大体、一キロ……い、かね』

 ザザッというノイズが酷くなってきた貴之の返信に、いーすんが顔をしかめる。

「通信が悪くなってきたな……そろそろ当てにもできんか? むう、こんな事なら、対霊害環境用の通信機を開発しておくのだったな……」

「後悔しても仕方ありません。ともかく油断は禁物ですね……さらに気を引き締めていきましょう」

 アテナがそう応じて、後ろを見る。

 睦美はこの霧の中で、何かを探すようにきょろきょろと辺りを見回している。

 一方で、普段は気丈なミリアの表情は、どこか自信を失い苦しげだ。

 けほっと小さくせき込んで、ミリアは喉に指を当てる。

「息苦しいわね……呼吸する度に、肺に泥が溜まっていくみたい」

「霧自体に害があるわけではない。悪性の霊素への、肉体の軽い拒絶反応。花粉症のようなものだ」

「何にせよ最悪よ……ねえ、アンタは」

 そう言って振り向いたミリアは、うずくまって胸を押さえる陵弥を見つけた。

「ちょ、大丈夫!?」

 僅か数秒。離れた距離も数メートル。それなのに、陵弥の姿は、辛うじて色彩が確認できる程度までぼやけている。

 後一歩発見が遅かったら、霧に紛れて見失っていただろう。危険な現状に舌打ちしながら、ミリアは陵弥に駆け寄る。

 呼吸が浅く荒い。苦しげに呼吸を繰り返す陵弥の背中をさする。

 余裕のない逼迫した表情。開ききった瞳孔は、恐怖による症状であることをすぐに気づかせた。

「もう、しっかりしなさい! 昔のトラウマなんかに負けてどうすんのよ!」

「っ……分かってるんだ。分かってる……っでも」

「アンタはあの時とは違うのよ。この霧を払って、あの蜘蛛をぶっ倒す為に、アンタは力をつけたんでしょ?」

 ミリアの力強い言葉が、失いかけた理性をつなぎ止める。

 だが、それでも体は臆して、満足に動いてくれない。

 自然と、陵弥は手を伸ばしていた。

「ミリア……」

 怯えるような表情で、救いを求めるように差し出された手。

 ミリアは一瞬の躊躇の後――その手を、強く握り込んだ。

「ああもうっ、しょうがないわね! 貸しひとつよ!」

 いちゃもんをつけながら、陵弥を引き上げる。

 すべすべのミリアの白い手が、温もりを陵弥に伝える。

 自己の存在さえ希釈されそうな白の中、その感触と彼女の顔が、安心を与えてくれる。

 体の震えは自然と収まり、陵弥は楽になった肺に空気を入れる。

「……悪いミリア。助かった――ッ」

 笑みを作ろうとした陵弥は、次の刹那に表情を凍り付かせ、ミリアの手を勢いよく引いた。

「きゃっ!?」

 体制を崩したミリアが抱きついてくる。

 その彼女めがけ、陵弥ごと貫く勢いで、蜘蛛の脚が突き出されていた。

 人の腕ほどもある脚を、陵弥はミリアを抱き寄せたまま、空いた手に持った剣で受ける。重い衝撃に、腕に凄まじい負荷がかかる。

「ぐっ――」

「なっ――めんなぁ!」

 腕の中のミリアが叫び、脚の伸びる霧の中に『ドラゴニア』を放つ。

 光は何かに直撃し、キィィィィ……という酷い金切り声が遠くに消えていく。

 しかし、即座に霧の中から蜘蛛の脚が飛び出し、陵弥の剣を再び強く打った。

「あの時のよりは小さい……子蜘蛛!?」

「貴之、敵の数は!?」

『わ――さん――っ! でん――』

「クソッ!」

 耳障りなノイズばかりの通信に、陵弥は舌打ち一つ。再び霧から現れた脚を弾く。

「一体何匹いるんだっ……!」

「どこからでも来るわ! 全然見えない!」

 陵弥が攻撃を凌ぐと、ミリアがその場所に向けて雷撃を放つ。しかし次の瞬間には、別方向から再び攻撃が飛んでくる。

 キシキシ……と鳴き声ともとれない蜘蛛の声が、霧の中から響く。数も位置も、全く知れない。

「皆近くに! アテナの側に寄れ!」

 いーすんが声を張り、二人は攻撃を弾いた隙に、その声の方に走る。

 多方面からの怒濤の攻撃を全て防ぎながら、アテナは白金の機構を唸らせる。

「アイギス――壁陣【輪】!」

 陵弥たちが側に駆け寄ると、その周囲を黄金の光がベールのように囲い、それが急速に広がり、霧の中の蜘蛛を弾き飛ばした。

 鈍重な衝撃。しかし、キシキシという鳴き声は未だ続く。

「すぐに次がくるぞ、更にアテナに寄れ! ――ミリア、全力でぶちかませ! いいな!」

 いーすんが言うと同時、アテナは再びアイギスを駆動させる。

「離れないで下さいね――壁陣【禁】!」

 アテナが神器を発動すると、今度は離れていたミリア以外を覆うように、黄土の輝きが周囲から隔絶する。

 三角錐上の、その頂点に乗り、ミリアは激しく笑う。

 無数の蜘蛛の脚が霧を裂いて飛来する。その刹那、ミリアの体が恒星のように光を纏う。

「覚悟しなさい! ドラゴニア――『スプラウト』!」

 叫ぶと同時、途方もない熱と光が全方位に放出された。

 迫っていた脚が吹き飛び、霧の中に消える。

 雷の炸裂音が収まると、重苦しい静寂が戻ってきた。

 ミリアが軽やかに降り立ち、アテナが防壁を解除する。

 ほぅと胸をなで下ろす陵弥を得意げに見下ろし、ミリアは胸を反らして高らかに笑う。

「ふふんっ、見たかしら! まさに蜘蛛の子を散らすよう! アタシにかかれば、この程度の霊障、なんてこと――」

 自慢げに言う、その背後の霧が、ゆらりと動く。

「ッミリア!」

 陵弥が叫び、ミリアの表情が凍り付くのと同時。

 霧から一本の脚が飛び出し、ミリアの肩口を貫いた。

「いっぎ!?」

 後ろから前にかけて。陵弥の視界に、ミリアの身体を抜けて真っ赤に染まった先端が覗く。

「こっ――の野郎ぉぉぉぉぉぉ!!」

 痛みを絶叫で振り払い、ミリアは激しい閃光をぶちかます。

 およそ生物と思えない声が上がり、中間から絶たれた脚がミリアの身体から抜ける。

 貫かれた肩を押さえ、地面に倒れるミリア。

 しかし、間髪入れずに、再び無数の脚が霧の中から現れ、彼女を狙って振り下ろされる。

 ミリアはこれを転がって回避。立て続けに振り下ろされる脚がそれを追従する。

 とうとう身体を貫こうとした一本を、陵弥が双剣で断ち切り、ミリアを抱え上げる。

「ひぃったぁぁぁい!? 怪我したレディーは丁寧に扱いなさいよ馬鹿!」

「言ってる場合かよ!? また次がくるぞ!」

「なによ、そんなに多いの!? それとも、さっきのが全く効いてないわけ!?」

「分かんねえよ! でも、これじゃあジリ貧だ!」

「互いに背中をあわせろ! 絶対に背後を取られるな!!」

 いーすんの声に応じ、陵弥とミリアが背中合わせに、互いの死角をカバーしあう。

 蜘蛛の脚は、四方八方から縦横無尽に。先ほどの攻撃で怒りを買ったのか、より激しく重い攻撃が襲いかかる。

 左右からの挟撃を弾いた陵弥に、正面の霧から脚が飛来する。

 眉間を狙うようなそれを顔を逸らして回避すると、後ろをカバーしていたミリアの頬を掠め、鋭い悲鳴が上がる。

「きゃわぁぁぁぁ!? もうバカバカしっかりしなさいよぉ!!」

「精一杯やってるよ! くっ――『呪縛』!」

 陵弥は背中の呪符を動かし、ミリアの銅に巻き付ける。

 そのまま、二人同時に横飛び。

「も一発!!」

 ミリアが今度こそとばかりに、先ほどまでいた箇所に渾身の雷撃を放つ。

 しかし、手応えは全くないままに、立ち上がった二人に向けて、再び攻撃が降り注ぐ。

 敵の数も、位置もまるで分からない。目先数十センチから命を狙う一撃が立て続けに繰り出され、精神がみるみるうちに削られていく。 

「ダメよ! 霧がシールドみたいにエネルギーを吸収してる! これじゃあキリないわ!」

「何とかしないと……このままじゃ全員……っ!」

 精神が疲弊し、打ち漏らして付けられた薄い傷が増えていく。

 絶望的な状況に、目を閉じそうになる――その時だった。


「……よしっ」

 そんな気の抜けた声を上げて、睦美がゆったりと動き出した。

 まるで玄関のドアを開けるような気軽さで、一人で悠々と、霧の中へと歩いていく。

「睦美さん!? 何して――」

「大丈夫よ、陵くん。時間がかかったけど、もう”分かっちゃった”から。何の心配もいらないわ」

 陵弥とミリアに向かっていた攻撃が、僅かに緩くなる。対象を睦美に切り替えたのだ。

 数も知れない蜘蛛の脚が、無防備に佇む睦美を狙う。

 睦美はそっと目を閉じ――ただ一言だけ、唱えた。

「紡ぐ言の葉、耳朶の韻――【迫】」

 鍵を弾くような澄んだ響きが、霧もいとわず空間を震わせる。

 その途端――ズン、と。衝撃が地を唸らせた。

 陵弥達を襲っていた攻撃も、嘘のように消える。

 ギシギシと、無数の呻き。その音を聞きながら、睦美は穏やかな笑みを向ける。

 肩で息をしながら、ミリアが呆然と聞く。

「い、一体何をしたの?」

「詠の巫女が司るは言葉の力。言葉とは生物の遙か根底に息づくすべての根源。私はそこに座する魂の声を聞き、語り、これを掌握する……私の前には、どんな虚栄も意味を為さないわ」

 そう言うと、睦美は手を目の前にかざす。

「さ、姿を現しなさい……耳朶の韻――【散】」

 再び睦美が声を放つと、辺りを鬱蒼と覆っていた霧が、まるで嘘のように、風に吹きすさび晴れていく。

 まさしく夢から覚めるように、視界が開け、呼吸が楽になり、感覚が現実を捉える。

 果たして露わになったのは、半径百メートル円上に晴れ渡った空間に、間接をきしませる巨大な蜘蛛、占めて十体。

 全長は陵弥の身長ほどもある巨大な蜘蛛は……なるほど、こうして明るみに出れば、いつも戦っていた禍と同じ、恐れるものでもない。

 しかし、そうは考えられない人物が一人だけいた。

 キシキシと声にならない鳴き声を上げる蜘蛛達は……全員が、睦美を凝視している。

 得意げに微笑んでいた睦美に……たらりと、冷や汗が垂れる。

「……それでね? こうやって表に出すのが得意なのであって……禍自体が凶暴だったら、割と手が着けられないんだけど……」

 キシキシキシキシ……

「……た、助けて陵くぅ~~ん!!」

 キシャァァァァァァァァァァァァ!!

「ああもう世話やけるなぁアンタは!!」

 睦美の涙と同時に学徒全員が躍り掛かり、子蜘蛛の群は、五秒もたたない内に殲滅された。


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