第10話 夢とおっぱいと盗撮と…2


 カツカツと打ち付けられるチョークの音を聞きながら、陵弥はノートに胡乱な視線を落としていた。

 禍の襲来がない時は、陵弥もこうしてごく普通に授業を受けている。中高一環の、島に一つだけの学校では、学徒も一般人も貴賤はなく、子供は年齢と学習脳力に見合った授業を受けることになっている。

 島という環境の為に人数はひと学年三十人ほどと少な目だが、行っている教科も、流れるのんびりとした時間も、『大崩落』が起きたあの日から、大きな違いはない。

 この学校制度は、バベルの統治下では必ず実施されている。変わらない教育を施すことは、いずれ世界が元に戻ったときに、平穏な暮らしを送るための措置でもあるようだ。また、こうした平凡な日常を作ることが、『大崩落』で壊れた世界への、何よりの抵抗なのだとか。

 しかし、ダラダラと過ぎていく時間に退屈さを感じてしまうのも事実だ。学徒として日々鍛錬と戦闘を繰り広げる陵弥にとっては、それは更に人並み以上だ。

 あいも変わらず昔の歴史を語る教師の話を聞き流しながら、陵弥は自分の机に広げたノートに注目する。

 A4サイズの大きな手帳に書かれているのは、洸によって書かれた、禍の記録だ。陵弥との実力差を明確化したいミリアによって半ば強引に始まった物だが、意外と真面目に、非常に詳しく纏められている。体躯や戦闘の様子はもちろん、解説にはイラストまで付ける徹底ぶりだ。

(しかし……すっげえふわふわっとした絵だよなぁ。緊張感がないというか……殺されかけた化物が、マスコットみたいになってるし。このイタチとか、にゃーとか鳴くタイプだろ。なんだこのつぶらな瞳)

 洸の癖でとてもかわいらしくファンシーになった化物共に軽く辟易しながら、陵弥はそこから、必要な物をピックアップしていく。

 洸からこのノートを借りたのは、ある仮説を確認するためだ。

(やっぱり……短くなっている)

 脳裏で結論を下し、目を一つ瞬かせた。

 見ていたのは、禍の出現頻度だ。

 陵弥も実感として感じていたことだが、こうしてデータとして見ると、この数ヶ月、明らかに出現の間隔は狭まっていた。

 三年前……学徒に就任したての頃は、一ヶ月に一度ほどだった。それが今では週に一回は必ず。場合によっては四日とたたずに次がやってくる。過去を考えれば、異様なほどの早さだ。

 霊障の原因となるクレバスは、世界を構築するエネルギーである霊素が圧縮されてできた歪みだ。だから必然的に、霊素が充満している場所に現れやすく、バベルではそこをタスクと呼んで管理している。

 そして禍は、その霊素が影響を及ぼしてできる化物だ。

 生き物に憑依する、あるいは霊素自体が形を作るなど様々な形式はあるが……禍の出現頻度は目に見えて増加し、更にその凶暴性や残忍性は、ここにきて益々強くなってきている。

(っていうことはやっぱり、霊素の濃度が濃くなっているってことで……必然的に――)


 クレバスが開くのも、近づいているということ。


 そう結論づけて――ノートから視線を外した陵弥の脳裏に浮かんだものは、戸惑いだった。

(……何だろうな、この思い)

 クレバスが開くというのは、とんでもない災害で、その時は、少なくない被害が、このタスク3を襲うだろう。

 それを自分は――期待している。

 早くクレバスを『門』として安定化し、バベルの任から解放されたい。霊装士として認められ、本土に行き――今も病室にいる彼女を、救いたい。

 災害を望むなんて、不謹慎だとは思う。だけど、その時が近づいているのを感じると、陵弥の願いもまた、益々はやるばかりだ。


 靄のように澱む考えを払拭するように、授業終了を告げるチャイムが鳴った。

 しばらく虚空を眺めていた陵弥は、嘆息一つ。ノートを閉じると、席を立って洸の元へと歩み寄る。

「洸、サンキューな。返すよ」

「……ん」

 渡されたノートを、洸はおずおずといった感じで受け取った。

 元々人見知りする性格で、あまり反応を返すことは少ないのだが……挙動不審な様子は、いつもとは少し違う。

 返してもらったノートで顔を隠しながら、ちらちらとこちらを見てくる。

 今朝の一件を引きずっているのは、様子から見て明らかだ。

「あのな、洸。今朝は確かに俺もびっくりしたけど、全部睦美さんがやったことだから、お前は気にしなくていいんだぞ?」

 陵弥が努めて明るく笑うも、洸の視線は泳いだまま。

「それとも、どうかしたのか? 何か……その、問題とか?」

「んん……そう、じゃない」

 顔の下半分をノートで隠したまま、もごもごと言葉を出す。

「朝、起きたら……りょーやの顔、近くて、びっくり……それ、だけ」

「あー……そりゃ、目の前で騒ぎ立てられてたらびっくりもするか。悪い」

「……それも、それ……ほんとは、もっと、ある」

「もっと?」

「……なんでも、ない」

 短くそう言うと、さっと視線を逸らす。

 さっきから、口元をノートで必死に隠そうとしている。

 僅かに見えた口元は微かに綻び、頬が僅かに紅潮している。

 照れる意味が分からないが、なんとなく、陵弥は何とも言えない気分になる。

「そういや、睦美さんが言ってたな。俺は何かいい匂いがするって。洸もそう思うのか?」

 何となく聞いてみると、洸はおずおずと首肯した。

「ん……りょーや、におい、すき。ぎゅってすると、ふわふわ、なる」

「そ、そうか……」

 意外な程に素直な好意が返ってきて、逆に陵弥が狼狽えてしまう。

「それだけ、違う……りょーや、やさしい、安心、する」

「な、なんか、そんなに褒められると照れるな」

「できるなら……ずっと、ぎゅーっ、してほしい」

「……」

 若干、好意が激しい気もするが……。

 まあ、こうして学校にいるときでも、生徒の視線や会話に怯えるような少年だ。こうまで親しく接せれる人間がいることは、純粋に良いことだと思う。

「りょーやの……おっきいし、たくまし、ぃ……」

「うん、言葉の選び方に気をつけような? 『背中が』とか、そういう略し方には注意しなきゃダメだぞー? 大変なことになるぞー?」

 まくし立てて、陵弥は強引に洸の頭を撫でて口を塞ぐ。

「ん……にぃ……」

 少し乱暴にうりうりと髪をかき回しても、洸は気持ちよさそうに目を閉じて、自分から頭をすり付ける。

『ね、見て見てあの二人』

『ん~、やっぱあの二人は絵になるなぁ~。うまいっ。うまいよぉ~』

 その様子を見て、クラスの一部連中(主に女子)が、にわかに色めき立つ。

 むずがゆい視線を受けて、何ともいえない気分にさせられる。

 学徒は、このタスク3を禍の脅威から守る、謂わばヒーローだ。だから陵弥も洸も島では有名人だし、控えめに言っても結構な人気がある。

 しかし、その人気が変な方向に暴走するのか……たまに、こういう好奇の目に晒されることがある。

 未だ自分に抱きついて気持ちよさそうに目を細める洸は、その視線には気づいていないようだ。

 陵弥は盛大にため息を吐き出す。

(気持ちは分からんでもないけど……なんで俺と洸で色めき立つかなぁ。それなら睦美さんとかの方が……って! いやいや違うそういうことじゃない!)

 頭をぶんぶんと振り、脳内に蘇る光景や柔らかさを追い出す。

「……どうし、たの?」

「い、いいや何でもない。ホラ、そろそろ離れろ、な?」

「ぶー……りょーや、いけずぅ」

「男子がいけずとか口にするもんじゃない」

 むくれる洸を引きはがして、何となく居心地の悪い空気に頭をかく。

 そんな陵弥の背中に、飄々とした声が掛けられた。

「よぉ~う陵弥、相変わらず辛気くさい顔をしてるな、お前は!」

 学徒の一人、似像貴之だ。

 長い前髪を編み込んだ独特なドレッドを揺らしながら、狐に似た顔を破顔させて陵弥の肩に腕を乗せた。痩躯だが体つきはよく、陵弥と肩を並べると、気の置けない相棒のようにも見える。

 引き上がった薄い唇を見て、陵弥は聞く。

「貴之……お前はいつになく上機嫌だな?」

「おうともよ。実は今朝、いいネタを仕入れてな」

「ネタ……おすしぃ?」

 とぼけた様子でもない洸の言葉にニヒルな笑みを返して、貴之は陵弥の耳元に口を近づけ、囁いた。

 ――陵弥を貶める、致命の毒を。

「ハハ……強請ゆすりのネタに決まってんだろぉ、陵弥?」

「っ――お前っ、まさか!?」

「そのまさかだよぉ」

 口の端をこれ以上なくつり上げて、貴之は懐から一枚の写真を撮りだした。

 裏を見せたままピラピラと揺れる写真に、目が釘付けになる。鉄棒でもつっこまれたように、体が硬直して動かなくなっていた。

「いやな? なんか面白いものでもないかなと『視点』を飛ばしていたんだが……なんとまぁ見つかるじゃねえか。朝から盛りまくってる甘えたがりのマザコンさんがなぁ」

 嗤い、写真をひっくり返す。

 そこには、まさに今朝――睦美に膝枕をされている陵弥が、ばっちり映されていた。

 ピッと指を弾けば、二枚目……紅潮した睦美に押し倒される陵弥の姿。

 芸能人であれば失墜まで一直線。それほどのスキャンダラスな写真だ。

 ぞわ、と背筋が粟立つ感覚。一気に緊張した表情を敏感に悟り、貴之は更に笑みを酷薄なものにした。

「いや、実際の話……ミリアちゃんとか、伊吹ちゃんとかあの辺に見せたら、どういう反応をするのかねぇ……いやはや想像するだけで愉快愉快」

「骨の数を倍にされたくなかったら今すぐ寄越せ」

「ちょぉぉ待て待て暴力反対! すーぐ拳が出るなぁどいつもこいつも!」

 両手を振って距離を取った貴之が、脅迫するように写真を指で摘む。

「落ち付けって陵弥。俺は愉快犯だがワルじゃない……データはこの一枚きり、複製もアップデートも取っていない……今は、まだ」

「む、ぐ……っ」

 最後の言葉を殊更強調し、陵弥の喉が詰まる。

 ニヤニヤと卑しい貴之の笑顔を、陵弥は苦し紛れに睨みつける。

「……二千」

「ふぅん?」

「っ……三」

「ここにおわします皆の衆! 我らが天童陵弥の秘蔵の――」

「五千だ畜生め!」

「よっしゃ売ったぁ! いい商売をありがとう、愛してるぜ陵弥!」

 途端に顔を明るくした貴之は、大げさに陵弥の肩を叩いた。

 見事に、してやられた。勝ち誇った笑みが、ただひたすらに憎らしい。

「くっ……この覗き魔がぁ……!」

「その通ぉーり! 霊装展開――顕現イグジスト!」

 声高らかに宣言すると、貴之の右手が輝く。

 光が収まった手には、一眼レフの大きなカメラが握られていた。

「この俺の霊装『ディスタービア』に覗けない物はない! この島丸々全てが、ナウ・オン・タイムで俺の撮影現場なのさぁ!」

 ポゥ、と小さな音を立てて、貴之の周囲に何かが出現する。

 一般人には、存在さえ知覚できない。霊感のある学徒でさえ、注視しなければ見えない。まるで隠者のように薄い、淡く光るソフトボール大の透明な球が三つ、貴之の周囲に浮かんでいた。

 『視点』と呼ばれるそれは、読んで字の如く、遠隔操作可能な『ディスタービア』の目だ。

 数は三つ。距離は半径五キロ。カメラと連動したこの視点を飛ばすことで、貴之はあらゆる場所の光景を見て、撮影することが出来るのだ。

 元々の出自は、貴之がきまぐれで質屋から買った、曰く付きのカメラだったらしい。『大崩落』の後、充満した霊素によってカメラの呪いが増幅し、このような能力を発現するに至ったという。

 島全域を見渡すその能力を以て、貴之は禍の出現時には司令塔としての役割を果たす、かなり重要な役回りを勤めているのだが……

 貴之は大仰に机の上に立ち上がると、教室を見渡し、懐から大量の写真を取り出した。

 どうやら彼の『副業』が、今日も幕を開けるようだ。

「さあさあ皆の衆。ここらで俺のスナップストアを開店といきますか! パンツは縞々? フリフリ? 胸は小さいのか大きいのか? 何でもござれの大盤振る舞い! この俺直々厳選のぉ、レディーの無防備な艶姿が満載だぁ!」

『っしゃあ、待ってたぜ盗撮魔!』

『タスク3のスケベ筆頭、俺らの欲望の救世主!』

『絶対いい死に方しないからね、エロ魔神!』

『ゴキブリ……禍の餌になればいいのに……!』

 男子が賛同し、女子が侮蔑と怨念を込めた声を投げる。

 そのいずれも、まあ目を覆うような酷い呼び名付きだ。

 隠密性に優れる『ディスタービア』の力は見事に悪用され、貴之は島随一の『盗撮写真家』として、その悪名を轟かせている。

 貴之がタスク3に訪れて三年。この学校の殆どの女子は、彼に恥ずかしい写真を握られているのだ。

 必然的に巻き起こる女子の総バッシングも、貴之には何のその。沸き立つクラスメートを睥睨して、より一層笑みを深くする。

「ハッハッハァ! レディーの誹謗中傷も、野郎の賛美の声と中和すればイーブンイーブン! いずれにせよ、俺が特別な存在であることに揺らぎはな――うぉっちょ、コラ、シャーペン投げんなそこの女子! 危ねえ!」

『うっさい! この前女子トイレにまで目を向けていたの、私は絶対に許さないからね!』

「安心しろ、販売時にはちゃんとヤバいとこにモザイクをかけ――ごふぉ!?」

『死ね! 末代まで生まれたことを後悔して死ね!』

「ふっざけんなマジ殺す気か!? ヘア無修正版を複写して拡散してや――ぎゃああああ!?」

『魂ごと灰になって蒸発しろ淫猥犯!!』


(……仮に死んでも、アイツは絶対幽霊になるもんな。純度百パーセントのエロい奴に)

 こうなってしまえば、もう陵弥は傍観するしかない。

 兎にも角にも、周囲を巻き込んでバカ騒ぎをするのは、楽観的で飄々とした貴之の、裏表のない性格のなせる技か。

「しかーし! 聞いてくれ皆の衆!」

 と、賑わい出したクラスの一同を、貴之の張りのある声が押しとどめた。

 ざわめきだす集団を見回して、貴之は一転して声の調子を深く落とした。

「この盗撮家たる俺は、今、空前絶後の大チャンスを迎えている」

 未だ机の上に乗ったまま、演説じみた言葉を紡ぐ。

 貴之の細い目は力強く見開かれ……野心に熱く燃えていた。

「今日こそ。今日こそ、成すときが来たのだよ諸君……!」

 堅く拳を握りしめ、震わせる。

 熱く迸る思いに、体が勝手に高ぶる。

「知ってるか? この後の三限目。一個上のクラスは体育の授業なんだ」

「……まさか」

 アホらしいと断じていた陵弥でさえ、彼の目的に気づいた瞬間、戦慄する。

 それは、一人の変態の、揺るぎなき覚悟と矜持。

 ただひたむきにエロを求める、一人の漢の果てなき願い。

「俺は、今日――ミリア=ラ=グレンデルのえっちぃ写真を、このレンズに収めることを、ここに宣誓する!!」

 堂々と宣言された、その名前に、クラス中に驚愕の渦が広がった。

 ミリア=ラ=グレンデル。

 剛毅快活、豪華絢爛、気高く勝気な孤高の存在にして、強力無比な学徒の戦闘員。

 英国生まれのその美貌は、タスク3でも唯一無二だ。

 色めき立つ教室の様子が、その人気ぶりを如実に物語っている。しかし、その動揺には別の意味も篭められている。

 本来なら、貴之の前で彼女の名前を出すことは禁則事項なのだ。

 理由は単純――

「トライすること五十八回! 見つかって半殺しにされた回数もきっかり五十八回! 正直もうウンザリだし俺を見る目は絶対零度だし、同じ部屋にいるだけで震えが止まらねえ!」

 ――自業自得による、ガチのトラウマだ。

 ミリアの抜群の感性は貴之の策を見事に打ち砕き、島内屈指の美貌のラフショットは、未だ入手に至っていないのだ。

 今まで撮れたものは、戦闘時などの油断を狙った、パンチラ写真程度。

 それでさえ、物によっては数千円の価値を生む。ミリア・ラ・グレンデルはまさにハイリスクハイリターン、美しく危険な薔薇の花だ。

「だが、違う! 違うんだ! 俺が求めるのはパンチラではなく、完全無防備英国美少女のラフショットセミヌード! 艶やかな姿にあどけない笑みこそ、俺が求める奇跡の一枚!」

 言葉だけを取れば、何とも手の施しようのない盗撮家の美学だ。

 だが、相手はあのミリア。セミヌードという言葉に、クラスにも高揚が伝播する。

 仮に彼女が生まれたままの姿を晒すというならば……それはもう、ルーブル美術館にて飾られるべき代物だ。その美貌には、男女問わずに魅了されることだろう。

 しかし、陵弥は騙されない。

 美貌よりも何よりも――彼女は、余りに危険すぎる!

「オイ、やめろ貴之! 考え直せ!」

「止めてくれるな陵弥! 今日こそ、根拠とかないけど今日こそいける気がするんだ!」

「バカ、やめろ! 死ぬぞ! 周囲にいる俺らごと!」

「旅は道連れ、世は情け! いくぞ、『視点』展開!」

「俺はエロの道で死ぬ気はねえ――聞けって!」

 陵弥の必死の説得も虚しく、半透明の三つの光球は、貴之の号令に併せて、開いた窓から教室を飛び出していった。

 淡くぼんやりとした光なのに、まるで蜂のように素早く、迷いなく飛んでいる。

 三百メートル先のグラウンド横にある女子更衣室まで、あっという間に到着する。

「さて、いくぜぇ……」

 唇を舐めて、貴之はレンズを覗き込む。

 今、彼の視界は三つの光球の視界を共有している。日頃の盗撮で培われた操作技術で、蜂のように素早く動き、迷いなく定位置につく。

 ディスタービアの『視点』は、存在こそ見えにくいものの明確な実体を持つ。壁を通り抜けたり、狭い隙間に潜り込んだりする事はできない。

 だが、そんなものは熟慮済みだ。更衣室に入る女子が開けたドアの隙間から、三つの内二体が中に侵入する。

 ミリアが着替える場所も、既にリサーチ済みだ。グラウンドが見える、一番窓際。貴之は室内の二体をそこに近づけ、残る一体は、窓の外から機を伺う。

 更衣室の光景は、もう桃源郷だ。無防備な下着姿と無邪気な笑顔がてんこ盛り。思わずシャッターを切りたくなる魅惑の光景だが、今回は趣旨が違う。妥協せず、最奥に眠る虎の子を、確実に被写体に納めるのだ。

 どこまでも陰を薄く、静かに正確に。

 貴之は呼吸すら止めて、三つの視点の歩みを慎重に進めていく。

 更衣室に――侵入。両側にロッカーがあり、真ん中に市民プールにおいてあるような青みがかった長いすがある、何の変哲もない部屋だ。それ故に開放的で、撮影場所としても申し分ない。

 貴之は素早く、そして迷いなく視点を操作する。

 光球の一つは、ロッカーの上に滑り込ませる。もう一つは中央にある椅子の下。蛇のような狡猾さで、ゴールまで距離を積めていく。

 狙うは三枚――内からロー、アップ。そして外からの全身図。

 椅子の下の視点が、ミリアの細くしなやかな足を捉えていた。黒いソックスに、白いふくらはぎ。

 それだけでも扇状的な光景に――すとん。と、上からスカートが落ちてきた。

(っ……!)

 この瞬間にも鼻血を吹き出しそうな、たまらない背徳感だ。

 だが、違う。今じゃない。もう少し……もう、少し……。

 機を伺う光球の視点で、瀟洒な足が動き、陶磁器のように艶やかな指がスカートをつまむ。

 片足と、片腕が塞がっている。

 この瞬間を待っていた。

 完全なる無防備。抵抗する術など、ある訳がない!

(今――ッ!)

 覚悟を決めて、三つの光球が飛び出す。

 貴之の視界が、白い肌と長い金髪を捉え――即座に消滅した。

 シャッターを押す暇さえ許さない、秒にも満たない一瞬。金色の針が飛来し、三つの光球を同時に砕いた。

 視界が途絶える寸前――ぎろり、と。ミリアの獣のような眼光が、視界の奥にいる貴之を確実に捉えていた。


「……あっ」

 思わず漏れた、そんな素っ頓狂な声。

 貴之はカメラを覗き込んだまま硬直し、教室がシンと静まりかえる。

 静寂を奪った音は、窓の外から聞こえてきた。

 バチッと、そんな火花の弾ける音とともに、教室が金色の輝きで満たされる。

 恐る恐る振り向いた、その窓の外に――


「ふぅん……そっかぁ。そうなんだ……死にたいんだ?」

 ――金色の光を纏う、仁王立ちの夜叉がいた。

 体操服姿のミリアが、自らの『ドラゴニア』によって浮いていた。怒りに膨れ上がったオーラは花火のようにバチバチと弾け、閃光を迸らせている。

 笑みを作る瞳が、氷の刃のように一同を睥睨する。

「似像貴之……天童陵弥もかぁ。そうなのね……アンタ等、ホンット性懲りも無いわけね……?」

「……いや、俺は別に」

 咄嗟の言い訳が、バチィッという大きな炸裂音にかき消された。

 雷に匹敵する閃光と衝撃。右手を挙げたまま、陵弥の口元が引きつる。

 戦慄する教室内の面々を睥睨し、ミリアは自らの髪をかき上げ、ぞっとするような笑みを見せた。

「ホント、何度も何度も……言うんだけどさぁ……!」

 語気がどんどん強くなる。まるで導火線が短くなっていくように、怒気はどんどん膨れ上がる。

 金色の奔流とともに、とうとうそれが弾けた。

「そんなにさぁ……写真が好きならさぁ――ッ」

「まずっ――『地極・奮迅』、顕――」

「全員まとめて――フィルムよろしく、壁のシミにでも現像燃射してやるぁぁぁぁぁぁ!!」

 絶叫し、金色の奔流が教室を飲み込んだ。

 2ーA教室が崩壊した。


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