第26話 神の鉄槌! 会心撃! 2
――何故だ。
宙を舞いながら、禍は自問した。
自ら舞っているのではない。雷光に吹き飛ばされたのだ。
衝撃は纏う霧の羽衣が緩衝材になり、殆どを吸収している。傷も、大したことではない。
クレバスに繋がっているのだ。止め処なく流れ込む霊素が、自らの限界を引き上げる。
概念も、物理的な制約も、全てを覆せるのだ。
負ける要素など、微塵も思い当たらない。
天井に糸を伸ばして体を吊り、空中に止まる。
顔を前に向けた瞬間、眼前まで接近していたミリアが、光り輝く拳を握り込んでいた。
その笑顔に。迫力に。気圧されて挙動が止まる。
「だぁぁぁらっしゃぁぁぁぁ!!」
傍観する四つの眼球のど真ん中を捉え、ミリアの拳が深々と突き刺さった。
振り抜き、吹き飛ばす。禍の身体は、またもや宙を舞った。
――何故だ。
その身体を呪符に捕らわれながら、禍は自問した。
足に巻き付いた呪符の綱が、ビンッと張りつめて禍の飛翔を止める。
呪符の『魔封じ』の力が発動し、禍の霊素を奪いにかかる。
「ぐっ――」
霊素は無尽蔵だ。痛くも痒くもない。
だが、霊素が抜き取られたことで、一瞬動きが揺らぐ。
背中から伸びた蜘蛛の脚が切り裂くよりも早く、陵弥が綱を引き、禍の体を引きずりおろした。
地面に叩きつけ、粉塵を巻き上げる。
起きあがった禍の目には、双剣を手に猛然と駆ける陵弥の姿。
「舐めるなぁぁぁぁぁ!」
禍は八本の脚を蠢かせ、同時に床に残った蜘蛛の糸を操る。
怒濤の攻撃が、一斉に突き出される。
陵弥は、それを全て双剣でいなしながら猛進する。
全く速度を落とさず、避け、いなし、斬り伏せ、懐まで難なく到達する。
陵弥は、右手の剣を逆手に持ち替え、その拳に呪符を巻き付けた。
「ッぜえええええい!!」
気合いと共に、一発。
拳が閃き、またも禍の顔面を捉えて、遙か後方へと吹き飛ばした。
――何故だ……!
地面を数度バウンドし、禍は糸を体に引っかけて空中に浮遊する。
追撃するように放たれていた雷光を霧の羽衣でいなし、そのまま脚を横薙ぎに振り、迫っていたミリアを弾き飛ばす。
二人から大きく距離を取った禍は、再び脚を放射状に開き、空間の局所に突きつけた。
空間が引き裂かれ、クレバスが誕生しようとする。光を放つ裂け目から、まるで間欠泉のように真白の霧が吹き上がる。
「掻き消えろ……! お前たち全員、白の闇に飲み込んでッ――」
「耳朶の韻、三拍拡唱――【散】」
禍の声を割るようにして、清水のように澄んだ声。
詠うような言葉に呼応するようにして、今まさに広がろうとした霧は、瞬く間に吹きさらされ、消滅する。
禍は言葉もなく、その呆気ない手応えを感じる。
呆然と周囲を見れば……眼下には、穏やかに微笑を称えた、流麗な女性が一人。
「どうしたの? さっきよりも弱々しい……焦ってるのかしら?」
「き、さまぁぁ……!」
「あらあら、怖いわねぇ……二人とも、よろしくね?」
その言葉に戦慄し、振り返る。
はたしてそこには、意気揚々と迫る二人の勇姿があり。
――その直後、迫り来る二つの拳が視界を埋めた。
「「どぉぉりゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」」
ズガァァ! と凄まじい音と共に、両雄の鉄拳が同時に炸裂する。
眉間にめり込んだ拳は、禍の目に直撃し、額部分の小さい二つを叩き潰した。
血色の軌跡を描きながら、彗星のような軌道で壁に激突する。
壁面にクレーターを生み、絶大な衝撃が建物全体を軋ませる。
「が、あ、ああああああああ……!」
損傷した眼球を高速で修復させながら、禍は吼える。
「何故だぁぁぁぁ!」
激高し、禍は、更に背中から十六本の長大な脚を生み出した。
二十四にまで増えた槍が、一斉に二人を狙う。
「っこれは無理! ミリア!」
「分かってる! しっかり捕まってなさいよ!」
陵弥は呪符の一つをミリアに巻き付け、そのまま後方に飛ばす。
ミリアが即席の竜を作り、それに乗ってさらに加速。陵弥を引っ張り、高速でその攻撃から逃げ出す。
しかし、それで逃れられるものではない。攻撃は陵弥の体を掠め、肌を薄く裂いていく。
しかし、陵弥の背中に吸い込まれそうになった一撃は、陵弥が背中にかざした双剣に弾かれた。
紙一重で避け、致命に至る一撃だけは正確に、全て見事に弾いてみせる。
まるで背中に目がついていたかのような、的確な防御。
「っしゃ! ナイスだ貴之!」
『おうともさ! 追撃来てるぞ。ミリア、後方にスパーク! 傾斜角十度、相棒に当てんなよ!』
「軽く言うわね! ったく!」
悪態をつきながら、ミリアが振り向きもせず後ろに雷撃。更に陵弥に迫っていた脚を薙ぎ払った。
二人の周囲には、注視しなければわからない、薄い三つの光球が浮かび、せわしなく周囲を警戒している。
視界さえ確保できれば、似像貴之の視野は無尽蔵だ。
「貴之、敵の隙を見つけろ! まだぜんっぜん効いてねえぞ!」
『隙だな!? よっしゃ、じゃあ色仕掛けだ! 今すぐミリアのライトイエローのブラのホックを外して』
「写真納めたらひっぱたくからね!?」
『先っぽだけ! 先っぽだけだから!』
「それが一番アウトだっつーの!?」
そんな小気味のいい会話まで交わしながら、二人は禍から距離をとり、軽やかに着地する。
「何故だ何故だ何故だぁぁぁぁぁぁ!!」
吼え、真紅の瞳を怒りに塗り潰し、脚を蠢かせる。
傷は瞬く間に修復する。霊素は無尽蔵。攻撃など、大して効きはしない。
対するこちらの攻撃は、まさしく圧倒的。量も威力も遙かに上回り、会戦する毎に、浅くない傷を負わせていく。
なのに、何故……
傷つき、疲弊し、圧倒的な差を見せられて……何故!
奴らは、笑っていられるのだ!
「ああああぁぁぁぁああ! 私の力は神にも等しいのだぞ! この力の差が分からないのかぁぁ!?」
何をヘラヘラと笑っている!
何を悠長に、小賢しい殴り合いを行っている!
下等な人間風情が、私を見下すな!
「跪け! 許しを越え! 絶望に染まり生を諦めろ! 何故だ! 何故――っ何がおかしいぃぃぃぃ!!」
数多の脚と糸の束が、雨のように飛来する。
陵弥は、口元に笑みを張り付けたまま、双剣の一方を肩に担ぐように持ち替えた。
貴之の視点の一つが、陵弥の眼前に浮かび、照準の代わりを果たす。
「ど真ん中行くぞ、貴之――ッ」
『おう。記念写真だ、格好良く決めてやれ』
パシャ、というシャッターの音。
同時に、陵弥は全力を賭して、剣を投擲した。
彗星のように直進する剣は、針穴を通すような正確さで禍の怒濤の攻撃をかいくぐり、霧の羽衣の肩口に、激しく突き刺さった。
「ギ、ィィィィッ!」
「分かんねえだろうよ、化物」
剣に繋がった呪符を握りしめ、陵弥は言う。
その手を覆うようにして、しなやかな手がそっと包み込む。
隣を見れば、何とも楽しげに笑う、勝ち気な英国美少女の顔。
顔を並べて、勇み輝く瞳をまっすぐ向ける。
「一人じゃないのよ。誰かを想って、想われて……それがどんなに頼もしいことか。どれだけ力を与えてくれるか! どれだけ心が高ぶるか! アンタみたいな愚図下素外道アーーンド孤独ぼっち性根ひん曲がりの畜生蜘蛛には、何度輪廻転成したって分かりっこないけどねぇ!!」
陵弥が手を離し、ミリアが懇親のスパークを放った。
呪符を伝い、剣に通電し、禍の身体に雷を落とす。
目も眩む閃光。エネルギーの塊が、身体の内部で爆ぜた。
意識が明滅し、視界が真っ白に染まる。
「が、ぁ……?」
「それにな、お前は俺を舐めすぎだ」
ミリアからバトンのように綱を受け取り、陵弥は腕にぐっと力を込める。
「六年だぞ……六年間、俺はずっとお前に大切な人を捕らわれ続け、煮え湯を飲まされてきたんだ……!」
数多の禍と戦い鍛え抜かれた腕が盛り上がり、身体が興奮に躍動する。
「溜めて溜めて、発散もできずにどうしようもなかったジレンマ……それが、お前を倒せば全部全部解決するっ!」
ぐんっ、と力強く綱を引き、未だ痙攣する禍の身体を引き寄せる。
まるで野球のボールのように、陵弥めがけ一直線に飛来する、憎き敵。
待ち受けるは……堅く堅く握り締めた、積年の拳骨。
「恨み多すぎて何遍殴ったって足んねえよこのクソ野郎がぁぁぁぁ!!」
思いの丈を全て乗せた拳が、禍の頭蓋を砕き割った。
鈍重な音が響きわたり、禍の身体が遙か遠くに吹き飛ばされる。
床を何度もバウンドし、錐揉み回転しながら跳ぶ。
その最中、体を覆い続けていた霧の羽衣が、雲散霧消して消えていく。
背中を覆っていた脚も幻のように消え、伊吹が着用していたワンピース姿になった禍は、うつ伏せにぐったりと横たわり、動かなくなった。
「――よし、転化完了。クレバスの『門』化、成功だ」
「一件落着、ですね。ほっとしました」
振り返れば、ちょうどアイギスの黄土の障壁が消滅し、二人の女神が壇上から降り立った所だ。
壇上に開いていた裂け目は、今も煌々と輝き続けている。しかし、荒々しく危うげだったそれは、今は非常に落ち着き、放つ光もどこか柔らかく、日溜まりのような温かさを感じさせる。
見るのは初めてだったが、この光こそが、神の威光――門であることはすぐに知れた。
おっさんみたいに肩をさすりながら、いーすんが、学徒二人の晴れ晴れとした顔を見回し、一つ大きく頷く。
「うむ。どうやらそちらもうまくいったようだな」
「お疲れさまです、お二人とも」
「お互いにね……でも、こっちはまだ終わってないわ」
「だな」
陵弥が頷き、首を回す。
人型に戻った禍はうつ伏せに、今もぐったりと動くことなく制止している。顔は見えず、長い黒髪が、まるで蜘蛛の巣のように床に流れている。
「霊素の供給もすでに絶たれた……もう虫の息だろう」
「虫だけに、ですね」
「ちょっと黙ってて欲しいし、蜘蛛は虫じゃないわよ。知らなかった?」
「……一応、蜘蛛も虫だぞ。昆虫に属さないってだけで」
「アンタ嘘教えたわねぇ!?」
真っ赤になったミリアをいなしつつ、陵弥はじっと、倒れた禍の背を見つめる。
時が止まったように、ぴくりとも動かない。随分とちっぽけに見えるその様は、陵弥に幕切れを思わせる哀愁を感じさせた。
ぽん。と、ミリアが一度、陵弥の肩を叩く。
「……アンタが終わらせなさい。それは、アンタの役目よ」
「……ああ」
意を決し、一度大きく頷いて、足を前に出す。
不思議な緊張で、体が萎縮していた。妙に動かしにくい体を稼働させて、倒れる禍に近寄る。
眼下に見下ろす距離まで来ても、禍はピクリとも動かなかった。伊吹を象っていた身体は所々が黒ずみ、ヒビが入っている。まるで、壊れかけの陶器人形だ。
陵弥は、両手に持った双剣を、ぎゅっと握りしめた。
……ここで、終わる。
あそこから始まった、俺の全てが。
今、決着する。
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