第30話 エピローグ ~君がいるから、戦える~ 2




 『門』――それは、溢れ出る霊素の極限体であるクレバスを、神の叡智によって天上界と同じ属性に転化させたものだ。

 神々が組織するバベルの至上命題、天上界の昇天に最も必要なものであり、同時に、霊素を収束し、地上世界を神の加護で安定化させる役割も果たしている。

 門が誕生したことで、このタスク3という島は、晴れて『神の領土』となったことになる。

 三日を経て、門の開いた競技体育館は、随分と様変わりしていた。

 似像貴之が、呆然と目を丸くしながら、カメラのシャッターを切る。

「様変わりっていうか……なくなっちゃってるじゃねえか。綺麗さっぱり」

 呟く貴之の言葉通り、六百人以上を収容できる巨大な施設は、忽然と消え去ってしまっていた。

 施設まで続いていた石畳は綺麗に整ったままで、他も何一つ変わらない。それなのに、目的地である施設だけがない。まるで突然、ぽっかりと穴が開いたみたいだ。

 光が口を呆然と開き、ほぇーと素っ頓狂な声を上げる。

「あれだけおっきいのが消えちゃうと、さすがにびっくりだねー」

「キャトルミューティレーションでもされたみたいね。これも神器の力ってやつなの?」

 ミリアが視線を落とすと、平行して歩いていたいーすんが、得意げに首を振る。

「うむ。この私のオリジナル神器『ぱくぱくディメンジョンくん』の力だ! 指定対象だけを分解し、次元回廊を通して虚構空間に埋葬する神器だ! 吸い込んだ物は時間も空間も存在しない場所に排出され、二度と出てくることはないぞ!」

「「なにそれこわい」」

 冗談みたいなネーミングセンスなのに、それ以上に冗談みたいな恐ろしい能力だ。

「むっはっは。効率性も有効性も度外視の能力だからな。危険だから、アイギスも使って、作業が終わるまでは誰一人立ち入らせなかったのだ。神器自体も、使ってすぐに廃棄したぞ」

「廃棄って……使うのも危なければ、捨てるのも危険極まりなさそうね」

「その点は心配するな。使い終わったら両手でポキッと折るだけだからな」

「この威力でハンディサイズ!? ますます怖いわね!」

 そんなことを言っている内に、一行はその場所へと近づいていく。

 空間にできた裂け目は、今も煌々と温かな光を出し続けている。

 その裂け目は、壁のようなものに内蔵されていた。

「なんだっけ、陵くん。石碑的な。ゲームとかでよくある奴」

「モノリス?」

「ああ、それ!」

 黒曜石のような、黒く光沢のある石版。その中央に、輝く裂け目が埋め込まれている。

 その石版の下に、その人物は荘厳に腕を組んで立っていた。

 神々しい輝きに潰されることのない漆黒の美が、腕を組んで一同を見下ろしていた。

「うわっ、すっげー美人」

 貴之が目を丸くしてシャッターを切る。陵弥も、カメラを持っていたなら同じことをしただろう。

 美しい女性だった。銅色に光る、真珠のように艶やかな褐色の肌。髪は肌と相反するような、目を見張る銀色。長く硬質で、所々が跳ねている。

 何より、その瞳の琥珀色の輝きが、人を超越した神であることを物語る。

 美しい、でもアテナのような洗練された美しさとは違う、高貴でありながら、獅子のような猛々しさを感じさせる女性だった。

 いーすんが近寄り、彼女の名前を呼ぶ。

「ヘイムダル」

「久しぶり、ヘファイーストス。御足労傷み入る」

「なんの。こちらも待っていたところだ」

「そう。息災で何より」

 若干淡泊に聞こえる応対。澄み渡る琥珀色の瞳は、感情の起伏を見せずに、ただじっといーすんの顔を見つめている。

 見守るばかりの学徒の側で、アテナが説明する。

「ヘイムダルさんは、元は天上界のアスガルズにて地上世界の監視者を努められていた、北欧の神様です。バベルの門を全て管理して、門と門を繋げる能力を持つ、すごい方なんですよ」

「へぇー……ん? 北欧?」

「そういえば、アテナさん達はギリシャあたりの神様よね」

 耳ざとく聞きつけたいーすんが、ヘイムダルの手を握ったまま会話に交ざる。

「ふふん、それこそが人の思う天上界の異なる部分だろうな。天上界が形作る神の世界は一つではない。人の信仰の数だけ神は生まれるのだ」

「だけど、あんまり仲は良くなかった……いや、不干渉かな」

「そうだなぁ。ユグドラシルとオリュンポス……世界の規格が同時に存在しているのだから当然だ。それに、神話ごとに唯一神やら全能神がいるわけだしな」

「そう……ゼウスより、オーディン様のほうが優れている。これだけは、ちょっと譲れない」

「まあまあ。そんな風に各々不干渉だった神が、『大崩落』を機に結束し、地上世界を救うためにバベルを結成したのだ。中々美談だと思わないか?」

 いーすんが得意げに笑い、ヘイムダルが頷く。

 違う神話の神の間には、確かな信頼が見える。『大崩落』による騒動と、そこにあったドラマを感じさせた。

「まあ、その少しタメになる神様事情は置いておいて。召集をかけたのはアンタなの?」

「そう……本題に移ろうかな」

 一息ついて、ヘイムダルは前に歩み出る。幼女であるいーすんの隣では分からなかったが、近づくとかなりの高身長であることが知れた。

 黒地に金色の装飾が散りばめられた礼装は、胸元が大きく開かれて、褐色の艶やかな肌が露わになっている。揺れる大きな胸に、貴之は咄嗟にカメラを構えようとしたのだが、さすがに堪えた。

 天童陵弥。ミリア=ラ=グレンデル。詠光。似像貴之。

 学徒としてタスク3を守ってきた面々を見回して、ヘイムダルは単刀直入に言った。


「――バベルに来るか?」


 言葉の意味を確認するために、お互いの顔を確認しあう。

 陵弥が首を回すと――ミリアがじっと、陵弥の顔だけを見つめていた。

 補足するように、いーすんがヘイムダルの隣に立ち、後ろにそびえる門を指す。

「この通り、タスク3は門の誕生とともに神の加護を受けた。平穏を獲得したことで、お前たち学徒の役割も終わったことになる」

「大いなる感謝を君たちに送る。しかし、バベルの大義は、君たちの優秀な力を未だ必要としている」

 一息。琥珀色の瞳が、一同の瞳を覗く。

「君たちを、霊装士として迎え入れたい」

 覚悟していても、その言葉には、全員の心が揺れた。

 霊装士。タスク3にいた今までは、口にこそすれ、まるで遠い未来の話、冗談のようにも考えていた。

 バベルの下で、神の使徒として世界の平穏を守る。

 他でもない神から、その切符を手渡されたのだ。

「君たちの力はよく聞いている。だから、あえて何も取り繕わずに言おう……これから、更に大きな世界で、激しい戦いに身を投じてほしい。これから先の世界の命運を、君たちの背に託す」

「もちろん、決めるのはお前たちの自由だぞ。学徒としての役目は終わった。だから、この先の人生はお前たちが決めるといい」

 いーすんもどこか固い面もちで、学徒の面々を見つめている。

 門の膝元へと通じる、数段の短い段差を経て、学徒と神々が向かい合っている。

 言外に、この段を上れば、霊装士に迎えられることを理解した。

「……ま、乗りかかった船だ。色んなもんも撮ってみたいしな」

 一番に、似像貴之が足を乗せた。自らのカメラ『ディスタービア』のレンズを撫でながら、陵弥達に背中を見せる。

「そうだよね……ね、洸もいいよね? うん、うん」

 光が胸に手を当てて、静かに頷く。

 内に流れる魂の声を聞いて、光は顔を上げた。

「うん。ボクも迷いようはないかな。人の心を守ることが、詠の巫女の役目だもん。必要とされれば、ボク達はどこにでも行くよ!」

 次いで、詠光が前に出た。軽やかに飛び跳ねて、神々の立つ段上へと上る。

 異能の力を持った二人が、新たな居場所へと移ることを決断する。

 もう二人……天童陵弥とミリア=ラ=グレンデルは、その一歩を踏み出せずにいた。

 天童陵弥は、ただ慎重に、己の内の声を聞く。

 ミリアはじっと、その横顔を見つめていた。

 動くものがいなくなり、胸のつまるような緊張した沈黙が流れる。

 静寂を割るようにして、ヘイムダルが口を開いた。

「天童……陵弥君と言ったか」

「はい」

「君の幼なじみは、先んじてバベル本土に送り、検査と治療を受けてもらっている。明日には、健常な状態で、君と会うことができるはずだ……連絡が遅れてすまない。だが、今言うべきだろう」

「……そう、ですか。ありがとうございます」

 その声音。

 彼の安心した顔色を見て、ミリアは踏み出す決意を固めた。

(……やっぱ、こうなるのね)

 元より、彼が霊装士を目指していたのは、幼馴染の土峰伊吹を救うためだ。

 強くなることは、あくまで目的を果たすための手段だったのだ。

 その目的は、達成された。

 もう、これ以上戦いに身を投じる理由もない。


(……お別れね)

 ここに残り、戦いを忘れてしまえばいい。

 彼は、幸せになるべきなのだ。

 アタシは、自分の目標のために、先へ進む。

 決別だ。

 この二年間、ムカつきながらも楽しかった日々に、別れを告げる。

 そう。アタシが見るべきは、こんな居心地のいい過去ではない。

 イギリス。特定厳戒地区の一つ。吸血鬼の根城である、世界屈指の魔窟。

(アタシは、故郷を取り戻す)

 だから、強くなるのだ。

 更なる険しい道に、果てのない旅に、身を投じよう。

 強くなるために……一人孤高に、立ち向かうために。

 ただ、楽しかった日々を、思い出に秘めて。

(天童陵弥……せいぜい平々凡々と、平穏に暮らすがいいわ)

 そう胸中で呟いて、ミリアは顔を上げる。

 決意に固めた、その顔を――


「……何してんだ、お前は?」

 陵弥が、真正面から眉を潜めて見下ろしていた。

 一段高い、神の隣の視点から。慣れない松葉杖で上体を支えて、既に段を登り終えた状態で。

 ……まるで、間抜けでも見るような白々しい目で。


「……え? は?」

 引き結んでいたミリアの凛々しい口が、次第にあんぐりと開いていく。

「は? じゃなくて。お前が一番迷いなく飛び出すトコだろ、ここは」

 さも当然のように、陵弥は首を傾げる。

 ミリアの脳内を疑問符が埋める。目の前の光景の意味が分からなかった。

「何で、アンタ……だって、アンタが戦う理由なんて、もう……」

「あー……そりゃ、考えはしたよ。戦いなんて綺麗さっぱり忘れて、神様の下で暮らすのもいいなって」

 頭を掻きながら、言いにくそうに口を動かす。

 しかし、最後に陵弥は、晴れやかな笑みをミリアに向けた。

「でもさ。こっちの方が、何倍も楽しそうだろ?」

「っ……」

「色々考えたんだけど、やっぱりお前と禍との戦いのない生活は、刺激がなくて退屈だ。電撃も耳が痛くなるような罵詈雑言も、すっかり馴染んじゃってさ……お前と一緒に戦った二年間。そりゃ滅茶苦茶ムカつくこともあったけど、俺は楽しかったぞ?」

 何気ないように言われた言葉に、ミリアの胸が詰まる。

 それは、その言葉は……他でもない、自分の胸の内そのものだったから。

「あの時、お前も言ってたろ? 誰かと一緒なら強くなれる。誰かと一緒なら何だって乗り越えられる……俺は、ここにいる皆と、他でもないお前に助けられて、奪われた物を取り戻せた」

 だから、今度は俺の番だよな。

 そう言って、陵弥は得意気に胸を張り、口の端を引き上げた。

「感謝しろよ、戦友。他でもないこの俺が、お前のデッカイ野望の手伝いをしてやるんだからな……一緒に取り戻すぞ。今度は、お前が奪われた物だ」

「っ――」

 ぎゅっと拳を握りしめ、顔を俯かせる。

 くそ。畜生。こんな生意気な台詞なのに。

 なんで、この最強のアタシ様が……

 ……目頭を、熱くしなきゃいけないのよ。

「あ、それとも俺に追い抜かれるのが怖くて足が震えてるか!? 結局決着もついてねえもんな! 次に戦った時に俺に負けるのが怖い訳だ!」

「ばっ――ふ、ざけんじゃないわよ馬鹿雑魚アーーンド意気地なし! 何遍やったって、アンタはアタシの足下にも及ばないんだから!」

「ほーぉ、そんな腫らした目で言ったって説得力もへったくれもねえなぁ! まずはそのオブラートみたいにペラペラグズグズなメンタルから鍛えるべきだなぁ!」

「どの口が言うか! この口か! 今すぐハサミで口の端ちょんぎって『わたし、キレイ?』なんて訪ねる気力も起きないぐらいブッサイクな面に外科手術してやろうかしら!?」

 叫びながら、ミリアは怒りのままに階段を上り、陵弥を真っ向から睨みつける。

「へんっ。本土で活躍できるのが楽しみだぜ! お前がちっちゃな島で粋がっていただけの猿大将ってことを思い知らせてやるからな!」

「はぁぁぁぁ? 島の端っこでウロチョロしてた下々の虫けら風情がよくそんな大言を叩けたものね! 記憶の端にも留められずに勝手に踏んづけられて死んじゃわないようにお気をつけてくださいませお虫様!?」

「やんのかテメエ今すぐ三枚に下ろしてやったっていいんだぞ!?」

「そりゃこっちの台詞よ電撃流して脳内電波オーバーリミットさせてやろうかしら!?」

 互いに額を突き合わせ、罵詈雑言を飛ばし合う。

 ミリアの背から弾ける光が、まるで星屑のようにパチパチと、元気よく弾けている。

「……ヘファイーストス、アテナ。何だ、止めなくていいのか?」

「面白いだろう? ヘイムダル。あれが世にいう『喧嘩するほど仲がいいい』という奴だ」

「毎回恒例なんです。あれほど気味がいいのは、滅多に見れませんよ」

「なんだ、ごっこなのか? それではまるで求愛行動じゃないか」

「むははっ! 違いないかもな! どちらもかまってちゃんなのだ!」

 誰しもが、困ったように、楽しそうに、その激しい言い争いを傍観している。

 やがて二人は、突き合わせていた額をゆっくりと離し、互いの顔を至近距離から睨み合った。

 言いたいことを言いまくった二人は、荒い呼吸を繰り返し……

「「……ぷっ」」

 どちらからとなく吹き出して、口を歪めた。

 怒気を無くした澄み渡る碧色の目が、愉快そうに陵弥を見る。

「ねえ、天童陵弥。アタシ達、今までどっちが先に霊装士になるかで競っていた訳じゃない?」

「ああ。霊装士になるわけだから、それはもう使えないな」

「でしょ? だから、グンと目標を上げるわよ」

 言って、ミリアは陵弥の胸を人差し指でトンとつついた。

 勝ち気の瞳を上目遣いにして、陵弥に挑戦をかける。

「『最強の霊装士になる』……そして『世界を取り戻す』! これでどう? 他でもないアタシ様に食らいつくんだから、そのぐらいの覚悟はできてるんでしょうね?」

「ハンッ、望むところだよ。お前と一緒に、駆け抜けてやろうじゃねえか。置いてかれるなよ?」

「それまたこっちの台詞よ。もう、絶対に容赦はしてあげないんだから」

 楽しそうに、本当に嬉しそうに、陵弥の胸をつついて笑う。

 陵弥も、ミリア自身も、改めて確信した。

 やっぱり自分には、この顔がよく似合う。

 この関係が。互いを煽りつつ挑戦しあう関係が……どうもたまらなく、心地いい。

 しかし、その関係は、決して二人だけではない。

 二人の見つめ合いを邪魔するように、光が陵弥の背中に飛びついた。

「うわっ、光!?」

「むー、ミリアちゃんばっかり特別扱いはさせないんだから! ボクだって、陵くんのお手伝いいっぱいするんだからね!」

「ま、俺はのんびり気ままにやっていくさ……女神にはまさしく絶世の美人が多いらしいしな! 世に未だ見ないエロスを求めて、俺はシャッターを切り続ける!」

「アンタは個別に独房にぶち込んだ方が世界平和になるんじゃないの!?」

 四人がこうして集まれば、何とも騒がしい。

 目をぱちぱちと瞬かせるヘイムダルを肘で小突き、いーすんは不敵に笑う。

「ヘイムダル、見ておけ。あれこそが、世界を変えうる人の力だ」

「ああ……人とはかくも美しく、輝きに満ちている」

 そうして、二人、天に開いた裂け目を眺める。


 世界が衝突し、怪奇に溢れ、神が降りてきて。

 それでも、世界には一つ、変わらないものがある。

 それは、『変わらないものはない』という、普遍的な価値観と。

 いつだって、常識を塗り替え新世界を切り開くのは、人のたゆむことない輝きだということだ。




 輝く門を前に、仲間に囲まれて。陵弥は今一度、己に問う。

(……まだ、俺は続けるよ)

 確かに、俺は幸せになれたけど。

 今度は、誰かを幸せにする番だと思うんだ。

 助けてくれる人がいるから。

 誰かを助けられるから。

 そうして皆で歩き続けて、世界とかいう大きなものを救っちゃったら。

 ……それって、滅茶苦茶格好良いだろ?


(お前がくれた力は……俺の力は……きっと、そうあるべきだと信じてる)

 そう思って、陵弥は心に聞いた。

(なあ、どう思う?)

 答えてくれるとも思わなかった、正直、今でも夢だと疑う相手。

 精神の奥深い、心の内が、うなり声のような小さな振動に震えた。


 気のせいかもしれない。

 だが、間違いなく、あの時と一緒だ。

 その声は……愉快そうに、笑っていた。

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ソウル・ド・アウト ~妖滅霊装奇譚~ brava @brava

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