第3話 学徒、霊滅。後は神とかパンツとか2

 世界が堕ちてきた。

 神々の世界――天上界という存在が観測されたのは、『大崩落』という希代の大災害がきっかけだった。

 神々の世界である天上界の、世界そのものの『堕天』。

 人の夢や理想にしか存在しなかった世界は、突如としてこの地上世界に降臨し――堕ちつづけ――止まることなく、とうとう激突した。

 天地開闢もかくやの衝撃は、世界に計り知れない悲劇を呼んだ。

 いや、衝撃というと語弊があるかもしれない。物質的な何かがあったのではなく、激突したのは次元そのもの。概念と概念の激突であった。

 衝突した世界同士は、反発と融合を繰り返し、多数の次元崩壊、概念湾曲を引き起こしながら……結果的に、崩れる寸前だった天上界が、地上世界に取り込まれる形で収束した。

 だがその結果、世界を構築していた『霊素』と呼ばれるエネルギーが暴走を起こし、この世界構成していたあらゆる理・概念が狂い出してしまった。


「世界二つ分の霊素を一つの世界に押し込まれ、パンパンに溢れかえった過剰な霊素は、クレバスという次元の裂け目を生み出して、地上世界を蝕みだした。溢れ出した霊素は、人々が空想と談じていた存在に実体を与え……果たして地上世界は、魑魅魍魎が渦巻く、魔のファンタジー世界となったのであった」

「……んだよ、急に」

「しかぁーし! 人類は諦めなかった! 溢れる霊素を漲る魂として! 自らの魂を、怪異を振り払う意志の力として! 人を越えた力で以て人類を守る! それがアタシ、霊装士・ミリア=ラ=グレンデルなのよ!」

「オイちょっと待てぇぇぇぇ!!」

 高らかな宣言に、陵弥は思わず叫んで、勢いよく立ち上がっていた。

 教卓の上に立つという行儀の悪さを見せながら、大志を抱け的なポーズをとっていたミリアは、優越感をこれでもかと光らせた碧色の目でこちらを見下す。猫を彷彿とさせる上がり気味の目は、漲る自信を裏付けるような強い輝きに満ちている。

 陵弥も最初にこの目を見た時は、その宝石のような輝きに思わず魅入られてしまったものだ。

 イギリス出身の彼女はプロポーションも並外れており、疑いようもなく絶世の美人だ。惚れても不思議ではない。

最初こそ、そんな風に思っていたものの――

「ん……あら? ゴメンナサイ、何か言ったかしら? ピーチクパーチク、さえずりの汚さも分からない哀れな小鳥がいるなーって聞き逃そうとしたんだけど」

 ――口をつけば出てくるこの罵詈雑言で、全てが台無しだ。

「ごめんなさい天童陵弥。一体どんな環境音を出していたの?」

「環境音じゃねえお前への文句だ! 言いたいことなんて山のようにあるわ!」

「あ、ごめん、突っかかる前に手を洗ってね。空飛ぶドブネズミと戯れる気はないの。バカを移されたらたまらないわ」

「なんでだ! 雀かわいいじゃないか!」

「あっ、ごっめぇーん! アンタ飛べないんでしたね! 出来損ないのカンガルーみたいにせっせこぴょんぴょん跳んでいるんでした! ダッサ! プークスクス!」

「お前止まんねえな!?」

 タスク3と呼ばれる島に、一つだけある学校。その教室の一つに、高らかな哄笑と怒号が響く。

 時間は昼休み。先ほど巨人の襲撃を退けて、一時間ほど後。

 カースと総称される敵の襲撃があった日は、ミリアと陵弥がいがみ合う光景がほとんど恒例行事と化している。ミリアが決着に納めた時は、こんな感じで特に激しい。

 教卓の上で不遜な態度を続ける仁王立ちのミリアに、陵弥は息を巻いて食いかかる。

「まず、お前はまだ霊装士じゃねえだろ! 俺たちはタスク3の『学徒』! 霊装士の見習いだっつーの、見習い!」

「あ~らごめんなさい。アタシが霊装士になるのは確定事項だから、そんな些事は気にしていなかったわ!」

 得意げに言うと、ミリアは指先を立てて、そこにバチバチッと金色の火花を散らしてみせる。

「しかしねえ? このアタシの霊装『ドラゴニア』を前にして、アンタは一体どんな根拠を持って、アタシ様に食ってかかるのかしら?」

「ぐっ……」

「それに……おかしいわね? 今『俺たち』とかいう、身の程も身の丈も弁えられていない非常に不躾なカテゴライズをされた気がするわ。圧倒的勝利を納めたこのアタシ様と、手を拱いていいとこナシのアンタ、どこを比較したらそんな言葉が出てくるのかしら!」

「ぐうぅぅ……っ!」

 煽りに煽る。事実今日も美味しいところを持って行かれているので、何も言い返せない。

 悔しがる様を見て、ミリアの口は一層得意げに吊り上げられる。

 優越感をむき出しのミリアの言葉。しかしその裏で確かににじみ出る説得力に、陵弥はぐうの音も出ずに歯噛みするしかない。


 詠洸うたいこうは、その様子を教室の片隅から眺めていた。

 ぬいぐるみみたいだね、とよく言われる、男とは思えないほどに、小さくて華奢な体躯。柔らかそうな白い肌は、うっすらと産毛しか生えていない。ビー玉のような輝く瞳は、常に眠たそうに半分しか開かれていない。ゆるふわにカールしたショートカットが、ぼんやりとした空気を体現するようにゆらゆらと揺れる。

「……ふたり。うる、さい……」

「ほっとけほっとけ。どーせいつもの痴話喧嘩なんだから……はぁ~」

 眉を潜める洸ににべもなくそう言い捨てて、その隣の机に腰掛けていた似像貴之にぞうたかゆきは、最早二人を見ることもなく、手にしたカメラのレンズに息を吹きかけて、磨く。

 狐を彷彿とさせる、常に半開きで細長く薄い目に薄い眉。覇気を感じない風貌には『根無し草』なんて単語が脳裏をよぎる。髪は切るのが面倒だと言って、肩口まで伸ばして後ろで一つ結びに纏めているが、趣味でもあるカメラを覗く邪魔になるのか、前髪は三つほどに結んで、それだけをドレッドのように髪にねじ込んでいた。

 天童陵弥、ミリア=ラ=グレンデル、詠洸、似像貴之。

 空き教室に集まったこの四人が、タスク3を守る学徒。霊装士としての実力を認められた、人ならざる力を持つ、この島の守り人であった。

 その内の二人……実戦部隊である陵弥とミリアは、自らの力を競い合う、にっくきライバルでもある。

「フフン、アンタがどれだけ不満を漏らそうが、事実は事実! アタシの方が強いという現実は揺るがない! アタシこそが霊装士にふさわしいのよ!」

「ん、んなわけあるか! 俺はお前より一年早くここにいるんだ! 絶対にお前より早く、俺が霊装士になってやるんだからな!」

「あーら、口だけ達者なんて切ないったらありゃしないわ! ――洸!」

「っ……」

 いきなりビシィッと指を差され、洸は表情を動かさず、しかしその体がびくぅっと跳ね上がる。

「アタシとコイツの戦績を教えてちょうだい!」

「ぇ……ぁ、ぅ」

 いきなりの指示に、洸はあうあうと言葉にならない声を漏らす。

「もー、アンタの臆病なのはまだ治らないのね……」

「ぅ……たかゆき……」

「はいはい、俺が見てやるよ」

 代わりに貴之が洸の鞄から一冊のノートを取り出すと、慣れた調子でページをめくる。

「えっとぉ? 倒した禍の数は、過去二年間を総計して……陵弥が二十三体で……ミリアが今日のを入れて、六十七体か」

「イエーース、ザッツライ! 学徒に就任して二年で、揺るぎないこの差! 一年の差なんて物ともせずに歴然と開いた実力! さあさあ一体どこを見て、アンタはアタシより優れていると言うのかしら? んん?」

「ぬ、ぐ、ぐぅ……!」

 実績という圧倒的な壁を前に、陵弥はミリアの虫けらでも見るような高圧的な目に晒される。

 大崩落によって世界に過剰に溢れてしまった、世界を構築する元になる、霊素と呼ばれるエネルギー。

 それを収束することで顕現する『霊装』には、個性と一括りに出来ない、多種多様な形式がある。当然そこには、敵との相性や実力差があるのが現実だ。

 学徒、霊装士見習い……つまりは霊装士となる前のテスト期間である陵弥たちは、当然のごとく、手柄を奪い合うライバルの関係だ。

 しかし、先ほどの戦績もそうだし……ここ六戦ばかり、陵弥はミリアに手柄を奪われっぱなしであった。

「破壊力に劣り、範囲に劣り、ならばとアタシより早く戦線に出向いても、チマチマ突っつくだけで決定打もナシ。どっちが優秀かなんて……これはもう一目瞭然よねぇ?」

「ぐぐぐぅ……!」

 いがみ合う様子にいい加減飽きがきたか、貴之が互いを諫めようと声を上げる。

「まあまあ、ミリアも陵弥も強いんだ。ここはひとつ――」

「「俺(アタシ)はコイツより強い!!」」

ほとんど同時。もの凄い勢い貴之に食いかかると、

「「ふざけんな!!」」

 またほとんど同時に、互いに顔を突き合わせた。

「強さは倒した数じゃねえ! 俺ならどんな強い禍だろうが勝ってみせる!」

「何を世迷事をおっしゃってるのかしら? 霊装士が禍に打ち勝つのは、当然前提アーーンド必然よ! アタシは禍だろうがアンタだろうが、束になろうとも消し炭にしてやるわ!」

「やんのか!?」

「そっちこそどうなのよ!?」

「……ふぅ」

 最早取り付く島もない二人のやりとりに、貴之は嘆息一つ、そっとその場を後にする。

「はぁ~」

 右後ろの自分の定位置に腰を下ろすと、大きなため息をひとつ、ぐでぇっと後ろに頭をぶら下げる。

 その様子を見ながら、洸はノートで口元を隠しながら、ボソボソと呟くように、

「……うるさい、苦手……」

「まぁ、あいつ等は二人揃うと一際やかましいからなぁ」

 それを聞いた貴之は、よく似合うニヒルな笑みを浮かべる。

「しっかし何度も言うが、洸はもう少し自信もって、男らしくなるべきだな。お前、ホントについてんのか?」

「む……ついてる。ボク、ちゃんと男の子……」

「よーし。それなら、男を鍛える訓練としよう」

そう言うと、貴之は得意げに、自分がぶら下げたカメラの画面を洸に見せた。

「ん……なにぃ……?」

「ふっふっふ……刮目せよ詠洸! 俺の霊装を駆使した撮影技術で実現した、至高の映像が、これだぁ!」

 ポチリと画面が操作され、その画像が洸の視界で展開される。

 それは……画面一杯に表示された……、……。

「……なぁに、これ……」

「ふふふふ。どうだ洸、興奮するか?」

「こう、ふん?」

「そうともさぁ! 通常では実現し得ない、真下からの超ローアンングルショット! 男なら誰しも垂涎ものの写真だぞ!」

「ん……真っ赤」

「そう! 色あせないフィルムはまさに一時間前! 鮮度も明度も抜群で捉えたるは、情熱的で扇状的な薔薇色! そうこれは天空を舞うミリアのパ――アブねぇぇぇぇぇぇ!?」

 身の危険を感じた貴之がとっさに上体を屈める。その上を物凄い勢いで椅子が飛来し、貴之と洸の髪を掠めて後ろの机に激突した。

 慌てて二人が視線を上げれば――上空を舞う、重たい机。

「に、逃げろぉぉぉぉ!?」

「似像貴之ィ! アンタ今度という今度は、マジで消し炭にしてやるぁぁ!!」

「退避! 退避ーー!! カメラだけは死守するぞ、洸!!」

「っ――! っ――!?」

「あ、コラ逃げるな卑怯だぞ! 死ぬときは一緒だろ洸ぉぉぉぉ!?」

「っていうか、主謀も主犯もお前だろ」

 飛びついてきた洸を受け止めながら言った、陵弥の冷ややかな突っ込みが届いたかどうか。

 ドアを開け放って逃げ出した貴之を、バリバリと激しく弾ける光に乗ったミリアが追いかける。

 僅か数秒後に、閃光。衝撃。痛々しい悲鳴。

 残響したそれが消えると、全てが終わったような、息のつまるような静けさが続く。

 ややあって、遠くの方から、二人の会話が聞こえてきた。

 ――いや、してない! 焼き増ししてないから! ホラ消した。これでいいだろ!

 ――ねえ。

 ――っは、はい?

 ――何で俯瞰視点からアタシのブラまで覗いてんのよ、ド変態!!

 ――だってちゃんと色合わせしてるか確認したかったぎゃあああああ!!

 ――お母さんチックに世話焼きましたみたいな動機で盗撮するんじゃねぇぇぇぇ!!

 再度、閃光。衝撃。さっきより痛々しい悲鳴。

「……何がしたかったんだ、あのアホは」

 ジト目でその後を追いながら、陵弥はブルブルと震える洸の背中をポンポンと叩く。

 しかし……真下からのローアングル、か。

 なるほど、そんな角度での撮影は貴之にしか不可能だろうし、確かにお宝ものだろう。命が惜しいので自分は遠慮するが。

 陵弥は肺に溜まっていた空気を大きく吐き出す。内容がどうあれ、ミリアの挑発を受け続ければ、フラストレーションが溜まるのは事実だ。

 重たい吐息を聞いた洸が、陵弥に抱き留められた体制のまま、上目遣いで見上げる。

「……陵弥。あんまり、喧嘩、やぁ」

「いや、アイツが先に始めた訳で、俺は別に……」

「嘘……陵弥、勝つと、すごい、えへんって、する」

「ぐ……そ、それはだなぁ」

 痛いところを突かれて狼狽える。

 自覚してか、それとも無意識か。洸はぎゅっと陵弥のシャツを握って、自分のやわこい体を密着させた。

「陵弥……喧嘩する、ボク、困る……」

「え? 困るのか、お前が?」

 こくこくと頷きながら、洸は眠そうな目で見上げてくる。

「ん……陵弥、いない。なくなる……デコイ、が」

「……デコイか……そうか」

 本音すぎる洸の言葉に、急に冷静さを取り戻す。

 詠洸は異常なほどに口下手で、誰かと目を合わせることさえ、緊張して満足にできない。

 学徒として長い付き合いの陵弥や貴之は多少落ち着いて話せるらしいが、同じ学徒でも居丈高なミリアは、彼の苦手な部類らしい。

 陵弥は、ミリアから逃れる際の格好のデコイというわけだ。

「はー……ったく、しょうがねえなぁ」

「……ん、にぃ……」

 ため息を吐いて洸の背中をさすると、洸は気持ちよさげに声を上げて、さらに顔をすり付けてくる。

 人見知りの反動なのか、洸は気を許した相手にはかなり距離が近くなる。もっとも気を許せる相手は陵弥含め数人なのだが……ともかく。

 中性的でかわいらしい洸に、こうも密着されて上目遣いをされると、同じ男と言えども、思わずどきりとしてしまう位の魅力がある。

 そんな風に、なんともいえない気分になっていると……

「……アンタら、気味悪いくらい仲いいわよね」

 いつの間に戻ってきたミリアが、半眼でその光景を眺めていた。

 自然に浮かべていた陵弥の笑顔を、汚物を見るような目で貫いてくる。

「いやいや、何その軽蔑するような目。違うからな? そういうのじゃないから!」

「いや……いいのよ? 人それぞれな訳だしね? アタシは特に、どうとも思わないから」

「っ……なるほど、慣れてるわけだ。流石薔薇色が好きなだけはあっ――」

 ヨロヨロとドアに手をかけた貴之が、次の瞬間には金色の奔流に弾き飛ばされ、視界から消えた。

 躊躇さえなかった、鮮やかすぎる攻撃の余波で、ミリアの制服のスカートがひらりと揺れる。

「お……」

 陵弥はつい。本当につい、吸い寄せられるように、ひらめくスカートの裾を目で追いかけて。

 その目を狙うように、ミリアの細く鋭い雷撃が襲いかかった。

「うおおぉぉぉぉ危ねえ!? 目! 今、目を狙って!?」

「今脳裏に浮かんだ光景を三秒以内に忘却させなさい! じゃないとアンタをこの世から滅却する!」

「無茶言うなよ! そんなの無理に決まってるだろ!」

「なっ……じゃ、じゃあ何よ! 想像するわけ? アタシの下着姿を脳裏に思い浮かべて、卑しく興奮とかしてるわけ!? 変態! 破廉恥! アーーンド恥辱魔!」

「なんでそうなる!? 誰がお前の下着なんかに興味を持つか!」

「はぁぁぁぁ? それはそれで、何かすっごいむかつくんだけど!」

 眉を吊り上げて詰め寄るミリア。その頬は僅かに朱に染まっていて、元の肌が白いこともあり、仄かな桜色になって鮮やかな色を落としている。

 そのしどけなさに、少しだけ……ほんの少しだけ、溜飲が下がる。

「くぅぅ、屈辱だわ……こうなったら上手い具合に頭に衝撃を与えて、記憶諸共……」

「待て待て! 諸共ってなんだ、記憶以外何を奪うつもりだ!? だっ、大体それを言う前に、洸はどうなんだよ。写真の現物見てるんだぞ!」

「洸は……なんか、いいのよ。やらしくないもん! 問題はアンタよアンタ! ハァハァ息切らせて、気持ち悪いのよこの動く猥褻物!」

「オイオイ、間接的に下着の色聞いただけで随分な物言いだなぁ!?」

 再び始まる言い争いから、洸はそそくさと逃げ出して、プスプスと黒煙を上げて床に倒れ伏す貴之をつつく。

「貴之……ボク、居心地、わる……」

「……」

「……返事、ない……ただの、しかばね……?」

 眠たそうに小首を傾げる洸の疑問には誰も応えず、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴った。



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