第13話 決意と覚悟の鍔迫り3


『あー、おほんっ。マイクテス、マイクテスだー』

 気の抜ける幼女の声がスピーカー越しに響きわたり、ざわついていた聴衆の注意を引いた。

 時を跨いで二日後。サッカーコートやテニスコートなどを併設した競技体育館は、島民ほぼ全員が押しかけて、異様な熱気に満ち満ちていた。

 天童陵弥に、ミリア=ラ=グレンデル。島民であれば知らぬ人はいない学徒たちの、決闘。

 にわかに色めき立つ空気を割って、いーすんがスピーカー越しに高らかに笑う。

『むっはっはー! と、いうわけで、私がこの大会の主催者のヘファイーストス様だぁ! 神だぞ! 皆の者、崇め奉るといい!』

 神様の声高な自己主張に、まばらな拍手が起こる。

 なんとも生暖かい空気だが、ご機嫌のいーすんにはどこ吹く風。声の調子は一層上がる。

『さあさあ、今日はこんなにも大勢の人に集まって貰えてありがたい限りだ! これはもう一重にわたしの人望と言えよう、うん! 対戦者の両雄も、嬉しいことだろうぞ!』

 楽しげな声が、スピーカーに乗って協議室中に響く。

 その裏、壇上の脇にある舞台袖では、今回の主役である二人が向かい合っていた。

 キンキンとうるさい幼女の声に、そろって眉間を押さえる。

「あの神様、なんでああ目立ちたがりかなぁ……」

「とうとう大会って言っちゃうものね。アタシ達がどんな覚悟でここに立っているのかと……」

 神様の常識は、やはり地上世界とは根本からして違うのかもしれない。

 そんな二人の小言などもちろん聞こえず、壇上に立った赤毛幼女の神様は「んんっ」と咳払いをして、再び観衆を見回す。

『あー……その前に、ちょっと連絡したいことがあるー! この中に数人、アテナに対して『ポスターがダサイ』『天地崩壊級のナンセンスだ』と直接言ってしまった不届き者がいるー!』

 あぁ……と、納得するため息と一緒に、何ともいえない空気が漂う。

『いや、わたしは怒るつもりはないぞー? ただな、あれ以来アテナが拗ねて愚図ねて、一言も口をきかんのだー。正直あのポスターはわたしもどうかと思うがなー?』

 そこまで言って、いーすんはチラリと壇上の左手を見る。

 碧髪の乙女が、膝を抱えてうずくまっていた。光のギリギリ届かない陰のところで、陰と一緒になろうとせんばかりに暗いオーラを纏っている。

「くすっ……くすんっ。ええ、そうですよね。私なんて、センスなんて皆無の、頼りにならないダメダメ女神ですよねぇ……」

『いやしかしだなぁ! 痛々しすぎて見てられんのだー! お前っ、誰だかしらんが酷いぞ!? うら若き乙女の純情を汚したんだからなー! ちゃんと謝れよー!』

「私なんて、どうせ独り身だもん……清純気取ってるとか笑われて、男の人も一度も振り向いてくれなくて……」

『こう、言い方とかあるだろー! 新たな芸術の境地に達したとか、神のみぞ知る視点とか、天地開闢級の斬新さとか!』

 二人のコントじみたやりとりに、陵弥もまた辟易とする。

「……ちゃんとする気がないのか、あの神様は?」

「え……処女神って、ドンドじゃなくてキャントの方……?」

 それ以上触れたらいけない気がして、ミリアは閉口してさっと顔を背けた。さすがに、神様の存在定義までは踏み込んではいけない気がする。

 一息つくと、二人は互いに睨み合った。

 ミリアの目は、いつも陵弥に向けているそれの数倍力強く、冷徹に研ぎ澄まされている。しかし陵弥も、それに負けはしない。

「悪いけど、勝つぞ……俺には、絶対に負けられない理由があるんだ」

 先んじて、陵弥は堂々と宣言する。

 ミリアはそれを受けて、そっぽを向いて鼻を鳴らす。

「はんっ、根拠のない虚栄ほど見苦しいものはないわ。普段あんな醜態や無様な姿をアタシに見せてるくせに」

 吐き捨てるようにそう言って、ミリアは陵弥に半目を向ける。

「それに、今の言い方は超ぉぉぉぉムカつく。自分だけ理由掲げて主人公気取り?」

「なっ……」

「土峰伊吹のこと、アタシが知らないわけないでしょ? それでもアタシは、アンタなんかには絶対負けてやらない」

 んべっと舌を出して、小生意気に挑発する。

 陵弥はというと、唐突に伊吹の名前を出されて、閉口してしまった。

「アタシだってね、伊達や酔狂で、霊装士なんて目指してないのよ」

 真剣な表情で、ミリアは虚空を見上げ、その過去を思い出す。

「アタシの出身はイギリス。知ってるでしょ? 今現在『特別厳戒地区』に指定されている、六つのうちの一つ……吸血鬼に占領された、世界屈指の魔窟よ」

 冷ややかな言葉の響きに、陵弥は自然と押し黙る。

 歓声といーすんの声が響く裏でも、ミリアの透き通る硬質な声は、不思議と耳に届いてくる。

「六年前。大崩落による衝撃で、イギリスに巨大なクレバスが発生し、『窯』として悪性化した。吹き出した霊素が『吸血鬼』という怪物を生み出し……そこからはとてつもなく早かったわ。まるで細胞の増殖でも見ているみたいに、吸血鬼は感染し、蹂躙し、瞬く間にイギリス全土を占領した」

「……」

 映画みたいな話だと、今でも思う。

 陵弥の話にしてもそう、霊障はまるでファンタジーだ。世界を構築する霊素が過剰に満ちたせいで、空想が現実になり、あり得ない怪物が生まれ、ありえない力が具象化する。

 だが……それが、新たな世界の常識なのだ。

 陵弥も、ミリアも、その新たな世界に虐げられ、狂わされた。

「一次災害を免れた人たちは、とにかく逃げたわ。助かる場所を探して走り回った。アタシの家族もそう。だけど、アイツらは頭おかしいんじゃないのってくらい、速くて、強くて、狂っていた」

 クレバスが引き起こす霊障は、須く現実を超越している。

 ミリアにどんな恐怖が襲いかかったのか……それはきっと、想像さえできない凄惨なものだろう。

「最初に兄が感染した。それを退けるために父が犠牲になった。アタシたちは散り散りに逃げ出して……一人ぼっちになったアタシは、発現した『ドラゴニア』を使いながら必死に逃げて、天上界から墜ちてきた神様に助けられた」

 バベルが創立される前の、『大崩落』直後の頃の話だ。天上界の神々は、地上世界に堕天してきた衝撃で手一杯だった。

 当然、まともな戦闘など行えない。押し寄せる吸血鬼の群から、見つけた生存者を守ることで手一杯だった。

 その時に、運良く保護された人間だけが、現在『人間』として存在しているイギリス人だ。

 その一人であるミリアは、努めて感情を殺して、言葉を紡ぐ。

「『流れる水を渡れない』――吸血鬼のこの特性のお陰で、吸血鬼は島国であるイギリスを出られず、被害はそこの一カ所に留まっている……でも、それだけよ。何も好転していない。危険すぎて、バベルもイギリスに踏み込めない……アタシの家族は、今もまだ、あの地獄のような場所にいる」

 吐き捨てるように、凍えるような声で、ミリアは喉を震わせる。

「だから、アタシは霊装士になるのよ。一刻でも、一秒でも早く、アタシの生まれた国を、アタシの手で取り戻す。その為に……アタシは、誰よりも強くならなくちゃいけないの」

 決闘の場を、そして正面に立つ対戦相手を睨みつけ、ミリアはそう言い放った。

 歓声がいやに遠くに聞こえる。二人はしばらく何も言わず、互いの瞳を覗く。

「初めてだな、お前が自分から、そんな話をしたの」

「まあね。せっかくだから、正々堂々戦いたいのよ」

「お前の口から正々堂々って出ると、空寒いものがあるな」

「次に口挟んだら唇をホチキスで止めてやるわ……互いに譲れないものがある。負けられない。それがハッキリしたでしょう? だから、こっからは一切遠慮ナシ」

 そう言うと、ミリアは笑みを見せた。

 不敵で挑発的ながらも……屈託のない、見惚れるほどの素直な笑顔。

 背中でバチバチと弾ける黄金の輝きが、ミリアのそんな笑みを照らす。

「互いのありったけを全力でぶつけるの。アタシはね、アンタの強さを知って、アンタの事を認めているからこそ、この戦いにどんな後悔も残したくないのよ」

「……はぁ?」

 思ってもみなかった言葉がきて、思わず陵弥は、そんな素っ頓狂な声を上げた。

「何よ、ただの雑魚に目を向けてやるほど、アタシは暇じゃないのよ。弱いくせに生意気につっかかってきて超絶キングムカつくけど、アンタが真剣に向かってくる分、アタシももっと強くならなきゃと思った。負けてられないと思った……ライバルだと思ってるのよ、なんだかんだね」

 素直な吐露を聞いて、陵弥は二の句を失ってしまう。むずむずした、体をくすぐられているような思いが背中に走る。

 その陵弥の鼻先に、ミリアの指がぴっと突きつけられる。

 鼻先数十センチまで近づいても、ミリアの目はまっすぐに、力強い。

「アタシは最強になる! ……その記念すべき、誇るべき一歩目がアンタよ」

 ミリアは更に接近し、つんっと陵弥の額に触れた。

 驚く陵弥の視界で、ミリアが屈託なく笑う。

「だから、せいぜいアタシの、いい踏み台になってちょうだい……いい試合にしましょう?」

「……ふっ」

 自然と、笑みがこみ上げた。

 ミリアは既に陵弥に背中を向け、ステージから降り立とうとしている。

「……望むところだよ」

 その背中を睨みつけ、陵弥もまた、観衆の見守る決闘のステージへと降り立った。

 中央に陣取っているミリアの後を追うように、陵弥も足を進める。すると、スピーカーから再びいーすんの声。

『むっふっふ、双方気合いはバッチリのようだな! では……おいアテナ、出番だぞ。いつまで落ち込んでいるのだ阿呆っ』

『ぐす……アイギス――壁陣【障】』

 随分と気落ちしたアテナの声がすると、陵弥の後ろに、黄土色をした光の壁がどこからともなく出現した。

「うおっ、なんだこれ」

『出力十パーセント。機能にも次元にも障害なし。ノープロブレム、です』

『ふっふー。お前たち観衆と学徒の二人の間には、かなりの衝撃をカットする絶対防壁、アテナの神器『アイギス』を展開しているぞー。出力はかーなーり抑えているが、ま、お前達には到底破れるものではない! 安心して観戦し、また学徒諸君は思いっきり戦うといい!』

 横二十メートル、縦四十メートルの空間を長方形に切り取るように、そのガラスは陵弥達を覆っている。

 コンコン、とその壁をノックして、ミリアは呟く。

「霊装の更に上をゆく神の得物。理すら覆す『神器』の力か……ま、いーすんが言うならそうなんでしょう。気兼ねなくできるってわけね」

 そう言い捨てると、ミリアはぐっと姿勢を落とす。膝に手を着いた、その背後に、バチバチと金色の光が迸る。

 陵弥は首を回し、彼女を見つけた。

 黄土の壁の向こう側でパイプ椅子に座りながら、六年間寄り添い続けた幼なじみが、固唾を飲んで見守っている。

 がんばれと一心に願うその目に、陵弥は頷き、意識を深く鋭く研ぎ澄ます。

 魂の内に眠る力を、呼び覚ます――

「霊装展開! 双剣『地極・奮迅』――顕現(イグジスト)!」

「霊装展開! 『ドラゴニア』――顕現(イグジスト)!」

 互いに叫び、自らの魂を激しく震わせる。

 方や、実直な鋼色の、二対の剣と三叉の呪符。

 方や、剛毅な黄金色の、竜が如く迸る光。

『勝負は相手の意識を奪う、もしくは『まいった』と言わせれば勝ちとする。あっ、でも再起不能にするといった下素行為や、ましてや殺したりするのは御法度だぞー! そんなバイオレンスはダメだからなー。視聴率に響くぞー! ほどほどになー!』

 いーすんのルール説明も、意識の端に追いやられる。

 ざわつく観衆さえも遠くに聞こえる。圧倒的な集中が、二人だけの空間と異様な静寂を作り出す。

 最早、互いの眼しか映ってはいない。

 笑みを引き、唇を吊り上げる彼女の顔。

 躊躇も遠慮も、必要ない。

 ただ、全身全霊でぶっ飛ばす――ッ!

『それでは――学徒昇格を賭けた、仁義なき戦い……開始っ!』

 いーすんのそのかけ声と、同時。

 弾かれたように前に飛び込んだ陵弥を、熱く激しい金色の奔流が飲み込んだ。


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