第15話 幕間 ~蠢く悲劇~


 ミリアの『騎憤竜』が展開され、戦況が陵弥の劣性に転がった時。

 一階の観客席で、詠光は、固唾を飲んで戦況を見守っていた。

「陵くん……!」

 胸の前で組んだ両手に、ぎゅっと力が籠もる。

 悲痛な面もちで、光は前を見る。

 描かれる戦況は、陵弥の圧倒的劣性。

 勝ち目はもう、絶無に等しいだろう。

 それでも、陵弥は立つ。

 何度も、何度も。本人さえ……もう無駄と、分かっていても。

 敗北を認められないからだ。霊装士になれないなんて。伊吹を救えないなんて。

 瞳に宿る必死な光が、何よりも雄弁に物語っている。

 だけど――想いの強さで、戦況が転じるものではない。

 光は重たく瞳を伏せた。

 潮時――陵弥の負けだと残酷な判断を下して、考える。

 果たして、伊吹にこのまま見させて良いものだろうか?

 ここから先の光景は辛いだけだ。見たくも、見せたくもないはずだ。

 静かにここを後にすることも、一つの優しさではないのか?

「……ねえ伊吹ちゃん。ボク達、もうこの辺りで――」

 そう思って隣を見た光は、言葉を失った。

 伊吹は頭を抱えてうずくまり、小刻みに震えていた。枝垂れかかる黒髪が顔を隠し、凍えているようにカタカタと歯を打ち鳴らす音がする。

「っ伊吹ちゃん!?」

 しまった、と光は自分を叱責した。

 発作。これはもう、起こるべくして起こったものだ。

 霊装士になるため……自分を救うために行われる決闘。それに陵弥のこんな光景……プレッシャーもショックも、相当なものなのは分かっていたはずなのに。

(他でもないボクが看ていなきゃいけないのに……!)

 僅かでも注意を削いでいた自分を恥ずかしく思いながら、慌てて処置を行う。

 その手が、伊吹にふれる直前で止まった。

 伊吹の痙攣が、今まで感じたことのない、異質な物だったからだ。

「やめて……嫌。やだ、やだよぉ……!」

「伊吹ちゃん……っ!?」

 譫言のようにブツブツと何事かを呟く。細い体を必死に抱く。髪の隙間から覗く目はカッと見開かれ、涙がボロボロと溢れ出ている。

「いやだ、やだ、やだ、やだぁ……!」

「どうしたの、伊吹ちゃん……な、何が起きてるの!?」

 まるで悪夢に怯える子供のような状態に、光は弾かれたように立ち上がり、伊吹の頭を両手で抱え込んだ。

「後で怒っていいからね……覗くよ!」

 かつて見たこともない容態を『危機的状況』と判断して、光は素早く、伊吹の魂の状態を探る。

 シンクロした光の視界に、深い霧に満ちた不明瞭な世界が広がる。

 だが、その代わり映えのない光景の中に、光は確かに感じ取っていた。

 背筋の凍る怖気。言葉では表せない、得も言えない悪意。

 おぞましいほどの獰猛で貪欲な、禍々しき生の脈動。

 深い霧だけの筈の空間が、まるで巨大な生物の腹の中になったよう。

(何か、いる……!?)

 その正体を探ろうと、平衡感覚さえ狂いそうな霧を探る。

 視界の端で、ゆらり、と霧が揺らめく。

 次の瞬間、その影がぎゅんっと動き、光の背後に移動する。

「ッ――耳朶の韻――」

 慌てて後ろを振り返った光が見た光景は――長大で鋭利な、脚。

 戦慄も痛みも、全ては後からやってくる。

 節を持つ槍のような脚は、恐ろしい速度で霧の中から飛び出し、光の腹部を貫いた。

「いっ、ぎぃ!?」

 わき腹からへそへ串刺しにされた光が、激痛に呻き、血を吹き出す。

 脚に力が入り、光の体を軽々と持ち上げる。

「ひっ、ぁ、ぁぁああ……!」

 鋭い痛みにも為す術はなく、まるで祭り上げられるように空中に吊される。

 チカチカと明滅する視界。そこに広がる真白の霧が、大きくゆらりと動く。

 そこには、今まさに自分を串刺しにしたものと同じ、身の毛もよだつ蜘蛛の脚が、飛び込んだ餌に歓喜するようにゆらゆらと揺れていた。

「あぁ……や……」

 ふしゅぅぅ……という、おぞましい呼吸の音が響く。

 視界に揺れる脚の節が動き、槍のような先端が、まっすぐ自分を狙う。

「陵くん……逃げ」

 断末魔の叫びさえもあげる暇はなく。

 光の体を脚が貫き、彼女の意識は白い靄の中に掻き消えた。


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