どうも名無之です。お久しぶり、かな? 昨日までラボの発表のために忙しかったので、溜まっていた作業をやっているところです。この読書感想文もその一環。本当は先週に読み終わっていたのですが、更新は今日になりました。
では、早速見ていきましょう。あっ、今回酷評します。厳しい言葉が苦手な方は戻るボタンを押すことを勧めます。
あらすじ:警視庁に入った1人の少年からの通報。突然自宅にやって来た見知らぬ医師に父親が注射を打たれ、直後に息を引き取ったという。捜査一課の犬養刑事は少年の母親が「ドクター・デス」を名乗る人物が開設するサイトにアクセスしていたことを突き止める。安らかで苦痛のない死を20万円で提供するという医師は、一体何者なのか。難航する捜査を嘲笑うかのように、日本各地で類似の事件が次々と発生する…。
おすすめ度:中の下(期待しすぎた)
すこし前にTwitterに書いたのですが、期待値と現実の乖離が激しいほど人は現実よりも酷な評価をしがちです。その最たる例がこの本でしたね。
そもそも普段は刑事小説を選ばない僕らがなぜこの本を選んだかというと、安楽死について扱っていたからです。安楽死というのはご存知の通り重いテーマです。ギャルがノリで優劣を決めていい話ではありません。そんな複雑な問題にプロの作家はどうやって挑むのか興味がありました(次回作の参考も兼ねて)。
しかし、その興味がハードルを上げすぎたのかもしれません。肝心の「ドクター・デス」はケヴォーキアン(本家ドクター・デス)のエセ精神を受け継いだ人物で、そこに説得性は皆無だし、安楽死を肯定するエピソードも強烈かもしれませんが、ではなぜそれを日本で行おうと思ったのか、動悸が不明なままでした(後述:この点に関して理解できない方がいらっしゃったらコメント教えてください。長文になりますが、噛み砕いて説明します)。しかも、身元が割れた後も大人しく捕まって安楽死の正当性を述べるわけでもなく、逃げ回って挙げ句の果てには主人公に捕まる、という結局何がしたかったんだ、と思えるような人物でした。まあ、安楽死の必要性を感じるきっかけは人それぞれかもしれませんが、それでも犯人の行動には一貫性がなく、安楽死というテーマを霞ませているような気がしました。
さらにそのテーマを霞ませている原因として、中盤くらいで模倣犯が現れます。いや、いらんでしょ! ここは完全に好みの問題ですが、安楽死をテーマとするなら、それを最初から最後まで貫いて欲しい。しかも模倣犯の動悸は安楽死とは全く関係のないもの。う〜ん、いらない。
加えて主人公には難病を患う娘がいます。彼女は治療のために苦痛と戦っている。そんな彼だからこそ安楽死の是非について、犯人が行っている行為に対しての葛藤を描いて欲しかった。けど、主人公の心情は短く描写されるのみで、大切な娘との会話もただセリフが繰り返されるだけ。正直、前半から「これは……」と思いました。
安楽死に関する考察もケヴォーキアンと東海大学の判例だけ。研究論文なんかを調べてみると鴎外も自身の娘(だった気がする)に対する安楽死の観念を考察しているものがありますし、他にも安楽死に関する論文はあります。作者はそれらを読んだのかな、と疑問を持たざるを得ませんでした。
極め付けは最後のシーン。安楽死を見逃すか止めるか、という究極の選択を主人公に与えるのですが、そのカットを作るために犯人と依頼者を前にしいて突如家が崩壊するという珍事が発生! いやいやいやいやいや。ご都合主義も良すぎる。
もちろん、これらのうんちくに対しての反論は分かります。これがエンタメ小説だ、という点です。確かに、おっしゃる通り。エンタメであれば、安楽死であろうとテーマの考察よりも、正義が悪を倒すシナリオを読者は望んでいるのでしょう。事実、この作品は支持され映画化にまで至っています。だから、この作品をいいと思った人はある程度いるのでしょう。しかし、僕らはキャラクターの心情を徹底的に書いている作品が好きで、この作者の文体とは合わなかったみたいです。音楽は好きだけど、クラシックは苦手、みたいな感じです。
結論、漱石やキングのような物語を好む僕らにとって、この作品は肌に合わなかった!
以上です。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。これにより、この作品をおすすめ度は中の下とさせていただきます。
というわけでいかがだったでしょうか。興味があればぜひ読んでみてください。
予定では二月中旬まで新作は出さないと思います。それまで新作のプロットを準備していますし、何より卒論があるので。なので、新作はゆるりとお待ちください。予想の斜め上を攻めた作品を用意しています。
それじゃ、また!