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【読書感想文】川端康成「伊豆の踊子」(ネタバレあり)

どうもお久しぶりです、名無之です。
いつぶりでしょうか? ほぼ一ヶ月ぶりですね。いやぁ、長いこと待たせしてしまい申し訳ございません。いつの間にか季節もずいぶん暖かくなって、僕もこうして風呂上りに半袖で書くことができています。
さて、今回は写生している近代文学から持ってきました。川端康成の「伊豆の踊子」です。川端康成は文章の才がとても素晴らしく、作家の浅田二郎は講演で何度も彼の文章を引用している程だそうです。では、早速見ていきましょう。

あらすじ:孤独や憂鬱な気分から逃れるため伊豆へ一人旅に出た青年が、修善寺、湯ヶ島、天城峠を越え湯ヶ野、下田に向かう旅芸人一座と道連れとなり、踊子の少女に淡い恋心を抱く旅情と哀歓の物語。

おすすめ度:中の上

この作品は川端の青年期の実体験を下に書かれたそうで、恋を知らない青年の甘酸っぱい思いがたくさん散りばめられていました。夜中に気になる女の子が誰かに寝取られているかもしれない。そう思うと夜も寝れないのはみんな同じなんですね。そして、踊り子とは結ばれずに別れの時が来てしまうラスト。それを名残惜しさ目一杯で描いており、誰もが一度は体験するであろう好きな人との別れを忠実に再現していました。うーん、儚い。

それにしても、僕らが注目したのは旅芸人の差別のされ方でした。まるで彼らを汚れか何かのように扱っていて、近づいてくる人たちも彼女らが幼い女子だからという理由が殆どでした。今だったら完全にセクハラで訴えられますよ。
この旅芸人に「神の面影」が認められると評している人もいます。しかし、僕は彼らにそんな高貴な姿を見出すことはできませんでした。もちろん、体を張ってお金を稼いでる彼らを醜いとは一切思わず、むしろ輝かしいと思います。けど、なんて言うんでしょう。ストリートミュージシャンやヒッチハイクをしてる人を見ても現代の私たちは彼らを「神様」とは思いません。それに近いような気がします。もしかしたら、100年の時を経て、僕らの心は変わっているのかもしれません。

このほかにも、「伊豆の踊子」は様々な側面で考察されています。その中には川端自身も考えていなかったと述べるものもあって、この作品一つ考察するだけでドクターが取れそうな勢いです。まさに読者に考えることを促す読み物として、この作品は文学の真髄に達した作品でしょう。(いや、どの口が言うねん)

最後に、一団の女性陣が主人公を鍋に誘ったときに、「女が口をつけて汚い物ですけど」と断っているシーンがありました。それを読んだときに僕は、もし現代だったら一部の人にとってそれは高い値で売れるのでは、と思ってしまいました。
これは流石に事案ですね。通報案件ですね。すみませんでした、はい。

と言うわけで、今回はここらへんで終わりたいと思います。明日あたりにもう一本出せると思います。出せるといいな。
それじゃ、また。

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