第18話 アメとムチ

 両手で力強く握っている木剣が重すぎて思うように振り回すことができない。


 オルンさんは稽古用にわざと重量のある木剣を使用していると言っていたが、実際の剣とそこまでの大差はないとも言っていて、顔面が蒼白になりかけた。


 やっとの思いで振り下ろした剣は彼女の残像を空振りしているか、もしくは微動だにしない彼女の防御に打ち負かされているかの2パターンのみ。


 もちろんオルンさんの使用している木剣は、俺が今持っているものと全く同じものだ。


「ほらほら少年、しっかり守ってみろ」


 軽々と木剣を振り回し攻めてくる彼女に対し、必死に守りに徹する。


 俺と大差ない太さの腕から、どうしてこんな馬鹿力が出てくるのか分からない。


 縦横無尽に繰り出される攻撃に、右に左に木剣を移動させて防御するが間に合わない。


「うっ……!?」


 防御しきれなかった分だけダメージを負い、その度に鈍器で叩きつけられるような激痛に襲われる。


 オルンさんが手加減しているのは俺の目で見ても明らかだが、それでも力の差が大きすぎる。


「ち、ちょっと待っ………」


 木剣が破壊されていないのが不思議なほどに互いが衝突し合い、そしてその度に電撃のように木剣から伝わってくる振動によって手が痺れてくる。


 次第に攻撃を受けきれずに全身を叩きつけられたところで彼女の猛攻が止まった。


「っあぁ………!」


 木剣を手放し、その場で草はらの地面に仰向けに倒れ込んだ。


「甘いな少年。もっと死ぬ気で防がなければ死ぬぞ」


「そうは……っ、言っても……もう十分死にそうですよ」


 空を見上げながら、全身に感じる痛みがじんわりと襲ってくる。


「痛みを感じている時点でキミはまだ死んでいないから安心しろ。五感全てが健在ではまだまだ根性が足りない」


「えぇ……」


 精神的な話ではなく現実的な死の限界を言うオルンさんに、思わずドン引きの声を漏らした。


 生粋のドSであることはほぼ間違いない彼女だが、本人曰く、何も痛めつけるのが好きでやっているわけではないという。


 俺が越えるべき最初のラインを設定してその力量で常に攻撃しているのだとか。


「キミはまださっきの私のスピードについて来れていなかっただろう?」


「はい……、目で追うことはできるんですけどそこに防御と攻撃が追いつかないです」


「そこだな。キミは全てを目で追おうとするから手足が間に合っていない。初級者のキミに何も気配を察知しろなんて酷なことは言わないが、相手の所作から次の動作を予測して見せろ。それが最初の課題だ」


 確かに彼女の繰り出される攻撃を目で追おうとすると十中八九身体が追いつかない。


 だから相手の手の位置や足の位置を見て次の攻撃動作を予測することが鍵となる。


 しかし木剣を振り回すだけでも精一杯の状態でそのような神業が俺にできるだろうか。


「と、まぁまずは己の体を鍛えるところからだな少年。これから毎日私とトレーニングをしてから剣術の稽古だ」


「………はい」


 この調子で稽古していけば、いったいどれくらいで俺は死ぬ寸前に至ってしまうのだろうか。


「ほら、一旦屋敷に戻るぞ。その汚れた身体と傷を癒しに行こうか」


「えっ」


 ───乳白色の温泉に浸かりながら、疲労した体を癒していく。


 そして隣には眼福姿のオルンさん──とは言っても乳白色に隠れて体は見えない──が気持ちよさそうな表情でいる。


 分かっている、分かっているんだ。


 彼女は微塵も俺を性的な目で見ないし、俺の一番大事なアソコを見ても無表情だったときは流石に泣きそうになった。


 だからこれは、本当に一緒に風呂に入っているだけで一ミリも他意はない。


 ただ俺としては、いつもとは違う雰囲気のオルンさんを見ることができる唯一の場所だから眼福というだけだ。


「あぁ〜………気持ちがいいなぁ。………ここでしっかり疲れをとっておけよー」


 両手を大胆に広げてぐったりお湯に浸かっている。


 伸ばした腕が俺の肩に触れている。


「もしかしてこの後も何かやるんですか?」


「何って……また稽古をやるに決まっているだろう。一日中稽古だぞ」


「今日はあれで終わりじゃないんですか!?なんか次はまた明日ー、みたいな雰囲気だったじゃないですか!」


 今日はもう終わりで、明日からトレーニングをしてからまた稽古、というニュアンスに聞こえたのだが勘違いだったようだ。


「少年はきっとこうして一度風呂に入って身体を癒したほうがやる気が出ると思ったんだが間違いだったか?今こうして私と一緒に風呂に入って、心も身体も癒されているだろう?」


「……癒されてますね」


「そうだろう、それならこの後の稽古も頑張れるな」


「………はい」


 この人は俺が喜びそうなことを熟知している。


 それが悔しいのだが、今この時間は至福のひとときを味わえているからこの人の言う通りなのだ。


 俺もアリシアもこの人にいいようにされているようで、本当に人の扱いが上手い。

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