第8話 公爵家当主

「────……はっ!」


 突然のように現実世界へと帰ってきたオルンさん。


「……私はなぜ床で寝ている」


「死んだように倒れたんで、とりあえず寝かしておきました」


 アリシアがデレた瞬間、虚無の顔のまま膝から崩れ落ちていた。


 10分くらいは寝ていただろうか。


「起きたか、オンカ」


 彼女の元へ歩み寄るのはアリシア。


「アリシア様……私は何やら夢を見ていたようです」


「何をバカなことを言っている……。聞けオンカ、お前に言うことがある」


 アリシアがオルンさんにとあることを伝えようとしたその時、この部屋の扉がノックされた。


「……何の用だ」


 アリシアが扉の向こう側にいる人物へ高圧的に問うた。


「お食事の準備ができましたので、お呼びに参りました」


 返ってきたのは丁寧な喋り口調をした女性の声だ。


「──去れ。そんなものを頼んだ覚えはない」


 しかしアリシアはそれを一蹴し、理不尽に突き返した。


 今の時刻からみておそらく夕飯だろうか。


 貴族の人はだだっ広いダイニングで家族揃って食事をとるという、そんなイメージを抱いていたが……まさかそれすら拒否するとは。


「ですが……」


「二度も言わせるな。私は貴様に去れと命令した」


 有無を言わせずの断固拒否。


 これには扉の向こうにいる人も何も返すことはできない。


「────……ご当主様が、食堂でお待ちです」


 しかしその言葉一つでアリシアの表情は硬く重いものとなった。


 当主というと、アリシアの父親か。


「部屋にいる者を全員連れて来い、とのご伝達を承っております」


「………っ、そうか。分かった、すぐに行く」


「……それでは」


 扉の向こうで歩き去る音が聞こえた。


「もうバレているのか」


 鋭い目つきでそう言うアリシアと、真顔のオルンさん。


 部屋にいる者全員、ということはつまり俺も行かないといけないことを意味している。


 アリシアは部屋の奥へと行ってしまった。


「はいはい、少年はこっちだよ。特別に私のを貸してあげよう」





 ───ナイフと皿が擦れ合う音が食堂に響き渡っている。


 大きな長方形の形をしたテーブルを囲んで食事をし、誰も言葉を発しない。


 それはとても家族間の食事とは思えないほどにしんみりとしており、不気味そのものだ。


 長方形の短辺に座っている男が公爵家の当主。


 両の長辺にアリシアと、そして一人の女性が座っている。


 これだけ巨大な食卓にたった三人しかいないという異色の光景を目の当たりしている。


 俺とオルンさんは、アリシアの座る後方の壁際に立って控えている。


 アリシアがこの場に来てから誰も何も喋っていない。


 おそらくだがこの場で最初に言葉を発して良いのはたった一人なのだろう。


「最近の調子はどうだ、アリシア」


「何も変わりはありません」


 唐突に口を開いた当主に対して、動揺することなく即座に応えたアリシア。


「王子殿下がエイブラン侯爵のミーシャ嬢とご婚約されるというのは聞いたか?」


「……はい」


 今度は少しの間をあけて答えた。


「………今回の一件に関して、王族は何も言及なさらないそうだ。当然、エイブラン侯爵も同じだ」


 それは、アリシアがパレード中に王子とミーシャを襲撃した件のこと。


 派手にやったのにも関わらず双方から一切お咎めなしとは……


「本題は何ですか、父上。私を呼んだのはその話をするためではないのですよね?」


 確信を持ったような強い口調で言い切ったアリシア。


 しかし俺には、この国の王子と侯爵令嬢を襲撃したこと以外に重大な話し合いがあるようには思えない。


「………学院に入学する気はないのか」


「何度も言っていますが、私は学院に入る気はありません」


 学院というとあれか、単に学校のことか?


「貴族であるならば通らなければいけない門だ。入学しないともなれば、傭兵にでもなるつもりか?」


「私の人生は私自身が決めることです。たとえ父上でも、それを決める権利はありません」


 張らせた声で力強くそう言い切り、手元の食事に再び手をつけ始めた。


 またしても場の雰囲気が重くなり、無言の時間が訪れた。


「……そこの少年は、お前が拾ったのか」


 この場でそう呼ばれるのは俺しかいない。


 だが当主は俺に一瞬でも視線を向けることはない。


「そうです」


 問われたことに対して肯定の意を示したアリシア。


 それ以降、当主とアリシアの会話が再び始まることはなかった。


 ここでアリシアの対面側に座る女性がおもむろにこちらへ一度視線を向けてきた。


 この場の席に座っているというだけで、この人がアリシアの母親だというのは想像がつく。


 どちらかと言うと俺ではなくオルンさんにだけ目を向けているように見える。


 オルンさんはというと、向けられた視線に対して逃げるように顔を背けている。


 彼女のオルンさんを見る目は、負の感情など一切見えず温かいもののように感じる。


 それを裏付けるかのように、彼女は口元を緩めて小さく笑った。

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