第13話 枯井戸の正体(2/2)★★★

 洞穴から道へ降りた俺はまず周囲を見渡した。


 見渡す限り続くのどかな畦道あぜみち。見覚えのない景色だった。


 別荘の周辺はあらかた探検しているはず。思ったより遠くまできてしまったんだろうか。


 たまたま通りかかったおばさんがいたので、別荘の特徴を伝えてみるも、そんな屋敷は知らないという。

 

 もときた道を戻ろうにも、空洞にあったノブのない鉄の扉に阻まれて通れないことを思い出した。

 

 八方塞がりになった俺は、疲れもあって道にへたり込んでしまった。日が沈みかけたころになって、軽トラに乗ったおじさんが声をかけてくれて、交番に連れて行ってくれることになった。

 

 家族も探しているだろうし、もしかしたら交番に両親が来ているかもしれないぞ。おじさんにそう言われて少し気持ちが軽くなった。


 期待に反して交番に両親の姿はなかった。そこで若い男の警官に名前や別荘の特徴などいろいろ聞かれた。警官はかなり気を遣ってというか優しく対応してくれたが、別荘の所在地を喋った時に変な顔をされた。


 それから「ずいぶん遠くから来たんだね」とか「歩いてて迷子になったんだよね?」とかいろいろ確認してくる。俺が頷くと「別荘の住所に間違いはない?」という。


 質問の意図がわからず困惑する俺に、警官は「ここは高知だよ」と腕を組んだ。


 ワンテンポ置いて「は?」って声が口から出た。それてようやく警官の意図するところがわかった。

 

 うちの別荘は長野県にある。そして、いま居るここは高知県。


 子供が一人で歩ける距離じゃない。


「ご両親の連絡先はわかる?」


 部屋に置いてきたスマホには登録してある。けど記憶はしてなくて俺は首を横に振った。警官は困ったような顔で、どこか別の場所に電話をかけた。


 そして電話を切ると、自宅の住所か学校を通じて両親とコンタクトを取るからと、その日は交番に泊まっていくことになった。


 そんな警官の話に頷きながらも、頭の中は真っ白になっていた。長野の井戸に入ったら高知に移動してたとか意味がわからない。どこでもドアかよって。


 悪い夢でも見ていることに期待し、俺は交番の一室で早々に眠りについた。


 しかし翌朝になっても事態は解決しないどころか……さらに俺を困惑させる展開が待っていた。


 朝食のおにぎりをもらった俺はパトカーに乗せられた。てっきり家まで連れてってくれるのかって思ったが、そんな都合のいい話はなく、着いたのは近隣の街の警察署だった。


 通された部屋には若い女性の警官と、パソコンを触っているメガネの男がいた。そこで昨日と同じようなことをまた聞かれた。


 それであらかた確認が済んだ後、二人は何かヒソヒソと話をして「……お姉さんたち、調べてみたんだけどね」と口火を切った。


「あなたの自宅の住所には別の家族が住んでる。

 小学校にも連絡をとったけど、あなたの名前と同じ児童はいないそうよ」


 ——それから先はひどいもんだった。「親御さんと何かあったのかな」とか「ご両親も心配してると思うよ」とか、完全に家出少年の扱いだ。


 でも俺は嘘なんか言ってないって言ったら、しばらく時間を置いて、いろんな大人が入れ替わりで俺のもとを訪れた。家庭支援課の人とか児童福祉士とかカウンセラーとか。果ては病院に連れていかれ、検査まで受ける羽目になった。

 

 その間は、なんか警察の建物なんだかよくわからない場所で寝泊まりすることになった。しかし両親の情報は一向に俺のもとへ届かない。


 信じられない話だが、俺は最終的に施設で暮らすことになってしまった。


 名前は変わらなかったが、捨て子? みたいな扱いで、保護責任者遺棄の疑いも含めて逆に両親が捜索されることになった。しかし何年経っても手がかりすら見つからず、高校進学の際には新しい戸籍が与えられた。つまり別人としての人生が始まったのだ。


 施設に入った最初の頃は毎晩泣いていた。人生がガラッと変わってしまったんだから当然だ。


 しかし暮らしているうちにいろんなことがわかっていき、寂しさよりも困惑の方が勝っていった。


 まず警察の話ではこの世界にうちの両親は存在しない。親戚も存在しない。

 そして俺は存在しているが、学校に在籍記録がないどころか、生まれた町に出生記録も存在してなかった。


 「友達や担任の先生に聞いてもらえばわかる」……そう主張した結果、警察の返事は「調べたけどそんな人たちはいない」だった。


 ただテレビで見た芸能人やスポーツ選手、総理大臣とかは変わらず存在していた。どの辺りまでが範囲なのかわからないが……つまり俺の関係者だけが、存在した痕跡ごとこの世から消えてしまったのだ。


 それを知った時は絶望を通り越して空虚な気分になった。けど一方で捨てていない希望もあった。


 あの井戸の存在だ。


 消えたのは人間だけ。通っていた学校も建物はちゃんと存在してる。


 ってことは、別荘と井戸は残ってるんじゃないかって思ったんだ。


 もしかしたら、また井戸に入れば元の世界に戻れるかもしれない。仮説にすぎないけど、それを試すことが俺が生きていく新たな希望になった。


 しかし施設で暮らすことになった小学生がすぐに実行するのは無理だった。発見されたのが高知だったためか、入ったのも四国の施設だったからだ。


 でもとにかく場所の記憶は失わないよう、覚えていることを全てスケッチブックにメモした。覚えている景色とか、休憩したサービスエリアエリアのこと、立ち寄ったコンビニの特徴まで。そして後から思い出したことも片っ端から記録に残すことで、モチベーションの維持にもつながった。


 ついに長野へ行くことができるようになったのは、18歳になってからのことだった。


 高卒で仕事を初めてからはひたすら旅費を貯めた。長い休みが取れるたびに、別荘を描いたスケッチブックを片手に長野の山々を練り歩いた。


 ついに辿り着いたのは、探し始めて2年目の冬のことだった。


 両親と訪れた別荘は俺の記憶のままそこに佇んでいた。


 誰かが住んでいる痕跡はない。空き家になっているようだ。


 門をくぐった瞬間、庭でサッカーボールを蹴っていたのがつい昨日のことのように思えた。何年ぶりかに流れた涙を拭くと、俺は庭の隅に目をやった。


 例の井戸がある。


 持ってきた懐中電灯で照らすと、底にはぽっかりと空く横穴が見えた。


 俺は子供の頃にやったのと同じように井戸のロープをつかんだ。しかしかなり劣化していて、今の自分の体重を支えられるかは怪しかった。そこでリュックから縄梯子を取り出し、井戸の口にフックを引っ掛けた。こんな場合に備えて用意しておいたものだ。


 10年間のケリをつけてやる。そう息巻いて井戸の底へ降り立った。


 横穴に入るのに躊躇いはなかった。


 あと少し。もう少しでゴールだ。その気持ちが俺の足を早めた。


 例の扉が見えるまでそう時間はかからなかった。ひんやりした鉄の板に触れながら、やっと長い旅が終わる……そう思った。


 しかし実際にこの扉を前にして、ある疑問が俺の頭に芽生えた。

 

 この扉を通過すると、果たして元の世界に戻れるのかということだ。

 

 俺はこの扉を境に、人間関係だけがおかしくなるパラレルワールドに迷い込んでしまった……そう捉えていた。だから元に戻すにはもう一回通るしかないと考えていたが、考えてみればそれは通ってみないとわからない。


 元の世界に戻るのか。


 全く別のパラレルワールドが始まるのか。

 

 仮に元の世界に戻れたとしても、時系列はどうなっている? 俺の体はそのまま?


 わからないことが多すぎる。そしてそれが怖くなった。

 だってこの扉は通過したら取り返しがつかない。それは痛いほどよくわかっている。


 ——その場で何分、悩んだかわからない。結果として俺は選択を保留して、ひとまず元の道を戻って井戸から出た。 

 

 地上に戻るとスマホに職場の仲間からメッセージが入った。どうやら今の時点では別世界に迷い込んでいないらしい。


 けどどうしたらいい。どうするのがベストか?


 その日は答えが出せないまま自分のアパートに帰った。しかし4ヶ月後、俺は古民家に移住することにした。


 古民家が誰かに購入されたら中に入るのは難しくなる。もし井戸が埋められてしまったら、元の世界に戻れる可能性は完全に消えるだろう。移住は“保留”という選択肢を維持するための決断だった。


 ただ家を買ったらローンを背負うことになり、食っていくためにも村で仕事を見つける必要ができた。やっと農協のバイトを見つけ、そこでがむしゃらに働いた。


 そのうち働きが認められて俺は正社員に昇格した。その流れで付き合っていた農家の娘と結婚することにもなった。子供も生まれ、思えばその頃が人生で一番充実した時期だったと思う。


 何度か妻の目を盗んで井戸に入り、扉の前までは行ったものの……その度に今の家族のことを思って引き返した。


 このままこの世界で生きていくのも悪くないのかもしれない。


 そう思い始め、俺が井戸に足を運ぶことは減っていった。ただ妻と息子には「落ちると危ないから」と、井戸に近づかないよう忠告した。


 そんなこんなで、この家に住み始めてまた数年が経った。職場では大きめの仕事も任され、息子も10歳になっていた。


 もう前の世界の記憶はずいぶん薄れ、俺は普通にこっちの世界に馴染んでいた。


 ——そしてある日曜日。消防団の打ち合わせを終えて家に戻ると、妻が一人でテレビを見ていた。息子の姿がないので妻に尋ねると、「さっきまで庭でボール遊びをしていた」と言う。


 ゲームじゃなくてボール遊びなんて珍しいなって思った。


 そういえば俺も昔、庭でボール遊びを……。


 

 

 瞬間、背筋に冷たいものが走った。


 俺は子供の名前を叫びながら慌てて庭へ飛び出した。




 

 ——西日を浴びる枯井戸のロープは降り切っていて。


 すぐ傍には息子のサッカーボールが転がっていた。

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