第25話 林道脇の廃ワゴン(1/2)★
俺の住んでいた田舎の林道に、一台の放置車両があった。
白いワゴン車で、いつからあったかは覚えていない。中学の時はなかったかな。舗装された道路から外れた砂利のスペースみたいなところで、木々の影に隠れるようにして置かれていた。
その道は高校への通学路で、俺は毎日その車を横目に自転車で走っていた。持ち主はどうしたんだろう、とか、なんで撤去されないんだろうとか、存在を気にしたことは何度かある。しかし触ってみようとか、中を覗いてみようとか、そこまでの興味を抱いたことはなかった。
そして、あれは高校二年の夏のことだった。
塾の夏期講習を終えた俺は、開放感から友達とファミレスでだべっていた。塾が終わったのが21時だからだいぶ夜も遅かったと思う。
そうしているうちに親から「早く帰ってこい」ってメッセージがあり、慌てて家路についた。
塾のある駅前からは自転車で15分くらい。父親に買ってもらったばかりのロードバイクが快適で、俺は鼻歌を歌いながら田舎の夜道を走っていた。
そうこうしているうちに差し掛かったのがあの林道だ。
特に廃車のあるあたりは林と田んぼしかなくて、暗い上にめちゃくちゃ静かだった。
とはいえ走り慣れている道だから、怖いとか不気味だとは思わない。カーブの途中にある廃車の姿が見えてもなんとも思わず、そのまま走り抜けようとした、その時のことだ。
ワゴン車の中で何かがガラスを引っ掻いている姿がライトに照らされた。
「おわっ!?」みたいな感じで俺は思わず声を上げてしまった。ロードバイクは横に倒れ、俺はギリギリのところで地面に手をついた。
車輪が回る音に混じって、暗闇からカリカリと音が聞こえる。
息を呑んでスマホで照らすと、くすんだガラスの向こうに肉球のようなものが見えた。
耳を近づけると、かすかにニャーって鳴き声がする。思わずドアに手をかけると、鍵はかかっておらずそのままドアが開いた。
飛び出してきたのは白い猫だった。小さかったから子猫だったのかもしれない。
子猫は俺の脇を抜け、そのまま林道のカーブを走り去っていった。そんな姿を見送りながら「入ったはいいけど出られなくなったのか?」と思って車内に視線を戻す俺。
さっきは猫に気を取られて気づかなかったが、そこにはギョッとする光景が広がっていた。
運転席の他は座席が全て取り外されており、広いスペースになっている。
その一番奥に、やたら口のでかい毛むくじゃらのヤツが座っていたのだ。
なんていうかイメージは雪男に近い。しかし身長は150センチくらいで、体毛は緑色。顔の半分くらいは口で、分厚い唇の向こうに無数の牙を剥いている。
そしてなぜか口の周りだけが赤黒く汚れていた。
正直、あれの口元がライトに映った瞬間は鳥肌が立った。俺は悲鳴を噛み殺すと、大慌てでロードバイクに跨り走り去った。
廃車の中のあいつはなんだったのか。生き物なのか人形なのか、はたまた着ぐるみなのかさえわからない。
けど考える余裕はなかった。怖すぎて家に帰ると風呂も入らず、そのまま布団に潜ってしばらく震えていた。
ただまあ現金なもので、ベッドに入れば普通に眠くはなるし、朝になったら恐怖はかなり薄れていた。昨日のアレはなんだったんだろ。そう疑問に思った程度だ。
目が冴えてしまったので、いつもよりだいぶ早いけど学校へいくことに。制服を着て通学用の自転車にまたがり、まだ薄暗い道を走る。ただでさえ住民の少ない地区な上に早朝だから、人影が全くない。
林道の付近も静かなものだった。朽ちたワゴン車も、昨日までの様子と変わらずに佇んでいる。
白い猫の姿も周囲にない。無事に飼い主のところへ戻ってればいいけど……。
そんなことを考えながら自転車を停めると、小さな疑問が浮かんだ。
——猫を逃した後、俺ってあのドア閉めたっけ?
目の前のドアは閉まっているが、自分があの後どうしたのかは曖昧だった。それどころじゃなかったもんな。
そして一つ考え出すと、余計なことが次々と浮かんでくる。
猫はどうやってあの中に入ったのか。
中にいた緑のバケモノはなんだったのか。
俺が助けなければどうなっていたのか?
ひび割れた車のライトが俺を見ている。昨日の恐怖が蘇ってくる気がして、俺は自転車を走らせた。
さっさと学校に行って、普通の日常を始めたい。そんな気持ちだった。
学校に着くと、ちょうど用務員さんが校門を開けているところだった。「昇降口にはまだ入れんぞ。こんな早くに来てどうするんだ」と聞かれたので「自主練したいんで」とウソついて部室で時間を潰した。
1時間くらい経って登校する生徒の姿がチラホラと見え始めた。教室へ向かうとまだ誰も教室にいなかった。
ほどなくしてクラスメイトのSが現れ「おはよ。今日は早いな」と声をかけてきた。
Sは隣の地区に住んでいて、途中まで通学路が同じだ。登校の途中で一緒になることもたまにある。けど俺はよく寝坊するから、Sの方が後に着くのは珍しかった。
そんなSだが、カバンを机に置きながら「お前も会ったか? あのおばさん」と妙なことを聞いてきた。
「おばさん?」聞き返すとSは「学校来る途中でさ」と、荷物をしまいながら話し始めた。
「話しかけられたんだ。知らないおばさんに。
ほら、お前も通るだろ。あの林道のあたりだよ。
そこで聞かれたんだ。
『昨日の夜、うちの白い猫を助けてくれた男の子を知りませんか。お礼を言いたくて』って。
そんなの知るわけないだろ? 俺は自転車で走ってんのに、それをわざわざ引き止めて聞いてくるからさ。
変なおばさんだなって」
「白い子猫を助けた? 昨日の夜?
それ俺だわ」
俺の返事にSはきょとんとした顔をすると、一呼吸の間を置いて「いやお前かよ」ってつっこんだ。
そんでどういうこと? って聞かれたから、車の中で猫が出られなくなってたって状況をそのまま伝えた。同時に車の中の光景も頭に浮かんだが、そんなタイミングで「なになに、なんの話してんの?」って別のクラスメイトがやってきた。
そいつはまあまあ明るくて面白いやつなんだが、いかんせん声がでかい。面倒な噂の発端になったら嫌なので、猫を助けただけの話にとどめた。そのクラスメイトは「へえ、偉いじゃん!」って言って、さっそく猫を助けたことを近くの女子に話し始めた。そしたら女子にチヤホヤされたので悪い気はしなかった。
Sだけがちょっと妙な表情をしていたが、男の嫉妬は見苦しいぜ? くらいにしか思わなかった。
一日の授業が終わって帰りの準備を済ませると、駐輪場でSに会った。
この日は職員会議でどの部活も休みだったので、途中まで道が同じのSと一緒に帰ることにした。
二人でどうでもいい話をしながら自転車を走らせる。
そして学校から少し離れた交差点に差し掛かったときのことだ。
電柱の脇に立っているおばさんを見て、Sの表情が変わった。
信号が赤に変わったのを見て自転車をとめ、Sに「どうかした?」って尋ねる。しかしそんな返事を待つ間もなく、「すみません」という声が割って入った。
電柱のそばに立っていたおばさんが話しかけてきたのだ。
「あ、何すか」
俺は反射的にそう返事をしてから、内心で「うわ」って思った。おばさんの雰囲気がなんか変だったのだ。
格好は普通のおばさんなんだけど、なんかやたらニコニコしてて不気味なの。いや笑顔なのはいいんだけど、顔見知りでもない俺たちにあの表情で話しかけるのは変、っていうかさ。違和感があった。
でも信号は赤だし、返事しちゃったしで今さら無視はできない。俺が話を聞く感じを出すと「昨日の夜なんだけどね」とおばさんは口火を切った。
「白い子猫を助けてもらったの。高校生くらいの男の子に。
心当たりのあるお友達とか、いない?」
Sのときと同じく、それ俺です、って言葉がすぐ頭に浮かんだ。変な感じはするけど「助けてもらった」って言い方からして、お礼を言いたいとかそういうことだろうと思ったからだ。
しかし俺が口を開くのを遮るようにして、Sが「あのー」と割って入った。
「それ朝も聞かれたけど知らないっすよ。
お前も知らないだろ? 猫アレルギーだし。な?」
Sの言葉に俺はポカンと口を開けた。「な?」じゃねーだろって思った。
なんだその嘘。猫を助けたのは俺だし、それはSも知ってるはずだ。それに猫アレルギーでもない。
しかしSの顔は何故か真剣だった。元々そんなわけわからん冗談をかます奴じゃない。
真意がわからずに俺が固まっているとSは
「もういいっすか。ほら、信号も青。
行こうぜ」
って自転車を走らせた。俺はSの背中とおばさんを交互に見て「あ、失礼します」と残し、Sの後に続く。
自転車で走りながら「さっきのなんだよ」って聞くもSは答えない。しばらく走り、林道も過ぎたときになってようやくSは自転車を止めた。
それから誰もいないのを確認するように周りを見渡すと
「さっきのおばさん、やっぱ変だろ」
と言い出した。
確かに宗教の勧誘でもすんのかって笑顔だったけど、言ってることは別に変じゃなかっただろ? そう返すと、Sは「言ってることも変だ」と被せてきた。
「自分ちの猫がいなくなったら、普通は『見つけてくれて』ありがとう、だろ。
でもあのおばさんは『助けてもらった』って言ったぞ」
「それがなんだよ」
「なんで猫が廃ワゴンの中にいたことを知ってんだよ。
もしそれを助ける高校生を見てたんなら、なぜ自分で助けない?
どういう事情かは知らんけど、あのおばさん。
お礼を言いたいっていうのは建前で——
猫を車から出したやつを探している。
そんな印象を受けた」
探している……俺を?
Sの言葉を反芻し、俺は背中が冷たくなるのを感じながら「いや考えすぎだろ」って首を振った。
「Sの言い方だと、おばさんは俺が猫を助けるのを見てたってことだろ?
だったらなんで、さっき話しかけたときにバレなかったんだよ」
「それは、うーん……。見てたけど暗くて顔はわからなかった、とか?」
「それはない、それはねーって!」
俺は乾いた笑いを浮かべながら自転車のハンドルを叩いた。
Sの仮説を否定するように。そうでないとやってられなかった。
あの不気味なおばさんが、嘘ついてまで俺を探している。
それは怖過ぎたし、なんなら車の中にいた“緑のバケモノ“見てしまったことも無関係じゃないような気がしたからだ。
だとすればおばさんは——秘密を見た人間を消そうとしているのではないか。
そんな想像さえしてしまう。
「でもお前さ、ネコ助けただけなんだよな。
……。本当にそれだけか?
何かあるんなら話せよ」
じっと俺を見ながら尋ねるSに、俺は短く「それだけだよ」と首を振った。
喋ればSまで俺の心配事に巻き込まれるような気がしたからだ。
Sは「そっか」と言うと、それきり何も喋らなかった。
重苦しい不安に押さえつけられるように俺も黙ってしまい、無言のまま俺たちは帰途についた。
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