第6話 知らない間に届く手紙(2/2)

 話が持ち込まれた翌日。


 俺はくだんの手紙が投函された家の前に来ていた。


「……。

 何で俺は今日ここに来ることになっているんです?」


 俺の疑問を尻目に、保育士は軒先のチャイムに指を押し当てながら答えた。


「だってKさんがおっしゃったんですよ。なぜこんな手紙が投函されているのかは、出した本人に聞かないとわからないって。


 気になるじゃないですか」


 いや、気にはなるけど関わりたいかは別の話で……。


 そう言いかけたが、俺は途中で飲み込んだ。


 保育士にとっては友人に関わる心配事だから。たしかにそれもある。


 けどそれ以上に、何だか嫌な気配を感じたのだ。


 この家から。


 そんなことを思っていると、「はーい」という声と共に扉が開いた。


 出迎えたのは90は近いであろうお婆さんだった。


「——あー、おばあちゃん! その人たちは私のお客さん。

 私が出るから部屋にいてよ。歩き回ると危ないんだから」

 

 そんなお婆さんの背後から声が飛んでくる。小走りでやってきたのは、エプロンをつけた女性だった。

 歳は保育士と同じくらいに見える。おそらくこの人がユカさんなのだろう。


「よくきてくれたね。それとはじめまして、えーと、Kさん。

 ——ほら、おばあちゃん。お裁縫するんでしょう? 道具の支度できたから」


「ごめんなさい、ごめんなさいねえ。

 そういえばお花に水をやらなくちゃ」


「それはさっきもやったでしょう」

 

「そうだったかしら。ごめんなさいねえ」

 

 ユカさんに言われて、お婆さんがヨタヨタとした足取りで室内へ戻ってゆく。お婆さんの姿が開けっぱなしの襖の向こうに消えると、ユカさんは「ごめんね。どうぞ、入って」と俺たちを家にあげた。


 歩く途中でさっきのお婆さんが座布団に腰を下ろし、針仕事を始めている姿が見えた。


 さっきのやり取りでは認知症のような印象を受けたが、目や手先ははっきりしているんだろうな。そんなことを考えながらユカさんと保育士の後ろをついて歩く。


 洋間のソファに案内されると、保育士はさっそく今日の本題を切り出した。


「相談受けたことなんだけどね。もしかしたら、ユカにとってショックな内容かもしれない」


「! 脅迫状のことが何かわかったの!?

 気を遣わないで教えて。何もわからないのが一番怖いの」


 脅迫状、ね。

 

 保育士が目配せをしてきたので、俺は頷いて口を開いた。


「彼女から画像を見せていただきました。私の見立てでは、手紙を投函したのは霊の仕業ではありません」

 

 ここからは推測が混じりますが……そう前置きをして俺は保育士に話した内容の要点を説明する。つまり、手紙の投函者はおそらく同居の家族であるということ。それを聞くとユカさんは「確かに。いや、でも」と視線を泳がせた。


「この家は私とおばあちゃんの二人暮らしです。さっき少し見ていただいて感じたかもしれませんが、おばあちゃんは認知症です。1年前におじいちゃんが亡くなってから急に進行してしまって。


 足腰はまだ元気なんですけど、手紙を書くとかそういう作業は……」


 ユカさんは俺の推測に一定の納得を示しながらも、手紙を書いているのはお婆さんしかいないという結論については懐疑的な様子だ。

 

「それにおばあちゃんはまだ生きています。仮に手紙がおばあちゃんの書いたものだとしても、


 “お前が私を殺した”

 

 あの文章が私に向けてのものなら、少なくともおばあちゃんが生きているのは変な話じゃありませんか」

 

 ユカさんの言う通りだ。お婆さんは生きている。


 この家で死んだのは別の人間だ。


「失礼ですが、おじいさんは」

 

「……。さっきも言いましたけど、1年前に亡くなりました。

 心臓の発作です。持病があるので発作を抑える薬はあったのですが、飲むのが間に合わなかったみたいで。


 病院に着いた時には、手遅れでした」


「生前のおじいさんのことがわかるものは、何かありますか」


「遺品をまとめたものがあります。今、持ってきます」


 そう言って席を立つユカさん。どこかの扉を開ける音がかすかに聞こえてきたあたりで、保育士が俺に耳打ちを始めた。


「ちょ、Kさん。ユカがおじいさんを殺したって言うんですか!?

 そんなことする子じゃないですって!」

 

「ええ。心臓の発作なら、病死以外の何物でもないでしょう。


 でも、手紙を書いた人物にとってはそうじゃなかったのかもしれない」


「え、それってどういう」


 保育士の言葉を遮るようにして、再び洋間の扉が開く。保育士はそそくさと居ずまいを正した。


 ユカさんが持ってきたのは、段ボール箱だった。その中には道具やら写真やら、いろいろなものが詰め込まれている。


 俺は思わず口元を押さえてしまった。


 この家に入るときに感じた、あの嫌な感じ。

 それをずっと濃くしたものが、胸に流れ込んでくるような感覚がしたのだ。


 この中に何かある。

 

「どうかしたんですか? Kさん」

 

 表情にも出てしまってたのだろう。保育士が怪訝な顔で俺を覗き込んでいる。


 俺は慌ててダンボールの中身に目をやり、一本の小刀を取り出した。


「——立派な小刀ですね。大工道具ですか」


「はい。おじいちゃんは大工をしていました。確か80歳くらいまで……やってたのかな?


 心臓が悪いから引退すれば、って私が言うのに、体動かさん方が早死にするとかなんとか言って。

 

 それでもちゃんと道具を新しくしたり、パソコンなんかも使って仕事を管理してたりして、頑張ってましたよ」


「おじいさんは左利きだったのですか」


「ええと……はい。そうでした。おじいちゃんの利き手は左でした。よくわかりますね」


「手に持った時、刃の向きが逆だなと思ったので」


「へぇ〜! Kさんさすがですねえ」


 そんなことを言いながら小刀をまじまじと見る保育士。なんとか誤魔化せたらしい。


 本命はこっちの白い封筒だ。


「これは……」


「おじいちゃんの遺言書です。心臓を患ってから、いつ死んでも良いようにと書いたみたいで」


「拝見しても?」


「どうぞ」


 封筒の口を開き、中の紙に視線を落とす。

 書いてあったのはこのような内容だった。




 

 遺言書

 


 〇〇(おばあさんの名前)へ


 お前はよく私に尽くしてくれた。

 預金の半分をお前にやる。


 

 孫のユカへ


 家の管理は若い者がいいだろう。ユカにはこの家を頼む。

 家と預金の半分をユカにやる。



 20××年 9月1日 ※亡くなる約2年前の日付

 △△(おじいさんの署名) 印鑑


 


 遺言書を読み終えた俺は、手にかいた汗をそっと拭って口を開いた。

 

「遺産の分配のことが書かれていますね。失礼ですが、ご両親は」


 この遺言書には遺産の譲り先が妻と孫に指定されている。複雑な事情がなければ、遺産は孫より先に自分の子供に渡すのが普通だ。


 それを尋ねると案の定で、ユカさんの父は離婚でおらず、母は別の男と駆け落ちをして縁を切ったとのこと。母は祖父の葬儀にも来なかった。そういう事情もあって、ユカさんは中学生の時からこの家で祖父母と一緒に暮らし始めたのだそうだ。


 事情がわかれば、この遺言書に書かれていることにおかしな部分はない。


 そのはずなのに。


 なんだこの気持ち悪さは。


 俺は“遺言書”の文字を見ながら、額の汗を拭った。すると。


「おじいちゃんは私が殺したようなもの——やっぱり、おばあちゃんはそう思っているのかな」


 テーブルに視線を落としていたユカさんがポツリとこぼした。


「おじいちゃんが亡くなった、あの日ね。私、仕事に出てたの。


 他社のプロジェクトも関わる大事な日だった。そんな時に、おばあちゃんから電話を受けたの。


 おじいさんが熱っぽいから病院に連れてってほしい、って。


『ちょっと熱があるくらい、寝ていれば治るでしょ』。

 

 とても仕事を抜けられる状況じゃなかった私は、そう言って電話を切った。


 夜中になって帰ると……家の前に救急車が停まってて。


 もう冷たくなったおじいちゃんが運ばれていくところだった」

 

 ——お婆さんの話では、ユカさんが電話を切ってしばらくしてからおじいさんの容体は急変。気づいてすぐに救急車を要請したが、到着した時にはもう手遅れだったという。


「認知症になる前のおばあちゃんはね。ユカのせいじゃないよって言ってくれた。


 でも本当は違ったのかもね。


 おじいちゃんは私を大事にしてくれていたのに、あの日、私はおじいちゃんを見捨てた。

 

 そんな私が、遺産や家まで受け取ったことが……きっと、おばあちゃんには面白くなかったのね。

 

 だからおばあちゃんはこんな手紙を書いた。心の底に溜まったものを吐き出すように。

 

 そうなんでしょ。Kさん」


 急に顔を上げたユカさんから、俺は思わず目を逸らした。図星と取られるには十分だったと思う。


 認知症は進行するにつれ、過去の習慣や押さえていた願望、胸のうちが行動に現れることがある。

 

 それなら文面は“お前が私を殺した”ではなく“私の夫を殺した”になるのが自然だろう。しかしユカさんの介護なくして生活できないお婆さんは、ユカさんへの非難を“死者からの手紙”のような形で綴った。


 死んだ夫になりきって、見殺しにした孫を告発しようと試みたのだろう。


 理性的な判断力が失われてゆく中。

 ただ本能だけで。

 

「でも……そんなKさん。あのおばあさんが、宅配ボックスに手紙を出すとか、そんなトリックを使うでしょうか」


「それについては本人にしかわかりませんが……どうであれ、話してくれることはないでしょうね」


「そんなこと、そんなわけ……」


 言いようのない後味の悪さが受け入れられなかったのだろう。保育士はユカさんをフォローするように色々と声をかけていた。


 ——しかしその3日後。ユカさんから保育士に2本の動画が送られてきた。


 お婆さんがあの便箋に文字を書いている姿。


 そして、封筒を宅配ボックスに入れている姿だった。


 ユカさんがリビングのパソコンでSDカードの再生を始めると、お婆さんが自分の部屋に向かったため、その時にスマホで撮影することができたのだという。


 ただ、ユカさんはおばあさんを問い詰めることはしなかった。


「私がおじいちゃんを見殺しにしたのは事実ですから。

 それは背負って、おばあちゃんに罪滅ぼしをして生きていくことにします」


 ユカさんからのメッセージはそのように結ばれていたという。


 ——これで、知らない間に届く手紙の謎は全て解消。





 そのはずだった。








 後日。保育士が俺のもとに菓子折りを持って訪ねてきた。


 ユカさんからお礼にと預かったものを届けにきたそうだ。


「私……余計なことしちゃいましたかね。ユカはおばあちゃんとこれからも暮らしていくのに、あんなことがわかっちゃって」


「どうでしょう。知らないままの方が気持ち悪いこともありますから。その人次第だと思います」


 少なくともユカさんはそう言っていた。俺の言葉に保育士は「そう、ですね」と歯切れの悪い返事をよこした。


「それにしてもKさん、私びっくりしました。Kさんの推測はほとんどドンピシャでしたよね。

 ユカから送られてきた動画を見たとき、あまりにKさんのお話通りで……正直、ゾッとしちゃいましたよ」

 

「……その動画、見せてもらうことはできますか」 


「? はい」


 そういう申し出がされることは予想外だったのだろう。不思議な顔をして保育士がスマホの画面をこちらに向けた。


 推測はドンピシャ。保育士はそのように言った。しかし一方で、ドンピシャすぎることに違和感を抱く自分もいた。


 認知症のお婆さんが告発の手紙を書く。


 そんなことがあり得るのか。頭の片隅でそんなことを思う自分もいたからだ。


 動画はお婆さんが仏間で机に向かっているところから始まった。遠目だが、便箋は確かに保育士が画像で見せたものと同じだとわかった。


 お婆さんが例の手紙を書いている。その事実を示す、動かしがたい証拠だ。


 しかし俺は——奇妙なことに気がついてしまった。


「ペンを持っている手が……左手?」


 ——俺は映像を凝視しながら、数日前の記憶を必死で辿った。


 あれは確か……そう。ユカさんが俺たちを家に上げて、洋間に向かう最中だ。


 襖の開いた部屋。

 針仕事をしていたお婆さん。


 覚えている。

 あの時、お婆さんは確かに針は右手で扱っていた。間違いない。


 だったらお婆さんは右利き。

 じゃあなぜ左手で手紙の文字を?

 

 あの家で左利きだったのは……。


「——。

 俺は大きな勘違いをしていたのかもしれません」


「え?」


「おじいさんの遺言書。なんて書かれていたか覚えていますか」


 遺言書……そう繰り返した後、「あ、でも実はわたしメモしてました!」と手帳を出す保育士。

 そんなことしてたのかと突っ込みたいところだったが、そこはスルーした。


 とんでもない事実が浮かびあがろうとしていたからだ。


「ええと……


 

 お前はよく私に尽くしてくれた。

 預金の半分をお前にやる。


 

 家の管理は若い者がいいだろう。ユカにはこの家を頼む。

 家と預金の半分をユカにやる。


 

 ……でしたよね」

 

 保育士が言い終わった時、俺はあの時感じた気持ち悪さの正体がわかった気がした。



 おじいさんはユカさんのことを、ユカと呼ぶ。


 そして妻であるお婆さんのことは、と呼んでいた。




 “お前が私を殺した”




 

 いつも持ち歩いているはずの、発作を止める薬を飲むのが間に合わずに死んだ……本当はそうではなく。


 薬をから死んだ?

 

 


 ——左手で流暢にペンを走らせるおばあさん。

 その背中に見えるおじいさんの遺影と、画面越しに目が合った気がした。

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