第28話 いちはつ園事件(1/2)★
※このお話は「夏ホラー2012」という企画に投稿した短編と同じ内容のものです。
YouTube やイラストサイト様で同様のタイトルが検索にかかります。ご了承ください。
1994年、7月30日。正午過ぎ。集落の一帯で地震が起きた。
揺れそのものは大したこともなく、私の勤める役場でも机から小物が落ちるくらいの被害で済んだ。
しかし念のため、村に大きな被害が出ていないかを役場の人間で調べることとなった。外回りを任されたのは若手の三人。女は私だけで、あとの二人は男。全員が二十代の職員だ。
最も年上の柏木を先頭に、三人で村の家を一軒一軒歩いて回った。幸いにも家が崩れた等の被害はなく、確認作業だけを終えて役場へ戻ることとなった。
その道すがら。私たち三人は林道の脇に妙なものを見つけた。
土砂を防ぐコンクリートの壁に、短いトンネルが口を空けていたのだ。
こんな場所にトンネルがあったことなど知らない。いや、確かに昨日まではなかったはずのトンネルだ。
「塞いでいたコンクリートが地震で崩れたんですかね」
後輩の村尾がそう言うと柏木は「なるほどなぁ」と言って、トンネルの入り口に散らかっていたコンクリートの破片を拾い上げた。
「一応、見ていくか。向こうに誰かが迷い込んでるといけん」
柏木の決定で私たちはトンネルの先に進むことが決まった。
どうせ見て回るだけ。私も他の二人も、残業が少しできたくらいにしか考えずにその場所へ足を踏み入れた。
その先に何が待ち受けているかも知らずに。
トンネルの向こうには小さなグラウンドが広がっていた。
倒れたサッカーゴールにペンキの禿げたタイヤ。建物の脇には藻の繁殖した溜め池があり、池の中央には凹凸のほとんどなくなった石像が立っている。目の前の光景はまさしく学校の敷地そのものだった。
“いちはつ少年教護學園”
門の石柱にはそんな文字が彫られていた。教護学園とは今でいう児童福祉施設の一種。非行の経歴があったり、家庭に問題があったり、何らかの事情を抱えた子供が通う施設なのだと柏木が説明をしてくれた。
「トンネルの先に隔離したのも、子供が抜け出すのを防ぐためだろう。だが聞いたことがねえ。この集落に教護施設があったなんて」
そんなことを話しながら三人で敷地を見回った。
グラウンドの奥には二つの建物があり、先に立ち入った方の入り口には“生活棟”と書かれていた。おそらくもう片方は学習のための施設なのだろう。
立ち寄ったついでに何気なく扉へ手をかけると、ほとんど抵抗もなく扉は開いた。
「――鍵が開いているんじゃ尚更、見て回らんといかんなぁ」
「一応、村の管理物件でしょうしね」
もっともらしい建前を口にして、村尾と柏木は建物の中に立ち入った。二人はどうもこの未知の施設に興味をくすぐられたようだった。
入口から入ってすぐ右手側には、木の掲示板に写真が貼られていた。黄ばんだ集合写真には三十人弱の子供と、職員らしき人が五、六人並んで写っている。
写真の下にはマジックで“1972 春”と書かれていた。他に張られている講演会のポスター等も、歴史を感じさせるレイアウトに仕上がっている。
私が掲示物をなんとなく見ていると「おい、ちょっとこっち」と、奥の部屋から柏木の呼ぶ声が聞こえた。
声に誘われて向かうと、そこはおもちゃの散乱した子供部屋のような場所だった。
中央には砂の敷き詰められた浅い箱があり、中には顔だけを真っ黒に塗りつぶされた人形が数体。そして壁には、赤や紫を中心とした色合いで描かれた人の顔が無数に飾られていた。
中でも目を釘づけられたのは子供の似顔絵だった。画用紙いっぱいに描かれた笑顔の子供が、目から赤い涙を流している絵。
「――精神的な問題で入園した子もいたようだ。どんな事情があったのか、今となってはわからないが」
柏木は絵を一瞥すると、そのまま廊下へと出た。その部屋に一人で残る気にはとてもなれず、私も彼の後について部屋を出ようとした。
そのとき、背後で微かな音が聞こえた。
ぽたっ。……そんな感じの、滴の落ちる音だ。
ぽた
ぽたっ
ぱたたっ
ぱたっ
反射的に振り返って、さっきの似顔絵を直視する。
似顔絵の目から赤い液体が、画用紙を伝い床へとしたたり落ちていた。
頭の中が真っ白になり、思わず私は柏木の名前を叫んだ。その声にただならぬものを感じたのだろう。「どうした!」そんな声とともに柏木が飛んできた。
私が絵を指し、さっき見た現象を説明する。話を聞いた柏木はにわかに表情を強張らせて、絵の傍へと寄った。
ちょうど絵の真下に立ち、床に手を当てる柏木。そしてまじまじと辺りを見渡した。
「絵から液体が落ちたと言ったな」
私は頷いた。すると柏木は「それらしい跡は見当たらないが……」そう呟いて立ち上がった。
「――湿気で絵の具が溶けたのを見たのかもしれんな。あるいは見間違いか。
いずれにせよ大人があまり大騒ぎするもんじゃない。さ、出るぞ」
そう言うと柏木は私の肩を叩いて再び部屋を後にした。手には赤い汚れも何もついていなかった。
だが私は釈然としない気持ちを拭えずにいた。
あの絵はクレヨン描きだ。塗料が溶けだすことなどあり得るだろうか?
――それ以上は考えないようにして部屋を飛び出した。あの似顔絵の視線を、背中に受けながら。
部屋を出ると、私たちの入ってきた玄関口で村尾が掲示板を直視していた。
何を見とんだ? 柏木が聞くと、村尾は一枚の写真を指した。それはさきほど見た、生徒職員の映った集合写真だった。
「この写真、何か違和感がないですか」
違和感と聞いて柏木が傍へ寄る。どれどれ……そう言って柏木は写真に顔を寄せた。
「別に普通の写真だろう」
「気のせいですかね」
二人のやりとりが気になり、私も集合写真に目をやった。
黄ばんだ写真に子供たちがやや不規則に並んで写っている。その後ろではしかめっ面の職員が立っている。
一見して普通の集合写真には違いなかった。しかし私も村尾と同様、写真に何か形容しがたい違和感を覚えた。
最初に見たときにはなかった感覚。まるで別の写真を見ているかのような感じだった。
「ほら、まだ回るところはあるんだ。突っ立ってないで行くぞ」
柏木の言葉に急かされ私は最後に改めて写真を見た。そして記憶の中の写真を思い浮かべた直後、目の前の写真の不自然さに気がついた。
子供は等間隔に並んでいる。しかし各列の一部に、妙な空間が空いているのだ。普通なら距離を詰めるべきところが、この集合写真では空白が放置されたままの並びで映っている。
違和感の正体は子供の列にあった。
子供の数が、明らかにさっき見た時よりも減っていた。
何人かが、写真の中から姿を消している。列を抜け出していたのだ。
――急に無数の気配を辺りに感じた。
勘違いと言われたらそれまでだが、私は確かに感じた。
急に増えた息遣いに、向けられる視線。言うなれば曲がり角の影や背後など、自分の目の届かぬいたるところに人が居て、こちらを見ているような感覚だ。
背後を振り返ったところで何の姿も見られない。
ただ私が振り返る瞬間に、そいつは首をひっこめる。それがわかる。そしてまた別の奴が後ろからこっちを見ている。それが感覚で“わかる”のだ。
とてもその場に留まってはいられず、私は建物の内部を早足で進んだ。
どうして外へ出なかったのかはうまく説明できない。たぶん私はパニックの最中、柏木でも村尾でもいいから、誰かと合流しなければとでも考えたのだろう。
木造の床がキィキィと音を立てる。そして少し短い感覚で、床のきしむ音が私の後を追う。
角を曲がると、右手に並ぶ部屋のいちばん奥の扉が開いていた。甲高い音を立てて扉が揺れている。
仲間の二人はそこにいるに違いない。そう思い私は部屋へ足をふみ入れ、乱暴に扉を閉めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます