第27話 惑い虫

 悪夢を見るようになったのは、引っ越しを済ませた一週間後のことでした。


 最初の夢は今も忘れません。起きてすぐ、実家の母親に電話したくらいですからね。


 夢の中で、私は実家の廊下にいました。


 リビングから灯りと談笑する声が漏れていて、夢の中の私はなんとなく「あ、晩御飯の時間だ」と思って、リビングへ通じる扉を開けたのです。


 ふわっと鼻をくすぐるハンバーグの香り。 



 

 ダイニングテーブルに目をやると、そこには家族の頭部が乗っていました。




 江戸時代のさらし首のようなイメージです。


 おかずが乗ったプレートの横に、母と父と姉の3つの生首がありました。それが談笑しているのです。

 

 思わず悲鳴を漏らす私。

 それに気づいたらしく、三つの首はゆっくりこちらを向きました。


 そして母の首が、私に向かって口を開きました。


「遅いじゃない……あら、まだそんな格好。


 あなたも早く取っちゃいなさい」


 ——吐き気を催す光景の中、しかし日常の一コマのようなトーン。

 そして意味不明な発言。


 私が状況を飲み込むのを待ってくれることもなく、スッと和室への襖が開きました。


 現れたのはエプロンを来た首なしの身体。

 服装は見慣れたものでした。おそらくは会話をしている母の胴体部分でしょう。

 

 右手にはナタのような刃物が握られていました。

 

 それが私に向かって振りかぶられて——夢からはそこで醒めました。

 

 私はベッドの上で汗だくになりながら、シーツを握りしめていました。


 いくら悪夢にしたってタチが悪すぎる。

 もしかして虫の知らせか何かじゃないのか。


 怖くなった私は母に電話をしました。母は普通に電話に出て、家にいる父も普通に元気にしていると答えました。……はい、今も二人は元気に過ごしています。あれからも特に何かあったとは聞いていません。姉も同じです。


 しかし私の悪夢は続きました。二度目は確か一週間くらい後のことです。


 夢の中で私は車に乗っていました。普段、自分が運伝している車です。


 赤信号で停車しており、前には1台の車がありました。振り返ると、後ろはかなりの台数の車がありました。


 それで道は見通しのいい一本道。

 どこ、ここ。どういうシチュエーション?


 そんなことを思っていたら信号が青になりました。


 そしたら前の車が急発進したのです。

 

 あっけに取られながらその姿を見送る私。その時に初めて気がついたのですが、目の前には変な壁がありました。幸せそうな家族が手を取り合っている写真が描かれた……というかプリントされたような大きな壁。


 写真の上部には「みんなで天国に行こう」と書かれていました。


 前の車はそこへ猛スピードで突っ込み、ぐちゃぐちゃに潰れました。


 全身から汗が吹き出ました。すぐに逃げようとするのですが、シートベルトが外れず、外に出られないんです。


 後ろの車たちは私の発進を急かすようにクラクションを鳴らしました。


 そしたらですね。私の足が勝手にアクセルを踏むんです。それも思いっきり。


 壁が目の前まで迫るのはあっという間の出来事でした。


 前の車を運転していた人の肉片みたいなのが見えた……と思ったら、グチャって何かが潰れるような音が聞こえて、そこで目がさめました。


 悪夢を見た経験がないとは言いません。しかしそれから先も続く3回目、4回目の夢も含めて、あまりに異常な内容が続いているって感じました。


 死のイメージが強いっていうのか……とにかく心がすり減るような夢ばかり。それで精神科に通院してみたものの、薬を飲んで様子を見ましょうって言われるだけ。悪夢が改善されることはありませんでした。


 たまらなくなった私は引っ越しを決めました。アパートに来る前はこんな夢を見ることもなかったので、場所に原因があるのかもと思ったのです。

 

 契約して2ヶ月たらずだったので、違約金みたいなのを請求するって言われました。けどバイトも手につかなくなっていたので、背に腹は変えられないと思って新しめのアパートに引っ越しをしました。


「——しかしアパートを変えてからも悪夢は続くんです。それも、内容はどんどん残酷になっていくばかりで。


 それで私、もうどうしていいかわからなくて」

 

 涙目で話す私に、ポロシャツを着た神主さんは「なるほど」と落ち着いてペンを走らせました。


 精神科もダメ。引越しもダメ。こうなったらお祓いしかないと知人に言われ、ネットで調べたこの神社にやってきたのです。


「最初のアパートに引越したタイミングで悪夢が始まった。投薬は効果がない。

 引っ越した後も悪夢は続いている……うーん」

 

「あの……何かわかりますか。私は治るんでしょうか」


 藁にもすがる思いで尋ねると、若い神主さん(Kさんと名乗りました)は「まさか、という気持ちでお話を伺っていました」と口元に手を当てました。


「心当たりがあります。ただ文献で見たことがある、といった程度ですが。

 

 少し頭を見せていただいてよろしいでしょうか。髪の毛にも少し触れます」


 病院でも耳にすることのなかった“心当たり“という単語に、私は「お願いします」と即答しました。Kさんは「失礼します」と言って私の髪をかき分けると、こめかみの少し後ろ側に触れたあたりで手を止めました。


「——見つけました」


「な、何か私の頭にあるんですか?」


「はい。しかし、まずはコイツを取っちゃいましょうか」

 

 そう言うとKさんは神棚に向かい、お酒とかを入れる白いビンみたいなやつを手に取りました。瓶子へいじというそうです。


 その蓋を開けると、さっき触れていた箇所になにか液体を振りかけました。




 そして次の瞬間、耳たぶの上あたりから「キィィィ……!」と、小動物の鳴き声みたいなものが聞こえました。




 何が起きているのかわかりませんでした。

 顔をひきつらせながら震えている私に、Kさんは指につまんでいるものを見せてくれました。


 黒くて艶のある、豆のような塊。しかしうっすらと骸骨のような模様が見えます。


 背中に不気味な柄のあるダニ。そんな見た目でした。


「これが頭に憑いていました。“惑い虫”という憑き物の一種です。


 寄生した人間に死のイメージを見せることで心を衰弱させ、自死へと追い込む。

 そしてその遺体を食べるという憑き物です」


「ひっ、虫……自殺……!?」


「大丈夫です。もう浄化しました」


 Kさんによるとこの“惑い虫“は珍しい憑き物らしく、祖父の代から遡っても対応したのは初めてだと言いました。最終的に遺体が食べ尽くされてしまうため、憑かれた人が行方不明者として処理されてしまうことが原因だそうです。


 記録が残っている最後の発見は80年ほど前。

 憑き物相手にその表現が正しいかはわからないけど、もう絶滅したと言われていたそうです。


 それがアパートに潜んでいて、寝ている間に私の頭に寄生したというのがKさんの見解でした。


 ちなみに私の髪に振りかけたのは清酒だそうですが、市販の料理酒でも取れたかもしれないといいます。


「そ、そうなんですか。なんか拍子抜け……」


 私の肩から力が抜けました——しかしその瞬間。


 Kさんの指の間で、惑い虫が足をばたつかせました。


 すんでのところで悲鳴を飲み込んだ私ですが……次の瞬間に起きた出来事は耐えられませんでした。


 


 客間の天板がバラバラと外れ、頭部を袋で包んだ首吊り死体が一斉に落ちて来たのです。


 


 ぶら下がっている死体が部屋中を埋め尽くし、逃げ場を失った私はただ頭を抱えて絶叫することしかできませんでした。


 一方のKさんはというと、周囲の首吊り死体をぐるりと見渡して「幻です。まだ生きてたみたいですね」と言い——



 

 そのまま指でつまんでいた惑い虫を、プチュっと潰してしまいました。

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