第17話 チャペル ユートピア(1/2)★★
死にたいって思ったことはある?
大抵の人はあると思う。けど実行はしないでしょ。
でも私は本気で、実行する直前のところまでいったことがある。
大学に卒業してすぐのころ、私は過剰に将来を悲観していた時期があった。
就活に失敗したとか、彼氏にフラれたとか、今思えば些細な悩み。それが重なったのだ。心が疲れていると、自分は何をやってもダメなんだって無力感に襲われる。
何十通目かの不採用メールをうけた夜。私は涙が止まらなくなって、衝動的に家を飛び出した。
そうしてやってきたのが——自殺の名所と謳われ、県下最悪の心霊スポットと名高い場所。
チャペル・ユートピアだった。
チャペル・ユートピアはバブルの90年代に入った頃に潰れた結婚式場で、切り立った崖の上に建っていた。広い敷地にリゾートホテルのような施設が充実しており、海の見えるロケーションも相まって、当時は人気を誇っていたらしい。
しかしバブル崩壊を境に、職場の団体を参列者として見込むビジネスモデルは持続できなくなっていき、あえなく廃業。そうネットに書いてあった。
ちなみに私はこの式場には何の
チャペル・ユートピアでは過去3人の女性が飛び降り自殺をしている。「〇〇県 自殺」で調べたらそんなまとめ記事が見つかったから、じゃあ……ってことで来ただけだ。
飲食店を検索するのとなんら変わらない感覚だった。そこでなら確実に死ねるんだなと思ったし、寂しくないと思っただけだった。
アパートから車で1時間半。
それだけ運転しても「死にたい」という衝動が冷めることはなく、私はアスファルトの割れた駐車場に車を停めた。
チャペルに向かうルートは駐車場から上り坂になっていて、坂の入り口には「楽園にいちばん近い場所」という看板があった。ラッパを吹く天使の石像が、私を歓迎してくれているような気がした。
案内図を見ると、チャペルは敷地の一番奥にあるのがわかった。崖の上に鐘があり、過去に亡くなった女性たちはそこから海に身投げをしたらしい。
そのうちの一人は、白いドレスを着ていたそうだ。
噂だけど、今でも夜中になるとドレスを着た誰かが海に落ちる影が見えるという。
もし私が落ちるところを誰かに見られたら、それが噂になったりするんだろうか。それとも私が化けて出るようになるのかな。
坂を登り始めながらそんなことを考えていた。別に死に方はどうでもよかったはずだけど、みんなが崖から飛び降りているのなら、自分もそうするものだと自然に思い込んでいた。
式場へ向かう坂はかなり急で、久しぶりに一生懸命歩いた。その時になぜだか小学校の遠足を思い出した。
クラスのみんなと学校の裏にある丘へ登った思い出。お母さんが作ってくれた弁当は、好きなものばっかり入っていて嬉しかったっけ。
死に向かっている最中のくせに、思い出すのはどうでもいい日常のことばかりだった。
——じんわり汗をかきながら、私はやっと坂の中腹の辺りまで辿り着いた。
そこは少し開けた土地になっており、ホテルや小さなレストハウスが並んでいる。レストハウスの看板には「格別の味わい」というキャッチコピーとメニューの一例が書かれていた。ビーフカレー1300円、エビピラフ1100円……とかそんな感じ。
式に集まった人たちがみんなでご飯食べてたのかな。親戚とか、自分のこと好きでいてくれる友達とかに囲まれて、楽しい時間だったんだろうな。そんなことを思うとため息が出た。
そんな時だった。
チャペルのある坂の上から、鐘の音が聞こえた。
一瞬、聞き間違いかと思った。しかし鐘の音は徐々に弱まりながらも、「カラン、カラン、カラン……」と連続して鳴っている。
崖の上にあるらしいから、海風で揺れたとか? もっともらしい理由をつけながらも、鳥肌が立っている自分に気がついた。自殺者が出た式場で聞こえる鐘の音なんて、イヤでも変な想像を掻き立てられてしまう。
私は怖くなって近くの建物……たぶんホテルの陰に逃げ込んだ。鐘を鳴らした何者かが、坂の上から来るんじゃないかって妄想をしたのだ。
次第に鐘の音は止んで静かになった。私はしばらく息を潜めて固まってたんだけど、音が聞こえなくなってようやく「ただの鐘じゃん」って落ち着きを取り戻しかけた。
そして再び坂を登ろうと決めた、その時だった。
背を向けているガラス窓から漏れた灯りが、視界の端に入った。
振り向くとすすけた磨りガラスの向こうに、蝋燭のような灯りが揺れている。
それはガラス越しにゆっくりと私に近づいてきた。
かと思うと、蝋燭の灯りは音もなく消えて———
その直後、向こうから誰かがガラスを叩いた。
バンバンバンバン! ってすごい音が私の鼓膜に突き刺さる。ガラスが音を立てる瞬間には、真っ黒な手のひらが私の目の前に迫った。
私はガラスの音に負けないような奇声をあげ、半狂乱になりながら走り出した。
その場にいてもしガラスが破られたら、私は“向こう側”に引きずり込まれる。そんな気がしたからだ。
しかも私の悲鳴に混じって、誰か別の叫び声も聞こえた気がする。もし追いかけられてたらどうしよう。そんな思いが、坂を登った足の疲労を忘れさせた。
しかしパニックになった私は、アホなことに駐車場とは逆方向に向かって走り出してしまった。どんどん坂を登って、息が切れてきた頃になってやっと坂の上から鐘が聞こえてきたのを思い出した。
いやこっちだめじゃん! ってなって引き返す私。しかし暗がりでの逆走は全く景色が違って見える上に、登りでは意識してなかった分かれ道があったために、気づくと小さな庭園みたいな場所に迷い込んでしまった。
その時、明かりがこっちに向かって近づいてくるのに気がついた。
恐怖とダッシュでもう動けなかった私は、半泣きでその場に膝をついてしまった。
もうだめ。もう走れない。
そう思った矢先だった。
「——誰かいるの?」
庭園の入り口から顔を覗かせたのは、懐中電灯を手にした女の人だった。
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