第18話 チャペル ユートピア(2/2)★★
結論から言うと、庭園に現れた女の人は生きた人間だった。
私も含め、深夜にこんな場所にいる理由なんてろくなもんじゃない。そう思った私は「近づかないで!」ってわめき散らすも、女の人は「落ち着いて、落ち着いて……ね?」と、私が大人しくなるまでその場を動かずになだめてくれた。
どう考えても悪い人の挙動ではない。それにようやく気づいた私は、女の人の困ったような笑顔を睨みつけながらも、ようやく話に耳を傾けた。
女の人はまず自己紹介をした。名前はアケミさん。年は私より10こくらい上。
こんな時間にこんな場所にいるのは——なんと私と同じ理由だった。
「ほら、ここって自殺の名所だっていうでしょう? 海に飛び込めば、まだ迷惑がかからないかもって。
でもまさか人に会うなんて思ってなかった。
あなたももしかして……もしかしたりする?」
恐る恐る、といった様子で尋ねるアケミさんに、私もまた恐る恐るうなずいて返した。
アケミさんは「そっか、そうなんだ」と言って、立ち話もなんだからベンチがあるところに行こうと誘った。
最初、どこに連れて行かれるのかと怖かった。けど、ホテルのそばのベンチと聞いて、一人で戻れる自信もなかったから後をついていくことにした。
ベンチはホテルの入り口が見える場所にあった。
ガラスをバンバン叩かれたあの恐怖が蘇ったけど、問題の窓は見えないし、アケミさんも一緒だからなんとか落ち着いていられた。
促されて腰を下ろすと、自然と口を開いたのは私の方だった。
「アケミさんはどうして死のうと思ったんですか」
「え……?」
アケミさんの面食らった顔を見て、しまったと思った。初対面の人にとんでもない質問をしてしまった。こういうところが、器用に生きられない原因なんだろうなって思う。
アケミさんは視線をさまよわせると、「えーと……」と少し間をおいて答えた。
「男関係……かな。悪い男につかまっちゃったの。
気づいたらズルズルと離れられなくて、一緒にクスリとかもやっちゃって。身体も生活もボロボロになって、それで……」
「す、すみません!!」
アケミさんの告白をかき消すように私は叫んだ。
そしてぺこぺこと頭を下げる私に、「いいのよ。あなたは?」と穏やかに微笑んだ。
私はバツが悪くて思わず塞ぎ込んでしまった。就職と恋愛の失敗。死ぬ理由があまりにちっぽけで恥ずかしかった。私も彼氏にフラれたけど、原因は私のヒステリーだったし。
ボソボソと話す私だったけど、アケミさんは最後まで口を挟まずに頷きながら聞いてくれた。
「なんか……死ぬ理由まで情けないですよね。私」
そう言って話を結んだ時、はじめてアケミさんは首を横に振った。
「生きる理由が人によって違うんだから、死にたくなる理由だって人それぞれでしょう。
人から見れば大したことなくたって、自分にとっては真剣なことはたくさんあるもの」
そう口にした時、アケミさんは少し遠い目をした。しかし私の方を向き直った時、アケミさんの表情は元の様子に戻っていた。
「それよりあなた、庭園に座り込んでなにしてたの?」
「! そうです!
ここヤバいです。普通じゃないんですよ!」
忘れかけてた怪奇現象を思い出すとともに、私は急に早口で捲し立てた。ホテルの窓で見た蝋燭の灯り。手のひらの影。心霊スポットと聞いてはいたけど、まさか死の間際で出くわすとは思ってなかった。
「あの時は私、思わず逃げちゃったんですけど……。あれって私、連れて行かれそうになったってことですよね」
「どうかしらね。あなたは放っておいても死のうとしていたんでしょ?
それをわざわざ脅かしてきたってことは……むしろ、あっちの世界に行くのを拒んだってことじゃないかしら。
まだあなたが来るところじゃないぞ、って」
指摘されて、私は思わず頷いてしまった。あの恐怖は私の頭から一時的に自殺のことを忘れさせた。私を死なせるのが目的ならやることが矛盾してると思う。
考え込んでしまった私に、アケミさんは藪から棒にこう尋ねた。
「あなた、今もまだ死にたいって思ってる?」
目をぱちくりさせる私。それに対してアケミさんの表情は真剣だった。
だから私も真剣に考えた。そして今の気持ちをそのまま吐き出した。
「正直……ここにきた時の衝動みたいなのはどこかに行っちゃいました。
けど私、本当になんにもできないんです。なんにも成し遂げてこなかった。
その上、自殺の名所まで来ておきながら、死ぬこともできないのかなって。それってなんだか情けないような気がして」
「そんなこと……」
アケミさんがフォローのようなことを口にしようとしたその時、「え?」とアケミさんは視線を外した。
見ていたのはホテルの入り口。真っ黒なガラス扉の隙間だった。
何を見ているんだろう——そう思った矢先に、一つの疑問が頭に浮かんだ。
さっきまであの扉、開いてたっけ?
時が止まったように黙り込む私とアケミさん。隙間からは白い煙のようなモヤが漏れ始めたかと思うと、重そうなガラス扉が音もなく開いた。
顔と胸に大きな穴の空いた女が立っていた。
それが真っ赤なドレスを来て、薔薇のブーケを持っている。
ブーケの持ち手には鎖が繋がっていた。鎖の先には、ボロボロのタキシードを来た男が二人。そっちは顔面がぶつぶつしていて、最初はなんだろうと思った。
しかし雲が切れて月の灯りが差し込んだ時、細部が見えた。ぶつぶつに見える部分は色とりどりの錠剤だった。2色のカプセルのようなものも混じっている。それが集まって、顔の形を形成しているだけのものだった。
そんな様子がわかるくらい凝視するまで、私は動くことも、声を出すこともできずにいた。
しかし先頭の女がヒールを履いた足を踏み出した瞬間、私はアケミさんの手を掴んでベンチから立ち上がった。
それからは嗚咽、涙、鼻水を垂れ流しながら猛ダッシュ。もう自殺を実行するも何もなかった。
ここは自殺の名所。だったら化けて出るのはここで死んだ人。
ここで死ねば私とアケミさんもああなる。
顔と胸に穴の空いたあの女が……死後に幸せになったとはとても思えなかった。
「え、何? どうしたの、ねえちょっと」とアケミさんは戸惑いながらも私に合わせて走る。——無我夢中だった割には、気づくと私はアケミさんともに駐車場に戻っていた。
それからアケミさんに「私、やめときます」と走りながら決めたことを切り出した。
「頑張って生きるとかそういうのはないですけど……とにかく死ぬのはやめます。
死んだら楽になれるとか思ってたけど、なんか勘違いしてたような気がしました」
アケミさんにとっては唐突な決意表明だっただろう。しかしアケミさんは「そっか」と短く返事をして、多くは聞かなかった。どこか安心した表情に見えた。なんでアケミさんがホッとするのかよくわからないけど。
「あ……あ、アケミさんはどうするんですか」
そーっと尋ねる私に、アケミさんは「じゃあ私もやめようかな」とあっさり返した。
そんな返答にきょとんとした私は「え、なんでですか」とまた余計なことを口にした。すると「生きるのに理由が必要?」と返され、よくわからないけど「そうですね」と納得したようなことを言ってしまった。
それから私は車に乗り込んでエンジンをかけた。駐車場に残ったアケミさんは「タクシーを呼んだから」と言った。ってことは来たのもタクシーでってことになる。こんな時間にこんな場所へ女性を送る運転手は正直どうかと思った。
別れ際、アケミさんは「元気でね」と手を振ってくれた。
あれからアケミさんとは会ってない。けれどアケミさんの顔も、あの夜のことも、今も鮮明に覚えている。
何度かメンタルが怪しい時はあったけれど、あの夜のことを思い出すと、最悪の選択をせずにやり過ごすことができた。
変な話だけど、心霊スポットに行った体験がお守りになっているような感じ。
だからあそこが——チャペル・ユートピアが自殺の名所であり、マジの心霊スポットであることは間違いないんだけど、私にとってはちょっとした思い出の場所になっている。
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