第19話 チャペル ユートピア 結☆☆

 廃墟って行ったことはある?


 大抵の人はないと思う。たとえ興味をもったとしても、まず中には入らないよね。


 私も廃墟なんかに興味はなかった。けど今、わけあって結婚式場の廃墟にいる。


 チャペル・ユートピア。私の祖父がかつて経営していた式場だ。

 

 リゾートホテルを併設したこの式場は、昭和の終わり頃までは繁盛していた。しかし景気に翳りが見えるにつれ急激に利用者は減少。なんとか負債が膨らむ前に事業を畳むことには成功したが、解体する費用までは残らなかった。


 このチャペルとホテルの放置はしばらくなんの問題もなかった。しかしインターネットの出現とともに、バブル期のノスタルジック感もあってか、不法侵入の痕跡が見つかるようになり始める。


 けどそこまではまだよかった。問題は3人もの自殺者が出たことの方だ。


 しかもそのうちの一人は、私の妹。

 5年前にチャペルから海に飛び込んで亡くなった。


 理由は婚約した相手の男とその友人から支配的な扱いを受けていたこと。

 ドラッグ漬けにされていたことは、亡くなった後に警察から聞かされて知った。


 海から引き上げられた妹は、式で着る予定だったドレスを纏っていた。

 警察の話では、岩に衝突したせいなのか……白いドレスは真っ赤に染まっていたみたい。

 

 不法侵入には寛容だった祖父もこれには参ってしまった。しかし解体するお金はなく、手放すにも買い手はつかない。父の相続放棄を待つしかなかった。それまでは親族が交代で管理をしようという話になったのだ。

 

 そして今月、見回りを担当するのが私というわけだ。


 でもなんで夜? って話だよね。危ないし。

 それは私の妹が死んだことに関わっている。


 うちの妹は死の間際に私に電話をかけてきた。男のことで困っていることがあると。


 しかしその時の私は多忙を極めていて「男のことなら一つや二つ、誰でも不満はあるでしょ」みたいな感じで返してしまった。


 妹が今まさに一線を越えるかどうかの場所にいることも気づかずに。


 最後の一押しをしてしまったのは私だとすら思った。


 その後悔もあって、私は自殺の防止やカウンセリングに興味を持つようになった。福井の東尋坊なんかだと、様子のおかしい人に声をかけるボランティアとかあるんだけど、そういう活動にも参加したことがある。


 そこで学んだのが、一時の強烈な衝動を乗り越えると、踏みとどまれる人がいるということだった。


 もし誰かがここで命を断とうとするなら、私がそれを止めることができるかもしれない。


 それが妹を死なせてしまった私にできる償いだと思ったのだ。


 そうは言っても、なかなか夜中に誰かと出くわすことなんてない。5年やっていて、私が出くわしたのはパリピ系の廃墟ブロガー2人組くらいのものだ。その人たちも私が土地の管理者だと知ったらあっさりと帰って行った。


 だから今日も、見回りとお参りでおしまい——そう思っていた。


 妹の好きだった薔薇の花束を崖の上に置き、高台の鐘を鳴らす。

 そして原付を停めた通用口へ戻ろうとしたとき、駐車場から坂を登る明かりが見えた。


 懐中電灯の明かり。目を凝らすと、服装は女の人のように見える。


 私はじっとりと滲んだ汗を拭い、急いで坂を下った。





 

 私はとりあえず女の人が見えた方に走ってはみたものの、頭の中はこんがらがっていた。


 自殺者っぽい人がいたら止める。そのつもりでいたものの、いざ出くわしたらビックリしてしまって、どう声をかけようっていうのがよくわからなくなってしまった。

 

 東尋坊でのバイトは昼間だったし、ベテランの人について声をかけていたから、今日みたいなことはなかった。まさか自分の方がここまでパニックになってしまうなんて思ってもいなかった。


 ライトの明かりがホテルの影に見える。侵入してきた女性は、どういうわけかホテル一階の草陰にとどまっているらしい。


 どうしよう。どう声をかけよう。


 もし私が余計なことを言って、逆に追い詰めてしまったら?


 緊張の糸が張り詰めて涙が滲んでくる。そんな私が思いついた行動は……今思えばナナメ上にも程がある奇行だった。


 まずホテルの裏口から女性のいる場所に一番近い部屋へと回る。そして窓から女性を驚かし、ここから退散させようというものだ。


 ちょっと何言ってるかわかんないと思う。今思えば私もわかんない。けどその時の私は真剣だった。思いついた時、「これしかない」と本気で思ってた。


 一部が崩れた廊下を走って、女性が背中を預けている窓のある105号室に入る。


 そして懐中電灯の灯りを絞り、オレンジ色のハンカチで光を透かす。すると磨りガラスの向こうの女性がこちらを振り返ったような影が見えた。


 そこで思いきり両手でガラスを叩いてみる。


 直後に聞こえた、絶叫する女の声。


 ガラスを震わすようなその声に、思わず私も絶叫してしまった。


 そして遠ざかってゆく悲鳴と足音。

 うまくいった? そう思って窓を開けると、なんと女性の後ろ姿は坂を登って行っている。


 嘘でしょ、ふつう駐車場に戻るでしょ!? そう思ったが、人間、パニックを起こすと思わぬ行動に出ることは私もよくわかっている。


 私は慌ててホテルの入り口の鍵を開け、外へと飛び出した。あれだけパニックを起こした状態で崖からは飛ばないと思うけど、万が一があっちゃいけない。


 なんとか間に合って。そんな思いで私は坂を全力で駆け上がった。


 しかしチャペルへ向かう道には人の影がない。私は自分以外の懐中電灯の灯りと、人の気配を探すのに神経を研ぎ澄ませた。


 そしたら啜り泣く声が、庭園の方から聞こえた。


 懐中電灯を向けると、大学生くらいの女の子が膝をついて泣いているのが見えた。 





「近づかないで!!」

 

 女の子は私をみるなりそう叫んだ。怖い思いをさせてしまったのは私なので、ごめんなさいって言いそうになるのを噛み殺しながら「落ち着いて、落ち着いて……ね?」と声をかけ続けた。


 私の顔はきっと反省でいっぱいだったので、少なくとも危害は加えてこないだろうと判断されたのだろう。睨みつけながらも、女の子は私に話しかけてきた。


「あなた、どうしてここにいるんですか?」


 そう聞かれて、私は自己紹介なんかで時間を稼ぎながら頭をフル回転させた。ここで正直に言うべきかどうかを。


 もし正直に話せば、どうやっても相手を刺激することになる。そう思い至った私は、無理が生じるかもってことは覚悟の上で、相手が共感してくれそうな嘘を組みたてた。


「——ほら、ここって自殺の名所だっていうでしょう? 海に飛び込めば、まだ迷惑がかからないかもって。

 

 でもまさか人に会うなんて思ってなかった。


 あなたももしかして……もしかしたりする?」


 相手の反応を見ながら、恐る恐る口にしてみる。すると少し警戒が解けたのか、女の子はゆっくりと頷いた。


 そして場所を変えて話そうと提案してみると、意外にも女の子はあっさりと後をついてきた。


 いちばん近いベンチがホテルの正面だった。さっきのこともあって女の子は少し変な顔をしたが、私が座ると女の子も腰を下ろした。


「アケミさんはどうして死のうと思ったんですか」


「え……?」


 開口一番の質問に私は正直、面食らってしまった。

 

 いやでも聞くか。そりゃ。今は同じ立場だと思ってるんだもん。


 けどそれっぽいものは何も思いつかず、私は「えーと……」と、咄嗟に頭に浮かんだ話を始めた。


「男関係……かな。悪い男につかまっちゃったの。


 気づいたらズルズルと離れられなくて、一緒にクスリとかもやっちゃって。身体も生活もボロボロになって、それで……」


 無意識に口にしたのは妹の話だった。それ以外に思いつかなかったから。私は喋りながら妹にごめんって謝った。


 するとその途中、女の子は「す、すみません!!」と私の話を遮った。正直、助かったと思った。


 デリケートなことを聞いてしまったと思ったのか、ぺこぺこと頭を下げる女の子。私はその流れで「いいのよ、あなたは?」と聞いてみる。

 

 女の子が口にしたのは、就職や恋愛の悩みだった。正直、私も何度かは経験してきたようなものだ。けれどこの子にとっては大事なことばかりなのだろう。過ぎちゃえばどうってことないことも、その時、その本人にとっては一大事。私もそんな時期はあったからよくわかる。


「なんか……死ぬ理由まで情けないですよね。私」


 そう結ぶ女の子に、私は素直に首を横に振ることができた。生きる理由が人によって違うんだから、死にたくなる理由だって人それぞれ。当たり前のことだ。


 妹もきっとそうだっはずだ。

 

「それよりあなた、庭園に座り込んでなにしてたの?」


 私が切り替えて尋ねる。すると女の子は思い出したように

 

「! そうです!

 ここヤバいです。普通じゃないんですよ!」


 と前のめりで叫んだ。もちろん狙ってやったんだけど、ばっちり心霊現象だと思い込んでくれたらしい。


 それはちょっと嬉しかったんだけど、女の子が「あれって私、連れて行かれそうになったってことですよね」って続けるから焦った。この女の子の雰囲気だと、「あのまま連れて行かれればよかった」とか言いかねない。

 

「どうかしらね。あなたは放っておいても死のうとしていたんでしょ?


 それをわざわざ脅かしてきたってことは……むしろ、あっちの世界に行くのを拒んだってことじゃないかしら。


 まだあなたが来るところじゃないぞ、って」


 無理……あるかな? 女の子を表情を覗き込むと、ハッとしたような顔で頷いていた。よかった。この子けっこう純粋だ。


 話を間に受けて「やっぱり死ぬのやめます」ってなればそれがいちばんいい。

 

 私はそう返ってくるのを期待して「あなた、今もまだ死にたいって思ってる?」と続けた。


 すると女の子は真剣な表情でこう答えた。

 

「正直……ここにきた時の衝動みたいなのはどこかに行っちゃいました。


 けど私、本当になんにもできないんです。なんにも成し遂げてこなかった。


 その上、自殺の名所まで来ておきながら、死ぬこともできないのかなって。それってなんだか情けないような気がして」


 ——私は反射的に「そんなことない」と否定しようとした。その時だ。


 

 

 私のでも、女の子のでもない声が聞こえた。


 


 思わず顔を上げる。その先には、さっき私が開けたホテルの正面入り口がある。


 2人で時が止まったようにガラスの扉を見つめた。


 すると、風のせいだろうか。ガラスの扉がゆっくりと開いた。


 その瞬間だった。女の子は血相を変えてベンチから立ち上がった。

 そして私を引くと猛ダッシュで坂を下り始めた。


「え、何? どうしたの、ねえちょっと」


 歯をガチガチ鳴らしながら走る女の子に尋ねるが返事がない。確かに扉が勝手に開いたのは不思議だったけど、それにしては怖がりすぎでしょって思った。


 ——気づくと私は、軽自動車が一台だけ停まっている駐車場に戻っていた。女の子が乗ってきた車だろう。


 女の子はまだ息も整わないままに「私、やめときます」と切り出した。


「頑張って生きるとかそういうのはないですけど……とにかく死ぬのはやめます。


 死んだら楽になれるとか思ってたけど、なんか勘違いしてたような気がしました」

 

 女の子の発言は急すぎて一瞬、頭の中で整理できなかった。けど要するに「自殺しない」ってことはわかったので、私は「そっか」とだけ返した。余計な発言が水をさしたら元も子もないから。

 

「アケミさんはどうするんですか」

 

 ……。そっか私も自殺するためにここに来たって設定だった。それを思い出しながら「じゃあ私もやめようかな」と伝えた。あんまり引っ張るとボロが出そうだったから、早く話題を終わらせるに限ると思った。


 たださすがに女の子もあっさり過ぎると感じたのか「え、なんでですか」と突っ込んできた。


 私は無意識に「生きるのに理由が必要?」と口にしてしまった。


 なんでもいいから生きていてほしかった。私の妹も。


 そんな心が形になった一言だったのかもしれない。

 





 それから私は、女の子が乗った軽自動車が見えなくなるまで手を振った。


 何もかも思ってた展開とは違ったけど、どうあれ女の子が自殺するのを思いとどまってくれてよかった。それに尽きると思った。


 しかし一つわからないことがある。女の子はホテルの入り口で何を見たのだろう。


 それにその直前に聞こえた、誰かの声。




 

 聞き間違いじゃなければ、「お姉ちゃん」って聞こえた気がした。





 妹は天国に行ったと思っていた。そこで現世の分まで幸せになっていると信じていた。


 でももしかしたら、まだあの場所にいるんだろうか。


 そんな思いで、私は今もチャペルに花を手向けている。

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