第23話 開かずの金庫と赤い布(3/3)★
昼間とはうって変わり、人のいない社内は別世界のように静まりかえっていた。
「——おい。もう一時間はこうしているぞ。
本当にヤツは現れるんだろうな」
「はい。私の考えが正しければまず間違いなく」
文句を言う社長に、俺は口元に指を立てて返した。
そんな時だ。
俺たちの隠れている保管庫の扉が、小さく音を立てて開いた。
声を漏らしそうになる社長を視線で制し、かがめた体をさらに低くする。入ってきた人物は俺たちの存在に気づくことなく、まっすぐ金庫の前まで歩いた。
そしてペンライトのようなもので手元を照らしながらダイヤルの操作を開始。
懐から鍵を取り出すと、ものの一分で金庫の扉は開いた。
「——専務お前、本当に金庫の鍵を持っていたのか!?」
「!! 三代目!?」
ダンボールの影から飛び出して叫んだ社長を、専務は血の気の引いた顔で振り返った。
……もう少し黙っておいて欲しかったが、仕方がないので俺も備品の影から出て社長の横に並んだ。
——数時間前のことだ。
俺は人払いした社長室で、自分の推測を社長に伝えた。
48年前に失踪したここの従業員、和泉フサ子。写真に写っていた布は、彼女が身につけていた帯であろうこと。
おそらく専務と初代の社長、つまり現社長の祖父が彼女の失踪に関わり、その証拠を金庫に隠しているであろうこと。
そして……被害者の女性が身につけていた帯が強烈な呪物になってしまっているであろうこと。
全てを包み隠さずに伝えた。
「写真を見るだけで断定はできませんが……おそらくこの帯はかなりの人間を呪い殺すだけの力を持っています。
この数十年、金庫の中でおとなしくしていたのが不思議なほどの。
放っておけば多大な犠牲者が出ると思います」
「わ、私にどうしろと」
動揺する社長に、俺はきわめて事務的に二者択一を突きつけた。
「今、金庫を開けて被害を最小限に抑えるように努めるか。
それとも問題を先送りにするか。
どちらを選んでもあまりいい結果にはならないと思いますが、社長がお決めください」
結果として社長が選んだのは、ここで金庫の問題を終わらせる方だった。
そして社長は俺との打ち合わせ通り、専務に「金庫を開けるために鍵屋を呼ぶ」と伝えた。そうすれば専務は、過去の犯罪が明るみに出ると思い、今晩のうちに金庫の中身を処分しに動く……そこを捕らえたというわけだ。
本当はもっと昔に金庫ごと処分するつもりだったのかもしれない。しかしゴミ処理ルールの厳格化によってそれが叶わなかった。そこで金庫の鍵がなくなったことにして、中身は永遠に封印してしまうはずだったのだろう。
もしくは、金庫の中身が目の届く場所にある方が安心できる性格だったか。
わざわざ社内の案内に同行してきたくらいだからな。
しかしそんな状況の中、テレビ局の企画という誤算が入る。
開かずの金庫を開ける企画に社長が前向きだと聞いて、焦った専務はやむなく金庫の中身を処分することを検討した。それが日曜日のことだった。
しかし金庫を開けている最中に、保育士の友人が忘れ物をとりに現れる。専務は慌てて金庫を閉めて保管庫内に身を隠したが、焦っていたせいで帯を挟んだまま金庫の扉を閉めてしまったのだろう。
それから専務がどう考えたのかは知らないが、友人が職場を後にしてから、再び金庫を開けて帯を中に戻した。
考えがまとまらないまま持ち去ることは、少なくともできなかった。
自分に向けて、殺意にも近い呪いを放つものの数々を。
——開いた金庫をライトで照らすと、中には帯と着物、そして白骨が見えた。
金庫の内側には無数のお札が貼られている。死者の呪いに怯えた初代の社長と専務が貼ったのだろう。俺が金庫の中身が発する気配に勘付けなかったのもこのせいだ。
金庫に触れた瞬間に感じた、結界のような存在。それが邪気を嗅ぎつける俺の鼻を鈍らせると同時に、今日まで呪いを封じ込め、熟成させてしまったというわけだ。
「貴様……とんでもないことをしてくれたようだな!
過去の事件が明るみになれば会社はどうなる! このクズが!」
社長の罵倒に、専務はあざけるように嗤った。
「クズですとな? あんたの爺さんに比べたら、わしなんかクズでもなんでもありゃあせんよ。
フサ子さんは会社の裏金の存在を嗅ぎつけた。たったそれだけの理由で殺すと決めたんだ。我が身が可愛いばっかりにな」
「……専務。俺はあなたも共犯ではないかと思っているのですが」
俺は無意識に語気を強めていた。確信があったからだ。
専務が事件に無関係だとしたら、今さら証拠の隠滅に動くわけがない。
白骨が見つかった今……専務は殺しの実行犯、または共犯。そう考えて当然だ。
だが専務は「証拠はあるんかいの」と強気に返した。
「わしはただ金庫の鍵を持っているのを黙っていただけ。そして金庫を開けただけ。
それで罪に問えるんかい?」
「……どうですかね。
いずれにしても、警察の捜査は免れないと思いますけど」
「そん時はそん時だわな。
そうそう三代目、今日まで世話になりました。わしは今日で会社を辞めさしてもらいますわ」
開き直ったようにして保管庫を出ていこうとする専務に、社長が拳を振り上げる。そして殴り掛かろうとしたところを、俺がすんでのところで制止した。
それから入れ違いのようにして、保育士とその友人が保管庫に現れる。二人には万が一に備えて別室に控えてもらっていたのだ。
「専務は社長室の通用口から出て行きました……Kさんのおっしゃった通りです」
「あそこは正面玄関と違ってカメラがありませんからね。入ってきた時もそこを通ったんでしょう。創業当時にでも預かった合鍵を使って」
「でもいいんですか!? このまま逃がして!」
甲高い声で保育士が叫ぶ。俺は「逃げられないと思いますよ」と金庫の中身に目をやった。
「帯には血がついていました。おそらく、これでフサ子さんをしめ殺したのでしょう。
皮膚から出血するほどの摩擦……かなりの力を加えたはずです。素手で握ったのなら、汗の成分や皮膚のかけらが残るはず。充分な証拠になります。
そして警察の追及以前に、彼がこの呪いから逃げ切れるとは思えない。
警察の捜査が終わり次第、これらは供養させていただきますが……犯人はそれなりの報いを受けることになると思います」
俺のもとに報せが入ったのは、翌日の夕方のことだ。
一人暮らしをしていたアパートの一室で、死亡している専務が見つかった。
首には絞められたような跡があるとして、警察は事件と判断。和泉フサ子の事件との関連も視野に入れて捜査が進められた。
あとで保育士の友人から伝え聞いた話では、遺体の首には赤い繊維が付着していたそう。何か心当たりはないかと聞かれて、友人は正直に答えるも、警察は「例の帯は鑑識に回している最中だ」として取り合わなかった。
しかしそんな鑑識の結果は、とても笑いとばせる結果にはならなかった。
検出されたDNAは二人。首を絞められた、被害者の和泉フサ子。
それから専務のDNAも検出されたのだ。
検出された専務の唾液と血痕は、まだ真新しいものだったという。
警察からすれば、押収品によって犯行が行われることなどあり得ない。よって生前の専務があえて唾液と血液を付着させた……という、無茶を承知の結論に収めたようだ。
「——。やっぱり専務の命を奪ったのは、呪い……なんですか?」
保育士の質問に、俺は「決めつけることはできませんけどね」と淡白に応じた。
あの呪いで犠牲者が一人なら御の字。さすがにそんなことを口にするのは憚られたからだ。
保育士からすれば、金庫を開けたこと自体も正しかったかどうかわからなくなったことだろう。しかしあれを放っておけば、いずれお札の効力を呪いが上回る。
そうなれば職場の人間に無差別の呪いがかかったとしても不思議じゃない。俺の立場からすれば、保育士の友人が被害に遭わなかったことを喜ぶべきだ。そう自分を納得させた。
——そんな矢先。
テーブルに置かれた保育士のスマホが震えた。
保育士の視線が自然に画面へと向かう。
そして次の瞬間、「け、Kさんこれ!!」と血相を変えた顔で画面をこちらに向けた。
保育士の友人から送られてきたのは写真だった。
社長室に飾られている初代社長の遺影。和泉フサ子を殺したもう一人の犯人だ。
遺影の中の彼は舌をだらんと出して、首があさっての方に折れていた。
首元には赤い帯が巻きつけられている。
——ああ。やっぱり。
金庫から解き放たれた呪いは、あの世に行った者さえ逃がしはしなかったか。
俺は冷めた視線を画面に向けると、静かに両手を合わせた。
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