第11話 お迎えさま

 もうずいぶん昔の話。私が小学生の頃の出来事です。


 今でも消化できていない……というよりも、私の中では解決していないので、ここで話させてください。


 ある日の下校中のことです。私は変な格好をした女の人に出くわしました。


 夏だというのに足首まで隠れたロングスカート。広いつばの帽子をかぶっており、口元以外は顔がほとんど見えません。


 手にはキルト生地の、子供が学校に持っていくような手提げバッグを持っていました。


 通学路でしたから、最初は誰かの保護者かと思いました。しかし私は委員会の仕事を終えての下校だったので、その時間に低学年の子が通ることはありません。


 私は気にせずに通り過ぎようとしました。すると女の人は私が近づくと、こう言いました。

 

『おむかえにきたわ』 


 明らかに私に向けて発した言葉に、つい足を止めてしどろもどろになりました。


「え、あの……。

 誰かと間違えていませんか?」


 私の返答に、女の人は手を差し出しながら再び口を開きました。


『おむかえにきたわ』


 そう言われて、私は直感的に不審者だと思いました。こんな人は知らないし、何より会話が成り立っていません。


 怖くなった私は黙ってその場を走り去りました。防犯ブザーは持っていましたが、あれ、いざという時には鳴らせないものですね。


 家についてから、あとで親に話さなきゃとか、学校に報告しなきゃとか色々考えました。


 夜になって父親に話すと、「最近じゃ女の不審者も出るんだなあ」みたいな気のない返事が返ってきました。


 まあ私も直接的な危害を受けたわけではなかったので、時間が経つにつれてどうでも良くなり、布団に入ってからはすぐに寝ついてしまいました。





 翌日になり、私は昨日の出来事を友達に話しました。


 すると友達の一人が「それって聞いたことがある。お迎えさまだよ」と教えてくれました。


「隣町の学校の子が噂してた。一人で通学路を歩いていると、話しかけてくる女がいるって。

『お迎えにきたわ』……みたいなことしか言わないから、知ってる子たちは“お迎えさま”って呼んでるんだって」

 

「何それ。妖怪みたいな呼ばれ方してんのね」

 

 そんなふうにつっこむ私に、友達も「確かに〜!」って手を叩きました。


 あまり良くないことですが、子供が地域の変な人に失礼なあだ名をつけることは珍しくありません。その時は私もその女を“ちょっと有名な不審者”くらいにしか思っていませんでしたから、笑い飛ばしてその話は終わりました。


 笑えなかったのはその日の午後のことです。


 私は図書委員の仕事で、本の貸し出し作業をしていました。うちの学校では放課後に15分だけ図書室を利用できる時間があり、その仕事で残っていたのです。


 最後の利用者が図書室を出て、私も帰ろうとパソコンの電源を落としていた時のことです。


『おむかえにきたわ』

 

 ふいにかけられた言葉に、私は顔を上げました。


 図書室の隅。

 昨日の女が立っていたのです。


 ——さっきまで確実に誰もいませんでしたし、ドアが開いた気配もありませんでした。


 私ひとりになった部屋に、はいきなり現れたのです。

 

 人生ではじめて悲鳴をあげました。絶叫と言ってもよかったと思います。私はドアを叩きつけるように図書館を出ると、全速力で階段を駆け下りました。


 すると途中で先生とすれ違い、呼び止められました。様子を見てただ事ではないと感じたのか、「どうしたんだ、何かあったのか!?」と尋ねてくれました。

 

 私はパニック状態でしたが何とか状況は伝わったのか、先生はその場でもう一人男の先生を呼んで図書館へと向かいました。私は職員室で待つように言われましたが、職員室に向かうまでのわずかな時間ですら一人になるのが無理で、先生にしがみついて図書室に向かいました。


 先生が図書館のドアを開けると、中には誰もいませんでした。いつもと同じ図書館の風景が広がっているだけ。


 ——それから職員室に連れて行かれ、教頭先生も交えて状況を色々と聞かれました。見たことをそのまま話したつもりですが、途中、先生方は何度も首を傾げるシーンがありました。


 だってこの時間は下校の直後です。校内にはまだ児童が残っていますし、何人かの先生方も教室にいます。


 しかし誰も不審者を目撃していないのです。校門から三階の図書室に至るまでの道中で、一度も。


 結局、先生が校内の見回りをしてみるから……みたいなふわっとした感じで私は解放されました。不審者の侵入にしてはあまりに杜撰ずさんな対応なので、たぶん私の見まちがいか妄想くらいに思われたんだと思います。


 それでも私が震えてその場を動かないので、担任の先生が校門までついてきてくれることになりました。一人ではとても家まで帰れる気がしませんでしたが、途中で何人かの同級生と合流することができて、何とか家路につくことができました。


 友達は「何それ、めっちゃ怖いじゃん」とか「そんなの絶対妖怪じゃん!」みたいな感じで私の話に反応していました。信じてない……とは言いませんが、あの恐怖が誰にも伝わらなかったのは確かだと思います。



 

 

 図書館の一件があって、私はしばらく一人でいることが無理になりました。

 

 お迎えさまは下校途中に現れる不審者……私の中ではもうそんな認識ではなくなっていました。まだ人の残っている学校の図書館にすらいきなり現れるのだから、安全地帯などどこにもない。そのくらいに考えていたのです。


 私は片親で父は働きに出ているため、家に帰ると誰もいません。父が特に遅くなる日だけ学童保育に通っていましたが、それからは毎日通うようにしました。


 家で一人で留守番している時にあいつが現れたら、私は逃げられる自信も、正気を保てる自信もありませんでした。


 いつもは騒がしく感じていた学童でしたが、あの時は私にとって一息つける時間となっていました。


 ——そんな学童にいる時間ですが、ただ一つ、私はあることを心配していました。父親の到着が遅く、私が最後の一人になる日です。

 

 あの日、父はなかなか学童に来ませんでした。


 ひとり、またひとりと子供たちは帰ってゆき、19時が迫った時には私と2年生の男の子の二人になっていました。


 それでも学童の指導員が同じ部屋にいるわけですから、私は普通にその日の宿題に取り組んでいました。


 そんな最中さなかのことでした。

 またあの言葉が聞こえてきたのは。



 

『おむかえにきたわ』


 


 電気が流れたように全身が痺れて、声が出なくなりました。


 声の聞こえた先は部屋の扉……出入り口を塞ぐようにしてアイツが立っていたのです。

 

 ほとんど反射的に、私は「先生!」と叫びました。

 

 しかしさっきまで部屋にいたはずの指導員の姿は忽然となくなっていました。


 ぺた、ぺたと音を立ててお迎えさまがこちらに向かってきます。スカートの裾から少しだけ見えた足は緑と紫が混じったような色で、鬱血しているような、半分腐っているような感じに見えました。


 

『おむかえにきたわ』


『おむかえにきたわ』


 

 今でも忘れません。

 壊れたテープのように繰り返す言葉は、空気の抜けたかすれ声にも関わらず、耳にこびりつくような響きでした。


 床に尻餅をつきながら後ずさりする私。もうダメかと思いました。


 その時です。


「あれ、その人お姉ちゃんのママじゃないの?」


 おもちゃで遊んでいた男の子がそう言いました。

 

 指導員は消えていたのに、男の子はそのまま部屋にいたのです。

 

「それじゃおばさんは誰?」


 男の子の質問に、お迎えさまは足を止めました。

 そして私から男の子の方へと体を向けると、はじめて別の言葉をしゃべりました。



 

『ままのかわりよ』




 あれがどういう意味だったのか、今でもわかりません。

 しかしお迎えさまの言葉を聞いた男の子は、おもちゃを放り投げてお迎えさまの方へと駆け寄っていきました。


「ママの代わりに来たの? ママに会えるの!」


 そう言って、差し出されたお迎えさまの手をとったのです。

 

 その瞬間でした。帽子のつばからはじめて顔が見えました。


 大口を開けた笑顔。


 あれは普通のオトナが通常見せることのない顔で、不気味さを煮詰めたような表情でした。


 ——それがお迎えさまを見た最後の記憶になりました。次の瞬間にはお迎えさまも、男の子も部屋の中からいなくなっていました。


 代わりに姿を見せた学童の指導員が「あれ? ◯◯(男の子の名前)はどこいった?」みたいな感じで部屋をキョロキョロと見回していました。


 


 

 男の子はそれっきり見つかることはありませんでした。


 私の証言から警察は誘拐事件として捜査を始めたそうですが、ろくな手がかりも見つからないまま十数年が経過しています。


 男の子は私の代わりに連れて行かれてしまったのでしょうか。どこかで生きているのでしょうか。


 今もどこかで、誰かがお迎えさまに連れて行かれているのでしょうか。


 あれ以来、お迎えさまは私のもとに姿を見せていません。


 ですが娘のもとにいつか現れるのではないかと、不安でたまらないのです。

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