第10話 この先、私道につき

 誰にも信じてもらえない恐怖体験がある。


 同じ思いをして、もし……生きている人がいたら話がしたい。


 3年くらい前のことだ。当時、俺は「隠れ家的な宿」に泊まるのにハマってた。


 そういう宿ってたいてい辺鄙な場所にあるよな。あの日泊まった宿も、隣家がどこにあるかわからないレベルの山奥にあった。


 宿は普通にいい宿だったよ。泊まっている客は俺だけで、いろいろ融通を利かせて親切にしてくれた。宿の側は川釣りのポイントにもなっていて、昼にチェックアウトした後も楽しむことができた。


 怖い思いをしたのは宿じゃなくてその帰り道。車で山道を下る途中のことだった。


 山は日の入りが早い。まだ秋口だったが、夕方には辺りが真っ暗になっていた。

 

 さっきも言った通り、宿はかなりの山奥にある。おまけに道が川などを迂回しているため、街まで1時間近くかかる道のりだ。


 さらに夜道となれば余計に神経を使う。釣りをもうちょっと早く切り上げればよかったかな……。ハンドルを握りながらそんなことを考えていた矢先に、俺はあの立て札を見つけた。



 この先、私道につき

 気をつけてお通りください



 ——バックミラーで後続車がないのを確認し、俺は側道に車を停めた。


「私道につき、気をつけてお通りください……。

 通っていいってこと?」

 

 もう一度、立て札の文字を頭の中で噛み砕いた。私道だから通るなってのはよくある。でもこの立て札が言ってるのはただの注意喚起だ。なんの意味があるんだろうか。


 通っていいけど、事故っても責任は取りませんよってことか? スマホで周辺の地図を見ると、山間に細い道が写っていた。先をなぞっていくと、ちゃんと街近くの公道に繋がっているのがわかった。

 

 しかも見た感じ、街までの距離を半分近く短縮できる近道だ。


 ちょうど疲れていたし、これは渡りに船!

 ってことで俺はハンドルをきり、私道への侵入を決めた。






 ——少し走ると、舗装されていた道は砂利に変わった。道はかなり狭くて街灯もない。


 ただ俺は一人旅の途中でこういう道を走ることもあったから、別にいけるだろって思ったよ。最初はね。


 しかし途中から、俺はかなり不安になる景色を目にすることになった。


 なんかおかしいんだよ。この道。

 

 樹木に挟まれた細い道なんだけど、木々の間になんかいろいろあんの。


 最初に目に入ったのは木にくくりつけられた看板だった。

 真っ赤な文字で


 welcome

 welcome

 welcome


 って、左右に三つずつ。それを抜けたら、なんか公園とか、ちっちゃい子向けの遊園地とかにありそうな動物のモニュメントが設置されてんの。おそらく石でできたやつが。


 そして一定の間隔で鉄柱が埋まってる。最初、あれは街灯かと思ったが、ちゃんと見たらスピーカーだった。


 これだけ言うと地方の遊園地みたいな感じだけどさ。あの現場で見たらかなり不気味だった。


 だってここは私道だぜ? 何の意味があんのって話じゃん。


 正直、その場で引き返そうかなって考えはよぎったよ。だって怖いもん。


 道が……というより、これを設置した人間がさ。


 けど走っているのが細い一本道だから、車を切り返せるポイントがなかった。たまにスペースが見つかっても、そこにピンポイントでモニュメントが設置してあったりする。

 

 三つ目のスペースにおもちゃの兵隊が設置してあるのを見た時には「嫌がらせかよ」って言葉が口をついた。


 けど口にしたらしたで、別の可能性が頭によぎった。



 

 あえて引き返せないようになっているのではないか、と。



 

 ——でもなぜ? 何のために?

 もしかしてヤバいところに来た?

 

 びびった俺は車を止めてスマホを見た。この道について何か情報はないかって思ったのだ。


 しかし電波は入らない。電源を入れ直しても結果は同じ。


 じゃあどうするってなったが、この細い夜道をバックで戻るのは現実的じゃない。戻れないのだから、結局は“行くしかない”って結論に至るわけだ。


 腹を決めた俺は再びエンジンをかけた。心なしか、さっきよりアクセルを踏む足に力が入った。


 疲れと恐怖で「早く抜けたい」って心理が働いたんだと思う。砂利道にしてはスピードを出していた。


 程なくして急に舗装された道へと出た。道は細いままだが、さっきまでなかったガードレールもついた。


 周囲は相変わらず樹海だが、もしかしたら公道が近いのかもしれない。そう思うと気持ちがはやった。


 あとちょっとでこの不気味な私道を抜けられる。早く抜けたい。

 その一心がアクセルを踏む力をさらに強めた。


 そんな状態で、緩いカーブにさしかかった時……急にあれが視界に飛び込んできた。

 


 

 白い顔した小学生くらいの男の子。

 それが道の真ん中につっ立っていた。


 

 

 ——夜の山道。

 周囲は樹海。

 冷静に考えたらそんなわけないよな。


 でもあの場じゃあ考える余裕なんてない。俺は絶叫しながら、ほとんど反射的にハンドルを切った。


 で、何とか男の子を跳ね飛ばす事態は避けたんだけど、ガチの恐怖はここからだった。


 なんとハンドルを切った先ガードレールが切れていたのだ。

 

 ガードレールの先は崖。その下には真っ黒な湖。

 まじで死んだと思った。

 

 けど、車は前輪の半分が浮いたところで止まった。男の子の出現で、衝突安全ブレーキが反応したのがギリギリ功を奏したっぽかった。


 破裂しそうな左胸を押さえながら、俺はその場でちょっと吐いた。安堵感で全身の神経が緩んだんだと思う。


 けどその場でゆっくりしてる場合じゃないと思った。車体がゆらゆらしているのを感じたからだ。

 

 運転席のドアから出るのは危ない。前に傾きかけていることからも、いったん後部座席に移動してから外に出た方がいいかもしれない。

 

 バクバク鳴ってる心臓を拳で叩き、俺はその時やっと顔を上げた。


 そしたら呼吸が止まった。



 

 鼻の潰れた平たい顔の人間が、湖から首を出していた。

  

 それが大勢。口をぱくぱく開けてこっちを見ていたんだよ。


 エサを待つ池の鯉みたいな感じで。




 呼吸も止まったけど、あの瞬間は心臓も時間も何もかもが止まったように思えた。

 

 それからは記憶も飛び飛びになってる。確か後部座席に移動して外へ飛び出したんだけど、その過程はよく覚えてない。確認できたのは、轢きそうになった男の子は人間じゃなくて、子供服を着せたマネキンだったことだけ。


 湖にもう一回視線を向けるのは絶対無理だった。

 アレが崖を登って追っかけているようだったら、もう気絶するって思ったからな。


 それから公道を目指して走ってる最中はいろんなことを考えたよ。


 わざと引き返せないように作られた道。

 

 カーブ出口に置かれたマネキン。


 その左脇だけ切り取ったガードレール。

 

 この私道を作った人間の底知れない悪意に吐き気がした。


 さっきのバケモンだけじゃない。この道は何もかもがヤバい。


 それから10分……くらいかな。走ったのは。息が上がってもう限界、ってところで街灯のある道に出た。


 消えかかってるがちゃんと中央分離帯の白線が書かれている。公道に出たのだ。


 とはいえ私道の出口で止まっているのも十分怖かったから、ゼイゼイ言いながらも歩いて下ることに。15分くらい下ったらカップルの車が通って、「お困りですか」と声をかけてくれた。

 

 疲れ果てた顔の俺を気遣ってか、運転してる彼氏さんが「車、故障したとかですか」とか「向かうのは駅でいいですか」とかいろいろ話しかけてくれた。よっぽどさっきの恐怖体験を聞いて欲しかったが、助手席にいる彼女の不満げな顔を見てしまったので言えなかった。変な人だから降ろそうとか言われたらたまらない。

 

 駅で降ろしてもらい、店のネオンを見た時になってようやく俺は「生還した」って感覚になった。

 

 そんでさ。どうしよって思ったよ。警察とか親とか、どっかに連絡しなきゃってのが頭には浮かんでた。


 けどもうなんか限界で、俺はそのまま電車に乗り、2時間半かけて家まで帰った。


 


 

 あの日は泥のように眠って、ようやく正気を取り戻してきたかな……ってなったのは翌日の昼過ぎだった。

 

 昨日の出来事なんかもう忘れてしまいたかったが、冷静に考えたらそうはいかない。車と車のキーを現場に残してしまっているからだ。


 でもあそこにもっかい一人で行くなんて絶対無理だから、とりあえず事故を起こしたってことで最寄りの警察署に向かった。


 話を聞いた警察官は「で、車は?」から質問に入った。迷ったが、俺は全て洗いざらい話す構えでいた。


 しかし話が話なので、ペンを走らせる警官は終始変な表情をしていた。いかれた奴が来たって思ったのかもしれない。

 

 ただナンバープレートの情報をパソコンに打ち込んだあたりで「あ……データありますね」と言い、俺に向ける表情がちょっと変わった。


 今朝がた、山道を走っていた通行人から放置自動車の届けがあったらしい。そのナンバーが、俺の言った数字と一致しているということだ。

 

 警官が最寄りの警察署に電話をすると、ちょうど本人(俺)に連絡を取ろうとしていたところだったという。


「現地までご自分で……いや、事故を起こしたかもって話でしたね。パトカーで送りますよ」


 送ってもらってるんだか連行されてるんだがわからないような感じで、俺は車が放置されている現場へと向かった。昨日の今日だから結構な恐怖が残ってはいたが、さすがに警官二人と一緒なら何とかなった。


 パトカーが停まったのは昨日の私道——ではなく、私道の出口から少し下った側道だった。


 ドアのロックはされておらず、鍵もドリンクホルダーに置きっぱなしだったが、荒らされているとかそういう様子もない。


 発見された状況と俺の話が食い違っているので、最初は警官も俺にいろいろ聞いてきた。しかし俺の話はイカれてるし、車も事故っぽい状況じゃないものだから、警官は「でも車が無事でよかったですね」みたいに話を打ち切ろうとすんの。


 けど俺は納得いかなくて「信じて欲しい」「ちゃんと調べて欲しい」と食い下がった。けど事故や事件でもないのに、私有地に立ち入ることはできないと言われた。


 半ギレになりながら俺は「じゃあ車載カメラの映像見てみろよ!」ってなった。このまま俺が単なる頭のおかしい奴だって思われるのがどうしても嫌だったから。


 でもダメだった。車載カメラの映像を録画するマイクロSDがなくなってた。


 

 他は全く荒らされてないのに……それだけはきっちり抜き取られていたんだ。

 何者かに。 



「カード、入れ忘れですか?」


 警察にそう聞かれ……俺は黙って頷いた。


 深入りするのはやめた方がいい。

 そう警告されたような気がしたからだ。




 ——こんな話はきっと、体験した人にしかわからない。だから話を共有したいんだよ。


 心当たりのある人は連絡をしてほしい。


 それも、できるだけ早くな。

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