第30話 共同墓地の「ハ」区画 結☆☆☆

 幽霊はいるかいないか。昔から答えの出ない問題の一つだと思う。


 幽霊の存在は科学的に証明されていない。だから今のところ「幽霊はいる」のではなく、「信じる人がいる」といった扱いだ。


 俺は一応、幽霊は信じる側の人間だ。


 理由は実際に見えているから。


 父親がいわゆる霊感もちというやつで、そのせいかウチには昔からいろんな人やモノがやってきた。神社をやってるから頼みやすかったっていうのもあると思う。


 そのせいなのか、はたまた遺伝なのかはわからないが、物心がついた頃には俺にも霊を視る力が備わっていた。


 そして現在。

 噂が広まりやすくなった世の中で、遠方からもウチの神社に除霊の依頼がくることも増えた。


 そして俺は大学に通いながら、バイトがてらに父親の仕事を手伝っている。


 問題のニュータウンにやってきたのはそういう経緯いきさつだった。





 ニュータウン入り口のバス停で俺を迎えたのは、還暦を過ぎた男性だった。


 街の歴史資料館の館長をつとめている男性。今回の依頼人だ。とりあえずBさんって呼ぶことにする。


 Bさんによると、このニュータウンは何かがおかしいそうだ。


 まず空き家が異常に多い。バスや駅からのアクセスは悪くないのに、全80軒ある一軒家の4割が空き家だというのだ。


 ニュータウン開発が始まったのが平成23年。今からわずか10年ほど前。

 

 それでこの空き家率は確かに異常と言っていい。


 もちろん行政もこの現象を問題視した。家は人生で最も大きな買い物の一つとされる。それを手放すなんて余程の事情があるに違いない。そこで家を売りに出す人たちに事情を聞いたところ、不可解な出来事が明るみに出た。


「このニュータウンに住んでから、悪い夢をみるというのです。

 誰かに石を投げられる夢です」


 

 

「——どうです。この現象は、霊的な現象だと思われますか」


 住宅街をひとしきり見て回ったのち、Bさんが俺に尋ねた。その質問に、俺は珍しく「まず間違いなく」と即答した。


「送られてきた資料、読ませていただきました。このニュータウンはもともと共同墓地があった場所のようですね。


 墓地の移設計画が決まったのが平成10年。そこから10年以上かけて住民への説明と交渉を重ね、やっとこのニュータウンは竣工に至った。


 しかし中には持ち主と連絡の取れない墓石もいくつかあった。


 それらは条例で移設をしたという記載があります。ただこれ、素人の俺にもずいぶん強硬な印象を受けたんですよね」


 俺の意見にBさんは頷いた。当時の区議会はゼネコンや鉄道会社とのつながりが強く、移設反対の意見はかなり強引に封じ込めていたらしい。


 墓の持ち主。遺族ですら納得のいっていない移設だったということだ。

 

 埋葬されている人間の気持ちとなれば察するにあまりある。


 現在は大半が街はずれの新しい霊園へ移動。最後まで反対した遺族の墓は、ニュータウンのはずれにある公園ほどのスペースへとまとめられたという。


「それでは……この土地にまつわる怨念のようなものが、住民に悪夢を見せていると」


「関係があるかもしれません。


 それより夢の内容です。石を投げられるという夢」

 

 夢は本来、人間の記憶や願望によって構成されると言われている。


 しかしこういった手合いでは意味合いが異なる。

 何らかのメッセージと考えるべきだ。


 墓地。そして石を投げられる。


 墓地と石から連想できるものは何か。

 

「墓石、砂利、石碑……地蔵」


 思いつく限りのものを口にしてみる。Bさんはぶつぶつ言う俺の様子を黙ってじっと見ていた。


 しかし思考がそれ以上先には進まなかった。なので。


「できれば避けたいところでしたが……行くしかないかもしれません。

 雑木林の端に見えた、あの石段です」


 



 俺はBさんを連れて問題の場所へとやってきた。


 共同駐車場の奥。雑木林になっているエリアだ。


 その一角に、土に埋まりかけている石段を見つけていた。その上から強烈な瘴気(悪い霊気のようなもの)を感じていたのだ。 

 

 昔の地図を見ると、かつてはこの雑木林の上も共同墓地の一部だったという。


 しかしその区画は無縁仏や土地の管理料が滞納している家があまりに多く、ほとんどが放置されたまま林に飲み込まれているというのだ。


「Bさんはここで待っていてください。

 この上は相当……嫌な感じがします」

 

 警告に等しいトーンで伝えたつもりだった。しかしBさんは首を横に振ると、落ち着いた声で言った。


「忠告をありがとうございます。ここを見つけてくださったのはあなたが初めてです。


 しかし、私が行かないと意味がない。行かせてください」


 ——意味のわからない返事に、俺はついBさんをまじまじと見てしまった。見つけてくださった?


 ちょっとわかりにくい話になるけど、俺は普通の人間が霊に取り憑かれたりしているかどうかが、一応は判断ができる。ひどい場合じゃおびき寄せられたりするケースもあるからだ。


 見たところ、Bさんが何かに憑かれている感じはしなかった。だとすれば単なる意味不明な発言だが、妙な覚悟が感じられて、それ以上強く言うことができなかった。


 こういう押しに弱いのは俺の悪いところだと思う。


「俺の後ろについて歩いてください。なるべく離れないで」 


 それだけ言って、Bさんと二人石段を上がっていく。途中が土に埋もれて見えなかったが、たぶん10段ほどの短い石段だったと思う。


 上った先は荒れ放題の雑木林に、墓石が点々と見える光景だった。足元には根元が錆びて折れてしまった街灯が横たわっている。


 正直、俺にとっては毒ガスの中にいるような瘴気の濃さだった。おそらく霊感のない人間でも、“雰囲気”としてヤバさを感じるようなレベルのはずだ。


 それでBさんが「もう帰ろう」って言ってくれたらすぐさま引き返したと思う。

 しかしその一言はないので、俺は手汗びっしょりの手でおふだを握りながら前進した。

 

 ところどころ樹木が邪魔をしているが、もともとは砂利が敷いてあったせいか道らしきものは残っている。だから歩けないようなことはないのだが、進むにつれて明らかに視界が悪くなっていった。


 いくら樹木で薄暗いからといってもまだ昼過ぎだ。

 なのに霧がかかったように、どんどん周りが見えなくなっていく。

 

 ——札を握る右手が痙攣しかかっているのを感じて、もう引き際だ、と思った。


 これ以上は進むべきじゃない。

 

 そう言おうとした矢先。背丈の半分くらいのものが視界に飛び込んできた。



 

 

 それはBさんの名前が彫られた墓石だった。



 そしてすぐ脇の木陰。さっきまでいなかったはずの、目を開けた地蔵がこっちを見ている。


 


  

 俺はすぐさま手にした札を地蔵に向けようとした。しかし呼吸が止まるような金縛りにあい、動くどころか声を出すことすらできなくなった。

 

 仮に動けたとしてもどうにもならなかったと思う。

 

 人間がどうにかできるとは思えない、底知れない瘴気。


 死というものが鮮明に浮かんだ……その時。


「お久しぶりです」


 Bさんのそんな声が耳に飛び込んできた。


 動けるのか。だったら早く逃げろ!


 それが声にならないのを知ってか知らずか、Bさんは地蔵に向かって話を始めた。


「50年……いや、祖母が亡くなった30年前にも一度会っていますか。


 今日はあなたに会いにきました。

 私はずっと謝りたかったのです」

 

 

 



 Bさんの口から語られたのは、50年前に犯した過ちの懺悔だった。

 

 Bさんは友人のAさんと肝試しでこの墓地に訪れた。そして一度は友人が神隠しにあい、しかしBさんの祖母の尽力もあって一度は友人はこちらの世界へと帰された。


 しかし30年前。Bさんの祖母が亡くなると、Aさんが再び神隠しに。


 そして祖母の葬儀が終わった夜。Bさんのアパートの前に、共同墓地の地蔵が現れた。


 それを見たBさんは、「次はお前も同じ目に遭うぞ」と釘を刺されたように感じたという。


「あの時の私は愚かで、ただ恐怖の感情しかありませんでした。

 しかしあの時に私に本当に必要だったのは……自分のしたことに向き合うことだったのです。


 それがわかるのに随分と時間がかかってしまいました。


 あのあと私は小学校で校長を勤め上げ、歴史資料館の館長につきました。

 そんな立場になってようやく……ここに埋葬されたの歩んできた歴史を知りました。


 口にするのも憚られるほどの、差別と迫害の歴史。

 

 身分によって仕事や結婚のみならず、古くは徴兵の順序すら不利益を突きつけられたあなた方の存在を知り、馬鹿にするようなことを口にした私とAがいかに悪いことをしたのかを知りました」


 ——そしてBさんは、背負っていたバッグから新聞に包まれた花を取り出した。


 りんどうの花。


 花言葉は「あなたの悲しみに寄り添う」


 そう聞いたことがある。

 

「……恥ずかしい人生を歩んできました。

 こんな年寄りになるまで生きて、やっとここに眠る人たちの幸せを願う心の大切さがわかるようになったのですから。


 あなた方の悲しみに土足で踏み入ってしまって、申し訳ありませんでした。

 

 今になってこんなことを言う私の勝手をお許しください」

 



 ——Bさんの言葉が終わった瞬間。俺の体は金縛りから解放されていた。


 樹木の間からは陽がさし、蝉時雨が耳をついた。


 さっきまで周囲を覆っていた霧のような瘴気は消え、Bさんと地蔵の姿もその場から消えていた。


 まるで白昼夢でも見せられていたような、そんな気もしたが。


 最後に目から雫を流す地蔵の顔が、まぶたの裏に焼きついて離れなかった。




 

 —————————。

 ——————。

 ———。


 



「——とまあ、“死ぬかと思った依頼トップ10“って聞かれたら、まずあれが思いつきますかね」


「……。

 いや私から聞いといてアレですけど……Kさんってけっこう壮絶なアルバイトしてますよね」


 自分から聞いておいてドン引きする知り合いの保育士に少しムッときたが、まあ普通の人からすればそうかと俺は自分に言い聞かせた。


「ただトップ10っていうなら他にも色々ありましたよ。

 

 聞くと死ぬレコードとか、開けると死ぬバンガローとか、捨てると死ぬ箱とか」


「Kさんよく生きてますねえ。


 でもさっきの話。Bさんは結局どうなっちゃったんでしょう……。


 やっぱり消されちゃったんでしょうか。ご友人と同じように」


 保育士の疑問に、俺は「分かりません。でも」と前置きをした。


 選んだ道の答え合わせは、その道を歩んだ者にしかわからないから。


 その上で、もっとも希望の見える結論を口にした。


 願望も込めて。


「二人で帰れてたらいいなって思います。

 50年前のあの日にね」





 

 ◇◇






 


 

 ぼんやりと視界が開けた時、僕の目に飛び込んできたのは見たことのある景色だった。


 並んだ蛇口に、積まれた桶。それと柄杓。


 そこは共同墓地の水場で。


 目の前では、一緒に肝試しに来たはずのAが僕の肩を揺すっていた。


「どうしたんだよ。急に逃げ出して。やっぱびびったんか」


 そんなことを言うAに、僕は内心で「何の話?」って思った。


 僕は確か肝試しのために、共同墓地の「ハ」区画に向かって、それから……。


 ……それからどうしたんだっけ。


 思い出せない。いつの間に眠ってしまったのかも。


 けどどうしてか、長い夢を見ていたような気がした。


「まあ肝試しはもういいや。

 夏祭り行くか。遅くなっちまう」


「——うん! 僕、りんご飴買うわ」


「お前いっつもそれ食うよな笑」


 Aが自転車のサドルにまたがる。僕がその後に続く。

 

 夜の風が汗ばんだ肌に気持ちいい。


 祭囃子が、遠くに聞こえた。

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