第3話 洋館N(2/2)

 素っ頓狂な声をあげながら俺は階段から転げ落ちそうになった。


 それを見たAが「ビビりすぎだろ」って笑うが、逆になんでAはビビってないのか理解できなかった。


 コイツを橋から蹴り落としたのはお前だろうが。それが戻ってきてんのになんでそんな普通でいられるんだ、と。


 ただBが「落ち着けって。日本人形なんてどれも同じに見えるだろ」って言って、Aが余裕な理由が一応理解できた。二人はこの人形を、“さっきの人形と似てる別のやつ“と思っているようだ。


 しかし俺は納得できなかった。橋から落ちていく人形の姿は目に焼きついていた。髪の長さといい着物の色や柄といい、全く同じ。確信があった。


 それをAとBに訴えるも「記憶力あんなあ」とか「だとしても、同じ作りの人形もあるだろ」と二人は言う。


 さっきの人形は川に落ちた。それは間違いないからこその自信だったんだろう。


 だが「お前が噂の人形か〜?」なんていいながら人形を手に取った瞬間、Aの表情が変わった。




 

「ぬれてる」

 

「この人形……濡れてる」





 Aのつぶやきが響き、俺とBの表情が固まった。


 一呼吸おいてBが「ここ屋内だぞ、そんなわけないだろ」ってAから人形を取り上げた。


 そしたら


「……! うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!!」


 って、普段のBの口から聞いたことのないような叫びが上がった。


 Bの手から人形が放り投げられ、廊下に転がる。

 どうしたんだって俺たちが聞く間も与えないまま、Bは


「動いた。ヤバい、ヤバい」


 と震えながら呟き、あとは「逃げるぞ」を連呼。いつも落ち着いたBからは考えられない挙動に、俺もAも血相を変えて引き返した。

 

 階段を降りてすぐの正面玄関は、なぜか内側からも開かなかった。「裏口だ!」って言って、すぐさま俺は最初に入ってきた出入り口めがけて走った。AとBも叫びながらそれに続いて走る。


 外に出ると、さっきまで降っていなかった雨が降っていた。けどそんなの気にしてられるわけもなく、洋館の正面へと周り、一本橋に向かって走る。


 さっきはあれほど怖かった橋だが、今度はノータイムで足を踏み入れた。躊躇ってる場合じゃなかった。


 戻ってきた人形。


 Bの「動いた」って言葉。



 

 そして、後ろから聞こえる二人の悲鳴。

 

 

 

 振り返ることはできなかった。もう無我夢中で走る以外なかった。


 一本橋を渡りきり、俺は肩で息をしながら両手を膝についた。


 そこではじめて、後ろを走っていたはずのAとBを振り返った。


 一本橋の真ん中あたりで、Bが橋の下を見ながら立ち尽くしていた。

 Aの姿がない。


「おい、Aは」

 

 俺が声をかけると、Bは首を横に振りながら


「違う。俺は落としてない……

 Aが自分で、自分から」


 と言った。


 それで状況が理解できたわけじゃない。


 けどAがいない現状に、落ちたという言葉。最悪の想像をするのにそれ以上の材料は必要なかった。


「B、早く来い! B!」


 立ち尽くすBに向かって、声が裏返るくらい全力で叫んだ。連れに戻る勇気はとてもなかった。

 

 幸いなことにそれでBはハッとした顔になり、よろよろとした足取りでやっと橋を渡り切った。


 ふらつくBを助手席に押し込み、俺は車のエンジンをかけた。


 ——おそらく橋から落ちたAを助けにいくという選択肢はなかった。


 戻ればAと同じ目に遭う。本気でそう思った。


 広い道めがけて車をぶっ飛ばし、そのまま近くの消防へ駆け込んだ。そこでAが川に落ちたと言う事実だけを伝え、救助の依頼をした。


 そこは消防の出張所で消防士が二人しかいなかったが、本部に応援の依頼をしてすぐに俺たちと現場へ向かってくれた。


 現場に着いた消防士たちは強力なライトで川を照らすも「異様に増水していて何も見えない」と言った。


 それから消防車やパトカーが到着するも、増水と深夜の暗さもあって、捜索は明日以降になると言われた。



 

 結局、Aが見つかったのはそれから2日後。

 橋から4キロ下流の岩場にある遺体を地元の釣り人が発見した。


 落下時に岩で頭をぶつけたのだろう。確認のために呼ばれたが、とても直視できない状態だった。

 

 それから俺たちは警察の取り調べを受けた。


 不法侵入とかいろいろまずい部分はあったが、少なくとも俺は全てを正直に話した。


 話の内容が内容なので、俺は指紋を取られたり、薬物検査をされたりもした。医者みたいな人との面談もあった。ただ結局、Aの死は悪ふざけが招いた事故だろうということで、俺は書類に一筆書かされて解放されることになった。


 それが済んで、翌日にはじめてBとあの夜のことについて話した。


 Bは憔悴した表情で、ポツリポツリとあの夜に起きたことを語り出した。


「2階に上がった時、俺、人形に触っただろ。

 着物はAが言った通り濡れてた。でも叫んだのはそこじゃなくて……動いたんだ。人形の体が、どくん……どくんって。心臓の鼓動みたいに。


 それで俺もAもお前の後ろについて走ってた。でも橋を渡り始めてすぐ……Aが橋の手すりに登り始めたんだ。


 パニックになってたのか、死にたくない! とか言ってるのにAのやってることは矛盾してた。


 俺はAを引っ張ろうと手を伸ばしたんだけど……」


 そこでBは言葉を飲み込むように、喫茶店のテーブルに視線を落とした。俺は「間に合わなかった?」って続けると、Bは唇を噛んで頷いた。


 お前のせいじゃないよ。って、俺はそれしか言えなかった。

 

 時間をかけて忘れるしかないって思ったんだ。


 しかし悲劇は終わらなかった。

 2か月後にBが自殺をしてしまったのだ。


 現場は近所のマンション。4階からの飛び降り自殺だった。


 急に友達を二人も失って、俺は何も手がつかない状態になっていた。けどなんとか気力を振り絞って、Bの葬式には参列することができた。


 それで葬儀場から帰る時になって……喪服姿の女性に呼び止められた。その人ははじめて顔を見る、Bの母さんだった。


 Bの母さんは息子と仲良くしてありがとうと丁寧にお礼を言い、一枚の封筒を俺に手渡した。


 それはBの部屋に残されていたもので、表には「◯◯へ」と俺の名前が書かれていた。


 Bの母さんに会釈をして別れ、俺は家路に着く途中で封筒の口を切った。


 中に書かれていたのは、大半が俺への別れの言葉と思い出、感謝だった。


 しかし最後の一枚に綴られていた文章を読んで、俺は思わず息を飲んだ。




 それはAを突き落としたのは自分だという告白だった。

 


 

 Bは友達だったからそのままの言葉はここじゃ話せない。けど簡単にまとめると、Aがパニックになりながら手すりを登り始めたのは本当だという。


 しかしそんなAを引っ張ろうと手を伸ばした時——なぜだかBの手は、Aを谷底へ突き落としていた。


 身体が勝手に動いたのだという。

 誰かに操られるみたいに。

 

 あれから毎日、Aが枕元にたつ。背中を押した感触が蘇る。

 もう耐えられない——。


 そんな内容だった。


 Bは今日まで、そのことを警察に言えなかった。家族にも話さなかった。


 しかし墓場まで持っていくことはできず、ただ一人事情を理解できる俺に告白したのだろう。


 Bの手紙を読み終えた時、俺は言葉にできない焦燥感に襲われた。


 それから追いかけるようにして——あの夜の恐怖が蘇った。


 

 取り憑かれてたのはAだけじゃなくて、Bもだった?


 

 Bがひとり橋の上で立ち尽くしていたあの時……俺は橋が怖くてBの元に駆け寄ることをしなかった。


 だがもし、あのときBのいる橋の上に戻っていたら——




 そう思うと全身の肌が泡立ち、震えが止まらなくなった。

 

 あれから、俺はいまだにAとBの墓参りに行くことができていない。

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