コタエアワセ

ここプロ

第1話 共同墓地の「ハ」区画

 実家の近くに共同墓地っていうのがあるんだ。


 街のはずれではあるんだけど、ちゃんと駐車場とか整備された場所でさ。うちの墓もそこにあって、お盆には毎年墓参りなんかもしてた。


 で、その共同墓地は三つの区画に分かれていた。


 駐車場から近くて、入り口からも見える「イ」区画。


 何年か前に再整備されて、広くなった「ロ」区画。


 そして一番奥の、階段を登った先にある「ハ」区画だ。


 墓参りなんて一年に一度しか行かないような家だったんだけど、昔からなんとなく感じていたことがあった。それは「ハ」区画だけ様子が違うということだ。


 お盆の時期でも「ハ」区画だけは明らかに人が少なかった。墓石も小さくてボロボロのものが目立ち、草もほとんど刈っていない。全体的には綺麗な共同墓地なのに、そこだけは管理が行き届いていないっていうか、なんだか異質な雰囲気があった。


 それで、何年生の頃だったかな。墓参りに行った時、気になって一度だけ「あっちを見にいてみたい」って言ったことがあった。


 そしたら墓前で線香に火をつけようとしていたばあちゃんが急に手を止めて、


「遊び半分でいくもんじゃないよ。あそこには」


 って真剣な表情で僕に言った。


 いつも優しいばあちゃんに注意されるのは珍しかったから、あの時のことはよく覚えてる。


 なんでばあちゃんがあんなことを言ったのか。その時の僕は、墓は遊び場じゃないぞっていう意味だと思った。


「ハ」区画に人が少ないのもきっと水場から離れているし、不便だからだろう……。そんなふうに結論づけて、それ以上考えることはしなかった。





 それから時間は過ぎて、あれは中2の夏のことだった。


 習い事のそろばんを終えた帰りに、僕たちは夏祭りにいく計画をしていた。近所の神社でやってるから、夜に自転車で集まろうぜってなって、その話はすんなりとまとまった。


 で、どういう流れだったか友達のAが「肝試しをやらないか」と言い出した。


「共同墓地で幽霊が出るとかいう噂を聞いたんだよ。なんか面白そうじゃん?」


「いやAお前、夏祭りはどうすんだよ」

 

「祭りの前に行けばいいじゃん。夜中に出歩く許可が出る日なんて滅多にないし、チャンスじゃね」


 祭りに行く他の友達は「怖いから無理」とか「キョーミねー」とか言って話題はそこで流れた。


 しかし実を言うと僕だけはAの話に食いついていた。


 どういうわけか、小学生の頃に一度だけ話題にした「ハ」区画のことが頭をよぎったのだ。


 もちろんばあちゃんに注意されたことも覚えていたが、そこは中学生。怖いもの知らずというか、ある種の無鉄砲さがあり、なおかつ一番バカな時期だった。

 

 他の友達がちょくちょく教室を出ていき、そろそろ帰ろうってタイミングになった時になって僕は


「で、墓には何時に行くよ?」


 ってAに尋ねた。


 するとAは嬉しそうに「ハナシわかるね〜。じゃあ18時半で」って僕と拳を突き合わせた。

 

 それから帰って急いで着替え、晩ごはんを食べた。親には「友達と夏祭りに行ってくるから」って伝えると、両親も後で1年生の妹を連れていくと言った。


 まあ神社でも別行動だしバレることはねえだろ。こっちはOK。


 それから念の為、歳とって同居を始めたばあちゃんにも「どうすんの」って聞いた。そしたらばあちゃんは「お留守番しているよ。遠いし、人が多いのはちょっとねえ」と案の定の返事が帰ってきた。


 フツーの顔をしながら「いってきまーす」って玄関を出た時にはなんだか不思議な高揚感があった。

 悪いことしてる時のあの感じってやっぱ楽しいよな。自転車のべダルがいつもより軽く感じた。


 それはAも同じだったのかもしれない。Aはすでに駐輪場にいて、テンション高く僕を迎えた。


 わざわざ懐中電灯まで持ってきてる。なんか肝試しが始まる! って感じがして、あの時が楽しさのピークだった。


 で、二人して敷地に入るわけよ。もう街灯がつく時間にもかかわらず、通り道の「イ」区画にはパラパラと人の姿があった。暑いから日中の墓参りを避ける人もいるのかもしれない。


 それでも敷地の奥の方が近づくにつれて人影は消え、例の「ハ」区画へとつながる階段についた時には周りに誰もいなくなっていた。木が生い茂っているせいか他の場所よりも明らかに薄暗い。


「よーし……こっからが本番だ。ビビってねえよな」


「いやちょっとビビってる」


「俺も笑」


 僕たちは茶化すようなやりとりをしながら階段を登った。正直かなり不気味だったし、怖さを紛らわせたかったのもある。


 しかし10段くらいの階段を上りきった時には言葉を失った。


 そこは昔話の挿絵でヒトダマとかが飛んでそうな景色だったからだ。


 苔の生えた墓石が、覆われた草の影からこっちをのぞいている。階段の脇にはボロボロの布を着た地蔵がいくつも立っており、虫のたかる白熱灯がそれを照らしている。

 

 昼間でも変な雰囲気だったが夜はワケが違った。思わずAに「……どうする?」って聞いたもん。


 そしたらAは喉を鳴らして「『ハ区画』に埋められてるようなビンボー人の幽霊なんかに怖がってられっか。行くしかないっしょ」って歩き始めた。なんで行くしかないのかわからんけど、僕も「そだな!」って言って後に続いた。


 そっからはもう無言。どっかで鳴いてるひぐらしの声だけが辺りに響いている。目的地があるわけでもないので、僕たちはひたすら墓石の間を進んでいった。


 そんで思ったのは、この「ハ」区画は管理がされていないだけじゃなくて、他とは明らかに墓石の性質が違うということだった。


 大きい墓がほとんどないし、墓石も風雨で削られてガサガサしているものばかり。文字を書いた木(卒塔婆?)をぶっ刺しただけのものも目立つ。


 無縁仏、って言うんだっけか。それが多そうな感じ。

 なんか寂しい感じがした。


 遊び半分で行くもんじゃない……ばあちゃんがそう言った意味がわかった気がして、「そろそろ引き返さねえ?」って僕はAに声をかけようとした。


 そしたら急にAが足を止めた。


 なんだ、って思ってAの視線の先を見たら墓石があった。


 見た目は普通の墓石。けど明らかにおかしかった。


 だって墓地ってふつう碁盤の目のように整備されてるじゃん。でもその墓石だけ、通路の真ん中にいきなり建ってんの。


 なんだこれって思ってたら、Aが突然「俺の名前」って呟いた。

 

「この墓、俺の名前が書いてある」

 

 は? って思って見ると、確かに彫られていたのはAの名前だった。

 

 全身に寒気が走って、それを誤魔化すように僕は「いや単なる同姓同名っしょ!」って叫んだ。


 無理があるのは自分でもわかってた。だってこんなの明らかにおかしいもんな。

 

 そして……僕たちは一縷の望みを賭けて墓石の側面にある文字を覗き込んだ。


 そこにはこう彫られていた。



 

 享年十四歳 ◯年八月十六日




 それはAの年齢と今日の日付だった。

 


「——ふ、ふざっけんなよ!! なんだよコレ!!!」


 半分狂ったような叫び声をあげ、Aはその墓石を力いっぱいに蹴った。すると墓石の上の部分がぐらりと揺れ、そのまま向こう側に倒れた。



 

 そしたら墓石の向こうにいたアレと目があった。

 

 こっちを見ている地蔵。


 目を開いている地蔵を僕はこの時初めて見た。



 

 直感的に思った。逃げなきゃやばいって。


 あれは僕たちを「どうしてやろうか」って考えているような、そういう目だった。

 

 ——示しを合わせるまでもなく、僕たちはその場を全力で走り去った。振り返る余裕なんてなかったけど、地蔵が僕たちを追いかけてきてる……そんな想像が脳裏に浮かんでた。


 猛ダッシュで階段を降り「イ」区画に戻ったが、さっきまであった人影がない。駐輪場まで走ってやっと水場の掃除をしてる人が見え、ようやく僕は足を止めた。


 のだが、それでもう安心とはならなかった。


 一緒に逃げていたはずのAがいないのだ。


 慌てて名前を叫んでみるも返事はない。どっかで転んで怪我でもしてるのか? と思ったが引き返す勇気はとてもない。


 どうしていいかわからずただ待つだけの時間が過ぎて、そのうち駐車場に停まっていた車もなくなってしまった。


 そうなってようやく、とんでもないことになったって自覚が湧いてきた。

 

 とにかく大人に助けを求めないと。僕は全速力で家まで自転車を走らせた。家に帰ったら、ばーちゃんが一人。両親は妹を連れて夏祭りに出かけて不在だった。


 よっぽど僕の様子がおかしかったんだろう。

 顔を見るなり「どうかしたのかい」とばーちゃんの方から聞いてきた。

 

 僕は共同墓地で起きたことを全て正直に話した。神妙な面持ちで聞いていたばーちゃんだったが、説明が終わるなり「バカな真似をしたね」と小さくこぼした。


「遊び半分で行く場所じゃないと言ったろう。


 あそこはね。本当に気の毒な思いをして亡くなった人たちがたくさん眠っているんだよ」


 当時の僕には難しくてよくわからなかった。ただ理解できた部分で言うと、ばーちゃんが子供の頃にはまだひどい差別があって、仕事や結婚、住む場所にも不合理な区別があった。


 果ては埋葬する場所に至るまで、差別する側は、される側を追いやることを望んだという。


 人が犯した過ちの名残。

 

 共同墓地の「ハ」区画とはそういう場所だったのだ。


「——それなのにあんたらは遊び半分であの場所に向かった。生きてる時にはひどい仕打ちを受け、死んでからも冒涜されたんじゃあ怒って当たり前さ。


 んじゃあ行くよ」


 え、まさか……。そんな声が喉まで出かかったが、シワだらけの目に宿る眼光を見たら何も言えなくなった。

 

「おじいさん。ちょっとお花を借りていきますよ」ばーちゃんはそう言って仏壇の花を抜き、庭に生えていたリンドウの花を加えて新聞でクルクルと巻いた。

 

 それを自転車のカゴに突っ込むと、よろよろと運転して僕を共同墓地まで先導した。ばーちゃんが自転車に乗っているのを久しぶりに見た気がした。


 しかしさっきの恐怖が消えたわけじゃない。共同墓地に近づくにつれどんどん体は強張っていくし、駐輪場に着いた瞬間には墓地での光景がフラッシュバックして震えた。


 けどばーちゃんがずんずん先へ進むから、心を決める間もなくついていくしかなかった。

 

 「ハ」区画への階段を上り切ると、そのままばーちゃんは迷わず奥へ。偶然だと思うけど僕とAが通ったのと同じ道だった。


 あの地蔵がまだいるんじゃないか……そう思うと過呼吸になりそうだったが、地蔵も通路を塞いでいた墓石も、もちろんAの姿もなかった。


 そして歩いた先。たどり着いたのは石碑だった。

 

 古くて大きめの公園に置いてあるようなやつ。ボロボロで読めなかったけど、何か漢字が彫ってある。


 その石碑に花を添えると、ばーちゃんは膝をついて手を合わせた。


「うちの孫がバカなまねをしました。

 ご先祖様方。どうか安らかにお眠りください」


 それからお経のようなものを唱えるばーちゃん。僕もまねをして手を合わせ、お経の代わりに「ごめんなさい。友達を返してください」を繰り返した。


 どれだけの時間そうしていたかはわからない。お経が終わるとばーちゃんは頭をさげ、家から持ってきた花を置いた。


 この先どうなるか。それはご先祖様方の心しだい。


 ばあちゃんはそう言った。




 ——共同墓地から戻ってからは、家でひたすら時計を見て過ごした。


 日を跨ぐ直前になって「Aが家に戻った」とAの親から電話があった。外出したきり行方がわからないってことで、警察に連絡される間際のところだった。


 なおAは家を出てから、どこに行っていたかの記憶がないという。僕と一緒にいた記憶すらないらしい。


 Aの親から最初の電話があった時に僕が「墓地でAと合流した」って正直に言ってしまったもんだから、話の帳尻が合わなくて大変だった。結局Aが本当に何も覚えてないらしいってことで、うやむやになったんだけど。


 それからしばらくは、Aの身にも僕の身にも何も起きなかった。


 墓参りで共同墓地に行くことはあるものの、特に変なことは起きない。もちろん僕の方からも「ハ」区画に近づくことはなかった。



 

 ——ことが起きたのはずいぶん後になってからだった。


 ちょうど20年後の夏の話だ。



 

 あの夏、ばあちゃんが肺炎で亡くなったんだよ。86歳だったかな。


 僕もいい歳になってたから葬儀を中心になって回していたので、帰った時には夜も遅くて結構クタクタだった。


 で、もう寝ようかってなったとき、一人暮らししてたアパートの電話が鳴った。

 

 電話の主はAの奥さんから。


 Aが行方不明になったという知らせだった。

 

 奥さんは僕とAが今でもちょくちょく会っていることを知っていたから、行き先に心当たりはないかと尋ねてきたのだ。



 Aの失踪。僕には直感的にわかってしまった。


 20年前のあの日。

 あの「ハ」区画で起きた出来事のせいだと。



 ——本当は何も許されていなかった。

 

 ただばあちゃんに免じてを与えられただけだったんだと。


 

 耳に入っていない奥さんの声を聞きながら、僕はぼんやりと窓の外に目を向けた。


 アパート前の街灯に照らされる電柱のすぐ隣。

 

 目を開いた地蔵がこちらを見ていた。

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