アンキュウについて
管理人です。長岡麻衣が残した”アンキュウ”と言う言葉の意味がなんなのか、私は独自に調査を開始しました。この言葉はここで初めて出てきたものではなく、以前にもXXたちに関連するエピソードの中でたびたび見られてきた言葉です。ゆえにこの言葉が今回の事件において非常に重要な意味を持つものであろうことは明らかなわけですが、インターネット上で調べたり、図書検索をかけた限りではこれに合致する内容の情報を得ることはできませんでした。
そこで私は、長岡麻衣の家から持ち帰った電話帳を活用することとしました。というのも、アンキュウと言う言葉が最近作られたものであるなら、インターネット上に何の情報もないのは不自然です。ゆえにこの言葉が作られたのは、今のようにインターネットが一般に普及する以前の事、あるいはその内容を知る人が非常に少ないものであると推測できます。こういう場合、やみくもに調査を行うのではなく、これらの事情に精通する専門の人物を探す方が効率的であろうと私は考えました。そこで私は、例の電話帳に記載された人物の中から、古くからの学者、霊媒師、霊能力者とされる人物及び特定の呪術やそれに関する歴史に詳しい人物を順番にあたり、”アンキュウ”と言う言葉の持つ意味を知る者を徹底的に調べて回りました。幸か不幸か、電話帳自体が非常に古いものであったため、コンプライアンスに厳しい現代では到底書けないであろう怪しげな方の連絡先なども記載されており、私にとって大きな助けとなりました。朝から夜まで様々な分野の専門家に電話をかけ続けた結果、私はある一人の郷土研究家のもとにたどり着きました。私はすぐに相手方にアポをとり、詳しい取材を行うこととしました。
以下、郷土研究家の吉見拓也さんから得られた情報をそのまま転記します。
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今回取材を行う吉見氏は、かつて近畿地方南部に存在したとされるある廃村に関する研究を行う郷土研究家である。とは言っても、職業として郷土研究を行っているわけではない。彼は今年81歳を迎えられる年齢であるが、定年を迎えるまではごく一般的な会社勤めのサラリーマンであった。毎日家族を支えるために懸命に仕事をする傍ら、彼は趣味の一環としてある村の事を調べ始めたのだという。
吉見「あぁ、わざわざこんな田舎町まで、はるばるご苦労様です」
私の事を出迎える吉見氏は、非常に古びた一軒家を住居としていた。周囲は美しい自然に囲まれるのどかな場所であり、非常に心が休まる場所と言える。
吉見氏はそのまま私を家の中に招き入れ、客間と思われる場所に私を案内すると、そのまま早速本題に移られた。
吉見「まさか、アンキュウについて調べているという者が現れるとはね。私はこれまで独自に研究を行ってきましたが、この事を進んで調べたがる人間なんて誰もいませんでしたよ。はっはっは、長生きとはするものですねぇ」
私の顔を見た吉見氏は、どこかうれしそうな表情を浮かべながらそう言葉を発した。やはり私が想像した通り、”アンキュウ”というものはそれを知る者が少なく、調査を行う者も非常に少数なのであろう。
吉見「アンキュウが何かを説明する前に、まずあの村に関する話をしなければなりませんね。ひとまずこちらをご覧ください」
吉見氏はそう言うと、近畿地方が描かれた地図を私の前に差し出し、そのまま机の上に広げた。そしてその中のとある一点を手で示しながら、こう言葉を続けた。
吉見「ちょうどこのあたりですかね…。私も興味があったんで自分で行ってみたことがあるんですが、今はもう影も形もなくなってしまっていましたね。まぁもともとが山の中にポツンと存在した小さな村だったそうですから、無理もありませんが」
時代が進んでいく中で、その存在が消えていく村は非常に多く知られている。吉見氏がここで言うその村も、そういった例にもれず時代の中で消滅してしまったのだという。
吉見「明治維新、ってご存じですか?日本が急速に近代化を進める中で、間違いなく最も大きな時代の転換期となった出来事ですよ。それまでは閉鎖的で時代遅れな社会を築いていた日本が、一気に文明国家の仲間入りを果たした。それは非常に喜ばしい事だったのでしょうが、それと引き換えに消えていったものもたくさんある。この村もまた、そのうちの一つなのです」
吉見氏が言うその村は、明治の時代の激動的な変化の中で消えていったのだという。近代化を推し進める当時の日本において、村というくくりは非常に前時代的と言えた。ゆえに藩は廃止されて県となり、点在的に存在していた日本の村々はそのまま国の管理下となることとなり、人口の少ない村や規模の小さい村は統合されたり、あるいは村民の移住を伴って廃止されたりしていった。
吉見「明治維新の風を受け、日本の中にあるいろいろな村が消えていきました。この村もその中の一つなわけですが、ここはちょっと特殊なんです。と言うのも、あの時代における村の解散と言うのは、基本的に国から言われて無理矢理に解散させられることが多いわけですね。向こうの都合と言うわけです。しかしこの村は、村民たち自ら解散を国に依頼したのですね。そんな話はなかなか聞かないとは思いませんか?」
村を解散させてそこにダムを造る、などという話は特に昭和の時代などではよくあったことだろう。そのたびに村民たちを中心とする反対運動が必ずと言っていいほど起こり、国との間で戦いは続けられてきた。それほどに村の者たちの結束は固いものであり、自分たちの住む場所に強いこだわりと誇りを持っているものだと言える。
しかし、自らその場所を諦めてしまうという話はあまり聞かない。そこに一体どのような理由があるというのか、吉見氏は詳しい説明に移る前にこう忠告をする。
吉見「ここが、私がこの村に興味を持った点でもあります。ここからはなかなかに不気味で信じがたい話が続きますが、どうか冷静にお聞きください」
私がイエスの返事をしたところで、吉見氏は本棚の中に置かれた一冊の古文書のようなものを取り出し、私の前に提示した。その本は非常に古い紙で構成され、表紙には筆記体の漢字で何かの文字が書かれているが、何と読むのかは分からない。
吉見「これは、あの村に関する記述が確認できる唯一の資料です。原本はこれ1冊だけで、複製したものは存在しません。ご覧になっていただければお分かりかと思いますが、これは印刷されたものではなく、人の手で直接記入されたものになります。おそらくは、あの村の住人の誰かが記録として書き残していた物なのでしょう。これ以外にも村の情報を記した書物は存在していたらしいのですが、かなり閉鎖的な村だったようで、これ以外のものは廃村に伴って処分されてしまったようです。中には村独特の言い回しや字なども散見されますので、解読はまだ完全には行えていませんが、どのようなことが記載されているのか、大まかには理解することができました」
ぱらぱらとめくられるその本の内容は、文字通り古文書のように見て取れる。筆記体で書かれた文字(漢字)は非常に美しく感じられるが、確かに読み取るのは非常に難しそうである。
吉見「まず、この村はある一点だけを除けば、日本の中にどこにでもある他の村と何ら違いはありません。村民同士の仲も良好で、争いが起こっていた事実などはなかったそうです。村では作物が良く育ち、天候にも恵まれることが多く、大きな災害などにあうこともなかったとのこと」
吉見氏はそのまま、本の中のある一部を手で示す。
吉見「ただ、それにはからくりがあったというのです。…ここ、”生贄”という字が書かれているのが分かりますか?それから……ここ、”
聞くに苦しい話である。その内容は今の時代にも通ずるものがあるからだろう。
「ある日の事、村の健康な若者が言ったそうです。「自分たちの食う分だって苦しいのに、役立たずの面倒まで見ていたらみんなが死んでしまう、このままではよくない」と。当時は今ほど食料に余裕などなかったでしょうし、それは心の中では多くの村人が思っていたことだったでしょうが、若者はそれを初めて口にした。そしてその言葉を否定することは、当時の村人たちにはできなかった。ゆえに彼らは話し合い、自分たちを苦しめる”不整人”の事を、村を救うための儀式の生贄という名目で殺すことにした。無論、そこに本人たちの同意などなかったことでしょう」
吉見氏は非常に神妙な口調でそう言葉を発しながら、本の中のあるページを私に示す。そこには一枚の絵と、その絵の様子を解説する文章が羅列されていた。
それは現代のような複雑なイラストなどとは異なり、筆のみで描かれたシンプルなものではあるものの、そのまがまがしい様子と恐ろしい雰囲気は、時を超えた我々の身にも非常に直接的に伝わってくる。
「この部分に詳しく描かれているのですが……。激しく抵抗する不整人たちを縛り上げ、生きたまま地中深くに埋め、酒と塩をまき、恵みの雨をもたらす神に対する供え物とした、と記載があります…。それ以外にも、村で飼っていた動物に食べさせたですとか、村に隣接する湖に生きたまま重りをつけて沈めたですとか、様々なやり方が書かれていますね…」
処刑、としか見えないそれらのやり方は、本の中に描かれたイラストによって表現されている。その表現はかなりざっくりしたものではあるものの、その場における悲惨な状況を克明に表現しているように思われる。口を大きく開けて苦しみから逃れようとする不整人の様子は、まさに痛々しいと表現するにふさわしいだろう。村ではこのような非道としか言えぬ行いが、口減らしのために繰り返し行われていたのだという。
吉見「ここに、”安久”と記載があるのが分かりますか?村人たちはこれらの儀式の事を、村に
吉見氏の口から語られた”アンキュウ”の正体は、”安久”と呼ばれた村の儀式だったという。しかしそのようなことがこの日本で過去に起こっていたなど、まったく信じたくない話である。ただ、吉見氏はそんな私の淡い期待を裏切るかのように、非常に真剣な表情で自らの真実を口にし続ける。
吉見「安久という儀式により、見かけ上村の状態は非常に良いものとなっていったそうです。ほら、最初に言いましたでしょう?村では争いが少なく、非常に仲の良い状態が保たれていたと。その裏にあったのは、安久という儀式を通じて村人たちの結束がある意味で固くなったことにあるのでしょう。安久に対して批判的な事を言ったり、不整人を助けるようなことをしたなら、自分も彼らと同じ目にあわされてしまうかもしれない。村人たちはそういった恐怖に支配され、誰かともめ事起こすことをしなくなったのかもしれません。その心理を考えるに、やはり村人たちにもどこかうしろめたさがあったのでしょう」
共通の秘密を抱く人間は、それによって結束を硬くするという。安久という儀式によって他の村人たちが争いを起こさず平穏に過ごす事が実現したというなら、なんと皮肉な事であると言えようか。
吉見「ただ、その後村の中で妙なことが起こり始めた。村の中において、それまで見られたこともない奇病が流行し始めたそうなのです。その症状はここに様々記載されていますが、眼球が溶け出す者、一晩にして手足が変形する者、地上にいながら窒息する者まで現れたそうです。すると当然、村人たちはこう思い始めた。これは自分たちが殺害した、不整人による呪いなのだと」
吉見氏が提示する本の中には、それらの症状を詳細に記載したページが存在している。現れる文言は非常にまがまがしく、見る者にその恐ろしさを思い起こさせる。
吉見「村人たちは恐れ始めました。奇病は様々な痛々しい症状を引き起こし、最後には死に至らしめるものだったそうです。次は自分こそが残忍な死に方をするのではないか、あるいは自分の大切な人間がそのような目にあってしまうのではないか、と思わずにはいられなかった。そこで村人たちは、呪いから助かる方法を懸命に探し始めた。自分たちが始めたことであるのだから、きっと終わらせる方法だってあるに違いないと信じてね。しかし、結局呪いを解く方法は解明されることはなかった。絶望に明け暮れる村人たちだったが、そんな中で彼らはあることに気づいた。村の中の多くの者たちが奇病に苦しむ中、村長やその周りの人間、要は村の中で上流階級に位置する者たちは誰一人これらの奇病を発症していないということに…。そこになにか理由があるのではないかと考えた村人たちは、村長の寝こみを襲撃し、呪いを回避する方法を教えろと迫った。村長は最初はしらを切ったそうですが、鬼気迫る表情を浮かべる村民たちの姿を見て、このままでは呪いではなく彼らによって殺されてしまうと思い至り、知っていることをすべて正直に話すことにしたそうです。えっと、その内容はここに記載がありますね…。村長はこう言ったそうです。「あの呪いは、一度起こしてしまったなら二度と解くことはできない。しかし、他の誰かを身代わりにすることならできる。ある言葉を唱えれば、唱えた者は助かり、その周囲の人間が代わりに呪いを受けることとなる」と…。すると当然、村人たちはその言葉が何であるか教えろと村長に迫った。しかし、村長はこう言葉を返した。「村の全員がその言葉を唱えてしまえば、身代わりにされる人間が誰もいなくなってしまい、結局全員が呪いを受けることとなってしまう。それでは誰も幸せにならない」と…」
呪い、身代わり、助かる言葉…。吉見氏の口から語られる真実は、私にとって非常に理解しやすいものだった。それは、私がこれまでに調べてきたある事象と完全に合致しているからだ。
吉見「全員が呪いから助かるにはどうしたらいいか、村中の人間が頭を悩ませていたそんな時、神がかり的とも言えるタイミングである出来事が起こった。それが明治維新です。明治維新によって、それまで独立していた村々は国の管理下に置かれることとなり、そして同時に、村の人間たちは自分の名前の上に”名字”を名乗ることができるようになった。呪いに恐怖する村の人間たちにとって、これは非常に大きな出来事となるのです」
吉見氏はそこまで言葉を発すると、部屋の中にある大きな本棚から明治維新における資料を取り出し、そのまま私の前に提示する。
吉見「ご存じですかな?今我々が当たり前に使っている名字は、明治維新をきっかけにして名乗ることを許されるようになったものなのです。それまでにも身分の高い人々は名字を持っていましたが、多くの人はそうではなかった。ましてや山の中に生きる村の人間など、名字など持っているはずがありません。しかし明治維新をきっかけにして、公的な名字を名乗ることができるようになった。そして名字と言うのは最初、自分の好きなものを名乗ることが許されました。様々な名字にはその由来があります。森の中に住んでいたから森中、竹やぶのふもとだから竹下、といった具合に、各々が好きな名字をこの明治の時代に決めていきました。…その時、村の人間たちはなんという名字を選んだと思いますか?」
吉見氏は私のリアクションをしばらく伺ったのち、こう言葉を続けた。
吉見「村の人間たちは、呪いから助かる言葉をそのまま名字にしたのです。ほら、XXと言う名字、割と今もいるでしょう?あれはこの時、この村から始まったものなのですよ。この本によれば、村の全員がXXと言う名字にしたそうですね。そしてそのまま村人たちは明治政府に村を売り、自分たちは新政府の協力の元、日本全国に散り散りバラバラになっていった。ゆえにその呪いは村人たちに及ぶことはなく、新しい地に行った元村人たちの周りの人間に発生するようになった。……と言うのが、私の立てたあの村に関する仮設です。…どうです?私の真実はあなたの望むものと一致しましたかな?」
それは、私がこれまでに触れてきた怪奇のすべてを説明するものであった。十分に満足のいく情報が得られた私であったが、最後に吉見氏に対して、こう質問を行った。「この呪い、どうしてこのようなやや複雑な状態になってしまったと思いますか?」と。すると吉見氏は少し考えるそぶりを見せた後、私にこう言葉を返した。
吉見「これは完全に想像ですが、村人の事を呪いたかった人々は、自分たちの呪いが永遠に残り続けることを望んだのではないでしょうか。例えば、村人だけでなく人間そのものを呪いたかった、とか…。呪われてしまった人が短命で命を終えるとすれば、当然そこから子供が生まれる確率も少なくなっていくわけで、いずれ呪いは消滅してしまうことになる。しかし、XXらでなくXXらの周りに対して奇怪な呪いを起こすことができたなら、この呪いは絶えることなく生き続けることとなる。なぜなら、この呪いはXX自身にはなんら不幸を及ぼさない呪いなのだから」
XXが存在する限り、終生残り続ける”不整人”たちの呪い。ゆえにXXたちは存在してはならない者たちだが、呪いを解除する方法があるのならその限りではない。吉見氏はその点に関しても、私に持論を話してくれた。
吉見「呪いを解く方法は……やはりないと思われます。この呪いを回避するには、自身が結婚するかなにかして名字をXXにするほかありません。それ以外に有効と思える方法はないんじゃないですかね?」
やはり、私や麻衣さんの考えが正しかったことが証明された。XXらはこの世に存在してはいけないのだ。今はっきりそれを理解できたからこそ、私はやらなければならない。消し去らなければならない。周囲を散々不幸にしておきながら、自分たちは素知らぬ顔をしている者たちの存在を…。
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