第27話 堕ちてきちゃった
「くっ! ヘルフレイムウェーブ!」
ランク三の魔法を発動させると同時に、マリーニーの髪の毛と瞳が赤く染まる。ガーシュインに因子を奪われたアルヴェルを連想させる変化だった。
「なるほど。体内に宿ったアリヴェルの血と魔力で、本来は扱えないランクの魔法まで使えるようになったんだね。凄いや」
「この状況下でも、自らの安全より感想を優先するなんて。変わらぬポンコツぶりに、改めてうっとりしてしまいますわ」
「いやあ、照れるなあ。魔族化のおかげで、マリーニーさんに近づいても怖くならないし。よかったよ」
「私もですわ。どうやら肉体の四分の一程度が魔族に変えられてしまったみたいですが、この程度は問題になりません」
ガーシュインのブレスを魔法の炎で弾き飛ばし、大きな胸をマリーニーが反らせる。ブルンと揺れて、こぼれ落ちそうになる。
「どうやらアリヴェルの力が宿ったのは本当らしいな。チッ、あの女め。俺が命を狙ったのに気づいて、途中で因子の魔力を流した血に移動させてたのか?」
「そんな真似ができるとも思えんが……しかし、奴の因子を取り込んだ際に思ったほどの力を得られなかったのを考えれば、意外に当たっているかもしれんな。小賢しい女だ」
基本的に上位魔族となるほど、死という概念は存在しなくなる。肉体どころか魂が消滅しても、長い年月の末に記憶と能力を維持して新たに誕生する。
ゆえに魔族がもっとも恐れるのは能力を奪われること。
能力を失ってしまえば奴隷にされるしかなくなる。そうして人間でいうところの貴族だった者が、下っ端だった者の奴隷としてこき使われるなんていうのもよくある話だった。
だからこそアリヴェルは復活した際に少しでも力を取り戻せるよう、因子から流した己の血へ魔力を注いだ。瀕死のマリーニーがいるのもわかっていた。彼女に魔力を与えても、長期的にはアリヴェルの損にならない。子孫さえ残していてくれれば、再生した際に殺して魔力を奪い取ればいいのだから。
だが、アリヴェルが血に押し込められた魔力は四分の一程度。残りはすべてガーシュインが奪っている。いかに魔族化したマリーニーといえど、単純な魔力勝負となれば相手が圧倒的に上だった。
「ククク。少しは面白くなりそうだが、さっさと天使の因子も回収してえし、遊びはこれまでだ」
再び開かれたガーシュインの口が、先ほどよりも見るからに禍々しく変化した炎を放出した。色は青く染まり、周囲を旋回するように赤い炎が舞う。
マリーニーが対抗すべくランク三の炎魔法を撃つも、あっさり消し飛ばされる。
「威力が違いすぎますわ! 英雄級の魔法ですら駄目だなんて、敵のブレスの威力は伝説級に相当するというの!?」
「マリーニーさん、下がってください。さほど多くないとはいえ魔族の血を宿した貴女に思うところはありますが、問題とするのは後です。ライトシールド!」
しかしリリアルライトが完成させた光の盾でさえも、ガーシュインの炎は問題としなかった。無人の野を進むがごとく、真っ直ぐにブラッドたちへ迫る。
「ブラッド! 少しでも後ろに下がるんだ!」
剣を床に放ったクレスが、両手を広げてブラッドの盾になる。その後ろではマリーニーとリリアルライトが新たな魔法を詠唱し、発動させる。
「無駄だと言った!」
ガーシュインの声が大気を震わせる。すべての努力は空しく終わり、ブラッドの禁魔法で作っていた巨大なゴム手袋シールドも簡単に燃やし尽くされた。
「うわああああ!」
悲鳴を上げて吹き飛ぶ。ごろごろと肉体が転がる。焼けた空気が肺に入り、中から焼かれてしまいそうだった。
他人の死を操作してきたも同然のブラッドに、死がにじりよってくる。
大の字になったところで止まり、天井を見上げたブラッドはぼんやり思う。死んだら母やシャリアに会えるかもしれないと。
「でも、僕は……ネクロ、マンサー、だから……じ、地獄……行き、かな……」
指一本動かすのも困難だ。ネクロマンサーとして数々の禁魔法を扱えても、ブラッド自身は普通の人間だった。
運動神経は人並み、引きこもりぎみだった影響で体力は少ない。いくら数々の抵抗で弱まっていたとはいえ、凶悪な魔獣となったガーシュインのブレスの衝撃を受ければこうなるのも当然だった。
かろうじて動く顔を左右に少しだけ向ければ、リリアルライトとマリーニーも倒れているのがわかった。クレスの姿は確認できない。全員がたった一回、本気でのブレス攻撃をされただけでこの有様だ。
実力差がありすぎるのを理解したところで遅い。仮に知っていたとしても、逃げようとすればその時点で殺されていただろう。
類稀なる偶然によって、ガーシュインが現在の姿を手に入れた時点で、ブラッドたちの敗北は決定していた。
「しぶといじゃないか、デスライズ家最後の当主よ。ククク。初代の仕掛けも結局はただの徒労に終わったな。さあ、とどめをさしてやるぞ。天使の因子を手に入れる前の前菜だ。ハーッハッハ!」
地下室には様々な魔法陣があるものの、体力も気力も魔力も十分残っているガーシュインに通じるとは思えなかった。最後の抵抗をしてやろうと方法を探すも、何ひとつ見つけられない。
これまでかとブラッドは観念する。
「母さんが、死んだあと……あのまま、死のうと思ってた、から……たいして、変わり、ない……かも、ね。でも……地獄に落ちると……シャリアには会えない、な。最後に、もう一度、笑顔が、見たかったよ……」
「クハハ! 愛した女の名前か。心配するな、俺が仇を取ってやるよ。だから安心して死ぬがいい!」
床に降りたガーシュインが足音を響かせて近づいてくる。振り上げられた剣が闇色の輝きを放つ。下ろされるその時が、ブラッドの最期だ。
ガーシュインに躊躇いはない。殺すのが楽しいと言わんばかりに口元を歪め、剣を持つ右手を動かした。
本気で死を覚悟した瞬間、ブラッドの耳に「駄目ぇ!」という声が届いた。それは今朝まで何度も聞いていた女性のものだった。
「な、何ィ!?」
ブラッドへのとどめを中断し、驚愕の声をガーシュインが上げる。
死ぬ瞬間を見たくないと閉じていた目を開く。ブラッドの視界に映ったのは、白い羽を広げるひとりの女性だった。
ひと目で天使だとわかるが、リリアルライトはいまだ倒れたまま。気絶から回復し、なんとか上半身を起こそうとしているところだ。ブラッドの前に立ち、守るのは不可能だった。
見上げるブラッドを振り返り、清純さを表す白いワンピースに身を包んだ女性が微笑む。
間違いなく、リリアルライトに天界へ送られたはずのシャリアだった。
「シャ、シャリア? ど、どうして、ここに……」
「ブラッドに会いたかったから、堕ちてきちゃった」
事もなげにシャリアは言った。
「お、堕ちた?」
「うん。ごめんね、リリアルライトさん。上で色々な人に話を聞いたけど、私のためを思って天界へ送ってくれたんだよね。でも、皆に止められたけど堕ちてきちゃった。だってね、私……天界で幸せに暮らすより、地獄でも構わないからブラッドと一緒にいたいの」
後悔ひとつない満面の笑みだった。髪の毛をふわりと揺らし、場に不似合いな甘い香りを漂わせる。
なんとか起き上がったリリアルライトは、諦めたようなそれでいて微笑ましげに頷いた。
「それがシャリアさんの意思なら、私に言うべきことはありません。貴女の思うがままに歩んでください」
「はいっ!」
返事をしたシャリアの翼が、一瞬にして黒く染まった。
ブラッドは驚いたが、シャリアは平然としている。送られた天界で何らかの説明を受け、覚悟を決めた上で地上へ来たのだろう。
「えへへ。天界から許可なく地上に降りると、堕天使と見なされちゃうんだって。一生懸命お願いしたけど、神様に許してもらえなかったの。だから私は堕ちた。ブラッドを救うために。そして愛するために」
しゃがみ込んだシャリアが、ブラッドを両手で抱き締める。一度でも天使になったからか、体温の冷たさは感じない。与えられる温もりに、無意識に涙を流がこぼれた。
「ブラッドってば、泣くほど嬉しかったの?」
「そう言うシャリアの瞳にだって、涙が滲んでるよ」
「うん。ブラッドに会いたかった……」
「僕もだよ」
「わかってる。ずっと天界から見てたもの。ブラッドの声だって聞こえていたのよ」
シャリアは天使になって覚えた白魔法を使おうとする。だが詠唱を終えても効果は発動されなかった。
その理由を、立ち上がったリリアルライトが説明する。
「白魔法は天使の力を借りる魔法。天界に見放された堕天使となったシャリアさんには、力を貸してくれません。その代わり、堕天魔法が存在するはず。堕ちた天使は貴女ひとりではないから。集中して力を求めてみてください。きっと力を貸そうとする声が聞こえます」
「わかった。やってみるね」
目を閉じて意識を集中させる。直後、頭の中へ流れ込むようにして、シャリアに堕天魔法の知識が入ってきた。理解してすぐに詠唱を開始する。
「基本的には白魔法と同じなのね。力を貸してくれる対象が違うから、白魔法と呼べないだけで。すぐ治してあげるわ、ヒール」
ランク一の回復魔法キュアではなく、ランク三に相当する回復魔法だった。瀕死に近かったブラッドの怪我が回復し、全身に体力が漲る。
「ありがとう、シャリア」
「うん。あ、そうだ。リリアルライトさん、私もリリーって呼んでいいかな?」
話しかけたリリアルライトが頷くのを見て、シャリアはブラッドを少しの間守ってほしいと告げる。そうして自分は足早に移動を開始した。
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