第22話 どうして君がここに?

 理性を失ったがゆえに狂暴な力を発揮できているが、理性を失ったがゆえに周囲への注意も疎かになる。


 ブラッドの行動に最後まで気が付けなかったアリヴェルは、抵抗もせずにその身をケールヒの魂に侵食される。


 直後にアリヴェルの口から、ケールヒのと思われる言葉が飛び出した。


「ぐ、ううおおお! いつまで寝てるか、優秀な我が秘書よ。主の最期に立派な花を添えてくれ!」


「思い出したように……人を、こき、使おうと……する、なんて……領主様は……最後、まで……ポンコツ……なんです、から。ま、まあ……そこが素敵、なの、ですけど……」


 マリーニーがフラつきながらも、火属性だと自ら暴露していた女魔族へ氷の魔法を放つ。魔力も尽きかけている現状ではランク二の黒魔法を使うのは難しく、アイシクルクラッシュがやっとだった。


 通常のアリヴェルには簡単に防がれたろうが、今の彼女はケールヒの魂と格闘するので精一杯。ガラハドを追い払った時同様に外からの攻撃を防御する余裕はなかった。


「僕も黙って見ている場合じゃないね」


 ブラッドはマントの硬度を上昇させ、鉄のカッターみたいにして、あまり見たい光景ではなかったが、決着をつけるためにアリヴェルの頭部を跳ね飛ばす。


「無駄だ。魔族だけあって、回復力は私たち以上だ。地道に命を奪い続けるしかない」


 アリヴェルの攻撃が止まったおかげで、クレスのみならずシャリアも体勢を立て直せていた。


 二人とも腕や足が外れかかっており、完全に回復しきれていない。内部から修復が開始されるため、外部のパーツにまで回復が届いていないのだろう。


 もしくはブラッドの総魔力が低下している影響で、彼女らに回せる魔力が減ってしまっているのか。


「ブラッドってば、どうして逃げなかったのよ。でも、ありがとう」


「当たり前だよ。僕を愛してくれる女性はシャリアやクレスくらいだからね。置いていけないよ」


「……ブラッドに蘇らせてもらえてよかったよ。だからこそ、いざという時には盾となる。私もシャリアもな!」


 動く右腕一本でクレスはアリヴェルの胴を薙ぎ払う。敵のボンテージは斬り裂けてもすぐに修復する。加えて防御能力もブラッドのマントに匹敵する。厄介なことこの上なかった。


「領主様が頑張ってくれてる間が最後のチャンスだ。できるかぎり彼女の肉体と魂を弱らせる。そうすればさっきの仕掛けで、片をつけられるかもしれない」


「承知した。うおお――っ!」


 クレスやシャリアだけでなく、出血多量で今にも倒れそうなマリーニーも歯を食いしばって魔法の詠唱を行う。


 やがて、ずっと立ったままのアリヴェルがどさりと倒れた。死んだのかと思ったが、どうやら違う。風に乗るようにしてケールヒの声がブラッドの耳に届いた。


「私はここまでだ。後は任せたぞ。デスライズ家の当主よ」


「任されたよ。おかげで彼女もずいぶん弱った。とどめの禁魔法を使わせてもらう」


 肉体に魂を呼び戻す際に発生する魔法陣と、天井から降り注ぐ魂を他者の肉体へ導く光が合体する。


 新たに完成した魔法陣が宙に浮かび、大小合わせて六つに分かれる。それぞれアリヴェルの右手、左手、右足、左足、胴体、頭へと重なるように移動する。


「使うのは初めてだけど、これが駄目なら、もう打つ手なしだ」


 焦りと不安で汗をかくブラッドの背中に、シャリアがそっと寄り添った。体温は感じず、冷気ばかりがやってくるものの、今はそれが心地よい。汗は消え、寒いのになんだか落ち着く。


「大丈夫よ、ブラッド。駄目なら一緒に死んであげる。だから死後の世界に行ったとしても愛させてね」


「私も忘れないでくれ。付き合いは短くても、ブラッドとは魂で繋がっているんだ」


「そうだったね。僕たちは孤独じゃない。世間一般の人から見たら歪んでるだろうけど、僕が勝手に蘇らせたようなものだけど、それでも――」


 ブラッドの目に力が宿り、禁魔法を完成させる。



 イクスティングイッシュ・ザ・ソウル。



 強制的に肉体から魂を引き剥がす禁じられた魔法で、魂や肉体に抵抗されれば失敗するため、両方ともに弱っている状態でなければ難しい。


 だが、今のアリヴェル相手なら成功する可能性は高い。魔法陣に魔力を流し込み、女魔族が目覚める前に肉体から魂を引き剥がそうとする。


「ぐああ――っ!」


 目を開いたアリヴェルが、両手で喉を押さえて悶絶する。


「やめろ、貴様、やめろおぉぉぉ!」


「悪いけど、それはできない」


「貴様らは殺さない。約束してやる! 契約もしてやる!」


「僕の答えは変わらないよ」


「ぎいィィィ! こ、こうなればァァァ! さっきの男の血で、儀式は完成しているはずだ! 私に新たな力を寄越せえぇぇぇ!」


 胸元から取り出した紙に、人間では理解できない言語をぶつける。直後に片手で収まる程度の大きさの紙が、魔法陣の形に赤く輝きだした。


「はっはァ! 人間の血で描く強化魔法さ。契約者の力に頼るなんざ私らしくないが、この際――いィィィ!?」


 何かが起きる前に電流でも浴びせられたかのように、黒目を反転させたアリヴェルの全身が痙攣する。


「おごっ、おっ、おおお……く、そった、れが……私を……ハメ、やがった……な……うああ――っ!」


 館どころかデイククまで届きそうな叫びを最後に、女魔族は糸の切れた操り人形のごとく一切の動きを停止した。


「……勝った……んだよね」


 硬度を人差し指程度にしたマントで、ブラッドはアリヴェルの太腿あたりをつついてみる。


 反応はない。単純に生死を確認しただけだったのだが、何故か背後から極度に冷たい視線を感じる。


 慌てて振り返ると、そこには般若のごとき笑みを浮かべるシャリアが立っていた。


「どうしてわざわざ太腿の付け根を狙って触れるの? このエロネクラマンサーは」


「ええっ? そんなつもりは……そ、そうだ。それより、マリーニーさんの手当をしないと!」


 彼女はすでに石床に突っ伏しており、自らとアリヴェルので作られた血溜まりに顔面を付着させている。


 大変だとシャリアとクレスをしっかり見た直後、ブラッドもひっくり返りそうになる。激闘のせいで衣服がボロ切れ同然になっており、二人とも半裸だった。


「……やっぱり、エロネクラマンサーだわ」


「女魔族を倒した安堵ですっかり忘れていたな。とりあえず肌を隠してからマリーニーの手当てをして、それから領主の……む? そこにいるのは誰だ!」


 クレスが剣先を向ける。明かりの死角となる暗がりから、音もなく姿を現したのは、リリアルライト・エンジェル・ロッケルベルだった。


「エンジェルちゃん!? どうして君がここに?」


 餌を見せられた犬のように飛びつこうとするブラッドを制し、シャリアが彼女に歩み寄る。


「ひとりじゃ危険よ。エロネクラマンサーに襲われるわ」


「……天よ。現世に彷徨えし魂を、どうぞその胸に受け入れたまえ」


「え? 何を――」


 そこでシャリアの言葉が切れた。何が起きているのか理解するのも難しかった。いきなり彼女は消えた。


 地下室から。


 ブラッドの視界から。


「シャリア・イィルウさんは天に召されました。正しくあるべき形に戻ったのです」


 顔を上げるリリアルライト。そこに以前見せた少女特有の可愛らしい微笑みはなかった。


「シャ……リア……?」


 呆然とするブラッドに、近くから怒声が飛ぶ。クレスだ。


「ボーッとするな! 逃げるんだ、ブラッド。手負いの状態で、新手と戦うのは無謀だ!」


 新手と言われてもピンとこない。リリアルライトは、ブラッドが平気な唯一の生身の人間女性なのである。その彼女がどうして――。


 ――いや。答えはもうわかっていた。ブラッド自身が認めたくないだけだ。


 目の前に立っても平気だったからくりは、つい先ほど倒したばかりの女魔族と同じ。要するにリリアルライトも純粋な人間ではなかったのである。


 立ち塞がるクレスを悲しげに一瞥し、リリアルライトは目を閉じる。


 刹那、彼女の背からドレスを突き破るようにして、一メートルはゆうに超える翼が生える。魔族とは違い、清純さを証明するかのように真っ白だ。


「天使……?」


 クレスが呟いた。


「おっしゃる通り、私は天使です」


「その天使が、どうしてシャリアを消滅させたのだ。蘇ったからか? だというなら、あんまりだろう。彼女が死んだのは魔族のせい。天使だというのなら、魔族の暴挙を止めればよかったではないか! そうすればそもそもシャリアは死んでいないのだ!」


 激怒するクレスの視線を、リリアルライトが受け止める。


「そちらもおっしゃる通りです。ですが、天界は過剰に人間界へ干渉するのをよしとしておりません。人間の問題はあくまで人間で解決すべきなのです。せめてもの助けとして、神が天使を通してお与えになられた、貴方方が神聖魔法と呼ぶものがあります」


 悪魔はたまに姿を見かけるが、天使は滅多に目撃情報を聞かない。それだけ人間の世界に姿を現さないということになる。


「……天界は僕が魂をもてあそんだと判断したの?」


「それもあるでしょうが、私が天使の力を発動させたのにはもっと大きな理由が――」


「――そうか。お前が天使だったのか」


 リリアルライトの背中から、彼女よりも可愛らしい声がした。


 目をぱちくりさせるリリアルライト。ブラッドたちの視界に映る彼女の腹部には、一本の腕が、いきなり生えたように突き出ていた。

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