第4話 解剖していい?

「シャリア、肉体へ戻るのを強く念じて。呼吸をし、目を覚ますのをイメージするんだ」


「わ、わかったわ。こ、こうかしら」


「うん。いい感じだよ。イメージは現実に近づき、君は目を覚ます。すぐ側にある自分の肉体で。さあ、戻っておいで。肉体から追い出された哀れな魂よ」


 目を開けた勢いそのままに、ブラッドは水平に伸ばしていた両手を、遺体へ風を送るように下ろした。


 縦に並んでいた魔法陣が上から落下して重なる。三乗どころか、床に太陽でも生まれたのかというくらいに、光が地下室全体を包んだ。


 誰の声も聞こえない。三色の光が円を描き、ブラッドとシャリアの肉体を針に見立てた時計のように回る。


 影すら飲み込んだ光はやがて収束を見せ始め、一本の細い柱となる。


 数秒もしないうちに光の柱が縮んでいく。真下にはシャリアの心臓があった。


 地下室から魔法の光が消え失せ、オイルランプの灯す淡い明かりだけとなる。


 見下ろすブラッドの足元で、シャリアが瞼を開ける。何度か大きな瞳をパチクリさせ、呼吸ができるのを確認して、最初に自分の手を見る。


 五本ある指は動く。横向きから仰向けになり、天井を見上げる。


 お尻に伝わる硬い石床の感触を心地よく感じる。生き返った実感とともに、彼女は魂のみの存在となっていた時の状況を思い出していた。


「どうやら成功したみたいだね。体に違和感とかはあるかい?」


 彼女の頭上に降り注いだ声は、寂しげながらもどこか優しそうな瞳の持ち主のものだった。


「大……丈夫みたい。信じられない。私、本当に生き返ったの?」


 確かめるような問いかけに、ブラッドは頷いた。


「事前の説明通り、正真正銘の人間というわけではないけどね。まず、血液がない。そして通常の傷程度ならすぐ治る。それらは十分、実感できてるんじゃないかな」


「そういえば、皮膚が擦り剥けたりしてたのに……怪我はしてないし、血も出てない。信じられない気持ちは変わらないけど、現実なのよね」


 言ったあとでシャリアが目を見開いた。あまりに急激な表情の変化に、見下ろしていたブラッドもビクリとする。


 素早く手を背後に回し、もぞもぞと動かす。ブラッドに見えないよう、スカートの上からずり下がっていたショーツを直しているのだった。


 そんなこととは露知らないブラッドは、神妙な顔つきで「痒いの?」と尋ねる。顔を真っ赤にしたシャリアは不自然に笑って、顔を左右に振った。


「な、何でもないわ。気にしないで。それより貴方――ブラッド君だったよね。凄いね、私と同じ歳なのに死者を蘇らせられるなんて。おかげで助かっちゃった……のよね?」


 死人になったのも、魂だけになったのも、蘇ったのも初めての体験。シャリアが自信なさげにするのも当然だった。


 成功する確信はあったものの、実際にブラッドが死者を復活させたのも初めてである。


 完璧なのはあくまで理論上の話のみで、蘇生させた肉体にどのような影響が出るのかは、復活した当人でなければわからない。だからこそ、先ほども痒いのかと聞いたのだ。


「でも、どうして血が出ないの?」


 上半身を起こしたシャリアが、両手をぶらぶらさせながら足首を回す。死んで間もないとはいえ、肉体から離れていたブランクを埋めるように感覚を確かめている。


 興味深そうに復活したばかりのシャリアを見守りながら、ブラッドはネタばらしではないが、行った蘇生について説明する。


 本当は秘密にしておくべき内容なのだが、すでに当事者となった彼女にならば問題ないと判断した。


「血液がないからだよ」


「……え? 血がないって嘘でしょ? じゃあ私はどうやって――あああっ! 心臓も動いてないっ! どどど、どうなってるのよ、これっ!」


「少し落ち着くといいよ。そんなに慌ててばかりだと疲れるでしょ。説明はきちんとしてあげるよ。不思議だよね。面倒臭がってもおかしくないのに、なんだか話したいんだ」


 足を揃えて伸ばして床に座っているシャリアが、一瞬だけキョトンとしたあとで穏やかな笑みを浮かべる。感受性の豊かさを示すように、声のトーンも表情も本当によく変わる。


「そっか。ブラッド君は一人なんだもんね。そういえば、ここってどこなの? やっぱり森の中?」


「そうだよ。君が倒れていた地点から、真っ直ぐ奥に進んでいくとこの館に辿り着いていたんだ。途中で殺されたみたいだけど。女魔族と言ってたね」


「うん。本人がそう名乗ったし、それにあの外見は人間とは違ってた。どうして私……」


 殺された時の状況を思い出したのか、両手で自分を抱くようにしたシャリアが小刻みに震えだした。


 落ち着いてから尋ねるべきだったのかもしれないが、話し相手は実の両親だけ、それも晩年はほとんど話していなかったので、ブラッドは人との会話の進め方をいまいちつかめていない。


 どうしようか悩んだ末に、ブラッドは地下から出るのを提案した。掃除をしていないので埃まみれだが、一階に上がれば落ち着ける部屋もある。


「そうね。色々とお話もしたいし、しばらくお邪魔させてもらおうかな。魂だけの時に自己紹介してるけど、私はシャリア・イィルウよ。改めてよろしくね」


     ※


 両親の寝室へ繋がる出入口は、床を閉じると勝手にロックがかかる。


 侵入者が来た場合は、ベッドに備え付けられているスイッチを取り外して地下室へ籠れば、立派なシェルターとなる。


 実際にそうして、館へやってきた人間に見つからないよう、ブラッドは生前の両親に連れられて身を隠したこともあった。


 今回はスイッチを持ち込んでいないのに加え、降りる際に床を閉じてしまっている。


 地下室側からは開けられなくなっているので、出るには裏庭の墓場側しかない。脱出経路にも使われているため、逆に裏庭からは入れないようになっている。


 オイルランプは備え付けで、他に明かりは持っていない。出る際に消せば地下室は真っ暗だ。


 とはいえ地下室はただっぴろいひとつの空間。壁伝いに歩いていけば、そのうちに裏庭へ通じる細い通路を見つけられる。円形の地下室において、そこだけが触角のように伸びていた。


 オイルランプを消した直後、ブラッドのすぐ後ろにいるシャリアが「あれ?」と不思議そうな声を出した。


 何か不具合でも発生したのかと、ブラッドは背後にいる彼女を見た。


 明かりがなくなり、顔の細部は確認できないが、首を傾げているような仕草をしているのはなんとなくわかった。


「明かりがないのに、なんだかよく見える。夜目っていうレベルじゃないわ。まるで目の中にライトでもあるみたい。これも復活した影響なの?」


「どうだろう。君の肉体を動かすエネルギーが、僕のマナに変わった影響なのかな。不思議なこともあるものだね。……解剖していい?」


 暗闇の中、顔を青ざめさせたシャリアが半笑いで後退りをする。


 表情は見えなくとも、シャリアが恐怖したのはわかったのだろう。ブラッドはかすかに口元を歪めて冗談だよと告げる。


「笑えない冗談はやめてくれると嬉しいな。あは、あはは」


 引きつった笑い声を地下室に響かせたあと、シャリアは先導するようにブラッドの前へ立った。


「裏庭に通じる場所から出るのよね。あそこにある通路がそうなのかな」


「そうだよ。案内してもらえるとありがたいかな」


「うん、大丈夫。任せて」


 途中途中で何度も振り返り、ブラッドが迷子になっていないか確認しながらシャリアは前を歩く。少しでもはぐれそうなら、手を握りかねない感じである。


 他者に気を遣われた経験のないブラッドは彼女の行動を不思議に思ったが、特に不快でもないので黙ってついていく。


 言葉通りに夜目がきくようになっていた彼女は、迷わず目的の通路へ辿り着く。


「扉のすぐ右側の壁にあるスイッチを押して」


 言われたとおりに、シャリアが壁にあった丸ボタンを押す。


 なだらかに上に向かっていた通路を歩いているうちに地下から出ていたらしく、目の前に外の光景が広がる。


 静寂のみが存在する裏庭は、夜の闇に包まれて森の中よりも不気味さを感じさせる。


 恐る恐る足を踏み出したシャリアは、出て来たところを確認するなり腰を抜かしそうになった。


 地下室の出口となっていたのは、無数にある墓石のひとつだったのである。


 人が通れるようにとりわけ大きいもので、隅の方に設置されていたが存在感は抜群だ。


「どうして驚いてるの? あのまま死んでれば、お墓は君の家になってたのに」


「そ、そういう問題じゃないと思うわよ」


「ふうん。まあ、いいや。それより館はこっちだよ」


 今度はブラッドが前に立つ。慣れているのもあるし、地下室に比べれば同じ明かりのない闇の中でも、裏庭の方がほんの少しだけ明るかった。


 館に入ったブラッドは、シャリアを連れて食堂へ移動する。母親が死んで以降使っておらず、食事は備蓄していたもので適当に済ませるか、大半は水を飲んで終わっていた。


 ブラッドの食生活を聞いたシャリアは、絶句後すぐに行動を開始した。


 埃が舞う食堂内を軽く掃除し、妙に小奇麗なキッチンへ移動する。


 ブラッドが調理をしないので、最後に彼の母親が片付けたままになっていた。


 食糧庫に食材はほとんどない。最近になって魔法で冷やし、圧倒的に食材を長持ちさせられる冷蔵庫なるものも発売されたが、もちろんデスライズ家のキッチンには存在しない。


 魔法をエネルギーとした製品の価値はまだまだ高く、底辺庶民では一ヶ月分の給料を使って、ようやくマジックライトが購入できるかどうかだった。

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